2006年09月10日

学習問題とは(1)4

8ec39c98.JPG わたしは、現職のとき、ほとんど社会科研究会に所属していた。これから、自分の実践を中心に、思い出深い授業を語ることにより、学校が行う授業のあり方を追求していきたいと思う。

 もちろん古い実践ばかりだ。
 だが、学習についての考え方、特に、問題追求のさせ方、学習問題の設定の仕方など、現在の「ゆとり教育」に通用することばかり、いや、現在ますます重要性が高まっていると思う。
 そういう意味で、教員の方へは、ご自分の実践に生かしていただけたらありがたいし、一般市民の方は、真に子どもを伸ばす学習とはどのような学習か、それを考えるよすがとなればありがたいと思う。

 今回は、学習問題はどういうものかを述べてみたい。子どもにとって切実感、必然性のあるものというのは簡単だが、それはどういうものか、具体的に述べてみたいと思う。

 むかし、低学年も理科、社会科だったころの実践である。

 
 その1

 今だと、『家事の役割を、性で固定化するのか。』と怒られそうだが、このころの1年生の学習内容には、『お母さんの仕事』というものがあった。

 お母さんの夕ご飯づくりをとりあげて学習していると、Aちゃんが言う。
「お父さんも、一緒に作るよ。お父さんがやることは、〜。」
などと話し始める。お父さんの家事参加に関わる発言が、2・3続いたころ、腕白そうなBちゃんが突然叫ぶ。
「ええっ。お父さんが、料理なんか、するわけないじゃん。」
すると、数名。
「そんなことない。お父さんだってするよ。」

 これはもう、Bちゃんにとっては、人生観がくつがえるくらいのショックである。

「お父さんも家事をするのか。」
という学習問題が生まれる。そして、一人一人の子は、自分の両親の家事分担の様子をしっかり見てこようとする。また、両親に取材しようともする。

 もちろん、子どもの思い、必然性、切実感を大切にするのだから、『おうちで聞いてきなさい。』などとはいっさい言わない。宿題扱いもしない。

 そして、みずから、調べたり取材したりした子を、うんとほめる。

 そうして、授業では、調べたり取材したりした内容を発表したり、絵に描いたりする。

 1年生の子に限らずだが、1年生は特に自己中心の思考である。他は知らないのだから、無理もない。

 この学習(単元)を通し、Bちゃんは、特にだが、『うちのお父さんは家事などしないけれど、よそのおうちは、いろいろあるようだ。これまで、みんな自分のうちと同じだと思っていたけれど、そうではないのだな。
 でも、家事分担はいろいろだが、どのうちも、家族はお互いに協力しながら、助け合って、生活しているのだな。』ということを学んでいく。

 自己中心的思考からの脱却である。もちろんこうした学習を積み重ねての結果として、言えることだけれどね。


 その2

 お母さんの家事を勉強しているなかで、Cちゃんが言う。
「うちのお母さんは、ぼくがカレーを好きなことをよく知っているから、カレーのときは、いっぱい作って、次の日の朝もカレーなんだよ。」
うれしそうに発表する。

 すると、これも腕白そうなDちゃんが、
「違うでしょう。お母さんは二度作るのが面倒くさいから、一度で作っちゃえって思って、次の日の朝は、暖めれば済むようにしているのだよ。」

 学級中、騒然となって、どっちだこっちだと言い合う。
最後は、『おうちで見てくる。』『お母さんに聞く。』という話になる。

 これは、『どちらもある。』という結論だ。やや、面倒だという方が多かったかな。そして、これも、とらえられる学習内容は、家庭の多様さである。


 その3

 これは、わたしの実践ではない。先輩の女性の先生の実践である。

 『冬を迎えるにあたっての家庭生活』の学習である。

 Eちゃんが、
「お母さんは、ちょっとでも寒いと、『寒いからジャンパーを着て行きなさい。』ってすぐ言うけれど、ぼくは、『寒くない。』って言って、着ないで学校へ行くんだ。」

しばらく、その種の話が続いたと思ったら、Fちゃんが言った。
「G先生は、お母さんと反対で、ぬげ、ぬげって言うね。」
そうすると、子どもたちは口々に、
「そうだ。そうだ。先生は、ぬげって言うよ。」
「子どもは風の子だからでしょう。」
「先生はぬげって言うのに、お母さんは何で、着て行きなさいって言うのだろう。」
「お母さんは子どもに甘いんだよ。きっと。」

 そこで、すばらしい発言が出た。Hちゃんだ。
「G先生は、ぼくたちに、ジャンパーをぬげぬげって言うでしょう。それは、子どもは風の子だからでしょう。でも、G先生は、おうちに帰ればお母さんになるじゃん。そうすると、おうちでは、子どもに、やっぱりぬげ、ぬげって言うのかな。それともぼくたちのお母さんと同じように、着て行きなさいって言うのかな。」


 問題解決学習でいう学習問題というのは、こうしたものだ。ただ単に、解くために設定された問題とはまったく違う。
 だからこそ、解決への意欲がわくし、解決せずにはいられないという思いになる。



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 今回は、むかしの低学年社会科の授業ですが、現在の生活科でも十分扱える内容です。
 次回は中学年の例を上げてみましょう。

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rve83253 at 21:34│Comments(2)TrackBack(0)指導観 | 社会科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by kei   2006年09月12日 03:44
古さなど全く感じない実践ですね。子どもにとって切実感や必然性が生まれれば、家でも追究してきますから。宿題にしなくとも、やりたくてたまらなくなるのだなあと思います。toshi先生は宿題にしないという所が更にすごいです!!
授業の中で、互いの持ってきた意見を出し合って新しい疑問が生まれる→生活に持ち帰って確かめる→また新たな発見を出し合う。こんな問題解決の授業は楽しくて、力がつくのでしょうね。そんな授業を目指したいと思います。
2. Posted by toshi   2006年09月13日 00:36
keiさん
 ありがとうございます。
 話は違いますが、今、『初任者のブログ』の方に、桃さんとおっしゃる方から、いろいろ質問をいただいています。この方は今、教員採用試験を受けていらっしゃいます。
 おもしろいなと思うのは、一つ質問をいただいて、それにお答えすると、「よく分かりました。ありがとうございました。お答えいただき、疑問は解消しましたが、そこで、新たな疑問がわき起こってきました。〜。」とおっしゃるのですね。
 主体的に生きると、やはり、解決のそばから、新たな疑問が起こるものなのですね。
 まさに問題解決の経過は、大人も子どももないのだなと感じています。

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