2007年02月01日

人権教育(8) 両性にかかわること5

07db5ab1.JPG ある大臣が、女性差別発言をしたと、大変な騒動である。

 また、教育ブログにはそういう論述はないと思うが、多くのブログを読ませていただいていると、男女混合名簿や、両性ともに『〜さん』と呼ぶことへの
批判、皮肉などが見られる。

 女性差別発言は論外だが、混合名簿や、『〜さん』づけについては、かつて、わたしも、男女平等論の行き過ぎた姿と思っていた時期があった。簡単に言えば、『何も、そこまでしなくても。』ということだった。

 だから、自分の学校で、これをとり入れるかどうか職員会議で話し合ったとき、わたしは、双方とも、教職員の意志に任せた。大して重要な問題ではないと思ったからだ。

 混合名簿は、とり入れることがすんなり決まったが、『〜さん』づけの方は、反対論もあった。反対の一番大きな理由は、『違和感がある。』といった程度のもので、たいした理由ではなかった。

 
 そこで、わたしは言った。

「『〜さん』付けにしようという声の方が圧倒的なようですから、まずは、やってみたらいかがですか。
 わたしもかつて自分がいた学校で、『〜さん』付けにしようと決めたことがありました。確かに最初、違和感がありました。つい、『〜くん』と言ってしまうのですよね。
 最初は、そう言っている自分に気づかないのです。でも、だんだん、『あっ。しまった。』と思うようになり、それから、だんだん、『〜さん』と呼べるようになりました。
 
 子どもの違和感も最初はありましたね。すぐ、笑うのです。『おかしいよ。先生。女の子みたいジャン。』という子もいましたが、これも、慣れるにつれて、違和感がなくなりました。
 
 だから、まずはやってみたらいかがですか。
 ただし、おおらかになることですね。長年の生活習慣ですから、すぐぱっと切り替えるというのは、むずかしい面もあると思います。『一年間は試行期間。そんな気持ちで、徐々に変えていくようにしよう。』そういう意識でいいのではないでしょうか。」


 しかし、いざやってみると、意外と教育効果があることが感じられた。今では、双方とも大賛成である。


 まず、男女混合名簿。

 卒業証書授与式(卒業式)。ここでは、全国的に、出席番号1番の子だけ、校長が証書のすべてを読み上げると思うが、かつてそれは男子しかありえなかったわけだ。女子児童のそれを壇上で読み上げたとき、「ああ。時代は進んだな。」という思いを禁じえなかった。
 そして、『かつては、必ず男子が先だったわけだから、男子がリードし女子は従うという、そんなことは教育していないわけだが、そういう暗黙の気分を養っていたかもしれない。』そう思うようになった。


 次、『〜さん』と呼ぶことについて。

 職員会議で決めた数ヵ月後、教員のこういう声を聞いた。 

「校長先生。両性ともに、『〜さん』付けするという件についてですが、それは、案外いいなあと思ったことがあるのですよ。
 
 朝の会や、終わりの会で、友達に反省を求めるようなとき、かつては、『男子が、〜。』とか、『女子が、〜。』とか言って話し始めることが多かったのですが、今、そういう言い方はなくなり、『Aさんが、〜。』『Bさんが、〜。』と、名前をあげて言うことがふえてきたのです。これはいいなあと思いました。

 だって、男子が、女子がと言ったって、男子全員、女子全員が、当てはまる話ではないわけですものね。『わたしは、違う。』と言いたいこともあったと思うのですよ。でも、名前で言うようになると、そういう問題はなくなりますものね。これから、男女はますます仲よくなるのではないか。そう思えます。」

 『なるほど』と思った。それで、試行期間といった手前もあり、この話を、打ち合わせで全教職員に紹介した。

 わたしはさらに付け加えた。
「〜。ただ単に、男女が仲よくなるということだけではないと思いました。男子が、女子がと、ひとくくりにする習慣が崩れるとしたら、これはいいことです。男子のような女の子とか、女子のような男の子といった概念も崩れるのではないでしょうか。

 あくまで、『その子らしさ』ですね。それが尊重される気風が育ったら、それはすばらしいことです。今回の両性の『〜さん』づけは、教育的な意味、意義がけっこうありそうです。わたしも勉強させていただきました。」

『〜さん』づけへの挑戦は、加速することとなった。


にほんブログ村 教育ブログへ

 『〜さん』づけ以前には、教員による、子どもの名前の呼び捨てについても、話し合ったことがありました。『呼び捨ては、子どもの人権を軽視しているわけではない。子どもとそれだけ、心と心が接近しているのだ。』というのが最大の論拠だったと思います。
 でも、これも、今では定着しています。『〜さん』づけだとよそよそしいという言い方もあったのですが、それは感覚の問題で、定着してしまえば、よそよそしさも感じなくなりますね。

 それでは、今日も、1クリック、お願いできますか。


人気blog ランキングへ
 
 こちらも、どうぞ、よろしく。

   (9)へ続く。


rve83253 at 05:50│Comments(6)TrackBack(0)児童観 | 人権教育

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2007年02月01日 22:57
言葉というのはとても大切で、会社で「さん」づけで呼ぶことを奨励していました。それも社長も「さん」で呼ぶ。

最初とまどいと違和感がありましたが、それによりそれまでの保守的な会社から「社長なんだから、上司なんだから、おかしいと思っていてもいえない」という空気が少しづつ解けてきたように感じています。

子どもを全員さんづけですか、上記のことからそれもアリなんだと思います。でも、一方でちょっとした引っ掛かりを感じるのですよ。

なんというか、変えなきゃいけないものを進めるこことで、失っちゃいけない何かが、無くすような気がしてしまう。

2. Posted by Hideki   2007年02月01日 22:58
ただのノスタルジーなのかもしれない。変化のもたらす未知への畏怖なのかもしれない。

ただ、最近感じる、父性の喪失、母性の欠如と、無縁じゃないような気がしてしまう。

誤解しないで欲しいのは、男=父、女=母という点は確かだが、男=父性、女=母性では決してないということなんです。

ただ、男らしさ、女らしさを、その差別性から完全否定してしまうことで、それがもたらしていた良い面まで無くしてしまうのはどうなんだろう。

悪い点は当然見直すとして、そこに潜む良い点はきちんと認め、別の形に活かしていくことも考える必要があるのではないか。

完全否定、全否定は、思考停止の証なんだと思うのです。
3. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年02月02日 02:07
5 こんばんは。
今日も興味深いお話、ありがとうございました。

〜さんと全ての人を呼ぶというのは効果あると思います。

でも、一番重要なことは、そこのいる人同士が一人一人の存在を「尊重」するということにあるように思います。これがなければ「〜さん」とただつけてもあまり意味がないでしょう。

一人一人が尊重しあうから、自然と「〜さん」と呼び合うようになるか、「〜さん」と呼ぶにつれて一人一人を尊重できるようになるか・・・

となってしまいそうですが、ようはどちらが先でもお互いを尊重できる空間ができることはとてもよいことですし、子供にとってとても大切なことを自然に教えることができるということはいいことですね。素敵です。

4. Posted by toshi   2007年02月02日 03:54
Hidekiさん
 会社もさんづけですか。これは驚きました。社長もさんと呼ぶとは。わたしも民間歴がたった一年ですが、ありますので、やはり驚きです。
 もう一つ。学校は、大人同士なら、旧態依然だと思います。役職で呼びますし、互いには、『先生』と言います。もっとも、学校は、地域も保護者も呼びますから、そして、子どももですね。どうしたらよいか、今後の課題でしょうね。
 もっとも、現場はまず課題とは思っていないでしょう。今、校長の権限強化といわれる時代ですから、当分は、課題意識もなくいってしまうでしょう。
 でも、言われてみれば、学校も大人同士、さん付けでいいと思いました。
 子どもが担任をさん付けするということは、これは変だと思いますがね。
 こういうの、外国はどうなのでしょうね。
5. Posted by toshi   2007年02月02日 04:11
 わたしも問題提起したいと思います。
 全員さん付けと、男らしさ、女らしさを全否定することとは、違うと思うのですが、いかがでしょうか。
 これ、実は、次の記事にしようと思っていたことなのです。
 
 男らしさ、女らしさを否定するつもりはまったくありません。
 わたし、思うのです。学校が、『男は男らしくなりなさい。女は女らしくなりなさい。』と、教育するのは、やはりまずいと思います。一人ひとりの個性として尊重するなかでは、それでは、生きにくくなる子どもが出ると思います。
 でも、一人ひとりの個性を大事にすると、自然に、『人間らしく』と指導するなかで、子どもの側からすれば、一人ひとりが、自分らしさを発揮するなかで、子どもの内面からにじみ出るものとして、男らしさ、女らしさが発揮されていくのではないか。そう思うのです。
6. Posted by toshi   2007年02月02日 04:58
くぼみちさん
 おっしゃる通りと思います。
 かたちだけではだめ。かたちと人間尊重の精神とは、どちらが先でもいいけれど、互いに関わり合うようにして、大事にしていかなければいけないということですよね。
 ただ、現場の悩みもあります。
1.どちらか一方になってしまいやすい状況。
2.指導していても、なかなかさん付けが定着しない状況。
 どちらも、担任の指導力が関係してきますね。無理なく取り組むと言ったって、永遠の課題となってしまってはまずいわけで、そうした意味でも、担任の指導力が問われそうです。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字