2006年10月21日

かわいい先生4

c041d435.JPG わたしは、初任者指導に携わっているのだが、初任者に読むことを進めている教育ブログの一つに、はるえもんさんの『先生が子どもたちのために明日からできること』がある。

 このブログの10月20日に、「ちびっこ先生の功と罪」なる記事が載った。そして、『先生方のご意見を一度おうかがいしてみたい。』と書かれていた。


 わたしはこの記事の趣旨には、まったく賛同する。現状、お書きになったような問題点が多々あることは理解できる。

 しかし、自分が学級担任だったとき、『ちびっこ先生』はやったし、今、初任者にも、それをすすめている。

 だから、ただただ苦笑いなのだが、本記事をお読みいただき、はるえもんさんにもご賛同いただければ、うれしく思う。

 言いたいことは、はるえもんさんが多分主張したいことと一緒だと思うが、教員が楽をするため、あるいは、ただ単に時間差を解消するための教え合いであってはならないということだ。

 そして、これは、はるえもんさんはふれていないが、今、シリーズとしている、いじめ防止策にもつながると考える。



 まずは、5年生担任のときの体育。バスケットボールの授業だった。

 この学校は、地域が主宰するミニバスが盛んで、そこに所属する子は、際立って上手だった。したがってどのチームにも、ミニバスの子が均等に入るように配慮した。

 Aチームは、その中でもさらに上手なBさんがいたから、ミニバスの子は、彼一人しか入れなかった。

 練習のときから、Bの独断と勝手なプレーは、ほんの少しではあったが、わたしの目にはついていた。でも、子どもからクレームがない限りは、何も言わなかった。


 子どもが怒り出したのは、最初の試合の後である。

「先生。ずるいよ。Aチームは。・・・。Bさん一人でやっているよ。」
「そうだよ。パスもしないんだよ。」
「あれじゃあ、勝ったって、意味ないよ。」
「ああまでして勝ちたいかね。」

 そこで、口をはさんだわたし。
「Bさん。みんな、ああ言っているよ。どう思う。」
「だって、パスしたって、みんな、ボール、取れないジャン。」
「それは、パスがすごいんだもん。あんなボール取れっこないよ。」
同チームの子まで、不満顔。

 わたしは、解決策は示さない。
「勝ちたいっていうBさんの気持ちは分かるし、ボールに全然さわれないからつまらないという、みんなの気持ちも分かるし、こまったなあ。」
「こまることないじゃん。これは授業なんだよ。みんながうまくならなければ意味ないよ。」
「そうだよ。一人だけでやって、いいわけないじゃん。先生が、そんなこと言っていいの。」
 『おお。先生批判ときたか。たいしたものだ。』内心、おかしかった。

 Bは押し黙ったままだったが、反省はしているようだったから、わたしからは何も言わなかった。

 その後、Bは、Aチームの子たちに、教えるようになった。また、相手が取れそうな範囲のきついボールでパスしたり、あるいはやさしいボールを投げたりするとか、簡単な作戦を立てて、その練習をするとか、工夫するようになった。

 わたしはその工夫の一つ一つを絶賛した。


 おもしろかったのは、Aチームの試合だ。

 最初、Bは以前と同じように、一人でどんどんやってしまう。そして、10対2くらいにする。
 もう勝てるという状態に早くもっていき、そこからは、チームプレーを心がけるようになった。
 後で分かったことだが、Bは、このように試合をすることを、まえもってAチームの子たちに言って、了解をとっていたのだった。その配慮もほめた。

 何時間か後になると、Aチームの子たちが、
「先生。Bさん、すごくやさしく教えてくれるよ。」
「そうだよ。だから、ぼく、パスもけっこう取れるようになった。」
「そうか。それはよかった。よし。同じチームの子たちが感謝していたと、Bさんに話しておこう。」

 それからだ。友達同士、教え合うことのすばらしさを具体的に話すようにした。
「すごいものだ。友達に教えられるなんて。
まず、教えられるということは、自分はしっかり身についているということだ。
次、それだけでは教えられないぞ。相手のことがよく分かっているということだ。相手が取れるようにパスしてやると言うことは、そういうことだな。まだある。相手への思いやり、やさしさがあるということだ。」

 子どもたちは、一人ひとり得意なものが違う。音楽が得意な子もいれば、体育の子も。また、体育のなかだって、ボール運動の得意な子もいれば、器械体操的なものが得意な子もといった具合だ。
 

 この教え合いは、初めは、体育や音楽に限られていたが、やがて、算数などでも見られるようになった。

 『自分が教えたら、友達が分かってくれた。』となると、うれしそうにわたしに報告に来る。
「ふうん。すごいね。教え方が上手だと言うことだな。ところで、どういうふうに教えたの。先生にも教えて。」

 教わった方がうれしそうに報告に来ることもある。そういうときは、
「ようし。しっかり身についたかどうか、先生の前でやってみてね。・・・。ほんとうだ。すごい。ああ。今の説明で、どういうふうに教わったかが分かるよ。」
そうして、教えた子に感謝の気持ちを伝える。
 
 
 
 ところが、一つ、課題があった。と言うのは、この学級には、ふつう級でも個別支援学級でも違和感のない子がいた。今、Cさんと呼ぼう。

 あっ。そう。そう。このときは、もうすでに、6年生になっていた。

 Cさんはおとなしく、目立たない子だった。それで、いじめられることはなかったものの、特に友達とのかかわりもなく、いつも一人でいる。それでいて、心は安定しているようだった。

 いくら教え合いのすばらしさをほめても、Cが何かを友達に教えるということは考えられなかったから、どうしたものかと思っていた。

 算数などで、早く問題を解いた子が、分からない子のところへ行って教えていても、Cのところへ行く子は、初めはいなかった。

 しかし、よくしたもので、教え合いの機運が高まると、やさしいと言うか、思いやりがあると言うか、そういう子が、Cのところへ行くようになった。


 ところで、それ以前、Cに対しては、どうしていたか。
もちろん、わたしが個別に指導していた。とは言っても、Cだけ特別に低学年のドリルを与えて、それをやっていた。おもちゃのコイン、カードなど、具体物も用意していた。

 そして、そういう姿は、学級の多くの子が見ている。


 さて、わたしは、学級の子たちが、Cにどう教えるのか興味があった。やはり、わたしがやっていたように、具体物を使っていた。それでも、『ううん。分からない。』という感じで、首をかしげている姿や、教える側も、どう言ったらよいかと思い悩む姿を、よく見た。

 わたしはそれでもほめた。
「Cさんもすばらしい。一生懸命分かろうとしている。仕草や表情でよく分かるよ。最後、すまなさそうにお礼を言っていたけれど、教えるDさんは、もっとすまなさそうだった。」

 休み時間など、わたしのところへ来て言う。
「先生。教えるってむずかしいね。自分は分かっているでしょう。だから、なぜ分からないのかが分からないし、どう教えたらいいかはもっとむずかしい。」

 わたしは、低学年の指導について、ちょっと話してやったこともあった。


 あるとき、感動の場面が訪れた。

 教わる方も、教える方も、ほんとうに真剣な表情だ。そのうち、教える方が、指を使い出した。ゆっくりゆっくり、相手が納得する表情を確認して、先へ進むといった感じだ。

 そのうち、教える側のすっとんきょうな叫び声が聞こえた。

「分かったあ?・・・。分かってくれたの。・・・。先生。Cちゃん。分かってくれた。」

 もう、学級中が、温かな笑みに包まれた。拍手も起きた。教わったCちゃんも照れくさそうに笑っていたけれど、教えた方が、感動したようだった。

 わたしの言葉は要らなかった。わたしも、ただ、感謝の思いで笑っていたように思う。

 でも、やはり、わたしは教師だ。終わりの会では言った。

「人に教えるということは、教えて分かってもらえるということは、一見、教わった方が得したように見える。それはそうなのだが、教えた方にしたって、より深いところで理解できたということなのだよ。
 『12−8は4なのだよ。どうしてかって。4だから4なのだ。』そんなことを言っているうちは、ただ覚えているだけで、理解しているとは言えない。ちゃんと、Cちゃんに納得してもらえるように教えられて、初めて、理解したと言えるのではないかな。だから、教えた側が、一番得したのかもしれないね。」

 以後、Cは、『友達にくっついて。』というかたちではあったが、学級の何人もの子と、かかわりがもてるようになった。楽しそうな表情がふえた。



 『早い子と遅い子の差をうめる。』それは確かにある。

 しかし、『人間性豊かな子どもを育む学級経営』の面からも、有力な一つの指導手段と言えよう。


 最後に、この学級のことは、すでに2回ほど記事にした。お読みいただけば幸いである。

 5年生、担任してすぐのころ   『原個性』と『実践個性』(2)の後半
 6年生、卒業の数ヶ月前     健全な競争心

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 昔話をお読みいただき、ありがとうございました。
 そうは言っても、はるえもんさんからご指摘いただいた状況が、数多くあるのも事実でしょう。わたしとしては、かたちより心と言いたかったのかもしれません。

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rve83253 at 17:43│Comments(4)TrackBack(0)学級経営 | 子ども

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この記事へのコメント

1. Posted by はるえもん   2006年10月21日 22:57
すばらしい学級、すばらしい子どもたち、そして先生の必要最小限に抑えた指導と助言、感動しました。

私の仕事は個別指導が主で、こうした「学びあい」の場面はめったにないので、うらやましいです。

子どもどうしが学びあえるように、さりげなく背中を押してあげられるような、そんな先生方の授業が理想ですね。
2. Posted by toshi   2006年10月22日 14:38
はるえもんさん
 
 ありがとうございます。
 
 はるえもんさんのような先生が、学級担任だったら、子どもはどんなに幸せでしょう。
 
 担任が、個々の子どもを見(診、観、看、視)ることなく、自分の価値観、自分の思い、自分の感情で、子どもに対応してしまっていることが多すぎますね。
 はるえもんさんが以前書かれていたタイマーにしても、使い方しだいで良くも悪くもなるのですね。

 はるえもんさんが書かれた『さりげなく背中を押す』は、担任の『演技』だと思います。その行為の背景には、担任のきめ細かな洞察があるのだと思います。
3. Posted by まま   2006年10月24日 00:35
こんばんは、ままと申します。読者登録の承認ありがとうございました。本日も、素敵なお話を読ませていただきました。子どもの言動にハットさせられることがままあります。どうしても親は、先を急ぎがちになってしまったり、他の子との関わりなどを気にしたりとしてしまいます。だけど子ども達には子ども達のやり方があるんですよね。あれこれと手を焼く前に、ちょっと待つ、そんな接し方も大切なんでしょうね。勉強になりました。
4. Posted by toshi   2006年10月24日 20:03
ままさん
 こちらこそ、読者登録の申し込み、ありがとうございました。末永くよろしくお願いします。
 ママさんのブログも少しのぞかせていただきました。
 すてきなブログですね。わたし、自分の記事をまとめさせていただく上でのヒントを、たくさんいただいたような気がしました。
 ありがとうございましす。

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