2007年02月03日

人権教育(9) 両性の違いは?

674feac4.JPG 先の人権教育(8)で、学校教育が、男女混合名簿、及び、両性ともに『〜さん』づけすることをとり入れていることについて述べた。
 これについて、男らしさ、女らしさの否定につながることはないかという、ご意見をいただいた。

 この点について、学校教育は、広く統一された見解をもっていないと思う。それは、広く統一された見解が2つあって、両者が対立し合っているという状況も含めて、そういうことすらないと思う。(そう言っていいか自信がないまま言っています。ごめんなさい。)


 そこで、わたし独自の意見となるのだが、〜。


 むかし、男の子っぽい女の子(せっちゃん)と、女の子のような男の子の登場する話が、教科書に載っていた。『どろんこ祭り』という。どろんこ祭りで、女の子が、男の子の顔に泥をぬりつけることが契機となって、男の子は男の子らしくなり、女の子は女の子らしくなったという話だった。

 そのときの、ある女子の発言が忘れられない。忘れられないと言いながら、細かいことは忘れてしまった。すみません。要するに、
「作者の言いたいことは分かるよ。でも、わたしは、変わる前のせっちゃんが好き。」
という趣旨の発言だった。

 わたしは、この発言をほめた。
「それはすばらしいことだ。作者の言いたいことはちゃんと理解している。理解したうえで、作者の思いと違う思いを、Aちゃんはもったのだね。そういうように、自分の思いを大切にするのは、すばらしいことだよ。このどろんこ祭りを学んだことによって、Aちゃんは、『男の子っぽい女の子は大好き。』という思いを強めることができたのではないかな。」
というようなことを言ったと思う。

 そう。いろいろな思いがあっていいのだ。要は自分らしさが大事。ただし、その自分らしさは、自分で学びとるなかで、大いに鍛えていこうとするものでなければならない。
 学校教育は、そういう一人ひとりの子どもの営みを、支援する。
賞賛、励まし、意味づけ、価値づけなどをするなかで、己を鍛えようとする心を養う。
 それでいいのではないか。

 ただし、教員の行う支援に、『男らしく、女らしく』はないだろう。そういう価値観を植えつけようとはしない。また、逆に、『男らしく、女らしくはだめ。』というような支援もないだろう。あくまで、自分らしくということだ。



 話は変わるが、わたしはこの歳になって、『人間の本性としては、やはり、男らしく、女らしくは、あるなあ。』というのが実感となった。


1. すでに何度も述べているが、わたしたち夫婦は、2人の娘を育ててきた。そして、今は、孫が3人。孫はすべて男の子だ。
 明らかに言えること。遊びが違うのだ。
 自信をもって言えるのは、男の子だから車のおもちゃ、女の子だからお人形を与えたというわけではない。はっきり好むものが違うから、娘にはお人形、孫には車のおもちゃとなったに過ぎない。

2. 今、4年生担任の初任者は、総合的な学習の時間として、2分の1成人式に取り組んでいる。この10年間の成長を振り返るために、何人もの子が、赤ちゃん時代の写真を持ち寄っている。
 担任が、ある女の子の写真を、『かわいいねえ。ちょっと他の子の服と違うね。』と言いながら、みんなに見せようとしたところ、隣の席の男の子が言った。
「そんな、赤ちゃんのときの写真なんかみんなに見せたら、かわいそうだよ。」
ところが、当事者の女の子は、みんなに見てもらいたいのだった。

3. わたしには、2人の妹がいる。2歳違いの妹は、昨年、残念ながら亡くなってしまったが、以下は、4歳違いの妹の話である。
もう、20年近くもむかしのことになってしまった。あることをとり上げ、ぼやいたのだ。
 当時、長男B(わたしにとっては甥)は、高校生だったか。
「まったくいやになっちゃうわ。この前、近所の道で、友達と一緒に歩いてくるBとすれ違ったのね。そうしたら、なんと、知らん顔して通り過ぎるのよ。『こんなおばさん知らない。』っていう態度なの。もう、頭にきちゃって、家で問いつめたら、『だって、みっともないじゃないか。』って言うのよ。親に会うのが何でみっともないのよねえ。」

 そこで、わたしは言った。
「そりゃあ、男の子の心理として分かってあげなくちゃいけないよ。要するに、てれくさいのだよ。」
 その『てれくさい』が、女親にはまた、理解できないようだった。

4. それとは逆に、わたしの次女は、20歳過ぎても、町を歩くとき、いつもではないが、腕を組んで歩いてくれた。今度はわたしがてれくさかったが、娘がせっかく組んでくれるのを解きほぐすのも変だから、そのままにして歩いた。今のご夫君とつき合うようになってからは、さすが、それはなくなったようだったけれどね。

5.上記、4の話を、長女夫婦、次女夫婦のいる前で話題にしたことがあった。そのときの長女の言葉。
  「だけど、おかしいよね。女の子がお父さんと腕を組んで歩いていると美談のように言われ、逆だと、すぐマザコンて言うでしょう。同じじゃない。」
 そこで、わたしは、3を例示し、
 「C(長女の名前)は、男の子2人の親だから、そう言いたくなる気持ちは分かるけれど、男の子と、女の子は違うのだよ。だから、女の子のそれは、ふつうに写るけれど、男の子のそれは、やっぱり変に写るのではないかなあ。
 ほんとうは、それではいけないけれどね。」

6. 教え子が高校生だったとき、親子一緒の同窓会を開催してくれたことがあった。そのとき、ある母親がうれしそうに、
「うちのD(息子さんの名前)は、今でも、わたしと一緒に、買い物につき合ってくれますよ。」
と言った。それを聞く多くの母親はうらやましそうにしていたけれど、男の子たちは、シーンとしてしまった。

7. 先日のテレビで、ある父子家庭の生活を放送していた。父親とお嬢さんの二人暮らしの生活だった。よくやるお父さんで、その点は敬服したが、こういうことを言っていた。
「まだ3歳なのに、娘の中にある女の部分に戸惑うことがあります。鏡を見た後で、『お父さん。今日も、わたし、かわいい?』って聞くのですよ。こういう心理というのは、男親には理解できないですね。」


 以上を、「たまたまそういうことがあったに過ぎないのよ。男の子も女の子もいろいろあるなかの一つよ。」ととらえるか、「やっぱり男女は生まれつき違う面があるのだ。」ととらえるかは、読者の皆様にお任せしよう。まあ、わたしは、後者なのだが。
 少なくとも、これらはみな、教育の結果ではないだろう。その子らしさが、にじみ出ているものと思う。


 少し、話題がそれるが、お許しください。

 昨日のことだ。もうすぐ一人の初任者が、『ごんぎつね』(4年生の物語教材)で、研究授業をするが、その指導案検討が終わり、雑談となったとき、わたしは言った。たぶんに、今日のこの記事のことが頭にあったせいだと思う。

「ごんぎつねはたぶん、オスのきつねだな。」
「えっ。なんで、そんなことが分かるのですか。」(この言葉は初任者ではない。一緒に検討に参加してくれたベテラン教員である。)
「だって、つぐないをしても、兵十に見つらないように、見つからないようにって、行動しているだろう。それが、オスのきつねを思わせる。」
「そんなこと、分からないじゃないですか。こういう性格のきつねなのだとしか言いようがないですよ。toshi先生は、そんなことで、男だとか、女だとか決め付けるのですか。」

 ああ。これは、わたしの失言。
 まあ、別に決めつけているわけではないのだが、そうとられてしまった。
第一、それを学習内容にしようなどとは、絶対思わないから、どうぞ、ご安心を。・・・。子どももするわけがないしね。


 さあ、そろそろ、本論に戻ろう。

 性差(『性違』と言いたい。)は確かにある。しかし、それを学校、家庭教育が、助長するようなことは、あってはならないだろう。性による役割の固定化につながる。

 あるホームページを読んでいたら、
『親のしつけとして、男子には、『責任感・自立心』を求め、女子には、『素直さ・思いやり』を求める傾向がある。』という指摘があったが、もしそうだとしたら、これは、あってはならない。どちらも、性に関係なく大事なことだ。

 あくまで、人間らしさのしつけでいこうではないか。そのなかで、子どもが内面にもつ、男らしさ、女らしさが、自然に育まれると思われる。
 また、男らしさ、女らしさが、にじみ出てこなかったとしても、それは、一つの個性なのだから、人間として、尊重されなければいけない。

 学校、家庭教育ともに、その精神でいきたい。


 前号でとり上げた、『男女混合名簿』も、『〜さん』づけで呼ぶことも、そういった意味にとらえたい。それ以下でも、以上でもない。

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 言葉遣いの指導が、またむずかしいですね。
『そんなこと、女の子の言う言葉ではありません。』
こう言いたくなることは確かにあります。でも、気をつけます。
『乱暴な言葉だな。もっとやさしく丁寧に言おうよ。』
くらいでしょうか。

 そうであっても、子どもが内面に持つ、男らしさ、女らしさによって、自然に、男らしい言葉遣い、女らしい言葉遣いになっていくのだと思うのですが、これについては、自信がありません。

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   (10)へ続く。


rve83253 at 11:52│Comments(18)TrackBack(0)教育観 | 人権教育

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この記事へのコメント

1. Posted by POOHママ   2007年02月03日 15:54
お久しぶりです。
両性について、ここまで真剣に考えていただける
管理職経験者は珍しいです。
(組合員ですら、珍しいのに)
敬意を表します。

そういえば、
長男の友達(男子)が中学生になっても
母親の買い物の荷物もちをしていたのを見かけ、
(うちの子は、なかなか一緒に歩くことも少ない)
「あの子はえらいですねー」
って小学校時代の担任(Toshi先生の1〜2才下)に
話したら、
「そりゃ残念。あんたの子のほうが、まともだよ」
と返されたことを思い出しました。
2. Posted by POOHママ   2007年02月03日 16:01
黒柳徹子さんだったと思いますが、
(違ったら失礼ですけど・・・)
10年くらい前に言っていてこと。

男児は生まれつきやさしい・・・
だから、「たくましく」って、
女児は生まれつきたくましい・・・
だから、「やさしく」って、
そう育てることで、
どちらも人間としてちょうどよくなるのよ。

なるほど。
私は、小学生高学年あたりから
男女差別について意識し始め、
カリカリしていたけど、
これはストンと落ちました。

でも、やっぱり学校では性差別を助長することは
いえないと思います。
というか、
女とか男とか、ひとくくりにすることで、
「個」としてみることを
やめてしまっている場合が多いと思います。
3. Posted by きゃる   2007年02月03日 17:14
性差はあっても差別はしない。
よく人権教育の研修で資料として配られたお話を思い出します。

一人の子どもが交通事故にあって、
瀕死の状態のところに医者が駆けつける。
医者は子どもを見ると、ショックを受ける。
偶然にも、自分の子どもだという。
周りの人が驚いて、子どもの父親か?とたずねると
医者は違う、と答えた。

英文で書かれていましたが、内容はこんな感じだったと思います。

「男らしさ」「女らしさ」って気をつけないといけません。
リカちゃん人形で遊びたかった男の子の辛さ、
スカートを履きたくなかった女の子の辛さ、
みんな差別のせいです。
身近にそんな子どもがいました。
4. Posted by dieu   2007年02月04日 03:43
「男らしさ」も「女らしさ」もどちらも男性中心だった時代の概念です。
それを克服しようという発想は、一見女性を応援しているようでありながら、結局は男性社会の土俵の上にたっているように感じます。
両性というはっそうもどうしてもその範疇にいる気がしてしまいます。
5. Posted by toshi   2007年02月04日 06:01
POOHママさん
 この問題は、なかなかむずかしく、わたしも、理屈では分かっているつもりでも、感覚的な面では、ずれてしまうこともあります。ごんぎつねの話も、そういったことかなと思いました。子どもの思いの多様性は認めながらも、教える側がああいうことを言ってはいけませんよね。まだまだ勉強です。

 POOHママさんの『あの子は、えらいですよね。』は、母親の買い物についていくことを言ったのではなくて、『荷物もち』のことを言ったのでしょう。だから、当然、えらいですよ。
 それに対して、『まともだよ。』は、ついていくことに対して言ったのでしょうね。多様性を認めていないですね。教える側がそれでは、まずいですよね。

 両性の問題に限らず、差別はだめだし、一人ひとりの子どもが大切にされる学校にしないといけませんね。多発するいじめの問題も、根は、ここにもあるのではないかと思ってしまいます。
6. Posted by toshi   2007年02月04日 06:14
きゃるさん
 わたしの子ども時代も、わたしのクラスにいましたね。休み時間、編み物ばかりしている男子がいました。
 わたしも含め、級友は、別に差別はしなかったですね。ふつうに付き合っていました。
 多様性はやはり認めないといけないですね。
7. Posted by toshi   2007年02月04日 06:37
dieuさん
いろいろな考えがあっていいとは思いますが、わたしは、『男らしさ』『女らしさ』は、『原始女性は太陽だった。』の時代からあったのだと思います。
 『男らしさ』『女らしさ』が、教育、しつけの結果としてある部分については、おっしゃる通りです。そして、それは克服しなければいけませんね。克服しようと努力しています。
 他方、教育、しつけとは無縁の部分で、子どもの内面から出る『男らしさ』『女らしさ』があると思います。もちろん、それがない子、うすい子、逆になっている子もいるという多様性も認めて、それらは、その子らしさとして認め、育んでいかなければいけないと述べているのです。

 
8. Posted by toshi   2007年02月04日 06:40
わたしは、女性を応援している気持ちはありませんよ。
きゃるさんのおっしゃる、
《リカちゃん人形で遊びたかった男の子の辛さ、スカートを履きたくなかった女の子の辛さ》
といったものに対し、そういうつらさを味わわせる教育であってはならないと言っているのですから。
9. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年02月04日 08:03
5 なかなかに突っ込んだお話ですね。
あくまで私見ですが、男女の違いは生まれもって与えられているものであり、相互補完的だと思います。それ以上でも以下でもありません。
ただ、なんでもそうですが「押し付け」はよくないと思います。男だから〜、女だから〜という考えを押し付けることも、男女の違いを押し付けないという押し付けもです。
男女と分ける以前に「一人の人間」なのです。
ココが全ての基本となるべきではないでしょうか。
10. Posted by POOHママ   2007年02月04日 09:03
実は「両性」という考え方自体が
間違っているのですが、
ほかに言葉が見つからないので
結局使うことになりますが・・・。

実は人間の性は2つではなく多様です。
(胎児の初期はひとつです)

男と女が大多数であり、
どちらともいいがたい人は少数。
しかも、完全男か完全女の場合は
体力的・生殖的に優れていて、
生き延びる率が高い。
だから、繁殖に便利な2極(男と女)だけが
クローズアップされたんですね。

ちなみに、
体の性、心の性、社会的性は
必ずしも一致するものではありません。
だから、男女の違いは生まれつきとはいえないのです。



11. Posted by きゃる   2007年02月04日 11:10
性差(性異?)ってなんでしょう?

医療面(婦人科など)で分けるとき(性機能)
スポーツ競技で分けるとき(青年期を中心とした身体能力)
バスルーム、更衣室を分けるとき、など

…分けなくてはいけないこともたくさんありますよね。
それ以外は分けなくていいんじゃないでそうか。
今まで、自分に都合のいいように分けてしまったいたんですが、
性格とか、特技とか、(上で述べたこと以外の)能力とか。
12. Posted by toshi   2007年02月04日 12:27
くぼみちさん
 そう。押し付けがよくないのですよね。
 そういう意味でも、教え込み、詰め込みの教育は、基本的には、排除されなければなりません。
 わたしは、担任のとき、子どもに有無を言わせずやらせることとしては、危険があるとき、人権にかかわる問題性を感じたとき、学年・学校全体で取り組む教育活動で、やむをえない事態が生じたときの3つに限定していたように思います。
 子どもの生活、子どもの思いを軸に学習を進めると、子ども自身が、自分の思いを深めたり、修正しようとしたりします。
 その力を信頼することが大切ですね。
13. Posted by toshi   2007年02月04日 12:37
POOHママさん
 おっしゃることはよく分かりました。
 まったく別次元の話になりますが、お許しください。
 『両性』という言葉については、うろ覚えなので記事にはしなかったのですが、以下のような話を聞いたように思います。間違っていたらご指摘ください。
 『戦前まで、日本語に、この言葉はなかった。日本国憲法の草案作りの際、英語の訳として、日本語に適切な言葉がなかった。それで、この言葉を作った。その後、男女平等とか、すべての言葉が、男が先に来る言い方に抵抗を感じた方々が、『女男という言い方にも違和感があるし、いい言葉はないか。』というなかから、憲法に使用されている『両性』が使われるようになった。』
というものです。
14. Posted by toshi   2007年02月04日 12:52
きゃるさん
 おっしゃる通りと思います。厳然と分けなければいけないときは分ける。これも人権教育として大切なことですね。
 学校の混合名簿も、保健簿となれば、話が違います。教室での着替えも、分けるべきですね。
 卒業式のことを記事にしましたが、中学校では、席を分けます。これは歌うときのためですね。小学校は男女混ざっていても歌声がそろいますが、中学校は、男女分けないと、歌いにくいからですね。
 ああ。言い出せばきりがない。これでまた一つ記事ができそうです。
 要は、きゃるさんがおっしゃるように、人権上、分けるのが当然のときと、分けてはいけないときとをしっかり検討することでしょう。
 その際、年齢、発達段階も踏まえなければなりませんね。
15. Posted by POOHママ   2007年02月05日 19:59
「両性」についての説明、ありがとうございます。
その頃は、性が二つという認識しかなかったのかも知れないですね。
多様な認識があったとしても、
「婚姻」については、男女のみしか扱わないから
(同姓結婚は認めない)
「両性」という言葉になったのでしょうかね。

ところで、
制服は、どうして男女の違いがあるのですか?
不思議で、わが子にも説明できないのです。
それが嫌で、(それだけの理由ではないけど)
結局、私も、わが子も
義務教育以外は
私服の学校に進学したんですよ。
16. Posted by toshi   2007年02月06日 00:08
POOHママさん
 いいえ。こちらこそ、的外れなコメントで申し訳ありませんでした。
 
 制服の件は、ごめんなさい。わたし、ちょっと分かりません。
 ただ分かること。
 我が地域では、小学校で、制服がある例はありません。全校、私服です。
 中学校は大部分ありますが、制服とは言わず、標準服と言います。ですから、違ってもいいのです。(たぶんに建前のきらいはありますけれどね。)
 中学校でも、若干、私服のみの学校があります。 もちろん、以上は、すべて公立校の話ですが。
17. Posted by POOHママ   2007年02月10日 18:58
私の地域でも小学校は全校私服です。
中学校は全校制服です。
しかし、制服は行事のときのみで、
普段は男女共通ジャージで過ごします。

制服は、たぶん戦前からでしょうね。
そして、その頃は、
男女共学ではなかったでしょ。
だから、制服等で分ける必要があったのだと思われます。
しかし、今は平成になってるし、21世紀だし。
それを引きずる必要はないと思うのです。
1990年以降に制服を変更した高校がたくさんあるのに、
どうしていまだに男女別なのだろうと
不思議に思うのです。
中学に至っては、変更すらしない。
なぜでしょうね。
18. Posted by toshi   2007年02月11日 15:15
POOHママさん
 POOHママさんは、制服そのものに反対されているわけではないのですね。
 男女に違いがあるわけと言われても、ちょっと分かりません。申し訳ありません。
 ただ、我が地域において、小学生の体育着なのですが、気づいたことがあります。
 以前は、男子は白の短パン、女子はブルマーと、だいたいそうなっていました。しかし、今は、男女ともに、紺の短パンとなっています。
 これは、変質者騒動が発端ですが、しかし、男女ともにそろえるようになったのは、POOHママさんのおっしゃるセンと同じなのかもしれません。分ける必要はないということですね。

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