2007年02月05日

教育再生会議の提言に思う。(2) いじめ問題にかかわって1

2ba90eb9.JPG いじめを繰り返す子どもに、出席停止措置をとれることになりそうだ。

 また、体罰の見直しをすることによって、教室の秩序を乱し、他の子どもたちの学習権を奪いかねない子どもに対しては、教室から出し、廊下に立たせることができることにもなりそうだ。


 今日はこの点について考えてみよう。とは言っても、あまりにもシビアな問題で、あまり具体的に書けないことはお許しいただきたい。



 一番言いたいのは、出席停止措置にしろ、廊下へ立たせるにしろ、ひとむかし前の一定の学校秩序が保たれていた時代と今とは違うということだ。
 むかしなら、それがいいとは思わないが、一定の効果があったであろう。しかし、現代という時代、これは果たして意味をもつのか。そこから問わなければならない。



 恥ずかしいが、自分が若かったころの子どもへの対応を、正直に告白しよう。

 とは言っても、子どもとはよく遊んだし、未熟でも夢中に教育実践に取り組んだし、そういうことのなかで、今でもこの年代の子どもたち(今は40代)と、豊かな交流があることは、あらかじめ申し上げたい。


 子どもが問題行動を起こす。手に余る。そうすると、言ったものだ。
「何やっているのだ。そんなに、先生の言うことがきけないのなら、もう、学校にいることはない。お前みたいなやつは家に帰れ。」

 そのように言っても、ほんとうに家に帰る子どもは絶無だった。なかには、泣いてわたしの足にすがり、
「ごめんなさい。もうしません。(許してください。)」
と言う子もいた。

 また、廊下にとび出して、家に帰るふうを装いながらも、廊下の向こうに立ち止まり、こちらをチラッチラッと様子見する子どももいた。

 そんな感じで、けっきょくは、『もうしないな。』などと言いながら、許すことができた。

 許す状態にはなるだろうとたかをくくりながらも、『大丈夫かな。ちゃんと教室に戻すことができるかな。』と心配した。胸のうちでは、どきどきしていたことを思い出す。一件落着したときは、ほっとしたものだ。


 だから、言うまでもないとは思うが、わたしはむかしを懐かしんでいるわけではない。思い出すだけでも、ざんきにたえないと思っている。



 さて、今の子どもは、明らかにそれとは違う。もし上記のような対応をすれば、ほんとうに家に帰ってしまう子どもがけっこういるのではないか。

 そうすると、担任は授業どころではなくなってしまう。途中の安全も気になるし、ちゃんと(?)家に帰るかどうかも心配だし、・・・、結局子どもを追いかけなければならない。

 そんなわけで、『お前みたいなやつは家に帰れ。』などという教員は、今いないと思う。



 では、教育再生会議が言うように、廊下へ立たせるのはどうか。

 これとて、同じことだろう。廊下でじっとしている保障はない。おそらくどこかへ行ってしまうだろう。あっちへふらふら、こっちへふらふら。家には帰らないにしても、学校で遊びだす子もいるだろう。

 そう。そう。家に帰らず、学校にもいないで行方不明になった事例もあった。その子は、鉄道好きだったせいもあって、なんと、無賃乗車し、隣県まで行ってしまったという。そんな話を聞いたこともある。
 


 出席停止の児童も、家にいていいと言っているわけではなさそうだ。まあ、確かに、現実的にはそれは無理だし、教育的でもない。
 そこで、学校のどこか別室で、個別指導をすることになる。それと、校内をふらふらする子どもの対応。

 だから、教育再生会議のおっしゃるようにして、成果をあげるには、これはもう、人手を増やしてもらうしかない。
 でも、今という時代、それが簡単にできるとは思えない。



 では、どうするか。

 残念ながら、特効薬、即効薬はない。その点、教育再生会議は、何か思い違いをしていないか。いったい子どもをどう見ているのだろう。

 
 特効薬、即効薬はないが、じわじわと効く漢方薬はある。

 それは、人間性豊かな心をはぐくむ教育を実践することだ。それしかない。

 
 初任者指導をしていてつくづく感じること。

 子どものことを思い、子どもの思いに共感することのできる教員は、温かい。
 今、この子は何を欲しているかを理解し、その子のために、自分は何をなすべきか。そういうことを気にかける教員。最低限これだけあればいい。
そういう教員の学級なら、たとえ初任者の学級だって、たとえどんな時代の子どもだって、上記のような問題行動は、基本的には、起こさないだろう。いじめもない。

(わたしの経験で言わせてもらえれば、虐待を受けて育った子などがいる場合は、起こらないと断言できない部分もある。それは、別途解決策を模索しなければならない。)

 要するに、一人ひとりの子どもへの、愛情ある児童理解だ。

 授業力を高めること。それも大切だが、それは、児童理解ができて初めて可能になるものだろう。


 
 結論を言おう。

 先のブログの記事に、『お手軽学力論』と書いた。その学力と愛情のある児童理解と、二兎を追っていたのではだめだ。ドリル等の徹底反復訓練学習と愛情ある児童理解が両立するとは思えないのだ。

 豊かな人間性を育む学級経営のできる教員。それを養うための研修を計画していただければ、ありがたいなあと思う。


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 豊かな人間性を育む指導なら、学力は、豊かな人間性そのものであり、それなら、愛情ある児童理解と一致しますね。そうした方向でしか、この危機を救う道はないと、わたしは、確信しています。

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rve83253 at 23:41│Comments(7)TrackBack(0)教育観 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by うるとら   2007年02月06日 01:24
こんばんは。

「教室から出て行きなさい。」
この言葉を使うと、ドキドキする気持ちは
よく分かります。
今の子、ホントに出て行ってしまいそうですから。

私なりの意見ですが、
小学校で最も大事にしたいことは、
「自分自身と他人を大切にできること」
だと思います。

それは数字では表れないことだと思いますし、
弱肉強食の格差社会と相容れない考え方ですが。

人と人とが優劣の差を越え、学びあい助け合う
大村はまさんのお言葉をお借りすれば
「学びひたれる」集団を育てていくことができるよう
私なりに努力していきたいと思います。

ありがとうございました。



2. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年02月06日 02:25
今日も興味深いお話をありがとうございます。
私も教育再生会議の対策があまりにも「場当り的」なような気がします。まるで、教育界から早く手っ取り早くいじめを取り除こう、いやとりあえず見えないようにしようとしているようにさえ感じます。
はっきりいって「子供のこと」をまったく無視した大人の対応策です。
そこに「子供」の存在がないのです。
3. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年02月06日 02:26
続き

「いじめられた子供」も当然ですが、「いじめてしまった子供」も同じくらい問題を抱えているのです。小さな体では抱えきれないほどの問題を・・・
この問題を「子供」だけの問題にしようとしていませんか??私はそう感じるのです。
toshiさんがおっしゃるように、いじめにたいする一番の薬は「豊かな人間性を育む」教育だと思います。人の存在を認めることができる環境に「いじめ」は起こらないでしょう。そして、この考えは「家庭」や「社会」全体にも必要な条件ではないかと思います。。。
長くなってしまって申し訳ございません。。。

4. Posted by toshi   2007年02月06日 23:22

うるとらさん

 最も大事にしたいことは、
「自分自身と他人を大切にできること」
だと思います。

 ほんとうにそうですね。さらに、『自分自身と他人の命を大切にする』とも言えそうですね。どうも命の大切さを教えきれていないように思います。
 『自分の命を軽視するから、人の命も軽く見る。』そんな風潮があるように思うのです。自殺と他殺は紙一重といった感じもします。
 また、子どもでいうなら、『人はいったん死んでもまた生き返る。』と思っている子もけっこういますね。
 こういう点、しっかり指導していきたいものだと強く感じます。
5. Posted by toshi   2007年02月07日 00:06
くぼみちさん

 おっしゃる通りですね。

 『女性は産む機械』と言ってひんしゅくをかった大臣がいましたが、『子どもを学ぶ機械』とする子ども観が横行しています。

 もう一つ言いたいこと。

 『人間性豊かな心をはぐくむ教育』は、教員の心の温かさと一体であり、それさえあれば、初任者だってしっかりできているということです。

 公立学校における、子どもの心を斟酌しない教え込み、訓練、など、など。これらは、今の時代、間違いなく、子どもの心を荒廃に導くでしょう。
6. Posted by すずめ   2007年03月04日 23:25
こんばんは
教育ブログから来ました。中学校で毎日子どもたち相手に奮闘しています。
ちょっと前までは,関係者全員,職員室に連れてきて,「そこ,座って」って床に正座から始まったんですけど,今じゃそれもできませんし。
よっぽど自信のある時しか,思い切った指導もできませんし。人間のぶつかり合いが足りないというか。心寂しいものがあります。
それでも,卒業の時に「先生には怒られた方が多かったけど,学んだ事もたくさんあります」なんて言われるとほろっと来てしまいます。これからもきちんと叱れるよう頑張りたいと思います。
7. Posted by toshi   2007年03月06日 20:12
すずめさん
 お返事が遅れ、申し訳ありませんでした。
 中学校は、よいことにつけ、よくないことにつけ、それだけ、経験年数が多いので、それだけ、喜びも困難なことも、小学校以上なのだと思うのです。
 それが問題行動の場合は、考えただけでも、大変だろうなあと思います。
 『鉄は熱いうちに打て』シリーズでも言ったのですが、それだけ小学校の責任は大きいものがあると思うのです。早ければ早いほど対応は、しやすくなるというのが、わたし実感です。

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