2006年10月07日

問題解決学習への誤解(1)4

65169898.JPG 今、社会は、衝動的、突発的で、不可解な言動、犯罪が横行している。これは、思考力を育むことをないがしろにしてきた、これまでの教育のつけがまわってきたという、そんな言い方も可能なように、わたしは思う。(それがすべてと言っているわけではない。いや、主な原因は他にあると思っている。)

 そこで、思考力を育む教育はどうあったらよいかを、ここでは、『問題解決学習』に焦点を当て、述べていきたいと思う。


 わたしは、公立小学校において、問題解決学習を標榜し、若いときから研修をつんできた。
 この学習をおし進めてこそ、子どもが主体的に学び、学ぶ力、生きる力(くくってしまえば思考力)を身につけることができるととらえ努力してきた。

 わたしは、当ブログにおいて、教員の皆さんだけでなく、広く市民の方々にも、この問題解決学習を理解していただければうれしいなと思い、これまで、『学習問題とは』シリーズを掲載してきた。今後もこの掲載は続けるつもりである。

 しかし、それとは別に、問題解決学習を正面からとり上げることにより、その学習の姿、意義なども、ご理解いただきたいと思い、本シリーズも開始する。
 

 ところで、本記事を書くにあたっては、特別な感慨がある。

 と言うのは、わたしが当ブログを始める直前、問題解決学習についての批判記事が、どなたかのブログに掲載された。ところがそれは、数多くの誤解に満ちていた。
今、そのブログは閉鎖されているようだ。

 したがって、その記事を正確に述べることはできない。今、わたしの記憶のなかで書いてみよう。

1. 問題解決学習は、一部の優秀な子どものための学習である。よく発言する子が得をし、他の大部分の子どもはお客さんにされてしまう。だから、差別を招きかねない教育である。

2. 一部の優秀な子のための学習だから、全体としての学力は上がらない。問題解決学習は学力を低下させる。

3. 子どもは未熟だ。活発に発言したとしても、子ども同士、意味不明なことが多い。だから、子どもは育たない。

4. 子どもは未熟だからこそ、今まさに学んでいるのではないか。子どもに問題を設定する力などはない。将来問題を設定する力を養うために、人生の先輩である大人が問題を与えるのである。

5. 子どもがああでもない、こうでもないと話し合っている時間がもったいない。そんな悠長なことをしている時間はないはずだ。時間を有効に使うために、大人は必要な知識をしっかり教えていけばよい。それでこそ学力は向上する。

 そして、その記事に、一つのコメントが載った。

「賛成だ。問題解決学習は、一部のエリートを養成するための教育で、他の大部分の子どもは切り捨てられる。時の権力に奉仕する子どもを育てる学習である。このような学習は、即刻やめるべきだろう。」

その論調は激烈で、それで、わたしの認識とはまったく逆だったから、驚いたものである。

 ただその方のブログを読んでいて思ったのは、『ああ。この方が参観された、問題解決学習なる授業は、ちょっと変だ。』ということだった。

たとえば、

1. 子どもが教科書を事前に読んでしまうと、話し合う前に問題が解決してしまうので、事前には教科書を読ませない。

2. 算数の授業なのだが、自力解決の時間、自力解決の力のない子は何もできず、ほっぽりっぱなしにされている。

ようだった。

 なるほど。これでは、「絵に描いた餅」、いや、むしろ有害になっていると認めざるを得ない。こんなのは、問題解決学習でも何でもない。


 今後、問題解決学習への誤解があるなら、それをときながら、どういう学習であるかを紹介していきたいと思う。


 そこで、第一回目の今日は、『一部のエリート養成』と言われていることについて。


 わたしは、先に、当ブログの姉妹編である『小学校初任者のホームページ』に、わたしの授業記録を掲載した。昭和54年。わたし、34歳のときの授業である。

 本記事を読み進められる前に、この授業記録をお読みいただければありがたい。(ありがたいと思うが、あまりに膨大なので、お読みいただかなくても、理解できるようには記述するつもりだ。)

 このころは、まさに教員修行中だった。今思えば、一番充実していた時期と言える。

 この授業で、我がクラスは、40人中36人が自分の思いを発言の形で表している。そして、この授業で発言できなかった4名も、別な授業のときは、ちゃんと発言している。だから、45分という限られた授業時間の中で、たまたま発表する機会がなかったにすぎない。

 わたしは発言を強要することはない。強要すれば、全員発表も可能だろうが、しかし、それでは、子どもの興味、関心、意欲、態度を向上させようと願う立場と矛盾する。逆効果になりかねない。ただし、授業中、友達の発言に首をかしげたり、『うん。うん。』とうなずいたりしていれば、『おっ。○○ちゃん。意見、言えそうかな。』くらいは言う。でないと、お客さん扱いにしてしまうからだ。

 そんな調子だから、学級全員が発表することなどはめったにない。でも、年間、10回くらいはあるかな。
それも、『気づいたら全員が発表していたよ。』というようにする。決して発言を強要はしない。もし強要していたら、最後の1・2人には、すごいプレッシャーがかかってしまうだろう。(もっとも、わたしの教員修行の初期は、そういうこともあった。そして、大いに反省したのだった。)

 そして、それぞれの子は、自分の出番を心得ている。武家屋敷の絵を見て気づいたことなら発言できる子(T2の次からT3の前までと、T6の次からT7のあたりまで)。友達の意見に賛成や反対なら言える子(これは随所にあり)。本時すでに、ご恩と奉公に気づいている子など(授業終末場面での中野の発言)。それぞれが自分の出番にふさわしいところで挙手している。と言うのは、『こんなところで手を上げても、先生は指してくれない。』と心得ているからだ。どんな学力の子も発言できるような場を与える努力をする。
 
 また、賛成、反対と言い合ったり(これも随所にあり)、おかしな発言に対しては笑ったり(第5分節『守りを固めている武家屋敷の様子から、時代の厳しさに気づいていく話し合いへ』の後半の岩城の発言)もしているが、それが学級の仲間意識を阻害することはない。お互いに価値を深め合うためには、賛成、反対を言い合うことが大切だと心得ているし、笑いも温かな笑いなので、言った本人もしまったとばかり笑っている。

 授業記録をお読みになる方は、これはかなり知的レベルの高い子、これは実に素朴な発言をする子など、かなりそれが分かるのではないか。決して、エリート的な子だけが活躍しているのではない。

 ただ反省点もあり。本時の最後では、子どもがまとめの発言をしているが、これは以後やらないようにした。いちいちまとめなどする必要がないくらい、子どもたちは、学習内容を身につけていると実感できたからである。

 
 そして、何より、思考力を育むことを大切にしている学習だということも、ご理解いただけるのではないかと思う。
 
 さて、本シリーズの次回も、この授業記録に現れた子どもの発言をとり上げ、その意味、価値などを書いていきたいと思う。


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 記事でもふれましたが、この授業記録をお読みいただくのは、大変だと思います。 もっと整理して書ければよいのですが、申し訳ありません。
 申し訳ないところではありますが、最後のお願い。
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 (2)へ続く。

rve83253 at 10:02│Comments(24)TrackBack(0)教育観 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by だまた   2006年10月07日 11:10
toshi先生こんにちは。
こちらの記事にコメントを書き込むのは間違いなのですが、ひとつ、ヒントを下さい。
中2の愚息が「国語の先生が、小○総理もそうだったが、安○総理が、今、平○憲法9条を、消そうとして、君達も兵隊に徴集される時代になる」と、言ったというのです?不勉強な母で申し訳ないのですが、こういう捉え方はおかしいのではないかと思いながらも、政策自体を理解していないのですから、反論の言葉が見つかりません。どのような、言葉がけをしてあげたらよいでしょう。
2. Posted by toshi   2006年10月07日 17:10
だまたさん
 お子さんの話だけで判断するのはよくないとは思いますが、ここでは一応それが事実と捉えることにして答えさせていただきます。
 わたしが本稿で述べた子どもの思いを大切にし、それを軸に指導する立場とは逆で、教員の思いをストレートに子どもにぶつけていますよね。
 また、たぶん、その先生は、『消そうとして』までが事実で、『時代になる』までは、自分の判断というかたちで言っているのだろうと思うのですが、
でも、安○総理は、消そうとまではしてはいないと言うべきでしょう。
 
 中学生なら、『自分で調べてごらん。』でいいとは思うのですが、ごめんなさい。相手が小学生なら、かなり答えられると思うのですが、今の中学生はかなり忙しいと思いますから、その答えでいいかどうか、ちょっと判断がつきかねます。すみません。
3. Posted by だまた   2006年10月07日 17:39
ありがとうございます。toshi先生のおっしゃるとおり、その先生の憶測の言葉のみを鵜呑みにし、考える事をしない事が問題ですね。伝えてみます。
4. Posted by POOHママ   2006年10月07日 22:04
だまたさんのコメントから

やはり、どんなことも
お子さんの話だけでは判断できないと思います。
また、その国語の先生も、
本当にストレートに言ったのかはわかりませんが、
その国語の先生の話の趣旨が
お子さんの言うとおりだったとしても、
「そういう考え方もあるんだね」
でいいと思います。

それは、中学生に限らず、
小学生でも。

何でも、正しいか否かの2択で考えるのは
よくないと思います。
「いろんな考え方がある」うちの
一つでしかないのだ
(良くも悪くも、「絶対」はない)
という認識を、大人も子どもも
常に持つことが大切だと思います。
5. Posted by こだま   2006年10月07日 23:54
まったく同じ思いです。
ただ残念ながら、私がこれまで授業参観した限りにおいては、一見問題解決型を装いながらも、失敗している授業がほとんどをしめます。おそらく全国的にも多いのではないかと思います。新学力観が否定されてきた経緯もここにあると思います。

同様に、ゆとり教育も誤解されたままですね。結局、問題解決学習もゆとり教育もこのまま誤解されたまま、復活できないという今の事態は重くとらえなくてはいけないと思っています。本物の問題解決学習やゆとり教育という視点での議論がこれから起こっていくのを期待しています。これまで本物を目にされた方は少数だと思いますので。
6. Posted by hirarin   2006年10月08日 03:09
問題解決学習の批判は様々な研修集団から繰り広がられて、一時期は私もその波に流されそうになりました。
要は、子どもたちの知的好奇心・知的ボルテージを維持した状態で学習が進められる学習活動の展開になっているかだと思います。
そのような問題解決学習の過程の中には「先行学習」や「振り返りの確認学習」もあっていいかと思いますし、「学び合い」や「子どもたちの説明活動」があればより子どもたちの学びは深いものになっていくかと思います。
今、研究していることもその辺のところです。
子どもたちが受動的ではなく、能動的に動き出すには、やはり問題解決学習なのではないかと思います。
そこでつくの力こそが真の学力、真の生きる力につながっていくと思うのです。
7. Posted by toshi   2006年10月08日 06:17
こだまさん
 おっしゃる通りと思います。戦後、アメリカ直輸入で、民主主義教育をしょって立つ気概を持った社会科だったのですが、昭和30年ごろの学力低下論に屈し、社会科は暗記教科と言われるようになってしまいました。これは、民主主義の危機でもあったように思います。それがいまだに尾を引いていますね。
 日本人の議論がとかく不毛のまま終わってしまう傾向なのも、思考力を育むことをないがしろにしてきたことと関わっていると思います。
 昭和54年ごろは、まさに詰め込み全盛期でした。そんなときでも、このような実践が可能だったことに思いをいたし、何でも国が悪いではなく、我々教員一人ひとりが、努力すべきことがあると肝に銘じていきたいと思います。
8. Posted by toshi   2006年10月08日 06:35
hirarinさん
 そうですか。問題解決学習の批判はそんなにあるのですか。我が地域では、実践しているかどうかはともかく、これを真っ向から批判する声は皆無ですので、これまで、知りませんでした。ブログで知って、ほんとうにびっくりしたのです。
 『子どもが能動的に動き出す』学習は、自ら学ぼうとする子ども自身の内面に根ざす動機付けからスタートすべきですよね。けっして、競争したり、知識獲得のためだけの喜びだったりするものではないと思います。
 わたしが、公立学校は受験教育をすべきでないというのも、ここに、立脚しています。
9. Posted by toshi   2006年10月08日 06:38
hirarinさん
 問題解決学習批判は、わたしが記事にした通りですか。まだそれ以外にもありましたら、お教えいただければ幸いです。
10. Posted by せきちゃん   2006年10月08日 07:03
時折,拝見させていただいています。
問題解決学習の記事。
楽しみにしております。
私自身は,やや疑問を持ちながらも,この形を取り入れています。
エリートのみの……。
とは,思いませんが,低学力の子どもの活動が停滞することが多いです。
このブログから,学ばせていただきます。
11. Posted by kei   2006年10月08日 07:13
若い頃、「問題解決学習は悪である」のような論が展開されていた本を読んでいたとき、うのみにした自分がいました。いかに45分間の授業の中で、効率よく知識・技能を詰め込んでいくかに、価値を見出したのです。今では考えられないことですが、その経験があって、やっと今本当に求めたい授業のあり方が見つかりました。
子どもたちが、本当に追究したいものに対して、つなぎあい・学びあっていく授業は、教師の予想をはるかに超えていきます。(毎回できるわけではありません。)その子どもの事実で勝負していきたいと思うのです。

☆昨日上田薫先生の「教師も親も足元をわが足元を見よ」という著書を購入しました。納得のいく珠玉の言葉がちりばめられています。教師自身、教育哲学を学び、理念を持つことが大事かもしれませんね。そうではないと、政治が変わるたびに、管理職が変わるたびに、マスコミの論調にと、その度にぶれてしまいますので。 
12. Posted by Hideki   2006年10月08日 08:52
こんにちは

理念と実践の問題がごっちゃになってる点が問題なように感じます。とくに実践が伴ってない・実践の仕方が問題なために、理念まで否定してしまう、そんな論調が、この問題に限らず、最近多く感じます。

そんな、よく考えないままに決め付ける…思考停止的決めつけ。あぁ、これも問題解決型ではなく、マニュアル暗記型の思考・学習のひとつの証と見るのはちょっと言いすぎかな

でも、実践の段階でそうなってしまうのは、なぜか?
そこを是非、よくみる必要があると思うのです

13. Posted by Hideki   2006年10月08日 08:52
たとえばうちの地域(岐阜)の中学校

学業成績はテストの点数だけではない、ということは良くわかりますが、テストで100点満点とった子が、成績では5段階で3評価だったそうです。理由は授業中に手を挙げなかったから。

手を挙げるように強要するというには直接しなていないのかもしれませんが、「生徒」の立場から発想してみれば、結果として強要している。そんな、ひとつひとつの結果現象につながる、要因から、ものごとを見つめていく必要があるように感じます。

いま問題解決学習が一番必要なのは、実は大人のほうかもしれないと思うのです。

14. Posted by POOHママ   2006年10月08日 21:50
keiさんのおっしゃる
>教師自身、教育哲学を学び、
>理念を持つことが大事かもしれませんね。
>そうではないと、政治が変わるたびに、
>管理職が変わるたびに、
>マスコミの論調にと、
>その度にぶれてしまいますので。 
は、
学校評議員制度の際に
私が述べたかったことです。
「学校評議員が言ったから」で
学校教育の中身が変わるのはおかしいと。


問題解決学習の批判があるのは知っていました。
しかし、どうしてそういった
批判が出るのか、
理解に苦しみました。
だって、
私の、そして私の周りの教師の
問題解決型学習の実践は
上位の子と下位の子が協力したり、
教えあったりしているから。
低学力の子が停滞するのを
見たことがない。
(普段はどうかわかりませんが)
ただ、毎時間できないのは、
「時間と労力がかかるから」です。

15. Posted by POOHママ   2006年10月08日 21:59
hidekiさん

>テストで100点満点とった子が、
>成績では5段階で3評価だったそうです。
>理由は授業中に手を挙げなかったから。
ここまで極端なのはめずらしいでしょう。
(普通は4どまり)

でも、逆ならどうでしょう。
テストの日のみ登校し、満点を取る。
だが、授業は一切受けず、
調べ学習などの提出もなし、
当番活動や委員会活動などもいっさいしない。
そういった子に、
満点だからとすべてに「5」を
与えろと?

また、考え方はあっているし
毎時間、挙手&発言しているのだが、
テストではちょっとした計算ミスで
答えのみが間違っていて満点を取れない場合。
(計算機を使えば満点なのに)
そういった子を、どこかで救ってあげたいとは
思いませんか?

16. Posted by hirarin   2006年10月09日 05:21
問題解決学習批判についてですが、メールをいただけるとありがたいです。
17. Posted by toshi   2006年10月09日 10:35
せきちゃんさん
 確かに、素朴な発言をする子たちの活躍がないと、学習がむずかしくなりますね。そして、むずかしくなると、よけいそういう子たちは発言ができなくなります。
 その点、学習というものは、学級のみんなでつくり上げていくものだという意識がないと、問題解決学習は成功しないと思います。
 一つ言えること。福沢諭吉は、『文章は平易なほどいい。料理屋で料理を運ぶ女性にも分かるような文章を書かなければだめだ。』という意味のことを言っています。
 問題解決学習も同じではないでしょうか。学級の誰もが理解できるような発言をしないと、ほんとうの学力とはいえないということを、子どもに実感させる必要があると思います。
 温かな仲間意識があれば、大丈夫でしょうか。
18. Posted by toshi   2006年10月09日 10:43
keiさん
 わたしの場合は、問題解決学習のなかで育ちましたので、初任校が受験教育推進をしていても、これは何か変だという思いでいました。ですから、あまり詰め込みにのめりこまずにいられたように思います。
 でも、今の先生の多くは、keiさんのような道をたどられるようですね。
 
 《子どもたちが、本当に追究したいものに対して、つなぎあい・学びあっていく授業は、教師の予想をはるかに超えていきます。》

 そうですね。わたしも、『たとえ大人だとしても、教員一人の考えることは、30人の子どもの考えることに及ばない。』という実感を持っています。
19. Posted by toshi   2006年10月09日 10:55
Hidekiさん
 私、初任の頃、音楽部にいたのですが、よく先輩に言われました。
「素晴い合唱指導をしようと思ったら、子供の素晴い合唱を聞く機会を沢山持たないとだめだ。」
 
 問題解決学習も同じですね。やはり、いい授業を見ない事には始まらないと思います。判っていないのに、判ったつもりになるのも怖いなと思います。
 
《思考停止的決めつけ。あぁ、これも問題解決型ではなく、マニュアル暗記型の思考・学習の一つの証と見るのはちょっと言いすぎかな。》
 
 言い過ぎではないと思います。私も記事にしましたが、日本人共通の課題ではないでしょうか。

 《でも、実践の段階でそうなってしまうのは、なぜか?》

 わたしは、ひとえに、『思考力を育む教育を大事にしないから』と答えます。

 これからも、私の立場で、頑張りたいと思います。
20. Posted by toshi   2006年10月09日 11:04
POOHママさん
 わたしのいうことは、理想論かもしれませんが、民主主義社会は主権在民。教員は、地域社会、保護者、子どもの前に、謙虚でなければいけないというのが、わたしの思いです。何が正しいかを決めるのは、市民だということです。
 ただ、ここから先は、理想論ではありません。
 keiさんにしても、
《私の、そして私の周りの教師の問題解決型学習の実践は、上位の子と下位の子が協力したり、教えあったりしているから。低学力の子が停滞するのを見たことがない。》
 こういう実践をしている教員は強いはずです。強いとは、地域、保護者、子どもの信頼抜群という意味です。
21. Posted by toshi   2006年10月09日 11:09
そして、わたしたちは、実践で勝負するしかありませんから、子どもの変容を通して、地域、保護者の理解を得る。
 まさに、kei先生のおっしゃる
《その子どもの事実で勝負していきたいと思うのです。》です。

 大丈夫ですよ。子どもの変容、育ちの前には、地域、保護者は謙虚です。

時間と労力の点については、子どもが育ってくれば、日々の授業は、子どもが助けてくれます。資料提供などは、保護者も助けてくれることがふえます。何より、実践が楽しくなるのが、こたえられなくなります。

 

22. Posted by toshi   2006年10月09日 11:42
POOHママさん
 Hidekiさんへのお尋ねのようですが、わたしにもふれさせてください。
 わたしもここまで極端なのはびっくりです。
 わたしも、POOHママさんのおっしゃるように、4までですね。そして、Hidekiさんも同じように思われているのではないかな。
 
 そして、POOHママさんが挙げた例は、かなり極端な例ですが、これは、やっぱり4でいいのではないですか。

 ただ、気になるのは、『テストの点が満点で3はおかしい。』という主張が、『テストの点が満点なら、5を与えろ。』ということを主張しているのかなと、思われていることです。
23. Posted by Hideki   2006年10月09日 16:17
今日は晴天の岐阜です

コミュニケーションというのは難しいですね

「挙手」は確かに一つの授業参加の態度でしょうが、満点の人間を評価3にするほどの評価価値が今の学校教育であるのでしょうか?

「授業に参加しない・提出物を出さない・当番などの活動をしない」

もし、そんな行動をとっている生徒だとしたら、挙手以前にその行動が指摘されるべきでしょう。

それが無いまま「挙手」だけで評価されたわけなんです。

挙手という一事象だけにすべての「学校活動」を集約させた評価をしているのは、集団活動に代表される教育にたいして、間違った解釈をしているとしか思えない。私はその点を指摘したのです。

24. Posted by Hideki   2006年10月09日 16:18
問題解決学習にしても、心の教育にしても、ゆとり教育にしても、同じようなことはいえませんか?

実践段階で間違った解釈をして、「一つの事象」だけ、「かたち」だけの評価をしてしまうのが、一番問題だし、厄介な結果を生むと思う。

つまり、実践の主体たる「大人」…もっと言及するなら「先生」自身が、実はしっかり理解していなかったり、知らなかったり、分かっていなかったりする。

なぜなら、自分自身がそういう教育を受けてきたわけじゃないから。

そこから、見つめなおして、準備していかないと、何度も同じあやまちを繰り返すだけじゃないかと思うのです。

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