2006年11月19日

教育委員会を民主的に4

 国や政党がこのブログを読んでくれるかどうかは分からないが、今日は、物申してみよう。

 先日、テレビの討論番組を見ていて、けっこう具体的に分かってきたような気がしたので、書いてみる。

 教育委員会は、今、性格があいまいになっているという。
 
 しかし、司会者はそれに異を唱え、声を荒げ、
 
 「いや。性格ははっきりしている。
 かつて、子どもによる殺人事件があったが、そのあと、そこの教育委員会が、お互いに何か話し合ったかと聞いたら、何も話し合ってはいないという。教育のあるべき姿を何も話し合っていないのだ。
 もはや、教育委員会は、文科省の通達を校長に伝えるだけの伝達機関に成り下がった。」

 
 ほんとうにそうなのだろうか。わたしはびっくりした。

 我が地域の教育委員会は、そんなことはない。

 国に対しても言うべきことは言っている。

 いや、国の施策を先取りしてやった部分もある。生活科の発足、国際理解教育の推進などだ。

 また、国の方針を地域に密着したかたちで具体化している。たとえば、学習指導要領の地域版ともいうべきものを、教員の叡智を結集して作成している。

 また、国の施策であっても、地域の考え方に合わせたかたちで、理解しようとしている。
 たとえば、習熟度別学習指導でも、ただ習熟度によって分けることだけを考えるのではなく、一斉学習のなかで、個人差に応じた指導をより徹底させる方向でとらえることもやった。

 今回のいじめの報告についても、教育委員会の、ある先生は、
「うちはちゃんと報告していますよ。各学校からの報告も、正確だろうと思っています。
 なぜなら、うちは、『いじめの件数』という理解ではありませんものね。『学校がいじめに真剣に取り組んだ件数』と理解しています。だから、多いことは、ありがたいことだと理解しています。」
 それをうかがって、わたしまで、うれしく思った。


 そうなのだ。だから、よそが、先ほどの司会者の言う通りだとすれば、何で、そんな、国の出先機関のようになってしまうのか。むしろそれが不思議なのだ。

 国だって、基本的には、我が地域の、そうした取組を認めてくれている。(まあ、黙認なのかもしれないけれどね。また、100パーセント認めているわけでもないが。)


 そもそも、教育委員会(教育)は、地域に密着したはずのものであった。戦後、連合国の占領下に発足したときの教育委員は、公選制だった。しかし、先の司会者の言葉を借りれば、公選制で、革命勢力の教育委員が多数うまれ、教育の中立性が失われるとおそれた政府の手により、任命制に移行された。
 まあ、一般的な理解としては、戦後すぐの改革で国民になじみがなく、投票率がえらく低かったことや、『教育は国の責任で行うべきもの。』という国の考え方によって、移行となった。

 でも、今はどうだろう。国民の教育への関心はものすごく高い。公選制に戻して、地域住民に直接責任を負う体制にした方がよくはないか。

 まあ、うちの教育委員会は、現行でも地域の独自性を発揮していると言えるが、公選制の方がより教育委員会制度を生かせるように思えてならない。


 もう一つ。意外に思われるかもしれないが、国の教育責任論に国民が協力している部分もあるのだ。
 それは、教育格差是正の名のもとに、教育水準をそろえろという声が強い。
 これが金銭に関わる部分で言われるのなら、それは正しいと言えるが、学習内容までそろえるとなると、地域の教育という側面が薄れる。  

 この面からも、受験体制が問題視されなければならない。


 先日のテレビの討論番組では、政治家が、『教育の中立性を確保するために、〜。』と、さかんに言っていた。わたしはこれも不思議に思った。現在の方がよほど、中立性が危ういのではないか。政権が変われば、教育方針は変わるだろう。国への一極集中だからだ。

 そう。そう。教育委員公選制は、『教育は、地方行政からも独立している。』という性格を持つものだ。政治的に左右されない。住民の意志に左右される。
 わたしが、当ブログによく書く、『学校評議員制度』とも、軌を一にするものではないか。

 
 ああ。教育基本法の改正が、こういう方向性を持つものなら、わたしは、大賛成するのだが、・・・。


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 教育委員公選制

 教育委員公選制を詳しく説明しているサイトにリンクしました。このサイトでは、教育委員公選制を批判する論調も紹介しています。わたしの主張だけでなく、こちらの方もご覧になれば、よりよい方策がうまれるかも知れません。

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rve83253 at 00:16│Comments(3)TrackBack(0)エッセイ | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by くるみ   2006年11月24日 08:10
長文失礼します。2回にわけてコメントさせて下さい。
toshi先生ご無沙汰しています。
教育委員会の話、興味深く伺いました。

子どものために、と教育委員会と先生方、保護者、
地域がそれぞれの立場でできることを互いの理解
のもと前進している例もあることに救いを感じました。

しかし、私の住む地域、近隣では、そうではない
ようです。

政令指定都市でない教育委員会の方は、
私的な席で、「伝達機関」とむなしく感じている
心情を吐露されていました。

政令指定都市では、教育委員会は、先生方にとって、
「お上」であることは厳然としていて、保護者向け
の話の中で「委員会の方に〜していただく」
と自然に言葉となって出てきます。

どうしようもない壁にただただむなしさが
こみ上げてきます。


2. Posted by くるみ   2006年11月24日 08:11
2回目です。すみません。

でも、これが現実なので、今よく言われている
ハチドリのように、山火事に一滴の水を運ぶ
つもりで、つながりを断つことはしないで、
背を向けることだけはしないで、ときどき休み
ながらでも、日々できることをやっていこうと
気持ちを新たに致しました。

ありがとうございました。
3. Posted by toshi   2006年11月25日 08:05
くるみさん
 どうもわたしは、国一律の学習内容というのは、国家統制になりやすいと感じます。そして、日本が強い受験体制にあるため、国民もそれを求めているのではないでしょうか。こわい事態だと思います。
 わたしは、愛国心云々より、こちらの方がこわいと感じてしまうのです。

 『教委は、もっと現場の苦労を知らなければいけない。』という人は我が地域でも大勢いますが、両者の間に一定の信頼関係はあると思います。

 少なくともわたしは、学校の問題も、逐一報告し、相談にのってもらいました。
(そう。指導を受けた感じではありません。)
 人的な問題も、好意的に受け止め対処してくれました。
 ただ、今日もいじめ自殺をめぐり、その渦中で、教育長が宴会をしていたという報道がありました。何をかいわんや。
 お上体質。現場のことは関係ないのでしょうか。

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