2006年10月15日

充実した学習を(2)5

57c7ae2c.JPG ここのところ、思い出の授業を掲載することが多いが、今日もお付き合い願えたら、ありがたい。たぶん、『へえ。小学生が、こんなものすごい発言をするものか。』と、驚いていただけるものと思う。

 もっとも、昨日に引き続き、わたしの授業ではない。自分がかつて勤務した学校の、先輩の先生の授業である。

 
 6年生。国語。宮沢賢治の『やまなし』。

 最初にこの話を読んだときは、ほんとうにびっくりした。『いったい何を指導しろと言うのだ。』ぼう然としたのを覚えている。
 『だいたい、クラムボンって、なんだい。』そんなところから出発した。一生懸命教材研究したのもなつかしい。それでも、『なんだい。』という思いから、『感じる。』『味わう。』までいくのに、ずいぶん時間がかかった。

 そんな思いも抜けきらないときに見せていただいた授業だったから、このクラスの子どもの発言に、ショックを受けた。

 この授業は、単元の最後。お話全体をふり返って感想を発表し合う授業である。
 
 そのなかでも、下記Aさんの発言は、授業の最後に行われたものだ。

 Aさんは一人で、5分くらい発表したのではなかろうか。そんなに知的学力が高いとは思われていなかった子である。覚えることと、感じること、考えることは、それぞれ、脳の中の担当部署が違うのだと思わせた。



「このお話で、わたしは、三つのことを考えました。

 第一に言いたいのは、かにの兄弟、親子は、とっても仲がいいと思いました。分からないことがあると教え合ったり、気分がいいと競争し合ったり、負けそうになるとお父さんに、助けを求めたりしています。
 兄が兄らしくふるまうことや、弟が負けず嫌いなことや、お父さんがやさしく子どものかにに教えたり話したりしていることから、家族が深い愛情で結ばれていると思いました。
 
 でも、兄弟はまだ子どもですから、分からないことがたくさんあります。弟の質問に、兄は答えているけれど、その兄も、まだ分からないことがいっぱいあるのだと思いました。

 第二に、兄弟は、今、成長しています。成長するということは、いろいろなことを経験することだと思いました。

 五月は、青いものの先がコンパスのように黒くとがっているものが、上から来ました。これは、かにの兄弟にとって初めて経験するこわいことでした。
 そのとき、お父さんは、『大丈夫だよ。』と、元気づけてくれました。かにの兄弟は、こわい体験でしたけれど、少し安心できたと思います。

 それに対し、十二月は、やまなしが上から落ちてきました。これはいいにおいがしたし、おいしいお酒になるし、とてもうれしく、楽しみだったと思います。

 かにの兄弟はこうして、お父さんの愛情に包まれながら、こわいことや楽しいことを一つひとつ経験して、成長していくのだと思いました。

 最後に三つ目ですが、宮沢賢治さんは、かにの親子のことを書いているのですが、ほんとうは、わたしたち、人間の子どもに対して、言いたいことがあったのだと思います。

 わたしたち、人間の子どもに対して、『成長するには、いろいろなことを経験しなければいけないよ。十二月のように、平和で魅力的でのどかな場面は大切だけれど、そういうことしか知らないで成長していくのでは、だめで、こわい経験もする必要があるよ。こわい経験はいやだし、できれば避けたいけれど、でも、いい思いだけでは、いい成長にはならないよ。両方あって初めていい成長ができるのだよ。』ということを言いたかったのではないかと思いました。」


 先輩の担任は、高学年を受け持っているときは、それほど笑うこともなく、むしろきびしい顔をしていることが多かった。でも、このときは、満面に笑みを浮かべ、

「Aさん。今の発表、すばらしかった。よかったあ。・・・。
 ついこの前まで、みんなから、『Aさんの発表、長くてだらだらしていて、何を言いたいのかよく分からないよ。』って言われることが多かったわよね。でも、今の発表、とてもよく分かったわ。・・・。」

 まだ、先輩は何か言いたそうだったが、子どもたちから、大きな拍手がわき起こった。Aさんもすごくうれしそう。


 もとより、Aさんの発表はAさんのものだが、けっしてAさんだけのものではない。前半は、それまでの級友の発言を集約し、まとめたような性格をもつ。Aさんはみんなの発言をよく聞いていて、自分のものとし、完全に消化し切って発表したと言えよう。
 最後の、『わたしたち人間の子どもに言いたかったことは、〜。』が、Aさんのオリジナルだ。

 オリジナルと言っても、これも、Aさんだけのものではないだろう。Aさんが一人で考えたとして、Aさんだけでいくら思いをはせたって、それだけでは、こんな発想には到達しないと考える。

 やはり、いろいろな友達の意見を聞く。聞きながら、ひらめくことがある。聞いたことをもとにして考える。考えを発表する。

 もし、上記発言に著作権があるとしたら、その権利は学級全員が有すると考えてよい。

 
 もう一つ。大人である1人の教員がいくら考えたって、30〜40人いる子どもたちが考えることには及ばない。
 以前、そう書いたことがあるが、わたしは、上記発言を聞いたときもそう思った。

 この記事をお読みになる読者の皆さんは、どうお思いだろうか。

 
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 国語も、問題解決学習というのかは分かりませんが、この学校において、指導理念は一緒でした。真に、子どもを育む学習は、これだと思っていますが、教科が違うと、指導理念も異なる現実はあるようです。
 このこともいずれ記事にしたいと思います。

ところで、当ブログにリンクしてくださっている『Happy Life』のkeiさんが、今、この『やまなし』を記事にされています。そこで、TBさせていただきました。
 
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rve83253 at 11:42│Comments(2)TrackBack(0)国語科指導 | 教育観

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この記事へのコメント

1. Posted by kei   2006年11月03日 18:24
toshi先生
「やまなし」の素晴らしい先行実践の紹介をありがとうございます。学習の集大成で、子どもたちからこんな発言が生まれたら、教師冥利に尽きますね。仲間と共に学びあったからこそこその発言であり、著作権はクラス全員というお話も納得です。
 自分のクラスはどこまでいけるか分かりませんが、来週のクライマックスに向け、子どもたちの力を信じて、学びを支えていきたいと思います。
2. Posted by toshi   2006年11月03日 22:03
keiさんへ
 すばらしい授業って、何十年たっても覚えているものですね。keiさんの学級もきっと、そうした授業になることでしょう。
 子どもを大切にする教師。広いお釈迦様の手のひらで、思う存分暴れまわっている(授業は暴れまわってはいけないけれど、思うようにのびのびと意見を交換する)姿が目に浮かびます。

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