2006年10月26日

いじめの問題(7) 思い違い3

26f27bd7.JPGわたしはうっかり思いちがいをしていたようだ。もっともわたしだけではない。世の教育関係者のほとんどの人が誤解していたと思う。

 先日、報道番組を見た。現職の高校教員、教育評論家、文部科学省の高級官僚、某市教育委員が出ていた。その高校教員も誤解していた。

「いじめが起きたとしても、学校がいじめと認定しないといじめとはならないわけで、その点、学校が苦慮する点もある。学校がいじめと認定しようとしても、いじめたとされる側が、『あれは冗談だ、ふざけてやったことだ。』などと言って、なかなか認めない。そうなると、学校としても、いじめとは認めがたい状況になってしまう。」
 
すると、教育評論家が、すぐ訂正をした。
「いや。かつてはそうだったが、おっしゃるような問題があって、なかなかいじめ問題が解消に向かわないものだから、今は、文科省も考え方を変え、いじめられた側がいじめられたと訴えたら、それはもういじめなのだと。だから、そういう認識に立って、学校は努力してほしい。」

 そうなのだ。もう10年ほど前だったか、文科省はそういうようになっていた。それなのに、その国の見解がちっとも周知されていない。また、国も、周知しようとしない。

 そうなると、今回のいじめによる自殺にしても、あまりにも誤解が蔓延している姿を感じざるを得ない。
『いじめられた側が訴えてもらちが明かず、自殺に追い込まれたにもかかわらず、教育委員会や学校は1年以上も認めなかった。』
『児童生徒の自殺がこんなにあるのに、ずっと文科省に対してのいじめの報告が0なのはおかしい。学校はどうしていじめと認定しないのだろう。』というような論評が多い。

 
 わたしは思う。『いじめられた側がいじめと訴えたら、それで、もういじめなのだ。』基本的には、そういう国の見解でいい。わたしも、うっかりしていたとは言え、現職のとき、そういう訴えがあれば、基本的にはその線で対応してきた。

  10月20日  いじめの問題(6) 緊急提言


 しかし、これには例外もあるのだ。

 たとえば、いじめられたという訴えがあっても、よくよく調べてみると、訴えてきた保護者の子どもも相手と同様なことをしているといったケースの場合だ。

 保護者が、我が子の言い分を一方的に信じてしまう場合に、こういうケースが起きる。

 ところが、これにも例外があるのであって、

 発端は、『どっちもどっち』のトラブルであっても、多くの子が、一方的に一方に味方し、他方を傷つけた(心を傷つけるといったものも含む)場合は、やはりこれはいじめとなるであろう。


 今回、『小学校初任者のブログ』に掲載したいじめの件はまさにそれにあたる。


 そんなこんなで、ことは複雑なので、冒頭わたしが述べたように、国の趣旨が徹底しない。
 そんな側面もあるのかもしれない。


 さて、次回は、学校管理職の努力すべき点も多いと思うので、そのことを記事にしてみたい。


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 『わが子の話を一方的に信じてしまう。』保護者に対しては、保護者や子どもの思いをよく受け止めながら、つまり話を聞きながら、こちらが調べたことも話し、理解していただけるように努めました。
 小学校の場合、こうなれば、子どもも正直ですから、ほとんどは理解していただけたと思います。


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rve83253 at 05:52│Comments(0)TrackBack(0)いじめ | 児童指導

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