2006年08月25日

通知表 文例集(1)4

0534bf2f.JPG 今の時期、標題の記事を載せるのは、ちょっと変かもしれない。『通知表を返す時期なのに、』と思われるかもしれない。

1. しかし、アクセス解析を通して、本ブログの検索キーワードをさぐると、本記事の標題は、未だにコンスタントに出てくるキーワードの一つとなっている。根強い関心があると思われる。

2. 従来の3学期制の地域なら冒頭の通りだが、近年2学期制をとる地域もふえているようだ。こうした地域は、夏休み明けのこれからが、通知表作成の時期となるだろう。

3. 文例というと所見欄が主だが、ここに何が書かれるかについては、保護者の関心も高いと思う。

4. わたしはかつて、『通知表は、学級担任の作品です。』という記事を書いた。一人一人の子どもを、担任がどれだけ見(診、看、観、視)とったか、どう見とったか、それが端的に表れるのは、通知表の所見欄であろう。とすれば、担任にとって、この文例集は、日ごろ子どもをどう見るかの参考になるかもしれない。


 わたしは校長時代、各担任から通知表が提出されると、通知表の点検をしながら、これはいいと思う記述をワープロに打ち込んだ。そして、それを文例集として、全教員に印刷配布した。
 徐々に教員の作成する通知表の所見欄が、充実していったことは言うまでもない。つまり、一人一人の子どもを見る目が、鍛えられていったと言えよう。
 
 文例集を配布しながら、教員には、こう言った。
「文例集は、それをまねしてほしくて配布したのではありません。すばらしい先輩、同僚の所見を参考にして、どう子どもを観とるか勉強していただきたいので、配布するのですから、どうぞ、よろしくお願いします。
 日々、学級で子どもと共に過ごしていて、子どものある言動が意識にのぼったとき、『あっ。これは、すばらしい成長だ。よし。通知表に書けるかもしれない。』などと思っていただけたら、よいですね。」


 でも、わたしが感じた課題は、次のようなことだった。

1. 保護者の気持ちになって読むのであるが、具体性のない記述は、読んでいてむなしい。たとえば、『A君なりのがんばりを見せました。』というのがある。これでは、保護者は、ほめてくれているという思いは受け止めるだろうが、何をどうがんばったのか具体的には分からない。そういう点は、担任を呼んで指摘させてもらった。

2. 『個人面談でお話ししたとおりです。』とだけしか書かれない場合がある。これも冷たい。わたしもかつては小学生の父親だったのだが、これがゴム印ですまされていると、腹が立ったものだ。『わたしは面談していない。』そう言いたくなった。

3. 子どもって変わるときは変わるものだ。わたし自身の経験でも、笛が吹けないという評価をしたあとで、通知表の配布時では、もう吹けているなどということは何度も経験した。個人面談で担任と保護者が情報交換すれば、保護者は家で子どもに言うだろうし、そうすれば、子どもは大変容を遂げることもある。面談後、それがどう子どもの心、成長などに反映したか、やはり具体的に書いてやりたいものだ。

 それでは文例に移る。ただし、学習面の記述は、次回に譲らせていただきたい。


 
 文例

○人権教育の視点から

個別支援級
・ 交流学級での生活においても、人に援助してもらうことより、自分で進んですることが多くなり、自信を持って自然に交流を楽しんでいる様子が見られるようになりました。
1年生
・ 仲のよい友達がふえました。休み時間、元気に外遊びができるようになりました。また、友達のよいところを見つけ、自分のことのように喜んであげることができました。
2年生
・ 友達とのつきあい方が上手になりました。自分の気持ちを素直にぶつけるようになりました。
3年生
・ 自分の分担の仕事をきちんとやり、いつもけじめのついた行動をしています。また、相手のことを考え、友達の過ちを許してあげられるやさしい心の持ち主なので、みんなから慕われています。
4年生
・ 仲のよい友達といつも一緒に楽しそうに行動を共にしていました。男の子にちょっかいを出されても、はっきりと「やめて。」と言えるようになり、たくましさも出てきました。
5年生
・ 特別バスケットボールクラブでは、休まずに練習を続けました。ひとりぼっちでいる友達に、「こっちへ来いよ。」とやさしく声をかけている場面を何度も見ました。
6年生
・ 正しいと思うことを主張するだけでなく、自分の過ちも素直に認める冷静な眼をもって行動していました。

○ 個の成長を見とる視点から

個別支援級
・ いつも明るく元気いっぱいに過ごし、小さなことでくよくよしたりすねたりすることがかなり減ってきました。けんかになりそうなときは、お互いにやさしい言葉で話し合うように指導しています。
1年生
・ 何に対しても積極的ですが、一番早くやりたいという思いが強すぎて、あわてたりわがままになったりすることがあり、落ち着いて余裕を持って物事に取り組むよう指導してきました。
 最近は、自分でそうした点に気づくようになり、そういうときは、『しまった。』という表情を見せ、舌を出す仕草がとてもかわいらしいです。
2年生
・ グループ内でトラブルが起きたようなとき、担任がじっくり話を聞くようにすると、なるほどと思うような考えを聞かせてくれることがあります。
3年生
・ 今学期一番えらいと思ったのは、間違えたり自分が悪かったりしたとき、潔く認めることができたことです。
4年生
・ 今学期は、表情がとてもよく、受け答えもはっきりしてきて、安定していました。友達とも楽しそうにのびのびと遊び、学習面でも、はきはきと発表する姿に、心打たれるものがありました。
5年生
・ グループのリーダーとして、クラスをよりよくするために相手の立場になった意見を出していました。正義感があり信頼される存在でした。
6年生
・ 自分のすべきことを冷静に処理し、広い視野にたって勇気をもっておごりなく行動しています。個人面談後は、そういう自分にますます自信を持ったようで、楽しそうに行動している姿が印象的です。


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rve83253 at 21:52│Comments(4)TrackBack(0)評価観 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年08月26日 00:00
こんにちは

通知表の所見欄って、一番良く見るところだったりします。個々の評価は5段階か3段階かは別として、量的評価に過ぎない。でも所見に、何が課題か?何ができているか?それではどうしたらよいか?といった、大事な指針が描かれているからです。

そこが、通り一遍な、曖昧なものだと、やはり「あぁ、この先生って、実は子供達のことを見てないのだな」という評価をしてしまいます。

評価って、「評価者の評価」にもなると思うのですよ。

そういえば、今のマリオの学校は、先生の評価・親の評価・子ども自身の評価を各々書くという仕組みをとっています。しかも、9割褒めて、1割課題を書く。その課題も、できなかったという書き方ではなく、ここまでできたね、じゃあ次はこれをがんばろう、といったポジティブ視点で書かなければいけないというもの。

担任の先生は、これを書くのに一ヶ月くらいかけているようです
2. Posted by toshi   2006年08月26日 08:23
Hidekiさん
 「評価者の評価」。これ、ほんとうにありますよね。担任の子どもをみる眼の中に、担任がどれだけ子どもを見とれるか、子どもをどれだけやる気にさせられるか、担任の子どもの見方に偏りはないか、ポジティブな視点をもっているかなど、様々な観点で、見ることができます。
 今、いいなと思うのは、パソコン処理で通知表を作成する学校がふえつつあることです。
 これだと、日ごろから気づいた点を打っておくことができます。手書きと違い、一気に学期末に作成する必要がない。学期末は加除修正くらいで済みます。それだけきめの細かい文章になると思われます。
 ただ、情報が漏れないように、万全の策を講じる必要があります。
3. Posted by うるとらまる   2006年08月27日 16:01
お久しぶりです。静岡の小学校教師です。

うちの学校は2期制なので、これから通知表の所見を作成するところであり、タイムリーな話題で感謝しております。参考にさせてください。

私なりに、厳しいことも書くと思いますが、
できれば保護者の方や子どもが元気になるような
文を書きたいと思っています。

がんばります。

では。
4. Posted by toshi   2006年08月28日 05:56
うるとらまるさん
 わたしは、『通知表』に、子どものよいことだけ書くというのは、誤解だと思っています。
 きびしいことを書いても、保護者や子どもとの間に信頼関係があれば、よいのではないでしょうか。要は、子どもが意欲的に生活する気になるような、そんな記述だと思います。
 大変でしょう。身体に無理のないように、でも、がんばってくださいね。

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