2006年11月20日

前例主義あれこれ4

7abc3e92.JPG ある校長が、A小学校に着任した。その校長が、着任早々驚いたのは、入学式の際、保護者席が用意されていないことだった。

 式終了後、教員にそのわけを聞くと、
「さあ。どうしてでしょう。分かりません。ただ、うちの学校はむかしから、そういうことになっています。」
という答えだった。

 その校長は、かつて、教員としても、その学校に勤めていた。かつて勤務した学校に、校長として再び勤務するということは、めずらしいことではあるが、あり得ないことではない。
 その校長は、自分が勤務したときのことを思い浮かべていた。

 しばらくしてから、あることに気づき、はたと手を打ったという。
 むかし、教員として勤務したとき、入学児童数があまりにも多く、保護者席をとることができなかった。それでやむを得ず、保護者には立ってもらうことにした。
『ええっ。あれから、20年以上たつではないか。その間、児童数が少なくなったにもかかわらず、ずっと保護者席を設けなかったということか。』    
その校長はあぜんとしてしまった。


 そう。自戒の念も込めて書くが、また、教員に限られたことではないとは思うが、人間は案外保守的である。当初はそうしなければならない確かな理由があった。しかし、だんだん年数がたち、教員は入れ替わり、その理由は忘れ去られる。そして、形だけが残っていく。

 ただ残るだけではない。そうでなければいけないかのような雰囲気にもなっていく。

 その話をうかがってからというもの、わたしは前例主義にとらわれないよう、留意することとした。理由が分からないもの、説明がつかないと思われるものについては、積極的に前からいる教員に聞くように努めた。そして、理由が不明のもの、時代に合わないもの、改善した方がいいものについては、積極的に改善し、遺漏のないように努めた。


 さて、ここで話は大きく変わる。

 月曜日は、毎週、全校朝会を行う。
 今日、わたしの勤務する学校は、教頭先生のお話だった。月一回は、教頭先生である。

 「今日は、最初に、一曲歌います。聞いてください。」
 専科の先生のピアノに合わせて、すばらしいソプラノが響く。この教頭は音楽が専門だから、もう、聞き惚れてしまった。

 そして、その歌にまつわる話となったのだが、・・・、


 わたしは、自分の現職時代を思い出していた。

 わたしの教頭二校目では、校長から、「全校朝会のことですが、月一回は、教頭先生が子どもたちに話してください。」と言われ、「はい。分かりました。」ということで、やっていた。

 そして、自校昇任となる。

 校長になってからは、思うところがあって、毎回やることにした。
思うところとは、『朝会くらいは、校長がすべて話すべきだろう。数少ない、子どもとの接点なのだから。』ということであった。

 ところが、6月頃だったか、子どもから言われてしまった。
「校長先生。(もしかしたら、このころでも、『教頭先生。あっ。いけない。間違えちゃった。・・・。校長先生。』などと言われていたかもしれない。)いつになったら、教頭先生のお話になるの。」
「教頭先生のお話もあるのでしょう。わたし、楽しみなんだ。」

 後任の教頭先生は、子どもたちとの接点をもっていて、信頼もされていたから、子どもたちは待ち望んでいたようだ。

『あっ。いけない。』と思った。
そうか。子どもたちは、教頭の話も、聞きたいのだ。子どもたちにとっては、わたしの教頭時代から、それは当然のこととなっていたのだ。

 そこで、教頭先生にお願いをした。
「教頭先生。まえに、朝会の話は全部自分がやると言ったのだが、子どもから、今日、〜と言われてしまった。子どもたちは、教頭先生の話を楽しみにしているようだ。前、言ったことをひるがえすようで申し訳ないが、今月から、月一回、やってもらえないかな。」

 教頭は笑顔で了解してくれた。
 この教頭は、図書館研究会に所属していたから、毎回、『本の紹介』をしてくれて、それはそれで、とても心に残る話が多かった。



 子どもにお願いされる前例。

 こういう前例もある。


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 自校昇任にまつわる話はたくさんあります。近いうち、これも記事にしていきましょう。また、人気のあったこの教頭先生の話題も、載せていきたいと思います。

 また記事冒頭の校長については、以前も記事にしたことがあります。

 学校民営化?(2)

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rve83253 at 21:07│Comments(7)TrackBack(0)学校行事 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by koko   2006年11月20日 23:09
おひさしぶりです
これまでこうしてきたから、と
何の疑問もなく行われている日常的なこと、
とても多いような気がします。

つまらない質問で申し訳ないのですが、
朝会の話題が出ていたのでお尋ねしたいことがあります。
朝会で、児童が校庭で全員起立の状態で数分を過ごすことには、意味があるのでしょうか?
不思議でなりません。
全員が入ることのできる体育館があるのだから、
体育館でやればいいじゃないかと思うのですが。
外は眩しかったり風が強かったり、声も届きにくいし、立っているのは疲れるし、、
いいとこなし!と思ってしまいます。
座っている方が話に集中できるのでは・・・とも思いますし。。。

本文とは大幅にずれた質問ですみません。
2. Posted by toshi   2006年11月21日 00:03
kokoさん
 今、学校を取り巻く環境は激変の時代ですので、前例主義は薄れつつあるのではないかと思いますが、でも、やはり、多いかな。
 全校朝会の件ですが、『何となく』では、今日のテーマがテーマだけに、怒られてしまいますね。
 うまく答えられるか、ちょっと緊張しています。
 
 わたしどもの地域では、校庭でも体育館でも、どちらでもやります。
 離任式、着任式、子どもへの賞状授与など、複数の人が立つには、広いステージの方がいいからでしょう。

 ああ。これ、けっこういろいろ書けそうです。次回の記事にさせてください。

 教員でない方からのお尋ねは、原点を見つめさせていただくいいきっかけになりますね。
 できるだけ説明はさせていただきますけれど、どこまでできるか。

 期待しないで、待っていてくださいね。
 
3. Posted by hirarin   2006年11月21日 05:49
教師の個性が管理職でも大いに試されますね。
これからの管理職も「芸」を持っていないとうまくやっていけないかもしれませんね。
自分は管理職にはなれないと思いますが、何かしら「芸」を身につけ、人間味のある教師を目指したいと思いました。

新潟では、校庭での朝会はまずありません。
絶対体育館です。冬は積雪で不可能ですし、夏もかなり暑いので。
処変わればですね。
4. Posted by tamasige   2006年11月21日 05:59
前例主義は、私の職場でもあります。その都度、何故?を問うたり、考えたりしています。理由は記憶されていないことが多いですね。我が職場では・・
ある組織で昇進するかどうかは、本人の努力と、部下が問題を起こさないことと聞きました。こういう事がひどくなると隠す体質になるのではと感じました。
5. Posted by toshi   2006年11月22日 05:28
hirasinさん
 わたしの知っている範囲でも、ギターの弾き語り、手品などありましたね。
 わたしは剣玉が得意(?)。教員の宴会でやって、大うけしたこともあります。でも、朝会ではとうとうやりませんでした。そこまでの自信はなかったです。
 朝会って、わたしは子どもを認め、ほめ、励ます。そんな話が中心でした。あまり季節のうつろいといった話は得意ではないし、少なかったと思います。
 校庭の朝会がないとは。・・・。でも、理由をうかがえば納得ですね。雪国の暮らしの厳しさをかいま見た思いです。
 どうぞ、お体を大切になさってください。
 
6. Posted by toshi   2006年11月22日 05:35
tamasigeさん
 日々問い直す体質があれば、それでいいのだと思います。前例ということだけで大事にしたり、惰性に流れたりすることが問題なのですよね。今は、外部から問われることも多いでしょうから、よけいそれが言えるでしょう。
 かくす体質については、上記同様、今は、かくすことができる時代ではないということを肝に銘じるべきでしょうね。よけいみっともなくなるわけです。
7. Posted by toshi   2006年11月29日 18:45
test

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