2007年01月23日

温故知新(8) 教育基本法改定に思う。4

a74de128.JPG 今、教育基本法が改定され、また、教育再生会議が、ゆとり教育見直しを中心とした提言をまとめた。ふつうなら、これだけのことがあれば、『国の確固とした教育方針が定まった。』と評価されるところだろうが、そうはならず、先行き不透明に見えてしまうのは、わたしだけだろうか。やることが、現象的、刹那的で、国の考えも右往左往しているようだ。日本の未来は大丈夫かと、心配になってしまう。

 やはり、今の教育改革が、教育の諸問題に的確に対応しているとは思えず、隔靴掻痒の感が残る。

 その一方で、わたしたち教員は、これまで、真に民主主義を背負ってたつ、自主的、創造的な人間の育成、すなわち、生きて働く知識を身につけさせるとともに、生きる力、学ぶ力を育む教育をしてきただろうか。それが不十分だったために、今の、困難な事態を引き起こしたのではないか。そうした意味での自己反省と自己改革も欠かせないことと思う。

 以上を踏まえ、あすのよりよい教育実現のために、日本の民主主義教育の原点である、昭和20年代をふり返ることは、意義のあることではないかと思い、また、父が、当時の若手教育者の一人として、実践、研究活動に取り組んできたことから、わたしのようなものが、このことを主張しなければいけないのではないかと思い、これまで、温故知新シリーズを記事にしてきた。

    温故知新   (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)



 このシリーズは、もう少し続く。いや、続けたい。そこで、本記事では、とりあえず、温故知新シリーズの中間的なまとめをしたい。下記の二点から、わたしの主張を記事にしたいと思う。


1. 教育基本法は、連合国の占領下に作られたものであり、日本は押しつけられたのだという主張に対して、

 この押し付け論は、憲法についても盛んに言われることだが、これについては、本シリーズが明確に答えていると思う。

 温故知新(1)では、当時のA小学校紀要から、校長の、『はじめに』を掲載したが、そのなかには、次のような言葉がある。ただリンクするだけでなく、再度、抜き書きしてみよう。

 『立国の大本が変わり、社会存続の原理が変わり、何もかもすっかり一変してしまった。教育の原理も必然的に変わらざるを得ない。しかし、その移り変わりは、やむを得ず与えられたものであるか、それとも変えた方がいいから変えるのだというのとでは、我々の態度は、自ら違うであろう。教育が人間の幸福を目指している。そのために、平和な文化社会、民主社会を建設する。

 〜、教科主義の旧教育がいいか、生活中心主義の新教育がいいか、という考察をし、批判をしなければならない。アメリカにおける四十年来の研究と、ワシントン州の六ヵ年の実験が、生活中心のカリキュラムを決定的によいと断定した。それがそのまま日本によいかどうかは不明である。しかし、幾多の理論や実践を通してみると、どうも生活中心でなければならないように思われる。文部省でも、社会科によって、教科の一部をこの方へと切り変えた。』

 『(生活中心主義の新教育が)優秀なものであるとか、民主社会にとって必然の道であるとか、その確かな見通しをしっかりと掴むことができたら、一日も早くその方へ切り変えることが、児童のためであり、社会のためではないか。これは、我が校の全職員の結論であった。』

 何と崇高な理念、何と情熱的な筆致、ではないか。ここには、『押しつけ』などという思いは、そのかけらもない。
 
 当時の教員が、いかに情熱的、積極的に、民主主義教育(ここでは、児童の生活中心主義の教育)を受け入れ、育み、育てようとしたか。それは、本シリーズ(1)〜(7)のすべてを通し、感じ取れることと思う。
 
 児童の生活中心主義の教育は、それが子どもにとっての学びの必然性、切実感を最大限大切にしているわけだし、同時に、子どもの意欲的な学びを保障しようとするものだから、これがそのまま発展的に現在に至るまで持続していたら、現在の教育の諸課題は、おそらく大部分が発生していなかったと思う。

 ところが、この教育観は、とうのむかしに、軽視されてしまった。かわりに、指導法という意味では戦前と同じ、系統主義、学問領域としての教科主義に戻されてしまった。

 今回、教育基本法改定が騒がれたが、そのはるか以前に、民主主義の指導法はついえていたのである。
これは、国だけの問題だろうか。わたしはそうは思わない。この問題の厄介な点は、少ないとは言えないくらいの教員が、その指導法にそまってしまったことだ。現在の教育の諸課題の多くは、ここに起因するところが多いと言わざるを得ない。


2. 今回の改定で、国の教育統制が強まるのではないかという主張に対して、

 教育基本法改定に、国の権限が強まることへの懸念を表す声は多い。しかし、わたしは、この点に関しては、あまり憂慮はしていない。(いや。ほんとうは憂慮しているのですよ。この辺の書きっぷりはちょっと複雑になってしまい、申し訳ありません。)

 急に話が変わり恐縮だが、昨日、宮崎県知事選が行われ、そのまんま東氏が圧勝した。

 このニュースは衝撃的だった。おそらく政治家の衝撃は、我々以上のものがあったと思われる。これまで無党派層の動向は、選挙のたびに、クローズアップされてきた。ところが、今回の同選挙では、無党派層にとどまらず、各政党支持層まで、無党派に追いやった。これの驚くところは、これまで、堅い政党支持層と思われていた、共産党、公明党支持者まで、大量に無党派層に組み込まれてしまったことだ。

 これの意味するところは何か。政権政党、政権も、不祥事を起こせば、急落してしまうということだ。決して政権は永遠ではないということだ。だから、たとえ安定多数を得ていても、常に、緊張状態にさらされると言っていいだろう。確か、先日、このブログに、『政府は、国民の動向を気にする傾向が強まっている。』と書いたと思うが、今回の知事選で、それはさらに強まると予想される。国がやる無理には、一定の歯止めがかかると思うのだ。

 しかし、心配の本質は別なところにある。

 話を教育基本法に戻そう。この改定は、自民党、公明党だけではなかった。民主党も改定案をもっていたのである。いや。民主党案の方がもっと急進的だという声もある。ということは、国民大多数が、改定に賛成しているということではないのか。そう思えば、今回の改定はやむをえなかったとならないか。そこに、むなしさを感じてしまうのだ。

 もう一つ、むなしさを感じてしまうこと。それは、改定に賛成する声にしろ、反対する声にしろ、真実、自分の考えを構築している人がどれだけいるのだろう。みんな似たり寄ったりの議論を繰り返している。しかも、互いに歩み寄ろうとする機運もない。言い張っているだけだ。

 日本の民主主義は、まだまだ発展途上だなと思ってしまう。そして、この思いが、上記1で述べた、系統主義、学問領域としての教科主義の復活と重なってくる。ああ。まさに、そういう世に教員だった、我々、退職教員の責任は大きいものがある。
 
 再度、子どもの生活中心主義の教育を取り戻さなければいけない。現在の言葉で言えば、『ゆとりの教育』だ。
『ゆとりの教育』は、学ぶ意欲をなくす教育という声が圧倒的になってしまった。そうではないのだ。子どもの学びへの切実性、必要感を保障し、意欲的に学ばせ、思考力を大切にする学習。それこそが『ゆとりの教育』でなければならない。

 学力低下論に組する人は、真の学力をとらえようとしていない。『学ぶ力』『生きる力』を育むのも、学力の大切な部分という見方をしていない。いわば、『お手軽学力論』なのである。こういう世の動きの方が、わたしにとっては重大問題なのである。


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 今回もまた、テンションが高くなってしまいました。申し訳ありません。意のあるところをおくみ取りいただければ幸いです。

 このシリーズを始めてよかったと思う点があります。それは、社会科が戦後誕生した教科であることをご存じない方が、少なからずいらっしゃると分かったことです。社会科こそ、本来の社会科に戻さなければいけません。社会科は暗記教科ではないのです。

 教育再生会議については、今回、ふれられませんでした。近日中にとり上げたいと思います。

 次回の『温故知新』は、生活中心主義の教育がついえてしまったころをとり上げたいと思います。

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    温故知新(9)へ続く。

rve83253 at 01:51│Comments(7)TrackBack(1)教育制度・政策 | 教育観

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1. 今の教育改革に違和感 ?? 「学力低下」  [ 教師になり損ねた男の教育日記 ]   2007年01月24日 02:13
5 教育再生会議についての議論から「学力」の定義を書いています。 よかったら遊びに来てください。

この記事へのコメント

1. Posted by きゃる   2007年01月23日 22:53
時期的に「ゆとり教育」のあとに「学力低下」が起こったために
短絡的に結び付けてしまいがちですが、
双方のの関連性についてきちんとした検証はできていないそうですね。
わたしは、
ゆとり教育を徹底すれば、学力低下に歯止めがかかると思っている一人なんですが
いかがでしょうか?
2. Posted by toshi   2007年01月24日 01:03
きゃるさん
 おっしゃる通りだと思います。ただ、『学ぶ意欲の低下』と言われますよね。このあたりは、やはり、教員の授業力、実践力とのかかわりがありそうです。
 家庭の教育力の低下も叫ばれているわけですが、戦後すぐの家庭の教育力などなかったに等しいと思いますから、やはり、家庭の教育力が低下しているなら、それに見合った学校の教育力が問われるのだと思います。

《ゆとり教育を徹底すれば、学力低下に歯止めがかかると思っている一人なんですが
いかがでしょうか?》
 
 このことについては、過去に、関連する記事を書いたことがあります。本欄のわたしの名前のところをクリックすれば、その記事が出るようにしましたので、もしご覧でなかったら、クリックしてみてください。
3. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年01月24日 02:08
5 はじめまして。くぼみちと申します。
いつも楽しく拝見させていただいております。
今回の教育基本法改正と教育再生会議の考えが、
「教科教育の復活」
というところにとても共感しました。まったくそのとおりだと思います。

現在の教育問題で議論されていることは、どうも短絡的に感じてしまうのです。「学力」が低下したから週休二日制見直し、基礎基本の徹底などなど・・・
なぜこのように教育に問題が起きてしまったのかしっかりとした議論がなされていないように思うのです。私が思うに、今の教育に関する議論には
「子供」の存在がないように思います。
toshiさんのおっしゃるように、子供中心のの教育の復活が待たれますね・・・
4. Posted by toshi   2007年01月24日 22:51
くぼみちさん
 ほんとうに、おっしゃる通りと思います。けがをする環境に追い込んでおいて、けがの手当てばかりを考えている。
 けがを防ぐ環境づくりは、国も、わたしたち教員も真剣に考えなければいけないときだと思います。
 子どもにとって、どう教育されれば理想的かという観点が、欠落してしまっているのですね。そう考えることが、明日の日本のためには、大切なのですね。
 記事にも書きましたが、 
《児童の生活中心主義の教育が、そのまま発展的に現在に至るまで持続していたら、現在の教育の諸課題は、おそらく大部分が発生していなかったと思う。》
ほんとうに、そう思います。
5. Posted by solidarnosc   2007年02月17日 04:15
2 「今回の教育基本法改正には至らぬ点がたくさんある」というのであれば話はわかるんです。

私から見て非常に空恐ろしいのは、改正自体を全否定する雰囲気が教育界の一部にあることです。変わらないことがそんなに素晴らしいことか。旧基本法もすばらしい理念にもとづいてつくられていることは事実だろう、だがそれが一切変えない理由になるのだろうか?

今回の改正内容には、いままでなぜなかったのかと思うような必要な考え方が多く示されているように思います。

それに基本法が改正されたからと言って、実行力のある法律に落ちない限りはなにも問題は起こらないはずです。実行力のある法律をよからぬ方向にかえるのに反対するならまだしも、、、

憲法を改正する手続きにすら反対する一部勢力とともに異様なものを感じます。まともに政治に向き合えば過半数はこの考えに至ると思います、念のため。
6. Posted by toshi   2007年02月17日 09:36
solidarnoscさん

 今、読み返してみると、分かりにくい文章を書いたものだなと、自責の念に襲われます。いっぺんにいくつも言おうとしているからいけないのですね。
 すみません。
 一番言いたいのは、教育基本法に賛成するにしても、反対するにしても、わたしたち教員は、自ら主体的に考え行動する、人間性豊かな日本人の育成に向けてがんばってきたのかという問いなのです。
 そういう日本人も大勢いるでしょうが、そうではなく、誰かの言っていることをうのみにして、たいした考えもなく、主張している日本人が多くないかと、
 また、別な観点に立てば、人の意見には聞く耳を持たず、ただ自分の思いを主張するだけというのもないかと、
 それは教育基本法が目指している方向とは違いますよ。
 その点が一番言いたかったことなのです。
7. Posted by toshi   2007年02月17日 09:47
solidarnoscさんがおっしゃっていることは、よくわかります。どうも極論ばかりが横行する今の日本だなと、痛感しています。
 でも、solidarnoscさんが最後におっしゃっているように、大部分の日本人は、落ち着くところに落ち着くのでしょうね。
 ごめんなさい。でも、それでいいというわけではないのです。
 先のコメントの繰り返しになり、恐縮ですが、自ら考え、主体的に行動するとともに、周りの人々の主張にも耳を傾けるという、柔軟性のある日本人の育成にむけ、がんばりたいと思います。

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