2007年01月04日

温故知新(2)2

f8cac56f.JPG 本日の記事は、先の、温故知新(1)の続きである。それをお読みでない方は、まずそちらを先にお願いしたい。

   温故知新(1)

 先の、記事において、

『教科主義の旧教育がよいか生活中心主義の新教育がよいかという考察をし、』
と、
『文部省でも社会科によって、教科の一部をこの方(生活中心主義の新教育)へ切り変えた。』
とあることを、紹介した。

 
 これがそのまま、先人たちの苦しみ、悩みとなっていく。


 今日の記事は、そのあたりをとり上げてみたい。

 
 まずは、新旧の特徴を述べてみると、


 教科主義の旧教育は、

1. 教科書中心の学習
2. 学術の修練によって将来必要となる能力を与えようとする知識伝授教育
3. 成人社会を対象とする。そこには、文化を推進した学問、技術があり、それが教材となる。将来のために必要なものとして編成される。
4. 学術を生活化
5. 講演主義、教師中心の教授

となり、

 (子どもの)生活中心主義の新教育とは、

1.児童の生活経験を調査し、社会の実体を把握して、自ら作った単元により行う学習
2.人間性を尊重し、個性を伸ばし、文化国家、民主的平和社会の建設を期する有能な人間形成のための教育
3.子どもが直面する生活上の課題を、その生活の事実のなかから求めて、教材として組織し、単元として構成される。
4.生活を組織化
5.児童の学習動機を刺激し、その欲求を導くことにより、児童の手で、児童自身の活動によって学習させ、生活させようとするもの

となる。


 この転換は、大変な問題点を抱えていた。

1.先に述べたように、新教育の精神は社会科が背負った。社会科のねらいはそのまま新教育のねらいであり、社会科の性格、内容、その指導法がつかめれば、自ら新教育の全貌を明らかにすることができる。
 
 ところで、社会科はそのように大きな変貌を遂げたものの(従来は、修身公民、地理、国史)、他の教科は、在来の領域を墨守している。

 そのため、社会科は、他教科とあまりにも多くの交錯を生じることとなった。子どもの生活上の課題が、一社会科のはんちゅうにとどまるはずはないからである。
 どこまでを社会科とし、どこから、理科とするか、あるいは家庭科とするかで、技術上の困難と混乱を招くこととなった。

 あえて、どの教科も、生活学習の方式によって単元組織をするとなると、生活経験をいくつかの教科目標にそって細断しなければならない。そして、それぞれが、莫大な分量の学習内容をもつことになってしまう。


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 本日は、記事途中といった感じになってしまいました。続きは、できるだけ早く記事にします。
 本日記述した困難、混乱を克服すべく生まれたのが、コアカリキュラムの考え方です。
 それが、現在の総合的な学習と、どう違うか、あるいは同じか、その点を次回述べてみたいと思います。

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    温故知新(3)へ続く。

rve83253 at 23:59│Comments(0)TrackBack(0)コアカリキュラム | むかし

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