2007年02月26日

教育再生会議の提言に思う。(5) 奉仕活動必修化をめぐって4

9f3c5a93.JPG  若いころ、奉仕活動というと、戦前の教育と言ったイメージだった。

 古くさい。
 今という時代に似合わない。

 無理やり強制的に抵抗のあることをやらされる。
 人間と言うものは、やりたいことをやっていればいいのだ。各人、やりたいことはそれぞれだから、それで社会は成り立つ。
 万一、希望者がいなければ、そういう仕事の給料は高くなり、それでやりたいと思う人は出てくる。
 そんなふうに思っていた。

 しかし、だんだんそうでないと思うようになった。
 やはり、やりたいことをやっているだけではだめなのだ。
 やりたいやりたくないを超越して、人類の幸せ、協調、共栄のために、なくてはならない仕事だから、やる。それをやることに、幸せを感じることができるのでやる。そういう心情を養う必要がある。
 そう思うようになった。

 学級経営、児童指導だってそうではないか。係り活動にしろ、委員会活動にしろ、縦割りの活動にしろ、『やりたいからやる』を超越して、やらせていただくことが、みんなの喜びとなり、そのみんなが喜んでくれることが自分の充実感、満足感、幸せ感になるという、そういうことを目標として成立するようになれば、すばらしい。


 さて、高校における奉仕活動の必修化は、以前から言われてきた。わたしは、冒頭述べた点から言っても、成長期に、奉仕活動をとり入れることには賛成だ。しかし、現状の高校に義務付けるのは、現実的だろうか。


 本シリーズの前回、『大学入試は、入口(入学)は軽く、出口(卒業)は重く。』と述べた。入試体制の改革である。
 そして、『成長期は、どの年齢においても、その時期にしかできないことがある。』とも述べた。わたしは、この、『その時期にしかできないこと』の一つに、この、奉仕活動を含めたい。


 現行の入試体制が、奉仕活動の機会を奪っている。仮にとり入れたとしても、上記ねらいの達成が可能だろうか。

 貴重な人格形成の機会が、入試への取組で押しつぶされる。その矛盾が今の日本社会を迷走させている。・・・。と言ったら言い過ぎか。でも、『迷走のかなりの部分を占める。』とは言えるだろう。

 そこで、奉仕活動導入について、わたしは、現状を改善するための方策を、二つの段階に分けて記事にしたいと思う。


第一段階

 数ヶ月前、高校で、未履修問題が起きた。その後、中学校でもあったことが報告されている。高校が世界史だったのに対し、中学校は、毛筆の時間だ。

 これらはなぜ起きたか。
1. 学校5日制導入で、授業時数が減ったこと。
2. いわゆる学力低下論が渦を巻き、入試学力にのみ、焦点が当てられるようになったこと。
3. 公私立間で、不公正な扱いが放置されていることからくる公立のあせり。具体的には、私立の土曜日授業実施など、教育課程の弾力的(不公正的)運用。
4.生徒、保護者の支持。
5.国も、これまで、見て見ぬふりをしてきたこと。

 これ(『未履修』ではない。『不公正を』である。)を早急に是正しなければいけない。ところが、教育再生会議は、この不公正にまったくふれていない。これで未履修のみをターゲットにしたのでは、公私立間の不公正は拡大されてしまうだろう。前回に引き続くが、教育再生会議は、この点の改革は、必要なしとしているのだろうか。

 さて、奉仕活動の話に戻るが、現状のままで、高校での奉仕活動の必修化と言って
も、これは、また、未履修の拡大再生産、あるいは、おざなりな活動になる恐れが多分にある。何の教育的効果ももたらさないだろう。

 お義理で年間数時間とり入れても、上記ねらいを達成できるとは思えない。


第二段階

 もし仮に、不公正を是正したとしても、それで、オーケーとはいかない。前号で述べたように、また、上記にもあるように、入試制度を改革する必要がある。
 そして、小、中、高とも、その学校生活において、その成長発達段階にふさわしい、十分なる人格形成を目指す。
 上の学校のことなど考える必要がないようにする。そして、思いやり、やさしさ、協調する心などを養う。そういう体制になったとき、奉仕活動の必修化は初めて意味をもつ。

1. 入試に役立たない厄介な教育活動という見方がなくなる。
2. 子どもたちは、自分の人生観を養うことができる。人のために働くことの喜びを通して、根気強さ、成し遂げる心も養う。
3. 受け入れる側にしても、充実した思いで、子どもたちを迎え入れることができるのではないか。

 そう。この受け入れる側のことを考えることも必要だ。教育再生会議は、地域、企業の協力を呼びかけているが、わたしは、福祉、養護施設などもこれに含ませるべきだと思う。

 
 そうなって初めて、高校における必修化は意味を持つのではないか。



 ここでは、奉仕活動にのみ焦点を当てたので、以上のような記述になったが、もちろん、生きる力、学ぶ力を養うだけではない。これらを養うなかで、知識・技能の定着を図る。子どもたちが主体的に学ぶので、文字通り生きて働く知識・技能の習得となる。
 入試学力とは大きく一線を画するものとなろう。


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 こういう時代がやっってきたら、教員の意識改革も必要となりますね。なにしろ、知識の詰め込みに長い間ならされてしまったのだから、大変です。

 小学校はまだいいのではないでしょうか。現在でも、比較的、入試に影響されずに、人間本来の教育をやっていると思います。

 次回は、教員免許更新制にふれたいと思います。

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この記事へのコメント

1. Posted by 教師になり損ねた男くぼみち   2007年02月28日 02:29
5 今日も貴重なお話ありがとうございました。
今日のお話の中で不公正を正す、入試制度の改革というところまさに同感です。
今の教育制度は自分で考えて行動するということをひどく妨げているように思います。結果として受験で結果がよかればそれでいいといった「自己中心的」な考えや「勉強なんてどうでもいいや〜」的な考えになるように思います。
今の教育再生会議は現状に対処するためにさらに縛りを厳しくして対処しようと考えているように思いますが、その方法では改善できないように思うのは私だけでしょうか・・・子供がゆっくり考え心の底からわいてくる動機から行動できる物理的、精神的「余裕」のほうが必要に思うのです。。。
2. Posted by Hideki   2007年02月28日 21:06
こんちは

今回のお話、実はとてもとても深いものがあると思うのです。奉仕(Volantary)という思いは、慈善(Charity)とはちょっと似てるけど違う。まして滅私奉公とは全く違う。でも、これを似たようなものとして扱ってしまうのとは大変な間違いだと思うのです。

いろんな起業をした方の話を聞いて、もちろん大金持ちになりたい、有名になりたい、世の中を動かしたいという内に向かう力もあるのは確かだけど、一方で今の世の中がこれじゃいけない、何とかしなきゃいけない、…こんな思いから始まった起業も数多くあると思うのです。ボランタリーな思い、というのはとても重要なんですよ。松下幸之助氏の水道哲学なぞ、まさにそれだと思う。

3. Posted by Hideki   2007年02月28日 21:07
そして、これが「働く」ことの大きな一つの原動力になると思っています。

今の世の中の問題・欠けているものを感じ、それを自分が何とかしなきゃいけないと思う、社会をより良いものに変えていこうという思い。そこには金儲けということ以外の、社会貢献という思いがあると思う。

だから、そんなボランタリーな思いを子どもの頃から醸成するというのは、とてもとても大切なことだと思う。
4. Posted by toshi   2007年03月01日 05:16
くぼみちさん
 そうですね。今の受験体制は、受験に臨む子どもたちの問題に限らないのですね。

《受験で結果がよかればそれでいいといった「自己中心的」な考えや「勉強なんてどうでもいいや〜」的な考えになるように思います。》
 徹底反復訓練学習からはじき出されてしまった子どもたちの問題でもあるわけです。

5. Posted by toshi   2007年03月01日 05:17
《教育再生会議は現状に対処するためにさらに縛りを厳しくして対処しようと考えているように思いますが、〜》
 これも、分かりにくいのです。しばりをきびしくする一方で、
《多様性を確保し、個に応じそれぞれの能力を最大限伸ばす教育》
とも言っているのです。この虻蜂取らずでは、一時的には効果があったとしても、問題は基本的には解決しないでしょう。
 かつて、校内暴力が多発しましたね。それに、対症療法的に対応した結果、暴力は確かに減ったが、その後、いじめが増えたといったという経験をしているわけです。
 その二の舞にならないことを祈るのみですね。
6. Posted by toshi   2007年03月01日 05:22
Hidekiさん
 なるほど、よく分かりました。
《奉仕(Volantary)という思いは、慈善(Charity)とはちょっと似てるけど違う。まして滅私奉公とは全く違う。》
 かつての自分は、この辺を混同していたのですね。
《今の世の中がこれじゃいけない、何とかしなきゃいけない、…こんな思いから始まった起業も数多くあると思うのです。》
 これも納得です。起業ではありませんが、わたしがブログを始めたきっかけも、同様な思いがありました。
7. Posted by toshi   2007年03月01日 05:27
Hidekiさんも、以前おっしゃっていましたね。
 《学校での授業は、ちっとも楽しくなかった。受身の教育は、やる気を起こさせてくれなかった。真の勉強は、社会人になってからだった。》
 ニュアンスの違いがあったらごめんなさい。確か、そのような意味のことをおっしゃっていたと思います。
 わたしは、受験体制を克服することによって、また、それに対応した教育をする教員を養成することによって、楽しく充実した思いを学校教育で実現したいと思います。それが、真の意味での、いじめ解決にもなるだろうと思うのです。

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