2006年10月10日

年長組と1年生3

90c9ef98.JPG 長女夫婦の長男、わたしにとって一番上の孫は、もうすぐ4歳。今、幼稚園の年少組だ。車で1時間ほどのところに住んでいる。

 その幼稚園の運動会があった。
親ばかならぬ、祖父母ばかを発揮しようと、出かけていった。

 孫は、とてもいきいきとしていた。わたしたちを見ると、弟と一緒に興奮して、わたしにとび付きながら、歓迎してくれた。
「おじいちゃん。運動会、見に来たのでしょう。」
「そうだよ。Aちゃんの初めての運動会だから、楽しみにしてきた。」
 
でも、なんか、テレもあったようだ。いざ、始まると、競技、演技等は楽しんでやっていたが、気分が高揚しているのか、見ている方が苦笑いする場面もあった。

 
 運動会そのものは、すばらしかった。開会式から、園児の立派な態度が目に付いた。

 娘に言う。
「たいしたものだ。こんな長時間、きちんと整列している。みんな姿勢もいいなあ。園長先生の話なんか、まるで大人向けのような話なのに、実によく聞いている。」
「そうね。ほんとうにしっかりしているわ。年少組は、けっこう突っつきあったりふざけ合ったりしていたけれどね。でも、年少だと、何しても、かわいい、かわいいですんじゃうみたいね。」

 なんか、わたしたちが、小1に対して言う言葉とよく似ている。おかしくなった。


 さて、当ブログによくコメントをお寄せくださるhirarin先生のお子さんが通う保育園も運動会があり、そのことを記事にまとめられていた
 
 年長組の組体操のすばらしさを書かれている。

 これは、我が孫の幼稚園も、同様、すばらしいものであった。真剣な表情、体の動き、協力、どれも、小学校の演技にひけをとるものではなかった。

 保護者席から、歓声、感動の声が渦巻く。

 わたしのそばにいた父親同士が話していた。

「たいしたものだなあ。よく練習したのだろう。」
「あんなにできるようになるのだねえ。感動だな。」
「でも、小学校に入っちゃうと、もう、こんなことやらないよ。5・6年生にならないとな。・・・。1年生は、なんと、玉入れだよ。」
「なんだ。年少に戻っちゃうのか。」
「まあ、でもな。小学校は、勉強があるから、こればっかりやっているわけにもいかないのだよ。」
 わたしは、無表情をよそおう。だが、心では苦笑いだ。


 hirarin先生も、ご自分のブログで、同じことを書かれていた。

 保育園の年長がしっかりしているのに対し、小1の児童は、幼い感じになってしまうことについて、『常に、お兄さん、お姉さんと言われる環境』で、『自覚』が養われるのに対し、小1は、『一番幼い環境』で、『甘え』が生じてしまうのではないか。(hirarin先生。もしニュアンスの違いがあったら、ごめんなさい。)

 わたしもまったく同感だ。環境の違いは確かにある。


 しかし、わたしはさらに付け足したい。


 わたしは、幼稚園、保育園の運動会は、けっこう見ている。
校長のとき、近隣幼稚園、保育園の運動会に招待され何度もうかがったし、教頭だったときは、隣接する幼稚園が、自分の勤務する学校の校庭で運動会をやっていたこともあった。

 それらを通して感じたこと。
それは、幼稚園、保育園の運動会は、園ごとに、ほんとうに多様だ。学校以上の違いがあるのではないか。園の経営方針、教育方針がそのまま、運動会の雰囲気にも現れる。つまり、知育偏重の幼稚園、自由な雰囲気のなかで子どもの心をはぐくむこと中心の幼稚園など、その特徴がそのまま運動会にも現れる。これは日本国中言えることではないかな。

 これは、幼稚園、保育園に学区制がないこと。ある意味で自由競争であること。それと深く関わるであろう。そのため、園としての特色を出そうとする機運が生じやすいものと考える。

 我が孫の幼稚園の運動会にも、それは、現れていた。
その点では、hirarin先生のお子さんの保育園と異なり、園の先生方の、子どもへの接し方、表情などが、けっこうきびしかった。訓練中心主義かなあと思う部分もあった。それを娘に言うと、
「そうかもしれないわ。でも、わたしがむかし通っていた幼稚園よりは、ましかもしれないわよ。」

 そうだ。そうだ。思い出した。
 あそこは、園が鼓笛隊に大変力を入れていて、園児のなかには、体調をくずしたり、不登(園)になったりする子もいたなあ。

 「家に一番近い幼稚園が一番いい幼稚園だ。」
などと言って、よく調べずに入園させたことを後悔したものだった。


 こうした、園の特徴を出そうとする経営方針が、園の年長と小1の『自覚と甘え』と一見、見える現象をもたらしている。たぶん、そういったこともあるのではないか。

 この場合、園児の『自覚』というよりは『きびしさ』、『甘え』というよりは『自由闊達』ということになろうか。


 繰り返すが、各園の特徴はそれぞれ異なる。体育、音楽、知育、心など、それぞれ異なる面で伸びてきた子たちが一つの学校に入学してくる。そうすると、学校としては、その学力の最大公約数的部分で、指導をしていかなければならない。

 また、学習指導要領の制約も関係してこよう。いくら、園で、小学校中学年くらいの技能を身につけさせたとしても(これは、娘の幼稚園のときの鼓笛隊を念頭において言っている。)、学校としては、また、一からやっていかざるをえないのは、こうした事情もある。


 ここまで述べてきて、わたしが言いたいことは、・・・。

 そう。公立学校も、近い将来、今の園のようになるのではないか。特色ある学校づくりは、加速度を増していくのではないか。

 どうだろう。今、学区制を緩和(撤廃)した地域は全国各地にあるようだが、そういう地域では、こうした動きがすでに始まっているのではないか。そう想像する。


 最後に、一言。それは、hirarin先生のブログへのコメントにもあるのだが、『もっと1年生を大人扱いしなきゃあ。』に、共感するものである。


 ただし、わたしは、『運動会の種目を高度なものに。』と言いたいわけではない。

 日ごろの授業のことを言っている。

 わたしが初めて1年生を受け持ったとき、わたしよりは若いが、何度か1年生を担任したことのある先生から、言われたことがある。
「toshi先生。1年生と思って、『どうせこんなもん。』とか、『これしかできないだろう。』とか、そんなことを思ってはだめよ。こっちが子どもの思いを大切にすればするほど、ちゃんとそれに応えてくれるのだから。」

 そして、以後も含め、4回、1年生担任を経験したが、ほんとうにその先生の言う通りだった。子どもは何ヶ月も前の学習を比較関連材料として持ち出したり、休んでいる子の数日前の発言をもとに、『今日出席していたら、このようなことを発言するかもしれないね。』などと言ったりした。


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 どうでしょう。小学校の運動会では、玉入れ、鈴割りは、もう欠かすことのできない種目と思うのですが、そして、日本国中、そうなっているのではないかと思うのですが、どうかなあ。

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rve83253 at 23:06│Comments(5)TrackBack(0)教育風土 | 子ども

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この記事へのコメント

1. Posted by くるみ   2006年10月12日 17:56
大人扱い
ほんとに、教育の場では是非お願いしたいなあと
感じています。

ただ、この場合、保護者の立場で決して忘れては
いけないことを自戒と反省を込めて、コメント
させて下さい。

親は「木の上に立って見る」という漢字の通り、
子どもの位置とも学校の先生の位置とも立ち位置が
違うはず。

でも、今、木の上に立たずに、ややもすると、
とんでもない位置に立っている場合があります。

大人扱い
教育の場、小さな社会ならよいのですが、家庭でも
大人扱いするということが現実的にあるように
思うのです。

子どもが子どもでいられない。

なんとも胸のつぶれるような想いが致します。

toshi先生のお立場で記事になさった本内容とズレ
ているようにも感じましたが、思い切って投稿
致しました。

失礼致しました。

2. Posted by toshi   2006年10月13日 20:54
くるみさん
 なるほど。よく分かりました。『大人扱い』。今の時勢を考えると、誤解を招きかねないですね。
 何もしてあげないことや言葉が足りないことを大人扱いとしてしまうことがありそうですね。
 『子どもの思いを最大限大事にしてあげること。』
 いやあ。これも誤解を招きそうだ。
 『子どもが子どもでいられない。』ほんとうにこういうことは多いのですね。
 『子どもが生きることに意欲的でいられるように最大限の配慮をすること。』と言ったらいいでしょうか。
3. Posted by くるみ   2006年10月14日 03:06
toshi先生、「最大限の理解」をいただき、恐縮
しています。

有難うございました。

まさに、私の申し上げたかったことはそのとおり
なのです。

何もしてあげない
言葉が足りない

自主性を尊重するという名目の放任主義。

一方で、
子どもの発達を考慮しない目標設定。
効率や生産性を求める生活・・・。
もっと、もっと、と。

利益を追求する会社の経営者のように。

違う大人扱いを大人がしてしまう弊害がどんなに
大きいか・・・。

本来は、誤解がなく保護者がそのことを捉えて、
学校での大人扱いを支えるために、家庭での大人
扱いがあるのですよね。

子どもを取り巻く大人が共通認識を持つ必要性を
ひしひしと感じています。

4. Posted by くるみ   2006年10月14日 03:07
続きです。
『子どもが生きることに意欲的でいられるように
最大限配慮すること』

これが大人扱い。
本当にそうですね。
大人は自分で自分にその配慮が可能ですが、
子どもにその配慮はできません。

だからこそ、私たちが・・・。

toshi先生、有難うございました。

5. Posted by toshi   2006年10月15日 07:24
くるみさん
 こちらこそ、ありがとうございました。
 どうも、ふだん、教員同士のやり取りに慣れ親しんでいるあまり、無思慮に言葉を使っているきらいがあります。
 このように、ご指摘いただくと、あらためて、言葉の意味について考えさせていただくことができます。誤解されることを防ぐ意味でも、とてもありがたいなあと思いました。
 今後とも、お気づきの点があれば、よろしくお願いしますね。

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