2007年01月20日

意味づけ、価値づけ(2) 学級経営から5

6e996102.JPG 担任が、子どもをほめるにしても、叱るにしても、どんな観点でそうするかが大事である。担任が意味づけ、価値づけようとする観点。そのレベルまで子どもは育つといえよう。

 担任は、子どもに、無理してやらせようとしないこと。子どもが自発的に行う言動の価値に気づく心をもつこと。気づいたらそれを表現すること。そういうことが大切になってくる。

 今日は、かつての学級だよりから、その具体例を述べてみよう。5年生である。



 小春日和のやわらかな日ざしに

 運動会が終わり、その日は久しぶりの体育でした。跳び箱をやりました。

 この日の跳び箱の準備がすばらしかったです。終わりの会で、子どもたちに最大の賛辞を贈りました。

 「今日、わたしは、とてもうれしかった。二学期になってから、一番うれしかったと言っていい。跳び箱の準備をみんなが協力して、一生懸命やったから、とても早くできたね。

 早くできたわけは、それだけではない。・・・。みんなに聞くけれど、跳び箱を用意するとき、いったい何種類用意しなければいけないのかな。」

「跳び箱でしょう。それにマット。」
「踏み切り板もあるよ。」
「跳び箱と踏み切り板の間に置くのもある。」
「まだある。跳び箱の下に敷く緑色のマット。」

「そうだね。それだけあるよね。

一学期も、こういうとき、みんな一生懸命やったのだ。でも、今日みたいに早くはできなかった。なぜかと言うとね。自分がやりたいものをやるっていう感じだったのだ。だから、跳び箱は全部出しても、緑のマットが運ばれていないから、跳び箱を置くことができない。ずっと持ったままっていうことがあった。

 それとね。自分が運んでしまえば、あとは遊んでいることもあった。
 でも、今日は違っていたよ。わたしはみんなのやっていることをじっと見ていたけれど、遊んでいるような子は一人もいなかった。そして、てきぱきと仕事がはかどった。みんなの仕事にむだがなかったのだ。

 あらかじめ、分担は決めてないよね。Aさんは跳び箱、Bさんはマットなんて、決めていないよね。それなのに、むだがなかったのは、みんなが自分のやりたい物というより、今、自分は何を運ばなければいけないかを考えていたからだと思うよ。

 それも、きっと無意識にそうやっていたのだと思う。それが何よりうれしかった。


 後片付けもそうだった。

 まず、Cさん一人が跳び箱のところに行った。そうしたら、ごく自然に、Dさんがその跳び箱の反対側に行った。二人で持ち上げようとした。そうしたら、Dさんの方は上がったが、Cさんの方は上がらないのだ。すると、Eさんが、これもごく自然にCさんの隣にやってきた。一方を女の子二人で持って、もう一方を男の子一人で持って、一つの跳び箱をさっと片付けた。

 もし、そこに、Eさんでなく、他の子がいたら、その子もきっと、Eさんのようにやっただろう。

 あらかじめ、何も打ち合わせはしていない。それなのに、さっと寄ってきて、さっと運んでいくことができる。
 こういうことが、38人全部に言えるのだ。だから、あっという間に、片付いちゃった。

 
 今のみんなは、分担なんか決める必要はないな。

 みんなが、今、自分は何をしなければいけないかと思い、そうして、『あっ。これだ。』って気づくことができ、そして、友達を選ぶことなく、誰とでも仲良くできる。そういう心があれば、こんなことは簡単なのだね。

 それは、わたしがみんなの動きから、学んだことだ。」

 ちょうど、5時間目。ぽかぽか陽気の気持ちのよいひと時でした。今が、一番気候のよいときですね。

 教室に戻ってからも、すがすがしい笑顔が、たくさん見られました。

 さあ、でも、次のようなこともあるので、おもしろいのです。



 朝の会のこと

 朝の会は、全校朝会の月曜日以外、毎日、各学級で行っています。
 この時間、教員は、職員室で、朝の打ち合わせを行っていますから、どうしても、教室へ行くのは遅くなります。

 その、5の1の朝の会が、最近少し騒がしくなっていました。わたしが階段を上がり、4階に来ると、もう、日直の、『静かにしてください。』という声が聞こえます。この声が一番うるさかったりします。

「どうしたのよ。一学期は、静かにきちんとやっていたのに。」

 子どもたちは反省しながらも、ボツボツと話し始めました。みんなの言うことをまとめると、こうなります。

 『一学期は、学級編成替えの後で、まだそれほど、仲良しの子はいなかった。だから、自然に静かになれた。ところが、二学期は、もう、みんな仲良しだ。Fさんなんかも、すごく元気が出てきて、誰とでも、話せるようになった。
 みんな、元気になって、学級が楽しくなった。そうすると、話していないともったいないという気持ちになってきた。

 朝の会は静かにしないといけない。それはみんな分かっている。係りからの大事なお知らせもあるし、日直の話もしっかり聞かないといけない。それは分かっているのだけれど、友達が楽しそうにしゃべっているのを見ると、自分もしゃべらなきゃ損という気持ちになって、ついしゃべってしまう。

 学級の楽しさに、わたしたちは、安心してしまった。安心してしまったのがいけない。

 一学期は先生も新しかったし、友達のこともまだよく知らなかったから、緊張していた。

 先生がよく言う美しい心は、努力しないと身につかない。わたしたちは努力が足りなかった。』
 
 
 そこで、わたしの方から、切り返しました。

「そうかなあ。美しい心は、努力が必要なのかなあ。この前の体育のときの、跳び箱の準備や片付けの心は、美しい心だと思っているけれど、あれは、みんな努力したのかなあ。」

「違う。努力したのではない。自然にああなった。」

「そうだろう。わたしもそう思うよ。がんばってやるなんていうのはだめだ。そんなのは無理しているのだからね。長続きしない。自然にできるようにならないと、美しい心とは言えないよ。

 朝の会もそうだよ。これだけ話し合ったのだから、明日からは、静かにやると思うけれど、無理して静かにしているうちは、本物ではないよ。」


 それから、4日たちました。今も静かにやっています。

「よし。やったあ。これで連続4日、きちんとできたね。でも、このくらいではまだ本物ではないよ。」

「そうだよね。一年間は続けないと。」

「おっ。大きくでたな。よし。がんばれ。」

 あっ。いけない。がんばっているうちは無理があると言いながら、・・・、つい、口ぐせです。



 冒頭、『無理して、やらせようとしないこと』と書いた。そう。無理してやらせれば、それはやるだろうけれど、やって当たり前になってしまう。ほめることができない。意味づけ、価値づけもできなくなってしまう。

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 この記録は、もう、20年くらい前ですが、こうした指導観の必要性は、ますます増しているのではないでしょうか。『無理やりやらせるのも愛情』というのは、だんだん通用しなくなっていると思われます。

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rve83253 at 02:06│Comments(8)TrackBack(0)指導観 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by 大山虎竜   2007年01月20日 09:51
toshi校長先生久しぶりにコメントさせていただきます。
大山虎竜は、「教師は最大の教育環境」だと思っています。顕在的カリュキラム、潜在的カリュキラム
どちらにも教師の教育観(考え方や生き方)が大きく影響しますね。
toshi校長先生のブログや実践にお人柄がにじみ出ています。これからも更新を楽しみしています。
2. Posted by 小さな幸せ☆(*'ー'*)**まさこ**   2007年01月20日 10:17
はじめまして。
生徒さんたちとのあたたかい言葉がけがとても素晴らしくて、心がぽかぽかになりました。
私は 小学校で障害児支援員をしています。
個別学級や通常(普通)学級で、生活や学活、音楽、体育の授業を担当したり、発達障害児の通常(普通)学級での補助についたりしています。
日々、子どもたちと過ごす中で、たくさんの気づきをもらっています。
特に言葉がけの面で、「今の言葉で理解できたかな、心に響いたかな」と反省することが多いです。
早いものでもう1月・・・☆ 今年度のまとめの時期なので、一生懸命に頑張りたいと思います。
いつもあたたかい記事をありがとうございます。
3. Posted by きゃる   2007年01月20日 10:49
>あっ。いけない。がんばっているうちは無理があると言いながら、
>…、つい、口ぐせです。

現在小学1年生の担任をしています。
ありますね、ついつい「がんばれ」って言いながら
無理をさせていること。

掃除、給食、当番活動、さまざまな場面で
伸びやがんばりを見つけ
賞賛して育てて生きたいと思うこの頃です。
4. Posted by toshi   2007年01月20日 12:08
大山虎竜さん
 いつもありがとうございます。意味づけ、価値づけは、管理職も大事ですね。管理職のそれによって、学校は、大いに盛り上がったり、何となく、まとまらなかったりするのだと思います。
 ブログをやる人は、みんな、自分の思う、意味づけ、価値づけを、ブログを通し、やっているのではないかと、最近、よく思います。
5. Posted by toshi   2007年01月20日 12:24
まさこさん
 『心がぽかぽかに』とおっしゃっていただいたこと、ほんとうにありがたく思いました。
 こういう雰囲気を教育現場に定着させたいものですね。
 『教えなければ』『しつけなければ』という思いは、当然あるのですが、それが行き過ぎないように、今のいじめの問題は、それが行き過ぎ、子どもの心が見えなくなっている現場で発生しているのではないかと、そんな思いを持ちます。
 
 わたしが今勤務している学校にも、まさこさんと同じ仕事をなさっている方がいらっしゃいます。わたしなど、根気が続かないようなケースでも、やさしく包み込むように、子どもに対応なさっているのをよく見ます。
 初任者にも学んでほしいところですが、それ以前に、わたし自身も学ばせてもらっています。
6. Posted by toshi   2007年01月20日 12:34
きゃるさん

>あっ。いけない。がんばっているうちは無理があると言いながら、
>…、つい、口ぐせです。

 学級だよりに書いたときは、ほんのユーモアのつもりで書いたのですが・・・、
 今、読み返してみると、やはり、意味づけ、価値づけをしているのだけれど、その中身が、まだまだ自分のものになっていなかったのだと、今さらながら、反省しました。20年後に反省しても、仕方ないですね。

 子どものよさを、じっくり観察するなかで、きめ細かく見つけていきたいものだと、あらためて、そう思いました。
7. Posted by kei   2007年01月20日 21:29
ごぶさたしています。
毎回、心に響くお話をありがとうございます。
意味づけ・価値付け。子どもたちにかける教師の言葉と振る舞いがそのままクラスの文化・空気になっていくように思います。
無理をしないで、自然にということが大事なのですね。実際本年度、自分のクラスに入られて研究をされていた院生の方が、担任の言葉も分析してくださいました。無意識に出ている言葉の多さに驚くと同時に、その無意識の言葉と振る舞いの中に、教師の子ども観・授業観が表出することにも改めて気づかされています。

8. Posted by toshi   2007年01月21日 11:22
keiさん
 『無理なく、自然に。』と言っても、それは、子どもの思いとして、そうあるのが望ましいと思うわけで、指導する側は、たゆまない言葉かけを心がけなければいけないと思います。
 
 院生の方が、担任の言葉を分析されたとのこと。 これ、わたしも、かつて見せてもらったことがあります。
 受容的言葉かけが圧倒的に多い人と、規制的言葉かけが圧倒的に多い人と、見事に二極分化していました。これらは、keiさんがおっしゃるように、ほとんど無意識になされているわけです。教員の自己改革の必要性を如実に示しているなと思いました。
 これ、いずれ、記事にしたいと思っています。

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