2006年11月12日

鉄は熱いうちに打て(4) いじめ克服のために4

c17689ca.JPG 『鉄は熱いうちに打て』シリーズを3回続けてきた。今回がその最終である。

 鉄は熱いうちに打て   (1) (2) (3)

 このシリーズで言いたかったことは、いじめ撲滅は、『小学校低学年から』ということである。低学年担任に、心して学級経営をしてほしいということである。

 いじめ等への取組で苦労している中学校の教員に言わせると、『その芽は小学校のときからあったのではないか。』ということになる。

 このことは、小学校のなかでも、言えることである。

 『高学年になってからでは、もう遅い。』という部分がどうしてもある。
同じ職場だから、また、自分も低学年を担任することはあるから、『その芽は、低学年のときからあったのではないか。』とは、なかなか言わないが、心では思っているに違いない。


 逆に、低学年の教員に言わせれば、
「わたしたちだって、何もしないで、放置しているわけでありません。『みんな仲良く協力し合ってやっていきましょう。』と日々指導しています。」
となるのではないか。

 しかし、この『指導』なる言葉が曲者だ。安易に使っていないか。さらに言えば、我々教員は、『言って聞かせれば指導がなる。』と思っていないか。
 子どもたちの言い分を聞かないで、あるいは、聞いても、理屈で攻めて(責めて)、一方的に判定を下し、謝らせて、それでよしとする風潮はないか。

 むかしは、それでもなんとかなった。
 子どもは納得していなくても、仕方ないとあきらめ、教員の言うことに応じていたからである。あるいは、納得したふりをしていた。しかし、今は、もうそういう時代ではない。

 教員の言うことを理不尽と思えば、それをはっきり態度や言動に出すようになった。

 上記のような教員の態度の改善は、もはや一刻の猶予もならない。教員が、猶予を自分に与えれば与えるほど、矛盾は拡大するし、教員の苦労や悩みはふえるし、自分で自分を追い込むことになるだろう。


 話を戻す。

 低学年児童は小さくてかわいい。思わず顔がほころんでしまうことも多い。しかし、ただかわいいだけの存在か。

 そうではないだろう。1年生を担任してみれば分かることだが、どろどろとした人間の感情を分かりやすく端的に示していることが多いものだ。むき出しとも言える。だから、もろもろの人間悪だって、かくすことなく、分かりやすく示される。

 そう。この『分かりやすく』が、『鉄は熱いうちに打て』のキーポイントだ。

1.『ちくる』などという言葉は、低学年児童の辞書にはない。何でもすぐ担任に言ってくる。相談もしてくれる。

2.『いじめ』を、職員玄関などで行うというのも、低学年児童だからこそではないか。こんな、大人に見え見えの場所はない。

3.ちょっと問いつめれば、子どもはすぐ認める。うそ、ごまかしはあるにしても、それは、露見しやすいのだ。

4.低学年なら、学級のみんなの前で、いじめなどを話題にしても、比較的、嫌がらない。

 そう。低学年なら、『いじめ』等。明らかに、対応しやすいのだ。


 そして、もう一つのキーポイント。

 それは、低学年児童は、大人に染まりやすいということ。大人をあまり批判的な目では見ない。

 『先生は、ぼくたち、わたしたちのことを、そんなふうに思っているのか。』
 『先生は、何でそんなことをわざわざ言うのだろう。』
などとは、ほとんど考えない。言った言葉を言った通りに受け止める。

 それだけに、冒頭述べた、『言って聞かせればそれで指導が成立』となりやすいのだ。勢い、指示、命令のたぐいがふえてしまう。

 『友達をいじめてはいけません。どうして仲良くできないのですか。はい。握手しなさい。はい。謝りなさい。』
何度も言うようだが、それで指導は成立するのだろうか。

 言って聞かせて、その通り子どもがやったとしても、子どもは心から納得したわけではないから、心はまったく改善されない。それどころか、無理やりやらされたことによるストレスは、他の年代同様に深まる。真の意味の問題解決にはならないのだ。

 そして、いじめは構造化していく。小学校低学年のいじめは、高学年まで、さらに、中学校まで、拡大発展(?)していってしまう。
 さあ、そこでだ。

 低学年であっても、子どもの言い分を十分聞こうではないか。そして、子どもの心の琴線にふれる対応をしようではないか。『子ども自らが、いじめをなくそう。』とする心を養うことでしか、この問題は解決しない。

 そのことを、その方策を、本シリーズ(1) (2) (3)で示したつもりだ。


 次は、高学年担任、また、中学校の教員へ。
 
 高学年だと、指導はしにくくなるが、やはりやらなければならない。以下、わたしのブログ、および、ホームページを参照していただければありがたい。

 本ブログ 4月11日 『原個性』と『実践個性』(2) の後半
 小学校初任者のホームページ 『Aさんは悪くない』 の前半

 中学校の担任も同様だ。確かに中学生になってしまうと、発見も容易でないし、大人まで巻き込んだかたちでの不明朗さも出てきて、問題解決がかなり大変になることは分かるが、しかし、そうした実践例がないわけではない。

 まして、いじめを助長したり、いじめを生み出したりする、いわば、いじめ再生産とも言えるような対応は、まったくもって許せない。そのことは肝に銘じるべきだろう。


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 中学校教員の声を、もう一つ紹介します。
「小学校で、何かグループを決めるとき、『好きなもの同士』を簡単に認めていることはありませんか。『好きなもの同士』を認めることは、『きらいな子を排除する』ことでもありますよね。
 実際、それの克服で中学校が苦労していることは多いですよ。」
というもの。
 いかがだろうか。あなたの地域の小学校で、そういうことがはやっているということはないだろうか。

 さて、次回は、小学校の立場から、中学校へ物申してみたいと思っています。どうぞ、ご覧ください。

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   (5)へ続く。

rve83253 at 13:47│Comments(5)TrackBack(0)いじめ | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年11月14日 00:03
こんちは、いま帰宅しました。

「指導」という言葉にひそむ落とし穴
まったくもって同感します

この間もそれが出てきて
思わず口をはさんでしまいました

あぁ、記事にするといって
なかなかできずにいます。
すみませぬ

ゆったりとしたやすらぎの時間がほしいなぁ
2. Posted by toshi   2006年11月14日 06:22
Hidekiさん
 お仕事が大変なようですね。どうぞ、お体を大切になさってください。
 わたしは退職し、今は、再任用。初任者指導だけに専念していればいいので、ものすごく気持ちは、楽なのです。現職のときは、四方八方に目配りしなければならず、それでなお、頭の痛い問題もありましたから、けっこう疲れることもありました。

 指導と言う名の落とし穴。
 これは、今回、いじめ自殺の多発をめぐり、いろいろな論調を聞いて、よそはけっこう強いものがあるのではないかと、今さらながら、嘆かわしく思っています。
3. Posted by toshi   2006年11月14日 06:33
「命を大切に。」
 口でいくら言っても、それだけではね。
 一人ひとりの存在を大切にする指導をしていないと、十把一からげの指導では、指導そのものが命を大切にしていないではないか。そう思います。
 言って聞かせるだけでは、わたしが常に言う、『思考力の育成』が軽視されているとしか、言いようがありません。
4. Posted by つぼみ   2006年11月15日 22:41
4回のシリーズ、熟読させていただきました。
まったくもって、すべて同感です。

低学年の担任としても、また、自分が幼い頃の心の動きを思い出してみても。
いいとか、悪いとかいう、指導ではない。
気づかせてあげること、感覚を育ててあげること。

記事を拝見していると、わたしも、日々のできごとを紹介したくなりますが、昔語りにできるようになったら書いてみたいと思います。それまでは、学級通信で、「熱く打って」いきたいと思います。
5. Posted by toshi   2006年11月16日 06:08
つぼみさん
 つぼみさんは、すばらしい実践をお持ちなのでしょう。たしかに、昔語りでないと書けない部分というのはありますよね。
 わたしも担任時代学級通信を出していました。学級通信を出したり、ビデオを撮ったりすることは、それを今、読み返したり見たりしなくても、けっこう記憶として残っているものだと思います。
 良くも悪くも、自分の実践を振り返りながら、なつかしくなったり、あらためて反省したりしている昨今です。
 いずれ、校長時代の学校だよりも、記事にしたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

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