2006年12月10日

教育の真髄 4

hana4 前々号の『期待とは』にいただいたコメントで、『学生』さんから、『toshiの考える教育の真髄とは何か。』というご質問をいただいた。

 さあ、こまった。何て答えたらいいだろう。そんな思いで、これまでの記事をふり返ってみた。『ああ。これかな。』と思い当たるふしがあったので、今日はそれを書いてみる。

 学習にしろ、生活にしろ、学校生活の主人公は子どもであり、 
 わたしたちが標榜する問題解決学習、主体的・自立的な教育、子どもの思いを大切にする教育、などなど。それらに一貫して流れる思想は、学習の主体者たる子どもが、日々、どのような思いで学習、生活しているかということである。

 前号の「学生」さんへのコメントでは、『馬を水場に連れていくのはたやすいが、水を飲ませることはむずかしい。』と書いた。
 そう。水を飲むかどうか決めるのは馬自身。価値ある学習、生活をするかどうか決めるのは、子ども自身なのだ。


 だから、子どもに罰を与えたり、えさで釣るようなことをしたり、勝負事(ゲーム的扱いを含む)にしてしまったり、指示・命令のたぐいでやらせようとしたりしたのではダメだ。
 あくまで、教員は、子どもの内面から出る動機によって、『学習せずにはいられない。』『価値ある生活をせずにはいられない。』という心情を養うようにするのである。
 
 わたしたちは、このことに全力を尽くす。それが、我が地域でいう、『生き方の教育、学び方の教育、基礎・基本の教育』の中身である。


 
 だから、小学校を卒業するとき、子どもたちは、『自分たちががんばったから、』『自分たちが努力したから、』の思いでいてほしい。『toshi先生のおかげで、』と思ったのではまずいのだ。自分たちの伸びようとする力に確信が持ててこそ、それは、自己教育力、生涯学習力となって、みのり多いものになるだろう。



 さあ、それでは、我が実践はどうだったか。わたしが最後の6年生担任だったときの卒業文集を見てみよう。


 この子たちの多くは、学級生活の充実をテーマにして、作文を書いた。小学校生活の思い出を書いたに過ぎない子は少数派だった。

 「〜。5年生までは、友達と言っても、ただ仲がいいとか言うだけで、ただの友達という感じだった。だけど、6年生になって、今までとは違うほんとうの友達ができた。悩んでいることや困っていることを一緒に考えてくれたり、なぐさめてくれたりした。こういう友達をもてて、ぼくはとても幸せものだ。そして、ぼくは、友達からも、悩んでいることや困っていることをうちあけてもらえるような友達になりたいと思った。
 ぼくたちのクラスは、今、ほとんどけんかがない。その原因は、友達同士ゆずり合う心や、自分が悪くなくても、すぐあやまれる心が、みんなもてるようになったからだと思う。
 
 もう一つ。ぼくたちのクラスの授業は、みんなが賛成意見や反対意見を出し合い、それによって進んでいく。とても楽しい授業だ。チャイムが鳴っても、もうちょっと授業を続けたいな、そうすれば、もっと深く分かるなとも思うようになった。
 みんなで、自然にがんばるようになって、こういうクラスになったのだと思う。toshi先生は、いつも温かな目で、うれしそうに、ぼくたちを見守ってくれた。〜。」 

 この子は、『自然にがんばるようになった。』『自分たちが努力した。』という記述になっている。だから、とてもうれしかった。

 しかし、全体的には、『toshi先生のおかげで、〜』の方が多かった。そういう意味では、△かな。


 担任は、もちろん、努力する。子どもたちの人間関係が豊かになるように、また、確かな学力が身につくように、全力を尽くす。しかし、それが、子どもの目に見えてはまずいのだ。担任の支援は、子どもの目に、ストレートには見えないことが望ましい。


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 子どものやることを、『意味づけ、価値づけ』する担任。『ああせい。こうせい。』とは、極力言わない担任。
 だから、『みんなで、自然にがんばるようになった。』という思いになるのだと思います。

 なお、上記、卒業文集は、これまでも記事にしたことがあります。よろしければご覧ください。

   4月3日  健全な競争心
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rve83253 at 23:57│Comments(6)TrackBack(1)教育観 | 学級経営

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★追記:らんきーブログさんの、記事に、ヒューマンチェーンの様子を動画で、ヘンリー・オオーツさんが、撮影してくれたものをご紹介してくれてます。(きくちゆみさんのブログ記事の中にも、ご紹介されてます。) これだけの反対運動なのに、毎日新聞が、報道してくれただ....

この記事へのコメント

1. Posted by POOHママ   2006年12月11日 19:49
>『馬を水場に連れていくのはたやすいが、
>水を飲ませることはむずかしい。』
これは、私もいつからか、
(日本が子どもの権利条約を
 批准した後あたりから・・’95年あたりか?)
常に意識する言葉となった。

教師にできることは
いろいろな選択肢を示し、
それに伴う損得も説明すること。
でも、結局選ぶのは本人だ。
選択肢を常に二つ以上用意できなければ、
教師として失格だと思う。

ある一定の(最良と思われる)方向にだけ
指導するのがベストだと思っている教師が多いが、
私は疑問を感じる。
2. Posted by toshi   2006年12月12日 00:36
POOHママさん
《ある一定の(最良と思われる)方向にだけ指導するのがベストだと思っている教師が多いが、私は疑問を感じる。》
 これは、担任自身の価値観の押し付けでしょう。
 子どもはタフですから、そのような価値観に染まるとは限らないでしょう。教育の場での価値の押し付けは、むなしさが残るのではないでしょうか。
 また、間違いなく、受身の子どもをつくってしまいますよね。
 
3. Posted by 学生   2006年12月12日 10:04
5  お答えいただきありがとうございます。教師の活動すべて、子どもが主人公「子どもありき」の考えを持って行われるべきであって、教師は子どもの価値の明確化に全力を注ぎ、子どもが内面から価値判断できるようになることが大切なのですね。    「自律」と「他律」が問題になると思うのですが、押し付けではなく、気づかせる、価値の明確化…特に道徳教育はとても難しいですね。POOHママさんの(ある一定の方向にだけ指導するのがベストだと思っている教師が多い)のような教師になりたくないです。これは子どもを大人の常識にはめるだけですよね。
 投稿が遅れたこと申し訳ありません。
4. Posted by toshi   2006年12月12日 15:45
学生さん
 「教育の真髄」というお尋ねでしたので、このような記事になりました。
 学生さんが、教職につかれて、いきなりこのような考えでやろうとしても、おそらくそれは無理と思います。
 子どもは、待ち、受け身の姿勢でいると思うからです。どうしても、最初は、担任から積極的にアプローチせざるを得ないでしょう。
 そのなかで、自己教育力、生涯学習力を育むことを大切にします。つまり、自主的、主体的な姿勢をうんと認め、それこそ、意味づけ、価値づけするなかで、徐々に、子どもの主体的な動きが観られるようになるでしょう。
 まだ、気が早いかな。でも、がんばってくださいね。
5. Posted by POOHママ   2006年12月13日 22:19
レス、ありがとうございます。

>教育の場での価値の押し付けは、
>むなしさが残る・・・
前述のような教師たちは、
そう思わないようです。
自分(そのタイプの教師)が、
その子にとってベストな方法を
教えたのだと自慢したりします。
また、その方法を子どもが拒否したら、
「教えてやってるのに・・・」と
なるのです。

そういう教師たちは
教師の思い通りに動いてくれる学級が
いい学級だと思っているようで、
受身の子どもたちばかりだとうれしいのでは?

6. Posted by toshi   2006年12月14日 05:13
POOHママさん
 そうですね。おっしゃる通り、価値の押し付けをする教員は、それでいいのだと思っているでしょうね。
 でも、だんだん、そういう教員は、言う通りにならない子どもがふえていくことで、矛盾を抱えていくのではないでしょうか。
 ああ。こうしたことを記事にしたこともあったなあ。
 そこで、POOHママさんには、すでにお読みいただいていると思いますが、広く多くの方に読んでいただければと思いますので、本欄のわたしの名前のところをクリックすれば、その記事がでるようにしました。よろしくお願いします。

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