2006年12月17日

初任研は大丈夫か4

34e7ca7c.JPG 前回(小学校初任者のブログ・本ブログの姉妹編の方である。)も、はるえもんさんのブログから、記事を書かせていただいたが、今回もそうである。

 はるえもんさんのブログ(こちらはトップページにリンク)を読ませていただいて、一部、公教育の実態に、唖然としてしまった。

 こういう記事を読むと、ほんとうに、子どもに対し、申し訳ないと思う。でも、全国的に見れば、こういう実態は、案外あるのかもしれない。
 
 そうすると、このブログを読んでくださっている初任者の皆さんの学校も、似たり寄ったりの現実があるのかもしれない。そう思った。
 そういう学校に勤務される初任者の皆さんは、せっかくいいものをもっていたとしても、もしかしたら、校長はじめ、初任研担当の先輩の教員によって、つぶされてしまうかもしれない。

 ごめんなさい。言いようがない。だって、わたしがその職場にいるわけではないのだものね。どうか、つぶされないように、がんばっていただくことを祈るのみだ。


 どんどん脱線していく。すみません。お付き合いください。(本日は脱線の方が、圧倒的に長いです。お許しのほど。)


 先日、テレビで、小学校の初任者研修の様子を放送していた。画面に現れた初任者は、笑顔を絶やさず授業を進めている。子どもも、いきいきと価値のある発表をしていた。とてもいい雰囲気で、こういう初任者なら、校長もうれしいだろうと、変な想像をしていた。


 ところが、ところがだ。

 その授業を見ている、わたしほどの年齢の(もっともまだ退職はしていないのだろうが、)指導教員(たぶん校長と指導主事だろう。)が、7・8人。(これもすごい。わたしどもの地域では、せいぜい1人か2人だ。一般の教員は、見に来るけれどね。もっとも、この地域では、一般の教員は見ていないようだった。)


 その様子になんとも違和感を覚えた。みんな仏頂面なのだ。なかには、苦虫を噛み潰したような表情の人もいる。それで、一生懸命、なにやら、ノートに記録している。それは真剣だ。

 ほんとうにつまらない、退屈な授業なら、それでいいだろう。わたしだって、そうなる。

 でも、でもだ。

 この授業は、楽しい雰囲気なのだ。子どもも担任も笑顔を絶やさない。雰囲気がとてもやわらかく、和やかなのだ。なんとも、この指導者の面々の表情に、違和感を覚えた。テレビを見ていたわたしですら、思わず笑ってしまうこともあったのに、そういう場面でも、画面の先生方は、相変わらず、同じ表情だ。

 もし、その先生方が、『わたしたちは、担任を指導するのが仕事なのだから、教室の雰囲気に合わせることはない。むしろ、そういうことからは超然として、冷静に、担任を見なければいけない。』
そう思っているとしたら、それは違うと考える。

 少なくとも、子どもは見ているだろう。感じているだろう。

『なぜ、怒ったような顔をみんなしているのだろう。』『わたしたちの授業、よくないのかな。』『おもしろくないのかな。』

 いろいろな思いをめぐらせていることだろう。少なくとも、わたしたちの地域だったら、そうなる。
 しかし、この地域では、こういうことが当たり前なのか、子どもたちに動揺の気配はない。そういう意味では、たくましさを感じた。


 ナレーターが言った。

 後の指導では、講師の先生方から、『子どもたちは意欲的で、積極的に学習に参加していた。それはよかったが、一時間ずっと話し合い学習では単調になり過ぎる。グループ活動とか、作業をとり入れて、学習に変化をもたせたい。』との講評がありました。

 わたしだったら、そうは言わない。

 「ふつうなら、一時間話し合い学習を続けると、低学年の児童はあきてしまうし、ボオッとしてしまうときもあるだろう。だから、活動に変化をつけた方がいいと言うところだ。
 でも、今日の授業はすばらしかった。一時間ずっと話し合い学習をしても、あきているような気配はまったくなかったね。みんな、楽しそうに学習に参加していた。だから、あれでいいよ。とてもよかった。

 大人でもそうだが、話し合いを意欲的に進めると、友達の発言を聞きながら、イメージが広がったり、新たな概念が描けたりすることがよくあるだろう。俗に、『ひらめく』とも言う。それを多くの子が体験して発表するから、学習が深まっていく。

 グループ活動や作業は、『問題解決のためには、話し合いをやめて、そういう活動をとり入れた方がいい。』と子どもが判断したときにとり入れればいい。先生は、おそらく、そういう主体的に学ぶ子どもを育てていると思う。」


 ああ。やっと本題に戻ろう。

 はるえもんさんのブログだ。

『さんぱにじゅうし』に統一する必要はまったくない。それによって、学級の秩序が乱れることはない。
『さんはちにじゅうよん』それを聞いた人も、あまり違和感を覚えないのではないか。いや。覚えたとしても、そんなの、気にする必要はない。
 学習は、学習者のものだ。

 画一化。個性無視。もう一つ。子どもの実態無視。ああ。何をかいわんや。

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 すみません。今回は、気分が高揚してしまいました。そのくらい、はるえもんさんの記事は、インパクトがありました。
 はるえもんさん。ありがとうございました。このブログで、他地域の様子がよく分かるのは、ありがたいことです。

そう。そう。もう一つ。
 この学級では、教科書どおり言わない子は変だという機運が生まれるでしょう。それがもとで、いじめが起きないか。そういう心配もしてしまいます。

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rve83253 at 17:50│Comments(17)TrackBack(0)初任者指導 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by つぼみ   2006年12月17日 18:50
2年生の担任は一度しか経験がないのですが、九九の唱え方、この学級のようす、わかる気がします。
子どもたちは、子どもたちなりに唱えやすさを考えていたり、お互いに聞き合う中で、あれ、違うな、どっちがいいのかな、などということに、思いのほかこだわりをもっているのですよね。
 はるえもんさんの記事のこの先生も、子どもたちをすっきりさせてあげたかったのかもしれませんね。

一方で特別支援としての配慮はとても重要です。わたしたちも、「わからなさ」を疑似体験しながら勉強しました。「さんはちにじゅうよん。なるほど、わかりやすいいい発明だね!」と、それもあり、を先生が応援してあげられたらよかったですね。
2. Posted by はるえもん   2006年12月17日 19:11
TBありがとうございます。
ああ、どうかそんなに気落ちなさらないでください。

今回の「さんはちにじゅうよん」の話は、私自身ガックリきたので話題にのせましたが、あくまである学校のある先生の対応ですので、多くの先生方はきっと、そんなことはないだろう思います。
ただ、「さんはちにじゅうよん」を認めない先生は少なくても、先生の方から、その子の特性を見抜いて「分かりにくかったら“さんはちにじゅうよん”で覚えてごらん」と個別に言ってあげられるようになるかどうか、・・・それはこれからかもしれませんね。
3. Posted by toshi   2006年12月17日 21:52
つぼみさん
 やさしいなあ。つぼみさんは。
 ぼくはもう、情けないような気持ちになってしまいました。できるだけ感情的にならないように努めているつもりですが、今日の記事はちょっと、だめだったかな。先日のテレビの初任者指導の様子と重なってきたからかもしれません。
 そう。
「さんはちにじゅうよん。なるほど、わかりやすいいい発明だね!」
このくらいの気持ちがほしいのですよね。たとえ、ふつう級でも。
4. Posted by toshi   2006年12月17日 22:03
はるえもんさん
 いつもネタに使わせてもらって、恐縮です。でも、ほんとうに、他地域の様子がよく分かってありがたいのです。
 昨日の記事に載せてもよかったのですが、わたしの子ども時代は、九九を唱えることも、自由だったような気がします。強制されませんでした。
 わたしなど、『ああ。九九は全部覚える必要はないな。半分ちょっとでいい。』そう思って、ほんとうにそれしか覚えませんでしたよ。
 だから、8×3となっていても頭の中では、『さんぱにじゅうし』と、今でもやっているのです。別にこまることはありませんね。
 教員になってから、子どもに、『先生は、九九を言うとき、何でいっしゅんつまるの。』と言われたことがあります。それから覚えようとしましたが、大人になってからでは、基本的にはだめでしたね。
5. Posted by kei   2006年12月17日 22:16
 うちの夫(会社員)もバリバリ理系の人間ですが、「おれ九九全部言えないかも。困ることなんてないぜ!」と申しており、「更に公式の暗記なんでしなかった。」というので私はびっくりしました。toshi先生と重なりましたよ。
 参観者の表情という件については、実は同じ研究室の人が「俺は、どんなに偉大な研究家であっても、授業を見せてもらう時に、苦虫を噛み潰したような顔をしている人は認めない!」と豪語し大笑いしたことを思い出しました。それから研究会ではそっと先生方の表情を見るようになってしまいました。自分が尊敬する先生方はどなたも温かく子どもたちを見つめ熱心にメモを取っておられました。
6. Posted by toshi   2006年12月17日 23:35
keiさん
 そうですか。確かにわたしと似ているなあ。
 でも、もっとすごい子もいたのですよ。わたしの先輩のクラスの子なのですが、『九九なんか覚える必要ないじゃん。全部足していけばできる。』
 そう言って覚えなかったのです。
 先輩は、『そうか。そうだよな。じゃあ、Aちゃんは、これからも全部足し算でやれ。』
 2桁になって、やっとねを上げたそうです。でも、それから必要感をもって覚えましたから、ほんの数日で覚えてしまったそうです。
 なお、こだま先生のブログ『道草学習のすすめ』では、それとは別な意味での、九九暗記不要論が書かれています。もうお読みですよね。
 まだの読者の方は、どうぞ、お読みください。右のサイドバーのところでクリックしてください。
7. Posted by せきちゃん   2006年12月18日 03:30
この記事は,はるえもんさんのブログの記事からたどってきましたが,考えさせられてしまいます。
確かに,特別支援としての配慮から,「さんはち…」を容認することは,良いことだと考えます。

実は,わたしも2年生で,「ごはしじゅう」なのか「ごはよんじゅう」なのかで,迷ったのです。本市が採用している教科書には,答えにルビがなかったので……。
8. Posted by せきちゃん   2006年12月18日 03:31
続きです。
わたしの知り合いの先生方にメールをしました。本屋さんに行けば,名前を見る方々です。

調べてもらうと日本古来からの言い方だそうです。九九の唱え方は,日本の文化なのです。
わたしは,こういった文化を大切にしたいと考えています。
だから,基本は,「なな」ではなく「しち」何だろうと思います。しかし,全体指導の段階で,「しち」と指導し,子によっては,個別に「なな」を容認するようにしてきました。この見極めが,子どもを見る目につながりますが……。現在,クラスで暗唱が出来ない子どもは,あと1人。合格をした38人の子どもの中に,「さんはち」と言う子もいますし,「よんじゅう」もいます。

「しじゅう」じゃないとダメとは言いません。でも,文化を大切にしたいところから,わたしは,やっぱり「しじゅう」です。
もちろん,こんなわたしも「教科書で教える」派です。
9. Posted by POOHママ   2006年12月18日 20:30
「しじゅう」「でも「よんじゅう」でも
覚えりゃ、それでいい。
と私も思っています。
これぞ、個別対応ですよね。
しかし、なぜ「しじゅう」のほうがいいのかというと、
音の数が少ないから速いということ。
暗唱のように順に唱えるなら、
少しでも音が少ないほうが
全体が速く、大きな数に早く達する。
九九全段を暗唱する場合のみ有効
ってところでしょうか。
速さより、「し」と「しち」の混同を
防ぐほうが重要な場合は、
「よん」や「なな」でもいいのでは?
10. Posted by toshi   2006年12月18日 20:35
せきちゃんさん
 振り返ってみれば、わたしも、子ども時代、『なんで、しじゅうなんだ。そんな言い方、ふつうはしないではないか。』と思ったものでした。
 わたしも、2年生担任は、たった一回だけだったので、今、どう教えたか思い出せないのですが、日本の文化という認識はなかったですね。なるほど。文化ですか。
 そうすると、はるえもんさんの参観された授業の担任も、そういう意識で、こだわったのでしょか。でも、やはり、やり過ぎだと思います。
 全体で言うときは、特に指導しなくても、子どもたちは、教科書通りに言いますね。これは、やはり、家庭も真剣になっているからだと思いました。 一人ひとりが言うときは、やはりその子の言い方でいいと思ったと思います。わたしとしては、特にこだわった記憶はありません。
11. Posted by POOHママ   2006年12月18日 20:37
参観者としては、
どんなに楽しくない授業でも、
ニコニコして観ようと思っています。
やはり、子どもに不安がらせないため。
でも、たまにありますね、
どうしてもニコニコできない授業って。

先日、参観した去年の初任者の授業では、
思わず顔をしかめてしまいました。
(反省)
理由は、教材解釈が違ったために、
物語の主題へのせまりかたがまずかったこと。
でも、子どもに責任はないので、
頑張って作り笑顔・・・ばれたかなー。
「だれかー、先生につっこんでよー」
という気持ちでした。
12. Posted by toshi   2006年12月18日 21:08
POOHママさん
 九九については全面的に賛成です。なんか、ほっとする思いで読ませていただきました。
 『参観者としては』の方は、わたしは、こう思います。
 子どもだってつまらない授業はつまらないと思っているでしょう。子どもの思いに違和感のない態度でいればいいのではないか。それが自然でもあります。
 でも、子どもを奮い立たせようとしてPOOHママさんのように振舞うのも、すばらしいと思いました。 そう言えば、矛盾するようで、ごめんなさい。わたしもそのように振舞ったことがありました。
13. Posted by POOHママ   2006年12月18日 21:32
レスありがとうございます。

授業は、基本的に教師がつくるものと思っています。
もちろん、子どもたちの協力なくしてはできませんし、子どもたちが主体的に取り組むべきと思っています。
うまく表現できないのですが、
子どもたちが自分たちで作り上げるように
仕掛けていくのが教師の役目だと思うのです。
公式なんかは、そのまま教えず、
いかにも子どもたちが発明したかのように
授業をもっていきます。

私は参観者であっても、授業にテコイレすることがあります。
教室掲示にヒントや手がかりがある場合など、
子どもがそちらに目を向けたくなるように、
他の参観者に「いいものがあるね」などと
話しかけたり、
教科書を無視して悩んでいる子には
「ちょっと前のページ見せて」と
子どもの教科書やノートをめくったり・・・
もちろん、私自身がそれまでの過程を
知りたいのですが。
14. Posted by toshi   2006年12月19日 03:33
POOHママさん
《子どもたちが、自分たちで作り上げるように仕掛けていくのが、教師の役目だと思うのです。公式なんかは、そのまま教えず、いかにも子どもたちが発明したかのように授業をもっていきます。》
 わたしが、『教育の真髄』で述べたことと同一ですね。これは、自己教育力、生涯学習力を養うという観点で、大切なのですね。
 そうか。自己肯定感も入るでしょうね。人類が価値を創造してきた過程を、教室で再現しているとも言えましょう。
 研究授業中のテコイレですが、上記のように、子どもが自分で発見したかのように思うだろうテコイレなら、いいのですが、まるで、答えを教えてしまうようなテコイレもあり、これは問題ですよね。
 POOHママさんのような形なら、とてもいいのではないでしょうか。
15. Posted by ターシャ   2006年12月20日 12:16
はじめまして。
九九の覚え方って、日本全国共通なんでしょうかね?それぞれの地方で、それぞれの覚え方があったら楽しいと思うけど。海外ではどんな覚え方をしているのでしょうね。そんなことを調べてみるのも面白いかもしれません。
それはさておき、
「正しい言い方ではないけれど、特別支援の配慮から」「容認」された子と、「いい発明だね!」と「賞賛」された子、どちらが自己肯定感に寄与するか・・・これは明白だと思います。
せきちゃんさん、気を悪くされたらごめんなさい。人と同じように出来ない自分と毎日折り合いをつけてゆかなければならないタイプの子どもは、勢い周囲の評価に敏感です。小さな一言が大事だと思うのです。
toshi先生、私も8×3は『さんぱにじゅうし』です。今九九を暗誦しろと言われたら、なんども詰まってしまいそうです。
16. Posted by toshi   2006年12月20日 21:00
ターシャさん
 わたしも、自己教育力、生涯学習力、自己肯定感といったものを大切にする教育を常に意識しています。いかに子どもをその気にさせるかが大切という思いです。
 周りの目を気にするとか、こんなことを言ったらどう思われるかとか、そういうことを気にする子どもが多過ぎます。何とかしたいですね、
 一瞬つまるというのは、8×3を、『はちさん・・・』で出るならつまらないのでしょうが、頭の中で、『さんぱ』と置き換えているからつまるのですね。ほんの一瞬のことで、0.2か3秒くらいのことだと思うのですが、子どもはよく分かるものです。
 ああ。たかが掛け算。しかし、いろいろな考え方があるのですね。勉強になりました。
17. Posted by せきちゃん   2006年12月29日 02:10
せきちゃんです。
ターシャさんへ
気を悪くは,しませんよ。(笑)
個に対する配慮は,大切ですから……。
ただこのことで,わたしも学校でもめましたから,過剰反応かもしれません……。

http://blog.livedoor.jp/sekichan7_com/archives/50551917.html

でも,地方での言い方の差は,あるみたいですよ。
関西,にじゅうよん,よんじゅう は,多かったです。

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