2006年09月06日

定  見(1)4

8ae58915.JPG 今、わたしは問題にしたいことがある。『国には教育についての定見があるのか。』ということである。

 なぜ、このようなことを問題にしたくなったかと言えば、・・・、
わたしは、こだま先生のブログ、『道草学習のすすめ』『え、学校が5段階評価を受けるって!?』の記事に対し、上記『国には、〜。』なるコメントを書かせていただいたからである。


 ところで、教育基本法の改定、国旗・国歌の制定、道徳教育の振興などの動きを見ると、国には定見があるかのように見える。
しかし、わたしがこれまで見てきたことによれば、

1. 教育の各論になると、見解はさまざまで、そのときそのときの世論、マスコミ等の論調に振り回されているように思えてならない。
2. また、学習指導要領を見ると、戦後、約10年ごとに改訂を繰り返してきたものの、常に、基礎・基本の徹底と個性尊重との両論併記だった。
のである。

 ところで、無定見ということは、どういうことを意味しているのだろう。

1. 今後の展望を考えた場合、悲観も楽観もできない。どう転ぶかは分からないということだ。
2. そのときそのときの世論に左右されるということは、わたしたち、ブロガーはブログでおおいに主張すればいいということだ。仲間をふやす。語り合える友をふやす。そういうことが、とても大切になるのではないか。


 さあ、それでは、本論に入るが、それ以前に、ちょっと、脇道に入るのをお許しいただきたい。


 数年前、あるベテラン教員に、次のようなことを言われたことがある。忘れられない。

 「今の若い人たちを見ていると、どうも、『こらえ性がない。』『根気が続かない。』『やりたいことに対しては、意欲的、積極的かもしれないが、いやなことに対しては見向きもしない。』という傾向が顕著なように思うのです。そして、この傾向は、生活科が始まったころから、急激に進んだと思うのです。」

 わたしは、当時、地域で生活科教育課程編成の仕事に携わっていたので、ただただ苦笑いだった。でも、次のようなことは、言わせてもらった。

1. 生活科は、自己肯定感を育むことを大切にしていて、その意味では、『ぼくは、わたしは、これだけのことができるようになった。』という思いを大切にする。したがって、できること、興味のあること、やりたいことが活動の中心になる傾向は強いものがあるだろう。たとえば、野菜を栽培する活動をとり入れたとして、自分が栽培したい野菜を子どもが選択するなどということはある。
2. しかし、同時に、生活科では、自己認識と言って、自分で自分を客観的に見る力も養っている。具体的には、身の回りの人から感謝される経験、身の回りの人から認めてもらう経験、それらを通して、自分の成長をふり返ること。そして、その中には、苦手なものを克服した喜び、一つのことをやり通した自信といったものも含む。
3. だから、『やりたいことだけをやっていればよし。』とするのは、間違った生活科である。


 しかし、しかしだ。

 わたしには、上記ベテラン教員の言ったことがよく理解できたのだ。

 と言うのは、生活科がまさに始まろうとしていた10年以上前。

 そう。ちょっと蛇足だが、今、ストレートに大学を卒業し、就職する世代は、低学年社会科・理科を学習した最後の世代である。
『わたしたちはまだ生活科ではありませんでしたが、わたしの妹、弟は、生活科でした。』そういう世代だ。

 そして、ここが肝心なところだが、上記ベテラン教員が心配したようなことを、文部省(当時の呼称)は、当時全国各地で言っていたのだ。わたしもそれは聞いた。

 わたしは、国の無定見ぶりを見た思いがしたものだ。『ほんとうにやりたいことだけをやっていればいいのだろうか。』

 そして、幼稚園の研修会では、もっと話をエスカレートさせたらしい。

 だから、少なからず、幼稚園は、『ああ。やりたくないことはやらせなくていいのだ。』と理解したと言う。
 
 たとえば、
 『グループ全体で砂場遊びをしている。でも、そこに、やりたくない子がいた場合、ぽつんと一人だけ別なことをしていても、先生はそれを放置している。』
 ということが、よく起きたらしい。

 もっとも、幼稚園の件について、わたしは又聞きだ。

 このブログは、幼稚園の先生も読んでくださっているようなので、この点について約10年ほど前、どうだったか、コメントをいただけたらありがたいと思う。


 繰り返し言う。興味・関心・意欲・態度を養うことは大切だ。それはいつの時代も変わらない。しかし、やりたくないことはやらなくていいとなると、これは、わがままを許容する結果になることも出てくるだろう。


 ここで、わたしが言いたいことは、そのことではない。
 わたしが言いたいのは、国は、時代により、このくらい、言うことがぶれるということだ。

 そして、このぶれは、その後も引き続く。

 総合的な学習の時間が始まったのは、その後の改訂だった。

 そして、このときも、国は生活科発足のときと似た説明をしたのである。


 今、世間では学力低下論が渦巻いている。

 国は、これにあわてふためき、本日述べてきた、約10年前の主張とまったく異なることを言い出したことは、これはもう、皆さんがよくご承知の通り。


 わたしは、今起きていることは、学力低下以前の『学習意欲の低下』と位置づけ、何とか学習意欲を向上させるようにというねらいをもって、このブログでも訴えている。

 僭越ではあるが、『道草学習のすすめ』のこだま先生も、『日本の教育は、これでよいのかな』の今日先生も同様だろうと思っている。

 やらせるドリル学習、反復訓練学習は、一時的で表面的な学力を向上させることはできるであろう。
 しかし、それよりもっと大切な、根の部分の、『学習意欲』に関しては、さらに低下させる役割を担うであろう。


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 道草学習のすすめのこだま先生が問題とされた、『学校に対する5段階評価』についても、このシリーズものの最後にふれたいと思っています。
 どうぞ、よろしくお願いします。

  
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 こちらも、よろしく。

    (2)へ続く。

rve83253 at 04:02│Comments(12)TrackBack(0)教育観 | 生活科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by ☆haruka☆   2006年09月06日 21:48
初めまして。
今日さんのところでの100マスの一件以来、こちらのブログにたびたび訪問させていただいておりました。

家庭の事情で退職しましたが、10年ほど前まで、私立高校で国語教師をしておりました。

現在、小2の息子がおりますが、(息子の学校はましな部類に入るとはいえ)公立小学校の話を聞くたび、ため息が出ます。

この記事とは関係ないのですが、九九に関しての記事、トラックバックさせていただきます。
2. Posted by toshi   2006年09月07日 00:06
☆haruka☆さん
 コメント、及びTBと、ありがとうございました。100マス以来とは、ずいぶん前からだったのですね。今後ともよろしくお願いします。
 どうも、ましな部類と思ってくださっているのに、それでも、ため息とは、いやはや、申し訳ない思いです。
3. Posted by あっちゃん   2006年09月07日 01:15
Toshi先生、いつも読ませて頂いております。公立小に通う、小1の娘がおります。
私は、学校の先生というのは、幸福でなければならない職業だと思っております。家で商売をしている自営業の家庭を除けば、子供たちが始めて継続的に接する社会人は学校の先生です。その先生が、生き生きと仕事に誇りを持って働いておられる姿を見る事ができるかどうかは、子供たちが自分の将来を肯定的に捉えられるかどうかに、強く影響するのではないでしょうか。今の(今に限ったことではないでしょうが)文部科学省の方針では、そういう事は丸っきり考えていない様に感じられます。
今の娘の学校は、幸い、熱心で子供に寄り添ってくださる先生が多く、娘も親も満足しております。今、娘が接している様な先生が大変な思いをしなくてすむ行政であって欲しいと、心から思います。
4. Posted by くるみ   2006年09月07日 01:50
こんばんは。
国と国民のコミュニケーションのなさがこの混乱を巻き起こした一つの原因かなあと感じています。

国の教育施策をきちんと理解しようとしない国民、どうにかして理解を求めるという信念に元ずく説明責任を果たさない国。

漂流状態ですね。

また、あっちゃんさんのご意見にも賛成です。
私の友人で建築関係の専門家から、新しい学校を建築するにあたり意見を出して欲しいと言われ、その中に職員室や先生用ロッカーなどの整備を盛り込みました。先生方の職場環境も大切だと思います。ただ、それだけのことをすると、一層周囲の目は厳しくなりそうですけど^^;

大人のふがいなさが子ども達にキツイ想いをさせていることに大人として子ども達に申し訳ないです。

5. Posted by こだま   2006年09月07日 09:52
いつも、道草学習を紹介してくださってありがとうございます。m(_ _)m

>『国には教育についての定見があるのか。』

おそらくないだろうと思います。というよりも、国の実態が見えてこないからなんとも、そのときそのときの責任者によってころころ言うことが変わるという印象です。

いつもは文科省の悪口ばかりいっていますけど、ひとつだけいいことをしてくれたと思っています。例の指導要領が最低ラインになったことです。これで授業は規制緩和どころか、自由化されたわけです。だけど、その自由化が現場に反映されていないのが残念です。もっと実験的にいろいろとすればいいと思うのですが…。
6. Posted by 004   2006年09月07日 22:24
1 Toshi先生、初めまして。しばらく前から読ませていただいておりました。とある塾の教室長をしる者です。私にも小5と小3の息子がいます。

>やらせるドリル学習、反復訓練学習は、一時的で表面的な学力を向上させることはできるであろう。
しかし、それよりもっと大切な、根の部分の、『学習意欲』に関しては、さらに低下させる役割を担うであろう。


おっしゃる通りだと思います。わが教室にも、だまって言われたことはこなすけれど、意欲・気力の全く感じられない生徒さんが何人もいます。

その場では問題が解ける、テストでいい点が取れる、だけどその子たちの将来には不安を感じざるを得ません。

どうすれば意欲を持ってもらえるのか、ここ1年ほど悩み、試行錯誤しております。

これからもToshi先生、こだま先生のブログで勉強させていただきます。
7. Posted by toshi   2006年09月08日 05:03
あっちゃんさん
 おっしゃるとおりだと思います。『教育は人なり』。むかしから言われているのですが、つきつめればそうなりますね。
 子どもの前で、幸せを演技できる人と言ってもいいのではないでしょうか。
 今、お子さんが通われている学校に対しては、お子さんも親御さんも満足されているとのこと。大変うれしい思いで読ませていただきました。
 国はあまり教育内容に干渉することなく、環境整備に全力を挙げることでいいと思うのですが、一方では、教育内容の全国統一を望む声も、国民の側には強いものがありますので、そこが、むずかしい点であるようにも思うのです。
8. Posted by toshi   2006年09月08日 05:11
くるみさん
 コミュニケーションのなさ。漂流状態。まさにその通りだなと思いました。
 次回とりあげる、学校5日制の導入にしても、それは言えるなあと、そんな思いになりました。国にだけ問題の責任を押しつけても、いけないのかなあと、そんな気にもなりました。
 次回、そのようなことも記事にさせていただきますね。
 また、くるみさんには、申し訳ない言い方になりますが、建築専門家の方の設計も、いろいろ問題を醸し出すことがあるのです。
 これも、近いうち記事にさせていただきましょう。いつも、刺激を与えてくださって、ほんとうにありがとうございます。
9. Posted by toshi   2006年09月08日 05:25
こだまさん
 『国はいつも両論併記だ。』と言いましたが、国には定見がないため、いつも、幅広く多様な有識者を中央教育審議会などに集め、バランスのとれた考え方を重視するようになりがちです。そして、その時代時代の勢いで、詰め込み派が有力になるか、個性尊重派が有力になるか、そういうことを繰り返しているのです。
 指導要領最低ラインに限らず、国は、国民の主体性尊重の政策もけっこうやっています。
 ただおっしゃるように、国民の側がそれを十分理解し、大事にするというようにならないのですね。 その辺、わたしたちは、ブログを通しての努力をする必要がありそうです。
10. Posted by toshi   2006年09月08日 05:46
004さん
 意欲、関心のない子、
 近年こういう子がふえつつある現状は、誰もが認めることではないでしょうか。
 強制的にやらせるドリル、反復学習など、子どもが小さければやるでしょうけれど、大きくなればその反発が出てくるでしょうね。
 どうすれば、意欲を持つようになるか、
 わたしは、公教育の立場ですので、必ずしも塾で通用するか、自信はないのですが、こうすれば、というヒントのようなものは、出せると思いますので、近日中に書かせていただきたいと思います。
 よろしくお願いしますね。
11. Posted by キーロ   2006年09月08日 14:09
はじめまして。いつも拝見し、勉強させていただいております。私は、現在はふたりの子供をもつ単なる主婦ですが、10数年前は幼稚園に勤めておりました。そのころ幼稚園教育要領が変わり、戸惑った記憶があります。まさに「やりたくなければやらなくていい」といった解釈がされていました。しかし、現場にいてそれはおかしいと感じつつも、やっていかなければならないと混乱の中がんばったものでした。「設定保育」と呼ばれるみんなそろって同じ活動をするものから、「自由保育」というそれぞれの子供が自由に活動を選び遊ぶ、というものになりました。その後、退職しどうなったのかはわかりませんが。
12. Posted by toshi   2006年09月09日 07:08
キーロさん
 幼稚園の先生だった方からコメントをいただき、わたしにとって伝聞だったことがはっきりしました。ありがとうございました。
 ただ、わたしの思いが誤解されるかもしれないと思い、あえてふれたいのですが、「設定保育」か「自由保育」かと言われれば、(言葉の概念を知らないなかで言うのですから、ちょっと危ない思いもするのですが、)わたしは基本的には、自由保育がいいという立場だと思うのです。
 ただ、自由と言っても、「やりたくなければやらなくていい。」ではなくて、『苦手なことなどにもあえて挑戦しようとする心』を養いながらの自由なのですね。
 

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