2006年12月25日

現代仮名遣いの百人一首は?3

54dde339.JPG 今日の記事は、ややむきになって書いているが、たいした話題ではない。お正月も近いことだし、気軽にお読みいただければありがたい。

 先日、かけ算九九の唱えについて、『さんはちにじゅうよんでもいいではないか。』という記事を書いたところ、『九九を唱えるのは、日本の文化です。』というコメントをいただいた。基本的には、『さんぱにじゅうし』で教えるべきだとおっしゃっていると思う。

 わたしは、『うううん』と、心の中でうなってしまった。九九を唱えることが、日本の文化とは。

 文化なら、やはりそう教えるべきなのだろう。しかし、わたし自身、コメントで書かせていただいたように、満足に言えはしない。もちろん、ゆっくりなら、言えるけれどね。

 ここで、『九九を唱えることが、文化と言えるのか。』論争しようとは思わない。


 実は、このことを通し、わたしは、自分の子ども時代の、我が家の百人一首を思い出したのである。


 わたしが、小学校中学年くらいのときだっただろう。父が、百人一首を買ってきた。それからというもの、我が家は、正月というと百人一首一色となった。子ども心に、意味は分からないが、言い回しのおもしろいものなど、得意札もできた。
『なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すごしてよとや』
「『よとや』だって。よとや、よとや。」
などと言っておもしろがった。

 あるとき、このカルタを使って、兄妹で、郵便屋さんごっこをやった。

 当時は、郵便受けなどある家はめずらしく、だいたい郵便屋さんは、『ゆうびんでえす。』とか、『はい。ゆうびいん。』などと言っては、玄関に投げ込んでいた。それをまねて、カルタを投げていたわけだ。

 当時の家は、戦後、焼け野原にできた掘っ立て小屋のようなもの。まあ、それよりはましだったかもしれないが、とにかく、すきまだらけの家だった。そのため、投げたカルタが軒下に落っこちてしまった。
 さあ、大変。拾うこともできない。

 父が仕事から帰ってきて、怒られた。怒られた。

だから、軒下に落としてしまった歌も、忘れもしない。
『かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもいを』
おかげで、以後、これも得意札の仲間入りをした。

 
 父にこっぴどく叱られたのには、わけがあった。

 父はさんざん苦労し、現代仮名遣いの百人一首(リンク先では、下の方に写真が載っています。)を探し回り買ってきたのだ。兄妹3人のことを考え、いわゆる教育的配慮のもとに、探し回ったのだろう。

 
 ところで、それから数十年後、わたしたち夫婦の子育て期、わたしも、現代仮名遣いのカルタを買おうと思った。もう、自分の子どものときのカルタは、よごれによごれていたし、第一、自分が落としたのだが、一枚欠けたものでは、満足できなかった。それこそ、教育的配慮だ。
 
 しかし、残念なことに、いくら探し回っても、もう、どこにも売っていなかった。『けふここのへに』『ころもほすてふ』ばかりだった。やむをえず、旧仮名遣いのものを買った。


 わたしは不思議な気がした。自分が、現代仮名遣いの百人一首で育ったからだろうが、なぜどこにも売っていないのだろう。売っていないということは、売れないからだろうが、それなら、なぜ売れないのだろう。だいたい、前述の、『ころもほすてふ』など、子どもは読めるのだろうか。

 
 言うまでもないが、戦前、旧仮名遣いは、生活とともにあった。以前掲載した、亡母の育児日記は、すべて旧仮名遣いで書かれていた。教科書だって当然、旧仮名遣いだった。

 戦後は、新教育といわれる民主主義教育の世となり、生活から旧仮名遣いは一掃された。法律だって、日本国憲法を筆頭に新たに制定されるものは、すべて口語文となった。
 だから、現代仮名遣いの百人一首が売られるようになったのは、きわめて自然な流れだったと言えよう。父は、それを探すのに苦労したようだが、それは時代を先取りしている気分だったに違いない。やがては、すべて、現代仮名遣いの百人一首に統一されると思っていたのではないか。


 さて、先に、現代仮名遣いの百人一首がないのは不思議と書いたが、カルタだけは、『旧仮名遣いの方が、気分がでていい。』と、そう多くの人が考えたからだろうか。

 
 ここで、冒頭の、日本の文化論となるのだが、思いは複雑だ。現代仮名遣いの百人一首は、日本の文化とは言えないのだろうか。もっと言えば、現代仮名遣いの百人一首は、日本の文化を壊すものなのだろうか。

 いったい日本の文化とは何なのだろう。


 話は変わるが、わたしが子どものころ、まだ尺貫法は生きていた。算数の教科書には、『一尺≒30僉戞悵豐屏癸隠牽悪僉戮覆匹載っていた。学習内容だったのである。

 ああ。それなのに、尺貫法はまったく一掃されながら、旧仮名遣いが、百人一首の世界で生きているとは。

 旧仮名遣いは日本の文化だが、尺貫法は違うのかな。


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 ああ。冒頭述べたように、やや向きになり過ぎました。たいした話題ではないのに、申し訳ありません。
 
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1. 写真を素敵な絵本に!贈り物にも最適!  [ 子育て育児総合情報バンキング! ]   2006年12月25日 05:54
思い出は素敵な形で残したいですね。

この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年12月25日 20:20
「文化」をウィキペディアでみると

「文化(ぶんか、culture)とは、人間が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す」

長年の定義次第でかわってきますが、人の振る舞い
の集大成という意味なら、全部文化といってよくなります。

ただ、私はそこに「人が生きている思い・情念」が無いと文化とはいえないと思うのです。

百人一首には、そこで遊ぶ昔の人の思いがやどる
同様に携帯の絵文字も現代の若い子の思いがこもっています。

どっちも文化だと、私は思う。

サンパ、ニジュウシ、はどうだろうね

そこには何の思いも感じられない
昔はあったのかもしれないが、もう微塵も残っていない。

これは文化ではなく、ただの繰り返しなだけだと私は思うな

意味も、思いもない、ただの繰り返しは、
無意味に繰り返すのは、思考停止の始まりなだけ

私はそう思います
2. Posted by toshi   2006年12月26日 05:27
Hidekiさん
 なるほど。《人が生きている思い・情念》ですか。ストンと落ちるものがありました。ありがとうございました。
 九九への理解は、わたしも、Hidekiさんと同じです。ただ、これを文化という人は、調子のよさなどに、情念を感じているのかもしれません。
 また、情念だから、矛盾はあっていいのでしょうね。多くの人が好むこと、懐かしむこと、それが文化であり、理屈はいらないのかもしれません。

 
3. Posted by toshi   2006年12月26日 05:42
先に記事にさせていただいた、『ウェブ進化論』に、このウィキペディアのことも出てきます。
 誰もがこの編集作業に参加できるのです。つまり、編集業務が開かれているのです。
 ですから、我々も、この内容を加除修正することが可能です。それは、逆に言えば、自分が書き込んだ文章も、他人によって加除修正される可能性があるということです。
 そこで、Hidekiさんがおっしゃる《人が生きている思い・情念》を付け加えましょうか。わたしは、そうしていいと思いました。
 専門の方が、数千人(この数字は『世界中で。』ということだったかもしれません。)常に、加除修正箇所の点検をしているとのことですから、その点は安心してやれるなと思いました。
 
4. Posted by POOHママ   2006年12月26日 09:44
尺貫法も文化でしょう。
畳生活とか、和服とかも。

でも、現代の日本の学校は
欧米化生活しやすいように設計され、
(畳のない学校が多いのでは?)
時間的な感覚も、和文化に合わない。
(5分、10分きざみの活動が)
働き蜂的な生活が求められる中で、
和文化の取り入れは難しいように思います。
それこそ「ゆとり」がないと。

あっ、和の文化って、
おしとやかだったり、ゆったりしたり、
丹精こめてとか、五感を研ぎ澄ましてとか、
落ち着いていたり・・・

もしかしたら九九も、
手まり歌とかお手玉歌とかと同じように
節や言葉遊びを楽しむ文化なのかも。
でも、ノルマがかかると、
文化なんて楽しんでられませんよね。


5. Posted by toshi   2006年12月27日 07:13
POOHママさん
 ちょうどPOOHママさんのコメントを読んでいるとき、テレビのニュースが、注連縄の長さを4寸と言っていました。『あらら。尺貫法は今も生きているな。』そう思いました。とすると、おっしゃる通りやはり日本の文化ですね。
《もしかしたら九九も、手まり歌とかお手玉歌とかと同じように節や言葉遊びを楽しむ文化なのかも。》
 どうなのかなあ。そうだったのかなあ。聞いたことはないけれど。Hidekiさんもそういうことをおっしゃっているのかなあ。
6. Posted by POOHママ   2006年12月27日 22:29
個人的には、
和文化大好きなんです。
成人式と短大の卒業式の年が同じでしたが、
親に「成人式の衣装はどうする?」
と聞かれたときに、
「採用試験に合格したら、
 はかまにして」
とお願いしました。
それを、昨年、一昨年と2年続けて
卒業式で着ました。
(その前にも何度か着ていますが)
和服は準備も始末も大仕事なので、
(時間的にも、経済的にも)
普段はなかなか着られませんね。

最近は、スローフードなど、
ゆとりの必要性も説かれていますね。

文化って、過程も大切にできると思います。

7. Posted by toshi   2006年12月31日 09:49
POOHママさん
 お返事が遅れ申し訳ありません。遅れたわけは、今日記事にします。
 卒業式での、女性の先生のはかまはとてもいいですね。雰囲気を盛り上げてくれます。
 最近は、女子児童のはかま姿も見られるようになりました。最初は驚きましたけれどね。
 和文化。確かに大事にしたいですね。

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