2007年01月15日

温故知新(6) 父の実践 その25

e87d123f.JPG 本記事は、温故知新(5)の続きです。まだお読みでない方は、それからご覧ください。
温故知新(5)

 申し訳ないが、父の実践にふれる前に、いくつかの補足をしたい。


1. 今、若い方々は、電車ごっこのイメージを持てるのだろうか。と言うのは、わたしが教員になってから、子どもがこの遊びをしているのを見たことはないからだ。

 でも、わたしが子どもだったころ、これはきわめてポピュラーな遊びだった。

 歌まであるくらいだ。『電車ごっこ』という歌である。

1 運転手は君だ 車掌は僕だ
あとの四人は 電車のお客
「お乗りは お早く 動きます」チン チン

 父の実践に、この歌が出てこないのは、不思議でならない。・・・。未分化な子どもたち。コアカリキュラム。・・・。この歌を歌いながら、電車ごっこをした子もいたのではないのかなあ。

 この歌の、『チン チン』は、我が地域では、当時、市電を、『チンチン電車』の愛称で呼んだ。発車などの際に、車掌が紐を引くと、『チン チン』と音がしたのだったと思う。


2.今の生活科と、このころの社会科は、ほぼ同じとらえと言っていいのだが、生活科に、『ごっこ遊び』はない、・・・と思う。あくまで実体験を重視するということ。この単元なら、実際に切符を買って電車に乗るという活動になる。


3. 今日の記事に出てくるが、このころは、一学級60人だったのだろうか。わたしが入学したとき(昭和26年)は、55人学級だった。
 わたしの経験では、一人の先生が療養休暇に入ったときは、学級を分割し、他学級へ割り振った。代わりの先生がいなかったのだろう。そのときは、一学級70人を超えた。


4. わたしが初任だったころ、本実践に似た授業を見たことがある。
そのとき、車掌役は、車掌の帽子をかぶっていた。そして、次の子の番になったのだが、帽子が気に入っている前の子は、わたそうとしない。帽子の奪い合いになった。それを見た担任は怒って、『けんかごっこじゃないのよ。』と言い、帽子を取り上げたっけ。けんかこそ、指導のチャンスなのに、・・・、また、指導のねらいでもあるのに、・・・、本実践とえらい違いだ。


5.身幹順とは、背の順ということだろう。また、イロハ順とあるが、これは、出席番号順ということだろう。当時、わたしが入学したときも、わたしの学校は、イロハ順だった。


5. 現代的な考えだが、『ああ。コアカリキュラムは、いじめ対策にもなっているなあ。』そう思う。


 それでは、当時の子どもたちの、いきいきとした活動を、ご覧ください。




下 単元展開の記録

1. 導入

 この単元は、児童の生活そのままの状態から出発できるものであるし、その活動が、どの児童にとってもきわめて興味あるもので、その活動意欲を満喫できるものであり、その経験に即しているものだから、導入のためのことさらな努力はいらないという見込みである。

 けれども、興味関心をいっそう強めるために、この単元に入ろうとする数日前から特に乗り物に対する刺激をしておいた。夏休みに電車に乗ってどこかへ行ったことを話し合ったり、電車の絵をかいたり、C橋から見下ろして電車や自動車を数えたり、(算数の時間に)自動車が三十台通るまで見ていようと言ったりした。
 また、朝礼のすんだあとや、休み時間、運動会の練習のあとなどに、校庭を一列や二列の縦隊でぐるぐる歩き回るとき、私は先頭に立って、思いっきり大声で、『ポーポー』と言った。必ず後ろの方で、『ピリピリッ』とか、『ガタコンガタコン』と聞こえたりした。六十人の子が数珠つなぎになって、ポーポーを連発しながら、校外を散歩したこともあった。
 私は、そういう機会を多く作りながら、『電車ごっこをしようよ。』と、言われたり言ったりした。二度、三度重なると、『先生。また、ポーッと言いなよ。』と言われることが多くなった。こうして、こんな素手の電車では物足りなくなってくるようにしむけていった。

2. 電車ごっこの活動

イ 第一週

 給食物資梱包の縄を一かかえ持って校庭に出た。「ポーッ」と叫んで呼ぶと、ぞろぞろと集まって、さっそく電車ごっこに取りかかる。

(1) まず希望者のグループで始める。
 「誰とでもいいから、5・6人ずつ組を作りなさい。」と言って、数人ずつ並ばせる。「どんなやり方をするの。」と聞くと、思い思いのことを言う。あまり枠付けしないほうがよいと思って、きわめて自由に、自然に始めさせた。
 そのうちにあちこちで、けんかをする子、泣く子、とんできて告げ口する子、やめてしまう子などができた。この日は、いったいどんなことをするのだろうというのが私の見どころだ。どんなやり方でもいい。どんな問題が起こってもいい。そのなかから、指導のチャンスと、材料がわき出てくるであろう。始めてからいくらもたたないうちにひどく乱れてしまったので、その日は二十分ばかりでやめて教室へ入った。

(2) 二日目からはけんかの仲裁である。
 今日も、あちらでもこちらでも、けんかしたり泣いたり騒いだりが多い。そのつど、その組のところへとんでいって理由をただして、どうすればいいのだろうかと考えさせる。

 〇足をふんだ、押した、突いたという。縄が短いからだと気づかせて長くする。
 〇運転手になりたくて争奪戦となる。交替制をとるように相談させて解決する。
 〇早くしろ、おそくしろという文句が出る。おそい人がこまらないようにと考えさせる。
 〇あっちへ行け、こっちへ行けと言い張ってけんかとなる。わがままを言わないようにする必要を感じ取らせる。

 こうして第一週はけんかの仲裁だけで終わった。なぜけんかになったか、という追求をすることによって、けんかをしないように、けんかにならないようにすることを研究しあった。

ロ 第二週

(3) 仲間はずれをしないようにさせる。
 行動の遅い子をのけものにしようとする。勢力ある子が、気にくわない者を出そうとする。ボス的な子が横暴する組には、故意に行動の遅い子を入れさせて、よく注視した。

(4) いやがる子をなくそうと努める。
 いつも少しきりしない子、全然しようとしない子がある。そういう子を集めて私は一緒にやった。それからあと、この子たちを適宜うまくいっている組に一人ずつ仲間入りさせてもらった。

(5) 交代の仕方を研究する。
 うまくできる組は上手に交替している。そういう組を激賞して交替の方法を説明させて、交替の仕方を工夫した。

(6) グループを身幹順に固定した。
 始めるとまもなくやめてしまってまりつきを始めた。聞いてみると、一人がよそうと言ったらみんなが同調したと言う。やや倦怠をきたしたなと知った。その翌日から、希望者の組を作ることをやめて、身幹順にグルーピングした。同じ状態を繰り返すのはいけなかったのだった。子どもらが自分でマンネリズム化を防ぐことはできないのだった。

ハ 第三週

 どの組もだいぶけんかをしなくなった。整然とやっている組が多くなってきた。縄はいくども切れたのでこぶだらけになってしまった。家に縄があったから、と言って自発的に持ってきた組があった。そこで相談して麻紐を買うことにした。切符を持っているから持ってこようかという子もあった。翌日持ってきたが、今これを使うと混乱するから使わないほうがよいと思って、そのまましまってしまった。

(7) グループを毎日変える。
 身幹順のグループを二・三日してから、イロハ順のグループにした。そうしたら、また大いに問題が起こった。大きい子、小さい子、男、女が交じったので、速さがどうの、わがままを言うのと言って騒がしくなった。しばらくそのしつけ指導をして、二日目にはよくなった。誰とでも、うまくできるようにしなければならない。

(8) 歩く場所を決める
 私がある組の運転手をしていると、他の組がぞろぞろついてきた。「先生。校門の方へ行こうよ。」という子がある。そこで、今度は朝礼台まで、今度は校門までというように行き先を決めて走ったりした。競走だといって駈けて行った組もあった。ここを駅にしようよということになった。そこで朝礼台、校門、円木の三ヶ所を駅とした。駅から駅へ走っていると、いつのまにか組と組とのけんかである。集団意識の芽生えが見える。そこで、他の組を追い越さないようにと決めたりした。

(9) 線路をかけばいいじゃないか、と言う。
 線路をかく、ということになり、白墨で線を引いた。D、E等という駅名もついた。まだ、線路が交叉することをさけた。
 線路の白墨の上をきれいに適度の速さでかけ足で行く組が増してきた。今までどこでもかまわずとび回っていたのが、一定の規格のなかでも愉快にできるようになったのである。そのうちに線路を無視して他の方へ行ってしまう組もできた。

ニ 第四週

(10)講堂で複線の軌道をつくる。
 雨の日に講堂でやった。白墨を与えると、大喜びで線路を引いた。向こうへ行くのと、こっちへ来るのと二本引かなくちゃ、という意見がでた。たちまち数人の子が二条の軌道を作った。あちこちに駅がたくさんできる。駅が多すぎてつまらないというようになって、四隅を駅と改めた。駅へ降りて、他の組の電車に乗せてもらう子もできた。グループを毎日変えたり、運転手・車掌をひんぱんに代えたら、誰でも、文句も言わずに乗せてやるようになった。
 線路の上を悠々と歩く組、駅へ止まる組、同じ線上で突き当たる組もできた。かけなくてもおもしろく遊べるのは、乗客の乗り降りの変化がついたからであろう。
 世間では、ちょうどそのころ、右側通行の切り替えが盛んに話題になっていたので、右側通行だぞ、と言って交叉し合っていた。車は左だが、右をよく覚えさせるために、電車だけれども右側通行とした。

(11)駅で上手に乗降できるようにする。
 駅名は、F、G、H等ができた。得意になって白墨で駅名を書いている。ろくに字も書けない子が、我先にと書きたがる。乗降で駅はにぎわっている。そこで、今週はずっと講堂で乗降を主として指導のために七台に減じた。こうなると、どの電車に乗ってもよいし、どの駅に降りてもよいという規則に変わった。車掌や運転手は誰でも喜んで乗せてやるようにと約束した。その代わり、乗客はどっちへ行けなどと勝手なことは言わないこととなった。

ホ 第五週

(12)路線番号をつけて一定の方向へ走らせる。
 運転手は行ったり戻ったり勝手にやったり、わざと駅へ止まらないのがあって、たびたび乗客から文句が出たりした。それゆえ、電車はいつも一定の方向に走ることと決めた。
 少し以前から番号札をつけるようにとの話が出ていたが、よいチャンスだと見たので、さっそく系統番号をつけることにした。ボール紙をわたすと、1から7までを書いた。が、字があまりに小さく細く貧弱なので、Dへ本物を見に行くことにした。板はまん丸だ、数字は太い、等と言って、帰ると急いで作り直した。紐をつけて首からつるすようにした。

(13)外で駅の間を思い切り遠くはなした。
 講堂ではだいたいうまくできるようになったので、今度は外にした。電車に乗って行くという気分を味わえるように駅をずっと遠くにした。講堂でしていたのが、校庭で遠く離れると、どうしても乱れがちになる。そこで新たな問題が起こって翌日は注意したり工夫したりしてから始めた。

(14)線路修理をしなければならない
 校庭で長々と白線の軌道を作ると、たびたび消えてなくなってしまうことがある。ある電車が立ち往生した。乗客の一人が私の所へ、白墨を取りに来た。行ってみるとなるほどわからない。さっそく白線を引いてもらう。白墨で線を引くのがとても好きな子が多い。その後、終わるまで線を引いている子があった。終わってからその子の努力をほめてやると大いに得意になった。次回からは、線路直しの係をおくことになった。

(15)教室から電車で送り迎えをする。
 今度は電車ごっこしよう、と言うと、例によって子どもたちは歓声を上げた。線路を引く係が先に白墨をもってとび出した。運転手、車掌を決めると綱をもって、系統番号をつけた。二、三の子がもう電車に乗った。電車に乗って教室を出ようとするので、「いいことを考えたね。」というと、「先生も乗っていけばいいに。」と言う。その日から、乗客になる人は全員電車に分乗して教室を出ることにした。副産物として廊下を駆けずに通行する練習にもなった。


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 考えてみたら、このときの子どもは、今、たぶん、64歳でいらっしゃるのですね。・・・。ああ、社会の第一線で活躍されていることでしょう。
 当時のお話をうかがえたら、このうえもない喜びですが、それは無理でしょうね。 
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    温故知新(7)へ続く。

rve83253 at 23:55│Comments(0)TrackBack(0)社会科指導 | 教育観

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