2006年11月16日

中学校の問題4

e063846a.JPG 前回は、中学校でのいじめ多発の問題を、『その芽は小学校のうちから』という面からとり上げ、記事にまとめさせていただいた。

 今回は、それとは別に、中学校自体の問題をとりあげてみたい。

 我が地域だけのことではないと思うが、子どもの不登校を、小6と中1とでくらべてみると、一挙に2倍強に増加する。小学校の間は微増であるのに、これは際だっている。小中の間に、明らかな断層がある。


 この原因は何か。環境が大きく変わるからだが、その最大要因は、授業のあり方と思われる。

 小学校では、子どもを大いに活躍させる。子どもの発言が、授業を盛り上げるし、活気づける。子ども主体の学習が行われている。単に知識・技能が身につけばいいということではなく、学び方や、生き方の学力も大切にしている。

 こういうことも、地域による違いはあるだろうが、中学校と比べれば、そういう環境にあること、間違いないのではないか。

 中学校は、教員の解説、説明で大体の授業が流れる。子どもの発言は散発的だ。
 これでは退屈するし、子どもの意欲がもたないだろうということで、息抜きの漫談調の時間が、授業中途に設けられる。
 勢い、知識の詰め込みに走りがちだ。

 
 こういうことを示すエピソードはいくらでもある。

1. わたしは、子ども主体の学習を標榜していたから、どうしても言いたいという思いが子どもにあれば、授業の流れと違っても、聞いて受け止めるようにしていた。しかし、中学生になってすぐ、子どもが言うには、
「言いたいことがあるので、『はい。』って手を上げたら、先生は、『質問もしていないのに、何で手を上げているのだ。信じられない。』と言って、あきれたような表情だった。」そうだ。

2. やはり、中学へ入学してすぐ、小学校へ寄って言うには、
「先生。中学校の先生に、『何だ。君たちは、〜も知らないで、中学校へ入学してくるのか。小学校でいったい何を学んできたのだ。』って、言われちゃったよ。」
それで、わたしは、
「何だ。そんなことか。『それなら、資料の○○ページを見れば分かります。』って答えておけばいいだろう。」
まあ、知らないよりは知っていた方がいいだろうが、その程度の知識だった。

3.「先生。中学校の授業はつまらないよ。座りっぱなしで、ただノートに写すだけなんだよ。」
   ただし、少数ながら、中学の授業の方がいいという子もいた。そういう子は、人前で発表するのが苦手な子だった。ただ座っていればいいというのは、気が楽で、心も落ち着くのだそうだ。


 子どもの学校生活の大部分は授業の時間である。その時間が、耐えることばかりでは、これは、子どもの心がすさむこと、容易に想像がつく。


 授業以外でも、こんなエピソードもある。

 教室環境のことだが、あるとき、校区の中学校の教室で、小中学校の教員の交流会が持たれた。話の流れのなかで、ある小学校の教員が言った。
「だいたい、この教室の教室環境は、何ですか。まったく殺風景ではないですか。子どもの情操を豊かにしようとする発想はないのですか。花も飾ってない。」
それに対し、中学校の先生は、申し訳なさそうに、
「花を飾ってもねえ。すぐ子どもにむしられてしまうのですよ。」
小学校の先生は、開いた口がふさがらないといった感じになった。

 でも、この教室の中学校教員は立派だった。
 翌年も同様の会が開かれたが、
「小学校の先生。この教室環境はどうですか。去年、言われちゃったので、一念発起してみました。」
いやあ。ほんとうに見違えていた。一輪挿しの花もあった。教室を彩っていた。小学校の教員はにこにこしながら、うなずいていた。


 さて、話題を授業に戻すが、上記のようになってしまうのは、ある程度やむをえないとも思う。

 高校受験が差し迫っているからだ。小学校のように、余裕をもって授業を行うわけにはいかない。ノルマのような感じなのだろう。

 もったいないなあと思う。中学校を高校受験から開放してやれば、中学生らしいより高度の思考力を発揮して、問題解決学習も、専門的ですばらしいものになるだろうに。

 かつて、こういう授業がないわけではなかった。本ブログのサイドバーに掲載している『本の紹介(2)』の大村はま先生は、すばらしい授業を展開された。


 もったいないなあと述べた。しかし、昨今のいじめ自殺事件を見るとき、もったいないではすまない事態ではないかと思うようになった。いじめる方もいじめられる方も、こうした学校体制の犠牲のように思われてならない。


 今の中学校の教員は大変だと思う。生徒指導や部活動など、夜遅くまで、あるいは休日返上で仕事をされている。ほんとうにご苦労がたえないのだろうと思う。

 でも、この部分も、授業改善を図ることによって、かなり救われるのではないだろうか。すぐというわけにはいかないが、長期的に見れば、これしか打開の道はないように思える。
 そうか。部活があった。これを教員から開放してやることはできないのかなあ。


 我が地域では、小中一貫のカリキュラムが叫ばれるようになった。今後、授業を中心とした小中の交流が活発になると予想される。道は険しいが、光を求めて、努力していただきたいと思う。


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 いじめ自殺事件の多発のなか、打開策は、授業改善のみであるかのような結論になってしまい、ちょっと、まずかったかなと思っています。
 他にもいろいろな、方策があるのだろうと思います。そのあたりは、教えてくださればありがたく思います。

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(2)へ続く。


rve83253 at 00:34│Comments(5)TrackBack(0)小中連携・一貫 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by 大山虎竜   2006年11月16日 06:08
toshi校長先生、中学校の先生は授業改善より部活の方に多くのエネルギーを注いでいるように思えます。単に知識の詰め込みとドリル的学習で定着率を向上させようとしていると思います。
学習意欲を入試に依存するのではなく、知的な授業で学習意欲を高めたいですね。
2. Posted by toshi   2006年11月16日 21:29
大山虎竜先生
 最近、高校受験と、それに縛られる中学校のあり方が、諸問題発生の原因ではないかという思いが、強くなっています。
 受験は単なる制度の問題なわけですが、中学生が中学生らしく生きるというのは、単なる制度の問題ではありません。人間が人間らしく生きる当然の権利と思います。
 人間としての根源的な生き方の問題は、何より優先させて考えられなければなりません。
3. Posted by 七星 来人   2006年11月17日 01:40
中学校に勤務した頃。
『中学校の先生は同じ部分の授業を何度もやっているからそのたびに教材研究・実践を基にしたフィードバックができるから小学校教員より授業がうまいんだ』と言われたことがあります。(私はその時、小学校から中学校へ転勤しました)
連日部活の指導をし、10時過ぎまで学校にいるような状態でした。私は「いつ教材研究をする時間があるのだろう?」と思っていました。
少ない空き時間(小学校よりは多いですが)には課題の点検・プリント類の印刷。とても教材研究の時間はありませんでした。
4. Posted by 七星 来人   2006年11月17日 01:40
続き>
また、ちょっと荒れていた学校でしたので、休み時間は全員で廊下へ指導に出ていました。(すぐに暴力事件が発生していましたから)
最近の状況は分かりませんが、昔よりも劣悪な環境になっているような気がしています。
そう思うと私は小学校勤務でよかったなぁと思うこともあります。
ちなみに私が中学校から小学校への異動を希望した理由は『授業が下手になるから小学校へ変えて欲しい』というものでした。
生活全体に関われる小学校の方が子どもの個性も掴みやすく、授業の予測がしやすかったと言う点もあると思います。
中学校の先生は大変だなぁと今でも思っています。
5. Posted by toshi   2006年11月18日 08:53
七星来人さん
 なるほどね。中学校の教員も、意識の問題だということがよく分かります。人によっては、『同じ部分を何度もやるから、惰性に流れる。』ということもいえますものね。
 みんなが、七星さんに話された方のようにやっていれば、教え込みか、子ども主体の学習かはあるにしろ、それはすばらしいでしょうね。
 
 中学校には、荒れた生徒は、部活で救うといった考え方が根強くあるように思います。現状では致し方のない考え方のように思いますが、でも、本来は、授業改善でしょうね。
 高校入試からの開放、つまり、入りたい子は全部入れて、大学入試のための準備教育でない、本来の高校生らしい人格形成の教育のなかで、しっかりと学ばせるのが、双方の学校生活を楽しいものにするのだと思います。

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