2006年12月23日

教員の表情も大切ですよ。4

a91ec910.JPG 前々回、『子どもの表情に着目する』という記事を掲載した。すると、山田 正さんから、『子どもだけでなく、教員の表情も大切ではないか。』とのご指摘をいただいた。
 もちろん、おっしゃる通りだ。『教育は人なり』とも言う。教員の一挙手一投足が、子どもの心をゆり動かす。そういう側面は確かにある。

 そこで、今回は、このテーマで書くことにする。


 校長時代、子どもの登校時、わたしは門や昇降口に立って、子どもを迎えることが多かった。
 最初は、子どもとふれあうため、自分の意志でやっていたが、後半は、安全対策上、欠かせないこととなった。

 ある年、一人の子が、『校長先生。校長先生はどうしていつもにこにこしているの。』と、声をかけてきた。声をかけてくれる子はめずらしくないが、こんな質問は初めてだったので、ちょっとどう答えたものか、一瞬考えこんでしまった。

 たぶん、『そうだなあ。こうやって門に立っていると、張り切って楽しそうに登校してくるみんなと会えるでしょう。そういうみんなの顔を見ていると、こっちもつりこまれて、みんなの心がのり移っちゃって、ついにこにこしてしまうのだよ。』と答えたのではないかと思う。

 実際、朝、どんなにいやな事態が起きても、子どもの表情を見れば、幸せな気分になってしまう。ほっとしてしまう。子どもの、純朴、明朗、弾む心、そういったものから、わたしは若さをもらっているのだと思った。


 そんな話をしていると、何人かの子が寄ってくるが、『ふうん。ぼくもね。校長先生が朝、門に立っていると、にこにこしちゃうよ。』などと言ってくれる子もいた。

 そのうち、『校長(こうちょう)先生。今日も、校長(こうちょう)先生は、絶好調(こうちょう)。』などと言ってくれる子まで現れた。この子は得意になって連日言うので、これが朝の挨拶となった感があった。

 ひょっとしたら、わたしも、子どもたちに、何かを与えているのかな。そんな思いにもなった。


 担任時代も子どもから言われたことがある。

 「toshi先生は、単純だから、『あ。喜んでいる。』とか、『あっ。怒っている。』とか、すぐ分かっちゃうのだよな。」
「そうだよ。toshi先生が言いたいことだって、すぐ分かっちゃうよ。」

『ぼくたちは、人の心を読むことができるのだ。』って言いたいのかと思うくらい、誇らしげと言うか、逆に、わたしを小馬鹿にしていると言うか、そういう言い方におかしくなってしまった。
 わたしは、単純明快、自分の気持ちが伝わりやすくなるようにするのを大事にしていたから、子どもたちがそのように感じ取っているのを、とてもうれしく思った。


 次は他校の音楽の研究授業を見に行ったときのことだ。ふつう、研究授業と言えば、整った身なりが常識だと思うが、その方はなんと、運動着のままだった。しかし、ピアノの腕はすばらしい。そのギャップが何ともおかしかった。
 曲想にあった身のこなし、そして、表情。・・・。そうした点はよかったが、気になったのは、口の悪さだ。

「何けちけちしているのだ。もっと大きく口を開けて歌え。」
「へたくそ。声が下がっているぞ。」
まあ、その他、いろいろ。
 
 でも、担任がにこにこしているものだから、子どももとても楽しそう。口汚くののしられても、子どもたちの表情は変わらない。変わらないどころか、いっそうにこにこして、担任が言う通りの、すばらしい声を出すようになる。担任にののしられることが、何よりも幸せといった、なんとも不可解な空気が教室を支配していた。
 
 歌声も、ほんとうにすばらしかった。魅惑的と言ってもいいくらいだった。たまにピアノを離れ、子どもの前に立って指揮をしたが、その指揮がまた、表現力豊かで、子どもとの一体感がすごいと思った。


 後で、講師の講評がふるっていた。
「いやあ。紙に書かれた授業記録だけ見ると、これは、何ともひどいです。子どもをののしる言葉に満ちあふれています。人権問題にもなりかねない。・・・。しかし、いい授業でした。子どもたちのいきいきとした表情。担任と子どもとの呼吸がぴったりでした。子どもの表情を見ていると、先生への信頼、先生との一体感が感じ取れました。
 
 先生も、口の汚さとは別に、いきいきとした表情や弾むような身のこなしで、子ども大好きと言った気持ちを表現していました。・・・。授業としてはすばらしかったのですが、ここには若い先生が大勢います。どうぞ、口の汚さは絶対まねなさいませんように。」
そう言って、参加者を笑わせた。

 念のため、わたしも注釈を加えたい。口の汚さ。これはだめだ。とても、許せるものではない。しかし、本稿では、教員の表情がいかに大切かを言いたいので、掲載することにした。


 以上、教員の豊かな表情はとても大切だ。特に、子どもが小さいうちは、よけい表情豊かでなければならないだろう。小さい子は、言葉よりも、感情から感じ取る部分が大きいからだ。


 今、初任者指導に携わっているわけだが、先日も、一人の初任者に言った。

「先生が、子どもの前で、実に表情豊かになった。とてもいい。
ずっと前のことで恐縮だが、わたし、先生に言ったことがあるな。『子どもの前で表情がない。話す言葉も一本調子で、メリハリがない。』
 
 でも、今の先生を見ていて、そんなこと、ぜんぜん思わない。
 
 先生が、子どもをほめるとき、じつにうれしそうな顔をする。手や体全体もよく動いて、うれしさが伝わる。
 その上、そういうとき、声も、なんか、一オクターブくらい高くなるな。それだけではない。感極まってだろう。先生の声がひっくり返ることがある。それが実にいい。子どもの心に、先生の感じたうれしさが、しっかり伝わっているはずだ。」


 教員はある意味、子どもの前では、役者でなければならない。演技力も必要だ。
 今、この子の成長のために、ほめること、感動することが大切と思えば、全身で喜びを表現する。オーバーなくらいでちょうどいい。

 教員の豊かな表情は、何より子どもに安心感を与える。
 無表情は、無関心に通ずる。

 かつて、個別支援級の子どもが寄りつかない教員を記事にしたことがあった。それなどは、おそらく無表情で、子どもからすれば、とっつきにくい先生、何を考えているのか分からない先生というイメージがあったのだろう。

 
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 昨日も、驚いてしまいます。1年生の子どもに、『校長先生。』と呼び止められてしまいました。『ええっ。校長先生ではないよ。』そうしたら、そばにいる子。『そうだよね。校長先生ではないよね。教頭先生でしょう。』もう、おかしくて、おかしくて、わたしは足をばたばたさせながら、『校長先生でも、教頭先生でもないの。』
口をとんがらせて言い返しました。
「じゃあ、何先生なの。」
「toshi先生です。」
「ふうん。何しているの。」
「先生になったばかりの先生と一緒に、お勉強しているのだよ。」
「ええっ。勉強しているの。・・・。なんか、変だね。」
「・・・。」
「おしっこ?」

 そう。この会話は、まさにトイレに入ろうとするわたしと、子どもとの会話だったのです。現在、1年生との接点は、何もないのですけれどね。

 今年最後の子どもとのやり取りは、なんと、『おしっこ?』でした。
 
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rve83253 at 11:15│Comments(6)TrackBack(0)子どもと管理職と | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by 七星 来人   2006年12月24日 13:15
表情は大切ですね。その意味では女性の方が有利かもしれません。男性の場合ぶっきらぼうな人が圧倒的に多いですから。
表情ですけれど、性格的なものもあるでしょうが、日常的に意識していると、それがその人の表情になるように思っています。
訓練と思って続けることが結果的によいように思います。
2. Posted by toshi   2006年12月25日 11:06
七星来人さん
 《女性の方が有利かもしれません。」》
 これは、初任者指導をしていても、常々感じています。男性は、こういう点、だめなケースが多いですね。何をかくそう。このわたし自身が、若いときそうでした。
《訓練と思って続けることが結果的によいように思います。》
 これももう、おっしゃる通り。逆に言えば、訓練するしかないとも言えますよね。
 自分が結婚し、子どもを持って自然にうまくいくようになるということもあるかもしれません。
3. Posted by 山田   2006年12月25日 14:42
toshi先生、こんにちは。山田正と申します。とても参考になる記事、本当にありがとうございました。

私が講師研修を担当していたころ「笑顔」の重要さを伝えるのに苦労しました。心から笑わないと「笑顔」は出てきません。心から語らないとウソは絶対にバレます。先生の記事にあったように、教師に「構え」があると「本当の笑顔」は出てこないようです。講師にはたびあるごとに教師の偉人である国分康孝先生の著書を勧めています。
toshi先生、ブログ運営応援&楽しみにしております!
4. Posted by toshi   2006年12月26日 07:20
山田正さん
 よく言いますよね。顔は笑っていても、目が笑っていないなどと。
 先に、『教員にも演技が必要』と書かせていただきましたが、わたしは、子どもの世界にのめりこむ心があれば、大丈夫と思っているのです。
 大人の世界にこだわっている人はだめですね。子どもの世界を見下ろしているような感じの人です。
 わたしも、若いころはだめでした。教育に悩み、苦しみ、30代半ば、修行時代があったのですが、それから、これができるようになりました。そのとき、思いました。『ああ。これが、ばかになることか。』そうすると、それまでいかに自分にこだわっていたかがよく分かりました。
5. Posted by kei   2006年12月30日 21:47
toshi先生の書かれた「子どもにのめりこむ」と大丈夫というのがぴったりきます。演技は所詮演技で、子どもたちはポーズを見抜くと思うのです。心から喜んだり、驚いたりできるといいですよね。
 toshi先生、来年度もよろしくお願いします。
6. Posted by toshi   2006年12月31日 10:35
keiさん
 演技力と言うと、なんか誤解されそうで、いつも気になるのですが、わたしは、これは必要と思うのです。
 そうか。演技力と言うと、『心、そこにあらず。』でも、それらしく振舞うという意味になってしまうのでしょうかね。
 確かにそういう意味だと、むなしくなることもあるでしょうね。
 わたしの言う演技力は、『心をそこへ持っていく』と言ったらいいのでしょうか。役者さんも、いかに演技する人物に自分自身をもっていくかに意を砕くようですよ。
 教員の場合、そうしているうちに、子どもにのめりこむ資質が身につくように思うのですが、でも、これ、人それぞれでしょうね。わたしの場合、そうだったということだなと、今、あらためて、思いました。
 わたしも、今年1年のご厚誼に感謝します。どうぞ、来年もよろしくお願いします。

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