2007年01月28日

温故知新(9) 歴史的、地理的な学習は?

014b954b.JPG 子どもの生活中心の学習という、コアカリキュラムの考え方。
 
 今のわたしたちにとって最大の疑問となるのは、
『それなら、歴史的、地理的な内容は、どうなるのだろう。むかしのことだったり、よそのことだったりするのだから、自分の生活に関係ないではないか。』
とならないだろうか。



 そこで、今日は、各学年の歴史的、地理的内容がどうとり上げられていたかを、見ていくことにしよう。

 先にリンクさせたこともある昭和23年版の小学校社会科学習指導要領には、各学年の学習内容の例示が巻末に記載されているので、まずはそれを見てみよう。

 第一学年   家庭、学校、友達、健康な生活
 第二学年   近所の生活、農家、商店、郵便集配人、公共のために働く人々
 第三学年   地域社会の生活(できるならば大昔の生活と比較する。)
        動植物と人間の生活(できるならば大昔と比較する。)
        地域社会の交通・運輸(できるならば文明の開けない前の交通・運輸と比較する。)
 第四学年   地域社会の現在と過去、昔の交通・通信、資源の保護・利用、昔の商工業
 第五学年   衣食住の発達、現代の交通・通信・運輸、保健と厚生慰安、政治(公共の福祉のための制度と施設)
 第六学年   工業と動力、新聞とラジオ、交易、わが国と関係の深い国々


 

 次に、同時期のA小学校の単元配列を見てみよう。

 〇作業単元課程

1年生
 4月  入学、学校めぐり、花つみ、身なりと体    5月  子どもの日、給食、持ち物、外遊び    6月  内遊び、つゆどき、食べ物    7月  夏の病気、たなばた、夏のあそび、夏休みのしたく    9月  夏休み作品展、虫とり、うんどう会    10月  お月見、かわいい生き物、丈夫なからだ、遠足    11月  秋のくだもの、おうち    12月  冬のしたく、火の用心、お手伝い、冬休みのしたく    1月  お正月、おきゃくさま    2月  冬の病気、冬の遊び、仲よし会    3月  おせっく、二年生のしたく

2年生
 4月  進級、町内めぐり    5月  学校園、のりもの    6月  たべもの、おいしゃさん    7月  水遊び    9月  あらし、近所    10月  秋の生き物    11月  動物園    12月  お正月のしたく    1月  お正月の遊び    2月  おみせ
    3月  仲よし会

3年生
 4月  わたしたちの町    5月  潮干狩り    6月  町工場    7月  食べ物と着物    9月  すまい    10月  外人街    11月  動物園    12月  A商店街    1月  B郵便局    2月  消防署    3月  市電

4年生
 4月  図書館    5月〜6月  保健所    6月〜7月  商店街    9月  市の交通    10月〜11月  港    11月〜12月  開拓    1月〜2月  市の発展    2月〜3月  市の物産  

5年生
 4月〜5月  鉄道の発達    6月〜7月  農山漁村の生産    9月〜10月  資源の開発    11月〜12月  地域の工業地帯    1月〜3月  家庭生活の改善

6年生
 4月〜5月  新聞    6月〜7月  電力の利用    9月〜10月  災害の復興    11月〜12月  貿易の振興    1月〜3月    社会の改善

 
 なお、つけたしだが、当時、A小学校では、コアカリキュラムの中心学習(中心学習の概念は、本シリーズ『4』を参照してください。)として、上記、作業単元課程と並び、日常実践課程と問題単元課程とを位置づけていた。

 問題単元課程としては、とくに季節的な問題など、毎年、あるいは、周期的に児童の問題となりうるものが組まれた。『伝染病や寄生虫などは、どうしたら防げるでしょう。』『台風はどのようにしてくるのでしょう。』などというたぐいのものだ。

 当時は、衛生状態もよくなかったし、家も粗末だったから、こうした問題は、今では想像もできないほど、切実だったと思われる。

 日常実践課程とは、現在なら、おもに学級会、児童会、学校行事などの特別活動に属すると思えばよいようだ。
 でも、そうでないものもある。たとえば、『祝日・七夕・ほどよい運動・貯金・健全娯楽』などという単元名がある。



 さて、話を戻そう。歴史的・地理的内容がどう扱われたかということだが、

 国が出した文部省学習指導要領を見ると、上記例示のように、『〜と比較する。』という記述があることにお気づきだろう。

 そう。両者は、比較材料となるのだ。子どもの言葉で言えば、『むかし・よそ』ということになろう。

 子どもたちは、自分の生活を学びの足場とし、自分の生活を振り返り、その生活をよくしようとして、問題解決に取り組む。
 だからと言って、自分の生活だけ見つめて学習を進めたら、それで十分か。そうではないだろう。比較材料としての『むかし・よそ』を学習することによって、自分の生活の理解は、ますます深まるものと思われる。
 
 この例示をしたいと思うが、それについては、すでに記事にしている。それをご覧いただきたい。

    平成17年12月17日  社会科学習への誤解

 
 ところで、上記、6年生の欄を見ると、今とり上げられている、日本の各時代の学習がないことにお気づきだろう。それはなぜか。

 上記『社会科学習への誤解』でも、通史としてどの時代もとり上げる必要はないと述べているが、当時は、比較材料としての『むかし』の学習が、より徹底していたからだ。

 あたかも、通史と誤解されかねない扱いとなったのは、昭和30年代からである。コアカリキュラムとしての色彩が薄れ、戦前の教科主義的色彩が強まるにつれ、社会科は、暗記教科と言われるようになってしまった。残念だが、社会科ならぬ『斜傾科』などと、揶揄されるようになってしまった。

 国もはっきりと社会科についての考え方を変えた。多くの教員も、この流れの変化を自然な形で受け入れてしまった。このことに関しての、教員の反対運動はなかったのである。
 子どもが主人公の授業は、一部の教員は持続発展させたが、それは、わたしも含め、もはや子どもの生活中心主義ではなくなってしまった。
 『子どもの思い中心主義』と言ったらいいだろうか。そんな感じになってしまったのである。

 その間の事情は、次回に述べる。


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    温故知新(10)へ続く。

rve83253 at 05:27│Comments(10)TrackBack(0)コアカリキュラム | 教育観

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2007年01月28日 09:11
おはようございます

わが子が小学生高学年の頃、社会がちょっと分からないというので教科書をみたとき、地元の産業…中部だからトヨタのカンバン方式について、といった内容で面くらいました。

私自身、詰め込み世代で、社会は暗記した記憶しかありません。だから、この教科書で子どもに何を教えるのだろう?という趣旨が良く分からなかったんです。まさかカンバン方式を中心とした効率化や企業戦略、企業経営、マーケティングといったものでもないだろうし(それは、今自分達が学んでいるものでもありますし)

「難しい授業をやってるんだなぁ」という感想をもちました。いったい先生がどこまで知ってるのか、何を教えられるのだろうか…最先端の企業の戦略をどこまで理解しているのだろうか。自分達企業人ですら、まだ整理できていないのに、です。

2. Posted by Hideki   2007年01月28日 09:11
何というか、決め付ける根拠は何もないのですが、先生たちも同じ戸惑いがあったのではないか、と思ってしまうのです。

学習指導要綱にはToshi さんの書かれている趣旨は書かれているとは思う。だけど、それがその先生の「腹」におちていない。腑に落ちるとはよくいったもので、頭でわかっても体にしみついていない。心から実感していない。自分の体感値として、教えに結びついていない。

だから、安易な「暗記授業」に走るのではないか

もちろん、「体感」としての「教え」につなげて話せる先生もたくさんいらっしゃると思う。だけど、それが決して多数を占めるわけではない。

3. Posted by Hideki   2007年01月28日 09:12
体感としての教えは、聞いてて面白いんですよ。

逆に形だけの教えは、とてもつまらない。

これは、学校の授業に限らず、様々な企業セミナー、社会人セミナーでもそうなんです。トヨタのカンバン方式だって、教科書どおりのことを形だけ話すだけじゃ、とてもつまらない。それが体感とそこに一生懸命生きる人たちの思いを交えた話になるととたんに面白くなる。TVでプロジェクトエックスなどの特集番組が良い例なんですよね

もちろん学校の先生に、トヨタの企業戦略について、そこまでのことを求められるとは思っていません。別の視点・テーマになると思う。

「聞いていて面白い教え」をどう実現できるのか?これって、社会を暗記で育った世代には非常につらいことだと思うのです。だから、そんな人たち(先生の卵)にどうやって指導していくのか、というスキーム構築が一番の問題点なのじゃないかと思うのです。
4. Posted by きゃる   2007年01月28日 10:04
教える内容が変化していて戸惑うことがあります。
特に社会科の歴史や地理。
教科書についてくる指導書やこれまでの指導案だけでは、ついていけないことも。
教師たるもの、常に、積極的に、新しいものを吸収していかなければいけませんね。
Hidekiさんのコメントにあるように、「体感」は重要だと思います。
私の、歴史の手っ取り早い体感は、歴史小説と映画ですw
5. Posted by toshi   2007年01月28日 15:18
Hidekiさん
 カンバン方式については、薄っぺらな理解しかないのですが、工場見学をして、子どもが分かるような話を工場の人から聞いて、それで、子どもが抱いた疑問をもとに学習を進めるなら意味があると思うのです。思考力を養うことになりますし、『なるほど。単純労働の流れ作業でも、生きがいを持って仕事ができるように工夫しているのだな。そして、むだを省くための工夫なら、工場にとってもいいことだな。』という理解、それこそが大切だと思うのですが、トヨタのカンバン方式を記憶させたところで、意味はあまりないでしょう。『みんな将来トヨタの社員になるわけでもないし。』となりそうです。
 カンバン方式にかかわる学習のねらいは、学習指導要領によれば、『工業生産に従事している人々の工夫や努力』を理解することにあります。
6. Posted by toshi   2007年01月28日 15:30
 Hidekiさんのおっしゃる通りです。学習指導要領には、思考力を養うことの大切さも書かれています。しかし、多くの教員は、『子どもの思い中心主義』ですら、できていない現状だと思います。ほんとうに残念な状況があります。
《体感とそこに一生懸命生きる人たちの思いを交えた話になるととたんに面白くなる。》
 わたしたちは、これを、子ども自らが資料を駆使する中で獲得するように、学習を仕組むのです。
 わたしのHP『小学校初任者のホームページ』の『授業改善編ー12』は、まさにそういう授業を載せています。
 やはり、教員の一人ひとりが、子どもの思考力を育むためには、どんな授業をしたらよいか、切磋琢磨しなければなりません。心からそう思います。
7. Posted by toshi   2007年01月28日 15:41
 初任者に指導するのも、その点なんです。今、国語の物語『スーホの白い馬』(2年生)の指導をしようとしています。
 まず、『子どもがどんな感想を書いたか見せて。』と言います。そして、『スーホはずっと楽器になった馬と一緒にいられるようになったからよかった。』と、『かわいがっていた馬が死んでしまったからかわいそう。』という感想に着目させます。それを大きなテーマとし、話し合いを進めるようにします。そのなかで、場面場面では、その場面の課題を設定(これもできるだけ子どもが抱いた感想を基にする。)し、話し合うようにします。
 指導者側の一方的な課題提示は、極力へらすように努力します。それは子どもを受身にさせるからですね。『〜ちゃんのおかげで、こんなに学習が深まった。』という思いをもたせたいのです。
 そうしたことを一番大切にして、初任者に指導しています。
8. Posted by toshi   2007年01月28日 15:50
きゃるさん
 おっしゃる通り、社会科は、変化の激しい社会事象が学習対象ですので、年々学習内容が異なるということがあります。
 わたしは若いとき、5年6年担任の繰り返しだったことがあったのですが、米どころをたずねると、2年で大きく変化しています。
 最初は、農業機械の共同使用が当たり前に行われていました。しかし、全農家が同一品種を栽培するようになると、収穫時期が極めて限定されるため、農業機械使用の順番を待っていられず、高価なのですが、多くの農家が自分で機械を持つようになりました。
 それでも、教科書には、『共同化をおし進めています。』とあります。教科書とは違う事実を教えたことは、何度もありました。
 このように学習を具体的に進めると、『体感』は、子ども自ら思考する中で得ていくのです。
 
9. Posted by Hideki   2007年01月28日 20:58
読み直してみると、何だか現場の教師を非難しているかのような書き方をしていますね。ごめんなさい。私は先生方を非難したいのじゃないんです。

自分が住む地域と他の地域、自分の生きる時代と昔の時代、その比較の中から学びを導く、というのはとても難しいことだと思うのです。

誤解を恐れずにいえば、受験勉強としての地理や歴史を教えるほうが、ずっとたやすいと私は思う。家庭教師や塾などでも教えられる。私だって、ある程度は(昔の記憶ですが)できる自信があります。

でも、上記のことは今の日本の家庭教師や塾で教えられるとは到底思えない。私自身、教える自信はないです。

だから、小学校の社会の教科書を前に、ちょっと思案にくれてしまったんです。

そのあたり、教育課程という教師養成のステップで、また指導要綱といわれる教育のガイドの中で、どのようにに教師の卵を導いているのかなと思った次第です。
10. Posted by toshi   2007年01月29日 00:41
Hidekiさん
 別に教員を非難しているとは、読み取っていませんでした。きわめて自然に読ませていただいたのですよ。
 わたしも、同じ思いがしていたのです。皆さんのブログを読ませていただくなどすると、けっこう問題の事例にもふれるものですから。
 Hidekiさんがむずかしいとおっしゃる指導法は、具体物を用意したり、矛盾点(問題点)を子どもに感じさせたり、子どもの興味・関心・意欲・態度を最大限重視して、取り組みますので、できてしまえば、さほどむずかしくはないのです。
 でも、逆な言い方をすれば、だからこそ、うまくいけば、教師冥利に尽きるとも言えますね。
 また、初任者も、まさに、『鉄は熱いうちに打て』ではないですが、子どもがいきいきと張り切る態度を見て、急速に、この指導法を身につけていきます。全員とは言えませんがね。

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