2007年01月30日

温故知新(10) 新教育への風あたり3

f3741ffe.JPG 戦後、民主主義を背負って立つかに見えた新教育。それは、コアカリキュラムのもと、子どもの生活を学習の中心にすえたものだった。これぞ、民主主義の教育であると、多くの市民も交え、期待に胸がふくらむ思いだったに違いない。

 しかし、それは、あっけなく方向転換を迫られることになった。

 それについては、すでに記事にしたことがあるので、まずは、それをご覧いただきたいと思う。

     平成17年12月19日    社会科学習への誤解(2)


 方向転換を迫る声の萌芽は、すでに紹介した、昭和26年度のA小研究紀要にも見られる。

 『新教育が、その実りの多い秋を迎えるに至るまでには、まだまだ幾回もの星霜を、迎えなければなるまい。種をまいてようやく数年、まだ芽が出たばかりであるというのに、もう実がなったかという気の早い人もあれば、もうしぼんでしまうだろうと期待するかのような人々もあるようだ。
 木の芽というものは、そばで火を焚いて暖めても、そう急には大きくならないものである。新教育を地につけて、堅実な芽を伸ばそうとするには、十年二十年という年月、真剣に組み付いて、研究してみる必要があろう。教育とは、一時の開花ではない。〜。』
と書かれていた。
 
 翌27年度、A小学校においては、コアカリキュラムが全部でき上がったのであるが、そのときは、批判の声はますます強まっていった。
 

 今と異なり、戦前の体質にどっぷりとつかっていた人々は、民主主義の教育と言われ、頭では理解しても、心からそれを受け入れることは、困難だったのかもしれない 確かに、一般の教員にとって、子どもの生活中心主義の指導観は、面食らう面が多かったであろう。それまで、子どもの思いなど、気にもかけたことはなかっただろうから、『むずかしいな。』と思ったのではなかろうか。
 また、当時は、子どもだってそのように育てられてはいないから、自分の意思がなかったり、意思表明ができなかったりする子も多かっただろうと、想像できる。
 

 それでも、連合国の占領下では、それは大きな声にはならなかった。

 日本が独立したのは、昭和27年。それを契機に、新教育への批判が強まった。「社会科学習への誤解(2)」に書いたように、新教育を皮肉る川柳がはやったり、学力低下論が渦を巻いたりした。

 父から聞いたことはないが、もっと連合国による日本占領が長かったら、ことによったら、新教育は、もっと実を結ぶことができたのかもしれない。日本人の肌にしみついた教育観を払拭するには、A小研究紀要にもあるように、十年、二十年かかるかもしれなかったのだから。
 もちろん、独立は早い方がよかったと、わたしも思う。皮肉なことだ。

 これは、直接父から聞いたことがあるのだが、父は、コアカリキュラムを実のあるものにするため、昭和24年、1年生を受け持つにあたり、同一の子どもを6年間、卒業まで受け持たせてほしいと、校長に要請したようだ。
 そのとき、校長は了解したのだが、その後の学校事情でかなわなくなり、3・4年生のときだけは、その学年から外れたという。

 昭和29年、父は、教頭に登用された。同時に、A小学校の研究を支えてくれたB校長(『温故知新(1)』に書いた、紀要の『はじめに』を参照してください。)も、異動となった。
 父はこれを新教育弾圧と受け取ったようだ。(わたしの)母に向かって、「まだ、A小の研究は何年も続く。続けなければダメなのだ。こんな辞令は、教育委員会に返してくれ。」と言い、母を困らせた。なんと、異動先の学校には着任せず、家で悶々と日を過ごすことになる。

 教育委員会も困り果て、父を説得するため、家まで足を運んだらしい。もちろんわたしにそんな記憶はない。
 どんなきっかけがあったかは知らないが、説得が功を奏し、一週間から十日たって、やっと父は異動先の学校へ着任したようだ。(無断(?)欠勤を続けたわけだが、)事情をすべて知っていた着任校の校長は、温かく迎えてくれたと言う。今という管理社会では、想像もできない温情だ。

 新たに着任したA小学校長は、徹底的にコアカリキュラムをたたきつぶした。完全に教科主義の教育に戻してしまった。

 コアカリキュラムを進化させようと努力していた学校は、全国にたくさんあったが、どれも皆、似たような道をたどらされたことだろう。

 こうして、世は、教え込み・詰め込み教育、暗記中心の教育に向かうことになる。


 次も父から直接聞いた話である。当時から、『教え子を再び戦場に送るな。』『カリキュラムの自主編成』をうたっていた組合だったが、こと、この弾圧(?)に対しては、何も助けてくれなかったと言う。

 思うに、組合は、教え込み、詰め込み、暗記中心の教育については、何にも違和感がなかったのではないか。指導法は戦前と同じになったとしても、指導内容が民主主義的内容なら、それでよしとしたのではないか。
 組合のそうした考えについては、わたしが教員になったときも、感じたことである。平和教育と言っても、言って聞かせる式の授業が大部分だった。

 それで平和を愛好する人間が育つのなら、教育に苦労はない。
 やはり子どもの主体性を大事にする。子どもが平和の尊さについて、主体的に考える。そういう授業を保障する。そうでなければ、真に平和を愛する人間は育ちにくい。

 平和も、いじめも、人権も、みな同じではないだろうか。


 今の教育改革は、いったい、どちらを向いているのだろう。

 豊かな人間性を育む教育が、一部の教員だけにゆだねられるような世にはしたくない。

にほんブログ村 教育ブログへ

 来年度早々、ついに、全国一律の学力検査が、実施されるのですね。『今日』さんが心配されるような不祥事だけは、起こしてほしくないですね。真に明日の指導に役立たせるための学力検査にしたいものです。

 本シリーズは、今日の記事をもって終了とします。長期間のご愛読、ありがとうございました。

 それでは、今日も、1クリック、お願いできますか。


人気blog ランキングへ
 
 こちらも、どうぞ、よろしく。


rve83253 at 23:59│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | コアカリキュラム

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年01月31日 02:02
5 今日も非常に示唆に富むお話ありがとうございました。

子供の生活を学習の中心にすえる教育ということが中心に語られていたと思いますが、やはり私もこの教育に賛成です。教育は誰のためにあるか??
それは当然ですが「子供」です。

今の教育改革はおよそこの考え方とかけ離れているように思います。何か先祖がえりのような気がしますね・・・

戦後の教育論がなぜ子供の生活中心主義→教科教育になってしまったのか、このところをもう一度勉強する必要がわれわれ世代に必要なのかもしれませんね。

2. Posted by toshi   2007年02月01日 04:44
くぼみちさん
 そうなのです。今の教育改革は、かつて我が国がたどった道を繰り返しているといった側面があるのです。
 詰め込み教育の反省から、『ゆとり教育』がうまれたはずなのに、こうもあっけなく、方向転換を迫られているということ。
 それに対し、組合も何も言えない状況になってしまっているということ。
 あっ。そう。そう。記事ではふれていなかったのですが、父も、わたしも、組合員ではあったのです。
 常に、学校の主人公は、子どもであってほしいものです。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字