2007年01月14日

意味づけ、価値づけ(1) 教材研究から3

a65730db.JPG 標題については、かつて、校長の仕事(1)として、記事にさせていただいた。『校長の仕事は、意味づけ、価値づけがいかにできるかということ。』という趣旨だった。

 しかし、意味づけ、価値づけは、何も校長に限ったことではない。担任の学級経営においても、子どもに何を語るかは、大変大事である。子どもをほめるにしても、叱るにしても、どんな観点をもってそうするかにより、子どもが伸びるか否かは、決定的に違ってくるとも言えよう。


 今日は、わたしがそれを学ばせてもらった事例を書くことにする。

 そのときは、6年生の担任だった。高学年は音楽科、家庭科専科がつくので、その時間はあき時間になるのが通例だが、そのときは、校内体制の問題から、どちらの専科もいないことになってしまった。その年だけ、図工科専科がおかれた。

 最初の学年会である。A先生との話。
「こまったわ。わたし、家庭科はともかくとして、音楽の授業はとてもできない。どうしよう。」
「そうか。それなら、わたし、若いときは自分で音楽の授業もやっていたから、A先生のクラスもやろうか。」
「えっ。ほんとうですか。いいのですか。・・・。うわあ。うれしい。助かります。・・・。それなら、わたし、toshi先生のクラスの家庭科をやります。」

 一件落着したかのように見えたが、こまったこともあった。家庭科も音楽も、当時は週2時間だったから、時間数的には問題なかったが、家庭科は2時間続きが通例なのに対し、音楽に、それはありえないからだ。結局その点については、運用の問題として、いろいろ工夫しながらやることにした。子どもにとっては迷惑なことも多々あっただろう。


 そのときの我がクラスの家庭科は調理実習だったから、これはもう、2時間続きでやるしかなかった。
 
 その終わりころ、我がクラスの子が、
「toshi先生。できましたから、家庭科室へ来てください。」
「そうか。できたか。うわあ。楽しみだな。」

 みんなが迎えてくれる。指導してくださったA先生も、にこにこしていた。
わたしが食べさせてもらう班はすでに決まっていた。

 「いただきまあす。」

 「toshi先生。どう。おいしい。」
「うん。おいしいよ。・・・。よくできた。」

 「よかった。・・・。ねっ。」
うれしそうな顔。

 そうしたら、A先生が、わたしのいる班に来て味見をした。

 その言葉がすばらしかった。
「そう。ああ。これでいいわ。・・・。この包丁の入れ具合が、ちょうどいいの。だから、味がよくしみて、おいしくなるのよね。〜。」

 そこから、何やら、子どもたちとの会話が始まった。
 もう細かいことは忘れてしまったが、味をめぐって、専門的な話が続いた。

 専門的というのはおかしいだろう。わたしがあまりに知らなさ過ぎるということであって、彼らにとっては、きわめてありふれた、ふつうの話だったに違いない。

 わたしとの話でも、子どもはうれしそうにしてくれたが、もう、A先生とは、会話がはずんで、ほんとうにおいしそうに食べていた。


 これは何を物語るか。

1. もちろん教材研究の大切さだ。

 教材研究は何のためにやるか。学習内容の把握のため。指導法を身につけるため。それはそうだが、もっと大切なこと。それは、子どものどんな反応にも、的確に対応できるようにするためではないか。
 
 よくたとえられるが、氷山は、氷塊の一割程度が海面に出ているのだという。他は海に沈んでいて見えない。
 教材研究は、氷塊でなければならない。それにもかかわらず、実際の授業でとり上げられるのは、氷塊の一割(もちろん、二、三割だっていい。)だ。

2.次が、ここで言いたい、意味づけ、価値づけの大切さだ。

 ほめられれば、それは、子どもはうれしいだろう。しかし、どうほめるかは、うれしさの度合いに、かかわるに違いない。
 おざなりなほめ方と、子どもの心をつかんではなさないほめ方。
 『すごい。』とは言うが、何がすごいのか分からないようなほめ方と、具体的で、明確なほめ方。
 
 後者の方がいいに決まっている。

3.最後は、そのすばらしさに気づく心だろう。

 A先生は、わたしのほめ言葉が、物足りなかったのではないか。もっとほめてやりたいと思ったのではないか。それで、わたしのいる班まで、足を運んでくれたのだ。そう思う。


 わたしは思う。それが、子どもを伸ばすか否かに決定的にかかわるのだと。

 教材研究は、子どもをほめるため、具体的にほめるため、それを通し、真に子どもを伸ばすために行うのだろう。別な言葉で言えば、、子どもの行為、言葉、心を、どう、意味づけ、価値づけるかということになる。


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 教え込みにおいては、教材研究と、見える氷塊が一致していていいはずですね。自分が知っていることを教えればよいのですから。

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rve83253 at 16:10│Comments(4)TrackBack(0)指導観 | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2007年01月15日 05:41
具体的でわかりやすいお話。ありがとうございました。
ただ誉めるのではなく、その意味づけ、価値づけが大切。
そうですよね。大学院に来てもそれは切に感じるところです。

教材研究の大切さと同時に、子どもを見取ることの深さ、難しさ、面白さを感じました。
2. Posted by きゃる   2007年01月15日 19:20
意味づけ、価値づけのできる先生と
そうでない先生の違いは何でしょうか?
私は、育てたい力の明確化、細分化ができているかどうかだと思います。
「きちんとした評価規準」がないと
子どもへのほめ言葉も限られてしまいます。
3. Posted by toshi   2007年01月15日 20:48
hirarinさん 
 具体的で分かりやすい話だったとは思いますが、教材研究というには、あまりにつまらない話だったなと、今反省しているところです。
 意味づけ、価値づけについては、本当に大切と思います。その深み、掘り下げなどで、子どもが育つか否かが決まるくらいに思います。
4. Posted by toshi   2007年01月15日 20:52
きゃるさん
 そうか。「きちんとした評価規準」。それは確かに大事ですね。
 ただし、評価規準とともに、個に応じるというか、個人内評価の観点をもつことも大切ですね。前よりこの点で伸びた。逆に、伸び悩んだという観点でも、意味づけ、価値づけはできそうです。

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