2006年12月09日

校長の学校経営(1)4

3d5103d9.JPG 校長の学校経営については、かつて何回か記事にしたことがある。そのなかでも、『校長は魔法が使えなければならない。』が、一番印象に残っている。『ほとんど権限をもたない校長が、いかにしてリーダーシップを発揮するか。それは至難の業ではないか。』という問題提起だった。

 でも、考えてみれば、学校というところは、校長の権限を強化したくても強化できない、もともと、そういう性格を持つところだ。

1.よく言われることだが、担任が授業を行う教室という空間は、担任と子どもとの生活、および教育的実践の場であり、他の人は、入ったとしても第三者的立場にならざるを得ない。

2.通知票などにしても、子どものことを一番よく知っていて、評価するのは担任であり、担任しかいないとも言える。仮に、AちゃんにはAがつき、BちゃんにはBがついたとして、それが妥当かどうかを判断することは、たとえ、校長であってもできるものではない。

 できないが、そうした点についても、校長は責任を負うものであるから、学校のシステムとして、校長は、教職員を信頼しないわけにはいかないようになっている。
 
 変な言い方で恐縮だが、どうせ信頼しないわけにはいかないのなら、いかにして信頼度を高めるか、そこに全精力を傾けたいものである。

 
 まっとうな言い方に変えよう。

 教職員は、給料をもらっている。仕事として教職の責を果たしている。給料に見合うだけの仕事はもともとしているはずである。それなら、各教職員の仕事を支え、やりたいようにやってもらい、それを温かな目で、見守ろうではないか。それが、子どもを幸せにする道だと信じる。

 『ああせい。こうせい。』と言って、それで、教職員がやる気になるとは思えない。
 言えば、それはやるだろうが、教職員にとっては、校長から信頼されているという実感がなくなるし、自分のやっていることを認めてもらえないと思うだろうし、それでは、学校としての盛り上がりは期待できなくなってしまう。
 繰り返すが、子どもと日々勝負(?)しているのは、教職員なのだから、期待できない学校にしてしまっては、元も子もなくなる。

 ただし、信頼は、放任とは違う。無条件にやりたいようにやってもらうというわけではない。先ほど、『温かい目で見守る。』と書いた。

 そう。ここでも、教職員の仕事への、『意味づけ、価値づけ』が大切になる。


 たとえば、こんな具合だ。

「今日から、校内作品展ですね。昨日は、遅くまでその展示に工夫を凝らしていただいて、ほんとうにご苦労さまでした。すばらしい展示だと思います。

 ちょうど昨日は、C町内会長さんが遅くなってからお見えになりました。それで、用が済んだ後、わたしは、一足早く、出来上がったばかりの会場へご案内しました。『いやあ。これはすごい。秋そのものだね。』そうおっしゃるなり、感極まって、絶句されました。

 今日から、地域の方、保護者の方が大勢お見えになるでしょうが、皆さんがどんな感想をもたれるか、わたしは、とても楽しみにしています。

 わたしも、展示の終わった会場を見せていただいて、『これはすごいな。子どもたちの作品のすばらしさもさることながら、会場全体が、教職員の皆さんの巨大な一つの共同作品となっている。』という思いを持ちました。

 どうぞ、これから、どのクラスも、クラス単位で鑑賞の勉強をすると思いますが、そのとき、子どもたちの作品を見合うことも大事ですが、秋そのものを会場に運び込んだような、そんな会場全体の雰囲気をですね。ぜひ感じさせるようなご指導も、お願いしたいと思います。
 子どもの美的情操を養う上で、格好な舞台を用意してくださったと、強く感じました。

 それにしても、D教頭先生のお話をうかがうと、かなり前から、図工主任のE先生と、F用務員さんとで、こんなふうな会場の雰囲気にしたいということで話し合い、用務員さんはずっとまえから、素材集めをされていたようですね。そうした努力の積み重ねが、あの会場に満ちあふているのだと、今さらながら、感謝の思いでいっぱいになりました。ありがとうございました。

それでは、今日も一日、どうぞ、よろしくお願いします。」

 
 そう。意味づけ、価値づけは、具体的であればあるほどよい。話は明確になるし、聞き手は、何を認めてもらえたのか、これからどうしていきたいかの思いを、しっかりと持つことができる。
 
 意味づけ、価値づけをする校長の資質も問われるであろう。自分で気づかないこと、知識のないこと、思い描けないことを、意味づけ、価値づけるのは不可能だからだ。
 
 校長の意味づけ、価値づけが、教職員の思いとぴったり合えば、これは効果的だ。信頼感は一挙にます。それが感じ取れたときは、こちらまでうれしくなる。

 そして、人への気配り、心配りをすること。もちろん、これは、子どもも含む。
 子どもが挨拶しているのに、こちらは無視。これはもってのほかだ。
 子どもが気を遣ってくれたら、感謝の言葉は欠かせない。日々のこうした小さなことの積み重ねも大切にしたい。

 
 わたしは、校長として、新しい学校に着任したとき、自分の学校経営方針、抱負といったものを長々としゃべることはしなかった。お互い気心の知れないなかでの話では、心を打たせることはできないだろうし、すぐ忘れてしまうだろうと思ったからだ。大体かつての自分がそうだった。
「これまでやっていたように、やってください。わたしはそれを見させていただきます。」
そんなことを簡単に言っただけだった。

 それより、日々の実践を大切にした。意味づけ、価値づけの言葉のなかに、校長としての、学校経営方針、教職員に大切にしてほしいことを、にじませるようにしたつもりだ。


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 今、時代は変わろうとしています。わたしのときより、校長の権限は強化されているようです。
 強化されること自体を批判する気はありません。しかし、留意点はあるなと思います。
 すなわち、魔法とか、信頼がなくても、学校経営はできてしまう。そうなると、経営がマニュアル化されるかもしれません。それは、こわいですね。

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rve83253 at 09:15│Comments(6)TrackBack(0)学校経営 | 学校管理職

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この記事へのコメント

1. Posted by 学生   2006年12月09日 14:05
3 突然の質問にお答えしていただき、ありがとうございました。自分がどんな教師になりたいのか、しっかり考えながら、教員になれるように頑張ります。またお邪魔させてください。
2. Posted by 大山虎竜   2006年12月09日 16:51
5 toshi校長先生、ブログは読ませていただいていましたが、コメント久しぶりです。
本日のブログ、本当に勉強になりました。
職員朝会では、伝達・注意ばかりで反省しました。
まだまだ校長職は先の先ですが、教職員を元気にし意欲をもって仕事ができるよう自分の立場で頑張っていきます。
3. Posted by つぼみ   2006年12月09日 21:09
自分のことを書いてしまいますが

わたしは、今の学校長が大好きです。
学級経営や子どものようすをとてもよく見てくれていて、具体で褒めてくれたり助言したりしてくれるからです。
毎号、学級通信にも、細やかなコメントをくださいます。
研修主任をしていますが、いろいろなことを教えてくださいます。
この先、今の学校長のような人の下で働けるかどうか・・・、なんて不安も感じるほどです。

もちろん、学校長の経営方針の具現化に、自分も微力ながら力を尽くしたいと思っています。
4. Posted by toshi   2006年12月10日 01:19
学生さん
 いえ。いえ。ご質問にかかわる記事は、これからです。次回、まとめてみますので、どうぞ、よろしく。
5. Posted by toshi   2006年12月10日 01:52
大山虎竜さん
 記事でも少しふれましたが、校長の学校経営には、教頭の協力が欠かせません。校長は出張が多いものですから、見ているようでいて、見れていない部分も多いのですよね。補佐をどうぞよろしくお願いします。
 校長と教頭が一心同体であることは、実のある学校経営にするうえで大変大事なことなのではないでしょうか。いずれそのことにもふれるつもりです。
 どうぞ。よろしく。
6. Posted by toshi   2006年12月10日 02:00
つぼみさん
 それは、それは、すばらしいですね。一人ひとりの教職員の心が、仕事への安心感、意欲、そういったもので、満ちあふれるのではないでしょうか。
 これから、このシリーズを続けるつもりですが、どうぞ、つぼみさんの現状も折にふれ、教えてください。それがヒントになり、さらに記事が書けるようにも思います。どうぞ、よろしく。
 わたしも、楽しいことがありました。ある先生が、休日など、よくご自分のお子さんを学校につれてきたことがあります。
 あるとき、その先生が言うには、
「うちの子っていったら、『お母さんと校長先生は、仲良しなんだね。』って言うんですよ。子どもって、見てないようで、見ているのですね。わたし、校長先生と話しているとき、とても楽しそうに見えるのだそうです。」
なんか、とってもうれしかったのを覚えています。

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