2007年03月05日

記念の授業(1)4

c92c9198.JPG ああ。2年間にわたった初任者指導も、最終の月を迎えた。感慨無量なものがある。初任者指導だけでなく、子どもとのふれあいという意味でも、一日一日を大切にしていきたい。

 これまで初任者一人あたりでは、平均一月に一回の示範授業をしてきた。今月は、4年生2クラスで道徳の授業を行うことにした。あくまで初任者の研修のために行う授業だが、本音としては、わたしの思い出のためという部分もある。

 今週中に行う予定だが、その授業のことは、このブログにも掲載させていただきたい。
 今日は、その授業で使う教材文を掲載させてください。

 これは、わたしが教頭だったとき、実際に体験したことである。だから、本文中の、『わたし』は、まさに、このtoshi。わたしである。ただし、主題にかかわる部分には、若干の創作がある。

ねらいは、『愛校心を養う。』別れようとしても別れがたい、そんな学級の雰囲気が前提となる。
 
 なお、本日掲載の写真にとった絵は、当時、図工主任にかいてもらった。



   六十年ぶりの母校

 校庭の桜が散ったころでした。温かな日差しがふりそそいでいます。わたしは校庭のごみ拾いをしていました。

 ふと正門付近を見ると、四十歳くらいの男の人とおばあさんが、たたずんでいました。学校の中へ入ろうか入るまいか、迷っているように見えました。わたしは急いでお二人のところへかけより、声をかけました。


「何かごようでしょうか。A小学校ですけれども。」
「ええ。あのう、・・・、このあたりにB小学校という学校はないでしょうか。」
「ああ。その学校はここです。今はちがった名前になっていますが、むかしは、B小学校でした。」

 お二人は安心したように笑みを浮かべました。
「ああ。よかった。確かこのあたりだと思ったのですが、A小学校となっているので、迷ってしまいました。」
「実は、ここにいるのは母なのですが、母は子どものころ、このA小学校に通っていたのです。あまりになつかしがるものですから、つい来てしまいました。」
「卒業生の方ですか。それはどうも。・・・。でも、このあたりの町も、学校もすっかり変わってしまいましたでしょう。」
「ええ。それはもう、えらい変わりようです。知っているはずの道も今はありませんでした。それにビルばかりになってしまいましたね。あまりに変わってしまったので、驚いています。
 実はわたしは卒業していないのです。三年生の秋に家族そろってブラジルへ移民しました。そのままブラジルで過ごしまして、このたび、六十年ぶりに日本に帰ってきたのです。」
「それは。それは。何もかも、なつかしいことでしょう。学校はすっかり変わってしまったのでしょうが、むかしの写真もございます。お見せしたいと思いますから、どうぞ、校長室にいらしてください。」

 校長室で、お二人にむかしのアルバムをお見せしました。
「うわあ。なつかしい。あら。Cさんがいる。まあ、Dさんも。」
ほんとうにうれしそうに見つめていらっしゃいました。目にはうっすら涙がにじんでいるようでした。

「これは卒業写真です。A小学校は開校して○○周年を迎えます。どうぞ、ごゆっくりごらんください。」
「あら。この先生はわたしの担任だった方です。やさしい先生で、よく面倒をみてくださいました。うれしいわ。こんな写真があったなんて。」

 息子さんは、そんなお母さんの顔を見つめながら、
「よかったです。母の長年の願いがかなえられました。ありがとうございます。」

 お母さんは、なおも話を続けられました。
「わたしは、六十年間、日本を一時も忘れたことはありませんでした。また、B小学校の楽しかった思い出を忘れないようにしようと、そればかり思ってブラジルでくらしてきました。
 苦しいこともありました。移民してすぐはなかなか作物が実りませんでした。干ばつもありましたし、農業になれない両親は見よう見まねでやっておりましたから、失敗も数多くありました。子どもだったわたしも、朝早くから夕方まで働きました。学校も満足には通えなかったです。
 そういうときに思い出すのは、楽しかったB小学校のことばかりでした。Cちゃんは元気に学校に通っているだろうな。Dちゃんは今もやさしくにこにしているのだろうな。そんなことばかり思ってくらしていました。やっとくらしが落ち着いてきたのは、この子が生まれたころだったでしょうか。」

「・・・・・・。」
 わたしは感動のあまり声が出なくなりました。

「母は、この学校の思い出を大切にし、苦しいとき、それを生き抜くバネにして働いたようです。」
おばあさんは何度も何度もうなずかれました。

「Cさん、Dさんはお元気なのでしょうか。」
「わからないのです。このあたりに家があったはずというところへも行ってみたのですけれど、もう大きなビルばかりで、まったく見つけることはできませんでした。もう無理ですね。」
「そうかもしれません。戦争もありましたし、そのときは、このあたりもすっかり焼け野原になってしまったということです。」
「でも、おばあさん。写真であっても、こうしてなつかしい先生や友達に会えたのだから、ほんとうによかったね。」

 おばあさんは、わたしの手をにぎり、何度も何度も、
「ありがとう。ありがとうございました。」
とくり返して、お礼を言ってくれました。

「実はあさって、ブラジルへ帰る予定です。そうしたら、もう、母は日本へ来ることはないでしょう。
一昨日も、この学校へ来たのです。でも、そのときは、学校がちがうと思ったものですから、もう少しさがしてみようということで、もどってしまいました。今日は、やっぱりここではないか。もしちがっていたら、学校の先生に聞いてみようと思い、やってきました。そうしたら、先生の方から来てくださったので、ほんとうに助かりました。ありがとうございました。
これで、安心して帰れます。」

 お二人は満足した表情で、帰られました。わたしは、その親子の後ろ姿を見えなくなるまで、ずっと見送っていました。


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 わたしは、校長時代、卒業を控えた今ごろ、この教材文を使って、卒業を記念しての授業をやらせてもらいました。そのときの子どもの発言などを中心として、卒業式の式辞としたこともありました。
 今回は、4年生ではありますが、がんばってくれると思います。

 また、道徳の自作教材文は他にもあり、かつて記事にしたこともあります。ただし、文章そのものは見つからなかったので、むかしのエピソードとして、掲載しました。よろしかったらご覧ください。

   皆、教育者

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   (2)へ続く。


rve83253 at 00:00│Comments(6)TrackBack(0)エッセイ | 道徳指導

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この記事へのコメント

1. Posted by ヒト   2007年03月05日 20:16
小学校四年目の若造です。すごく参考になるblogです。これからも拝見させてください。経験からこどもたちに成長の糧になる話ができるようになりたいです。
2. Posted by きゃる   2007年03月05日 21:49
自作の教材文ですか。感動しました。ああ、いいおはなしです。
3. Posted by yoko   2007年03月05日 23:52
 おばあさんにさりげなく声をかけ、迎え入れるtoshi先生の優しさに感動です。できそうで、なかなかできない事だと思います。
 私も、小学生の思い出は楽しかったの一言に尽きます。授業や勉強についての記憶は皆無ですが(笑)
大好きだった先生の事や、友人達と遊んだ事、代表委員としての活動やその他印象深い出来事を、今でも思い出すと懐かしさでいっぱいになります。
 今は遠く離れていますが、たまに故郷へ帰ると懐かしくて、わざわざ小学校の前を通ってみたりしますよ。進学していくうちに、離れ離れになってしまって今は当時の友人がどうしているか知るよしもないのですが…。
 
4. Posted by toshi   2007年03月06日 00:09
ヒトさん
 お読みいただき、大変光栄です。こちらこそ、どうぞ、よろしく。
 ときどきはコメントをくださいね。
5. Posted by toshi   2007年03月06日 00:12
きゃるさん
 どうもありがとうございます。もう、ひとまわりむかしのことですが、昨日のように思い出します。
 授業のことも後日掲載させていただくつもりです。また、どうぞ、よろしくお願いします。
6. Posted by toshi   2007年03月06日 00:17
yokoさん
 いやあ。気になったのですよね。あまり、学校と関係のある人のようには見えなかったものですから。『学校に用があるのかな。それとも、違うのかな。』そんな思いだったと思います。
 
 よかった。小学校に楽しい思い出がたくさんあるとのこと。わたしまでうれしくなります。
 授業の記憶がないというのは、ちょっと残念な気もしますが、やむをえないですね。

 また、授業の様子も掲載しますので、その節は、よろしくお願いします。

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