2006年12月05日

『期待』とは4

448b8c81.JPG すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、わたしは、学級経営を書くとき、『担任が〜すれば、子どもが〜するようになると期待できる。』と書くことが多い。

 この『期待』という言い方について、あるいは、読者の皆さんのなかで、異論があるかもしれない。

「担任が、子どもを指導しているのに、『期待』くらいでいいのか。甘すぎるのではないか。『必ずやらせる。』という気持ちでなければいけないのではないか。」

そういう声が聞こえてきそうである。


 そこで、本記事では、このあたりのことにふれてみたい。


 多くの担任は、4月、新しい学級を受け持つと、学級経営方針を子どもに分かる言葉で語ったり、学級のめあてを決めたりするのではないか。そして、これは一般的にはいいこととされている。あるいは、当然しなければいけないこととされている。

 しかし、わたしは、あるとき、これに疑義を抱いた。

 それ以来、そういうことはせず、まずは、子どもがやることをじっくり観察することにした。子どもたちの『原個性』が、どんなふうか。それを見極めたかったのである。

 しかし、最初から、『原個性』なるものが、明確に出てくることは少ない。友人の大部分と担任は、子どもにとって、気心の知れないもの同士だからだ。

1. そのため、最初は、どうしても、『いい子ちゃん』に振る舞う傾向になる。いわゆる、よそ行きの顔である。
2. 子どもだって様子を見ている。おそらく、『やさしい先生か、こわい先生か。』『新しい先生は、どこまでは許し、どこからは怒るのか。』そんなことにとらわれているのではないか。


 わたしは前述の通り、子どもをじっくり観察する。そして、『ふだん着の子どもの姿』がうかがえるようになるのを待つ。だから、『〜しなさい。』『〜してはいけません。』は、極力言わないように努める。それをやると、子どもの生の姿が見えにくくなるからである。

 もちろん、これは心構えを言っているのであって、何もはたらきかけなければ、本性むき出しになるだけだから、子どもたちの言動を、ほめたりしかったり、最低限はするつもりだ。

 そのようにしながら、子どもたちの自然体の行動を誘発するように努める。

 そして、そろそろ本性がむき出しになったと思われるころから、良きにつけ悪しきにつけ、子どもたちの言動を、意味づけたり価値づけたりするようにする。それが、指導の中心となる。

 


 意味づけ、価値づけには、全力を尽くした。どんな些細なことでも、見逃さないように努めた。わたしがいないところでの行動も、誰かが教えてくれれば、それを意味づけ、価値づけしたし、教えてくれた子にも感謝した。

 意味づけ、価値づけは、基本的に、学級全体にはたらきかけるようにした。賞賛、感謝の言葉かけが多い。そうすることによって、子どもの心を育んだり、子ども同士の人間関係をよくしたりすることができると考えた。

 何より、子どもの主体性、自主性を尊重しながら、子どもの心を鍛えていくという、わたしの学級経営方針を、こういうかたちで示したかった。
 

 賞賛・感謝の言葉かけだけしていても、わたしの大切にしたいことが、子どもの心にじわじわと浸透していく。強制してはいないので、必ずしもそれが全員の行動になるとは限らないが(もちろん、なる場合もある。)、じわじわと浸透していく。
 
 一方、生活する子どもの側からみれば、それは、自分自身の内面からほとばしり出るものなので、『自分がしたいからしている。』という気持ちであり、『人(担任)に言われてやっているのではない。』と思っているに違いない。

 『学級目標』を子どもたちと話し合うなかで決めるのも、だいたいこうした時期だった。



 わたしの言う『期待』とは、そういう意味だ。

 だから、何もせず、期待するのとは違う。

 あくまで、『強制』の反対語としての概念だ。『願い』に近いかな。

 子どもが期待通りに動けばほめたくなるし、逆に何もしていなくても、それは当たり前というか、ふつうのことなので、叱ることはない。


 具体的には、たとえば、このような例がある。

 給食当番と給食を取りに行くとき、目の前に調理員さんはいなくても、『いただきまあす』と言わせ、返すときは、『ごちそう様でした』と言わせている担任は大勢いるだろう。

 わたしはこれをしなかった。何も言わないで、『いただきまあす』と言う子を見つける。一クラス30人もいれば、必ずそういう子はいるので、それを見つけると、終わりの会などで、うんとそれをほめた。

 その言葉にこめられた子どもの感謝の思い。調理員さんがいれば、その調理員さんとの心のつながり。そういうものも感じ取るように努めながら、そういうことにもふれて、ほめるようにした。

 そうすると、言う子がふえる。そう。繰り返すが、あくまで、ふえるのであって、全員が言うようになることはあまりない。全員一斉に声をそろえてなどということは、もちろん、ない。

 強制していないから。

 これこそが、『期待』の中身である。



 そして、次に、

 一人ひとりの子どもへの『期待(願い)』を考える。大体6月ごろだったかな。お互いに当初の緊張感がとれ、あるがままの姿をふんだんに見せるようになったころである。

 攻撃性の強い子なら、やさしく思いやりのある姿を思い描き、そうした行動があったとき、認めてやる。

 おとなしい一方の子は、自己主張する姿を思い描く。そして、そういう行動があったときは、たとえわがままを感じたとしても、自己主張できたことをほめるようにする。


 このようにすると、子どもは、担任が思いもしない、『よいこと』をやるようになる。意表をつかれた思いにもなる。
 感動するとともに、子どもを人として尊敬したくなる。

 内科検診などでは、校医さんに、『よろしくお願いします。』そして、終わると、『ありがとうございました。』

 朝会などの賞状授与では、校長先生に、『ありがとうございます。』


 だいたい、大人がいい心であり、子どもは未熟などと、決めつけられるものではない。子どもの方が、人間的にすばらしいということはいくらでもある。

 『子どもから学ぶ。』ことも多い。


 自分で言うのも気が引けるが、

 こうした学級は、子どもの表情が違う。純朴、輝き、柔和、ゆとり、明るさなど。そんなものが入り混じっている。子どもが生き生きしている。きっと、学級が楽しくてたまらないだろうし、幸せを感じていると思う。


 そして、『心が育ったな。』と思えば、さらに一歩進んだ目標を考える。そのようにして、学級集団はさらに盛り上がっていく。


 学級をつくるのは大変だ。一朝一夕にはできない。常に、きめ細かく、しかし、おおらかな気持ちで、子どもに接するようにする。


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 テレビニュースで、管理型の学級経営からなれあいの学級経営へという話をしていました。いじめは、なれあいの学級に多いのだそうです。

 わたしが主張するのは何型かな。意味づけ、価値づけの学級経営と呼ぼうか。

 
 管理型の学級経営は、『子どもをしばる』あるいは、『受身にさせる』学級経営といっていいでしょう。子どもはその通りやるでしょうが、『心を育む』観点からは程遠いと思います。

 担任がいないところでは、何をしていることか。


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rve83253 at 23:46│Comments(14)TrackBack(0)学級経営 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by POOHママ   2006年12月06日 20:40
>テレビニュースで、
>管理型の学級経営から
>なれあいの学級経営へという話

私も、みました。
何でも2極化、あるいは2者択一?
私の学級経営はどちらでもありません。
私は、児童生徒を、
部下とも友達とも思っていないから。
同士とは思ってますけど。
同じ地球を
同じ時代を生きる同士。
だから、守ってもらわなければならないルールもあるし、
いっしょに築いていきたいものもある。
そういったものを念頭におきながら
子どもたちと接しています。

あと、管理型の学級では
いじめが起きにくいのではなく、
表に出にくいだけだと思います。
管理型は理由のはっきりした
(貧乏・泣き虫・おとなしいなど)
弱いものいじめがあります。
なれあい型は、いじめる相手は限定されず、
いつ被害者になるかわからない怖さがあります。
2. Posted by Hideki   2006年12月06日 22:14
こんにちは

とても良いお話ですね。
自主性を尊重することと、放任することとは違う
ややもすると、そこをごっちゃにして考えられがち
そして、子どもよりも大人は正しい
子どもよりも大人はえらい
そういった一面的な発想があると
子どもの「指導」という名の強制・強要、
絶対服従がおこなわれ、思考停止人材を生む

それじゃ、ダメだと思うのですよ

3. Posted by Hideki   2006年12月06日 22:14
ちなみに、いじめの記事
今日の日経新聞の朝刊では、たしかに見出しは
「なれあい学級で多く発生」となってます
でも記事の内容をよくみると
教師が友達感覚で児童に接する「なれあい型」学級、
そして教師の指導が厳しい「管理型」学級で
いじめは多く発生するとあるのです

それを、あたかも「なれあい」≒あまやかしだけがダメなようにみせるのは
マスコミの偏向報道以外の何ものでもありません

管理型学級でもいじめは多い、
そういう調査結果だったということも忘れちゃいけない
もちろん、そのデータもどこまで信憑性があるか、
調査結果というのは聞き方によって、
その結果が180度変わってくるものなんです
4. Posted by toshi   2006年12月07日 03:09
POOHママさん
 師弟同行といういい言葉がありますね。教員と子どもが向き合うのではなく、同じ方向を向いて、手を携えていくということですね。
 あと、管理型となれ合い型のいじめの構造の違いは、勉強になりました。
 ありがとうございました。
 おっしゃる通りですね。
 いじめが大人の目に見えにくいのも、管理型だからなのでしょう。
5. Posted by toshi   2006年12月07日 03:21
Hidekiさん
 調査って客観的なように見えて、聞き方次第という面が確かにありますよね。でも、この場合は、信頼できるように思います。POOHママさんもおっしゃっているように、管理型もいじめを生むという見方に、わたしも賛成します。
 Hidekiさんのコメントで分かったのですが、テレビでは、なれ合い型だけを問題にしていたので、変だなとは思いました。

 いずれ、記事にしようとは思っているのですが、意味づけ、価値づけの学級経営は、そのまま、校長としての学校経営にも通ずると思います。わたしは、PTAや、地域の方のなさること、教職員の実践に、いつも感謝の思いをもっていました。そして、なぜ感謝するのかを、PTA,地域、教職員の実践をじっくり見て、具体的に話させていただきました。

 ああ。なんだか、すぐ記事にしたくなってきました。ありがとうございます。
6. Posted by kei   2006年12月07日 19:52
 私も「なれあい型」「管理型」の二つのみにわけて報道されていることに疑問を持ちました。自分のクラスもどちらでもない。教師と子どもとが学びのパートナーになり、互いに尊厳を払っている。そういう集団は、どう表現したらいいのでしょうか?いいネーミングがあればいいのですけど・・・・。
 あと、toshi先生の学校経営は、学級経営そのものですね。教師も、子どもも、保護者もそして地域の方も、みながそれぞれ持っているものを豊かに表出できる温かな学校になるのでしょうね。次の記事も楽しみに待っています!

 
7. Posted by toshi   2006年12月07日 21:49
keiさん
 ありがとうございます。これは、がんばらなければなりません。ご期待に沿えるかどうか分かりませんが、あるがままを書かせていただきます。
  人は、自分が経験したはんちゅうでしか、物事を考えられないようです。kei先生の学級の子たちが大人になり、そういう人がふえ、やっと大手を振る状態になるのかもしれません。
 でも、これ、百年河清を待つに等しいかもしれません。そんなに待たなくてもいいように、わたしたちはブログという手段を得たのですから、がんばるしかないようですね。
8. Posted by kei   2006年12月07日 23:01
toshi先生
 再度すみません。実は学芸大学の平野先生が同じことをおっしゃいました。「今、先生(私のこと)と共に、総合を創り上げていく子どもたちが大人になった時に、本当に分かってもらえ、よき理解者になることでしょう。」と。
 子どもたちが社会人になるまでに、10年以上かかります。そういう長いスパンで考えていく必要もあるのだなあと驚きましたが、覚悟を決めました。
 でも欲張りで、「そこまで待たなくても共感し、挑戦してくださる方が増えてほしいなあ」と思う気持ちもあります。ですから、ささやかではありますが、子どもの事実を発信していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。
9. Posted by Hideki   2006年12月07日 23:20
こんにちは

> 「なれあい型」「管理型」の二つのみにわけて報道

ということでしたので、改めて。

このレポートでは、これに加えて「満足型」の3者で比較しています。ちょっとググってみたら、記事がたくさんでてきました

http://www.asahi.com/life/update/1206/001.html?2006

ただ、この報告は「現象」面の相関関係をとらえただけで、その先の因果関係は「分析という名の憶測」にすぎません。

相関関係と因果関係は似ているが違うもの、…この落とし穴にはまる人は実は多いんです

まあ、その前に「満足型」って、なんやねん?とつっこみたくなりますが

ただPOOHママさんのご指摘の「なれあい型は、いじめる相手は限定されず、いつ被害者になるかわからない怖さ」は、報告の中でも指摘されてますね
10. Posted by 学生   2006年12月08日 18:29
初めて書かせていただきます。この前「教育の真髄って何?」と問われました。私は言葉につまってしまいました。「引き出す」?「支援」?自分は教育の真髄も言葉にできないのに教師を目指していることに気付かされ、落胆しました。それから考えているものの、前に進めません。先生が考える「教育の真髄」とは何でしょうか?突然の質問で、失礼なのは分かっていますが、よろしくお願いします。
11. Posted by toshi   2006年12月09日 00:41
kei先生
 問題解決学習に取り組む多くの教員が、みんな、共通の課題を抱えているように思います。 
 ちょっと、コメント7を修正させていただきます。
《人は、自分が経験したはんちゅうでしか、物事を考えられないようです。》
の部分ですが、現状ではいけないと努力する人は、経験したはんちゅうをとび越え、自ら新しい世界を切り開きます。それでこそ、学習が意味をもつのですね。
 お互いにがんばりましょう。
12. Posted by toshi   2006年12月09日 01:19
Hidekiさん
 POOHママさんがコメントされた
《管理型は理由のはっきりした、弱いものいじめがあります。なれあい型は、いじめる相手は限定されず、いつ被害者になるかわからない怖さがあります。》は、わたしも、『ああ。確かにその通りだな。』と思います。
 管理型については、今は、管理しきれず、担任への反抗という形をとるケースもふえているようです。ベテラン教員がつっとるケースは、大体これだと思います。
 満足型というのは確かに、分からないですね。概念構成ができにくい言葉だと思いました。
 
13. Posted by toshi   2006年12月09日 01:38
学生さん
 これはまた、むずかしい。すごいテーマです。わたしもちょっとすぐにはコメントできません。少し考える時間をください。

 だから、何もそんなことで落胆することはないですよ。『支援・引き出す』も、ほんとうにそれを実践すれば、教育の真髄たりうると思います。
 教員になって日々、悩み、喜びながら、真剣に立ち向かうなかで、自然に感じ取れるようになるでしょう。

 公立学校のように、特に明確な共通の目的意識をもたない集団の教育と、進学塾、合唱団などのように、明確な共通の目的意識を持った集団の教育とでは、真髄も当然異なってきます。
14. Posted by toshi   2006年12月09日 01:56
ここでは、前者の真髄をお尋ねと考えていいですよね。
 どこかで書いたと思いますが、『馬を水場につれていくのはたやすい。しかし、水を飲ませることはむずかしい。』と言われます。
 水を飲むのは馬自身だからですね。

 そうか。イメージが浮かびました。近いうち記事にさせていただきたいと思います。

学生さんが、見事、すてきな教員になられることをまずは祈念しています。

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