2007年03月22日

初任者の成長(2) 初任者研修を終えて 〜対談〜4

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 B初任者との対談です。

 「今思うと、4月当初は、わたしも、子どもたちも、緊張していたと思います。子どもたちには、『担任の先生は、どんな先生だろう。』という思いがあったのでしょう。さぐりを入れていたのだと思います。だから、これと言って、特に問題となるようなことはありませんでした。」

「そうでしたね。わたしも、4月のころのB先生のクラスの印象は、特にないのです。『なごやかな雰囲気だな。』という印象を持ったことは覚えているのですがね。今思うと、学級編成替え直後だったし、先生も初任で着任したばかりだったから、子どもたちは、よそ行きの気分だったのかもしれません。」

「それが、5月になると、緊張感がゆるみ、だんだんクラスの雰囲気が悪くなってしまいました。授業中でも、教室をとび出したり、授業を妨害したり、けんかがふえたりし、悩まされることが多くなりました。」

「それはね。今だから言えるのだけれど、『B先生。ぼくたち、わたしたちをちゃんと見てよ。だって、いいことをしてもほめてくれないし、いけないことをしても叱ってくれないし、そんなことでは、ぼくたち、わたしたちは、どうしたらいいのか分からなくなっちゃうよ。』というサインだったのでしょう。気持ちが不安定になってしまったのだと思います。

 でも、当時のB先生は、『特に問題も起こさず、いい子たちだ。』という思いでしたから、わたしが、『もっと子どもたちをしっかり見て、いいことをたくさんしているのだから、ほめてやりなさい。たとえば、〜。』と言っても、ぴんと来なかったのでしょう。問題行動がふえて、あわて出したといった感じだったでしょうか。」

「ええ。そうだったかもしれません。でも、あのころも、叱ってはいたのです。ただ、問題行動に対して、強く叱ったり注意したりすることしかできませんでした。そうすればするほど、問題行動はふえてしまいました。

 ほめることは、ほんとうにできなかったですね。toshi先生には、子どもをほめる具体的な姿もお話しいただいたのですが、すみません。あのころ、わたしには、ほめることへの抵抗感がありましたし、何をほめたらいいのかもつかめなかったです。どう言えば、子どもたちがうれしい気持ちになるのか考え込んでしまい、ほめることに悩んでいたような気がします。叱るのは簡単なのですが、ほめることはすごくむずかしかったです。」

「今、そのように聞けば、分かる気もするけれど、あのころのわたしは、どうしてそんなにほめることができないのだろうと思っていましたよ。ことによると、B先生自身が、子どものころ、あまりほめられた経験がなかったのかな。そう思いました。」

「はい。自分自身、小さかったころ、あまりほめられた記憶がないのです。親からも先生からも、・・・、それでほめ方が分からなかったのかもしれません。」

「あのころ、言いましたよね。B先生に。・・・。『なぜもっと子どもをほめないのだ。いいことだって、こんなにあるではないか。』と。そのときの先生とのやりとりをよく覚えています。
『そんな、席に着いているということだけで、ほめるのですか。もう4年生ですよ。』
『今、ここで、一般的な意味での4年生の話をしたって仕方がないではないか。目の前にいる4年生一人ひとりを見つめなければ、問題は解決しない。
 現に今、Aちゃんは、授業中でも、席に着いていられないのだろう。そのAちゃんが、ちゃんと席に着いているということは、もう、それだけで、すばらしいことではないか。』
『それはそうですけれど、でも、そんなことでほめたら、席に座らなくてもいいのだと思う子がふえてしまうのではないですか。』
『そんなことはないだろう。よし。そう思うのなら、そうなるかどうか、ともかくやってみたらどうだ。』
そんなやりとりだったね。」

「はい。よく覚えています。それで、示範授業の際は、toshi先生の子どもへの接し方をよく見させてもらいました。先生は、子どもたちのよいところを自然にほめていらっしゃるように思いました。それこそ、低学年の子をほめるような調子の時もあったように思います。でも、そのとき、子どもたちがとてもうれしそうな顔をしているのを見て、『ああ。そうか。ともかくやってみよう。』そんな気持ちになりました。」

「そうでしたね。ほめることへの抵抗感が薄れたといったらいいでしょうか。秋ぐらいでしたね。『おっ。いいぞ。今日はしっかりほめている。』そう思ったときがありました。」

「朝の会での日直のスピーチでも、一人ひとりの『いいところを見つけなさい。』とご指導いただきました。とてもよく覚えています。『声の大きさ、顔の表情、目線、姿勢など、一人ひとりをしっかり見とれば、ほめることは無限にある。』とおっしゃいました。

 一番印象に残っているのは、Cちゃんのスピーチのことを、『すばらしい。頭の中にメモ帳が入っていて、まるで、校長先生が朝会で話されるように話しているねと言ってほめなさい。そうすれば、まだ大部分の子は、丸暗記したのを思い出しながら話しているから、目線は宙に浮き、棒読みのようになっているけれど、その子たちのスピーチも、心の感じられるものになっていくはずですよ。』とおっしゃいました。ほんとうにほめる観点は無限にあるのだなと思いましたし、ひとりの子をほめることが、他の子にひびいていくのだということも学ばせていただきました。」

「ああ。そうでしたね。でも、朝の会のスピーチは、例示として言っただけなのですよ。・・・。ごめんなさいね。・・・。言うまえに謝っちゃうけれど、なぜああいうことを言ったかというと、B先生は、日直が朝のスピーチをしているときに、日直の話を聞かないで、あれは、連絡帳の返事を書いたり、子どもが提出した宿題のノートの点検をしたりしていたでしょう。
 
 もちろん、それも大切なのだけれど、でも、それは、別なときにしてほしい。せっかく、日直がスピーチを上手にしているのなら、それこそ、これは、国語の大事な観点である『話す・聞く』の指導ができる格好な場なのだから、それを、大事にしてほしい。そう思って言ったのですよ。」

「ええ。もう、あのときは、『あっ。いけない。』と思いました。toshi先生に、『子どもと一緒にいる場は、すべて子どもを見とることが基本であること。もっと端的に言えば、子どもをほめる材料探しの場』と言われたことが、強く印象に残っています。

 それで、朝のスピーチですけれど、子どものスピーチの内容をメモしたり、話している子どもの表情などをよく見たりすることに努めました。初めは、自然にほめることがなかなかできず、表情が硬くなっているのが自分でもよく分かりました。でも、毎日続けることで、ほめる観点もふえ、自然にできるようになりました。そうすると、toshi先生のおっしゃった『まるで朝会のときの校長先生の話』のような話をする子がものすごくふえていったのです。

 しかも、朝のスピーチから、授業中の発言や態度、休み時間の遊びのなかでの、友達を思いやる心など、ほめる内容の幅を広げることができるようになりました。それが、子どもたちの心に響き、だんだん問題行動が減り、クラスの雰囲気もよくなっていきました。ほめることがこれだけ効果があるなどとは思ってもいなかっただけに、自分でもほんとうに驚きました。」

 「よく分かります。わたしは一週間に一日だけ、おじゃまするわけですが、あのころは、毎週、行くたびに、学級の雰囲気がよくなっているのが、よく分かりました。これは、わたし、先生に言っていなかったことだけれど、B先生は、このころから、学級の朝の会の際、3つか4つくらい、前日の子どもの行動を取り上げ、ほめていらっしゃいましたよね。

 それと、授業中でも立ち歩いたり、奇声を発したり、友達に悪さをしていたAが、どんどん落ち着きをましていったのとは、同時進行だったと思いますよ。この前など、席替えをしましたでしょう。あのときはびっくりしてしまいました。1時間くらいたってからあることに気づいたのです。『あれっ。Aはどこにいるのだろう。今日は休みかな。』そう思って見渡すと、ちゃんといるではありませんか。驚いたものです。そのくらい目立たず、ふつうの子になっていました。これはすごいことだと思いましたよ。

 ただほめることだけではないですね。授業でも、よく言いました。『先生がしゃべるのではなく、子どもの話をよく聞かないとね。・・・。ああ。もったいないなあ。そんなことは子どもに言わせればいいのに。』そう思うことがよくありました。それがだんだん子どもの話を聞き、うまく切り返すことができるようになりましたね。」

「ええ。それは自分でも強く感じています。子どもの話を、しっかり聞くことができるようになったと思います。『なぜそう考えたのか、感じたのか。』を分かろうとしたことが、心で話を聞くことができるようになったこととつながっていると思います。

 わたしは、国語が一番苦手な教科で、以前は、展開に困っていましたが、今は国語が一番好きな教科に変わりました。子どもと同じように自分も考え、考えをより深くできる楽しみを感じることができるようになりました。それも、示範授業で、子どもの思いを汲み取ったtoshi先生の授業があったからだと思います。ご指導いただいたことを生かし、さらに子どもとともに成長していきたいと思います。」

「そう言ってくれるとうれしいです。がんばりましたね。だけれど、努力は認めますが、正直、授業については、まだ、一進一退といったところで、身についたとまではいきませんね。つい、解説調になってしまうこともありますよ。そんなとき、たいがい子どもは、気が散ってつまらなくなり、話を聞いていないものです。」

「はい。分かります。気を付けているつもりなのですが、時間がなくて、ついあせってしまうとき、そうなるのだと思います。気を付けたいです。」


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 B先生のことですが、この一年で大きく変容しました。これは大変なことだったと思います。自分で自分を変革させるというのは、下手をすれば、ストレスがたまります。我慢したり無理したりしている場合です。
 でも、現在のB先生。とてもストレスがたまっているようには見えません。むしろ、いらいらしたり悩んだりしていたときの方がストレスはあったのではないでしょうか。
 
 今、なぜストレスがないか。それは、子どもの変容が、初任者のB先生の喜びになっているからだと思います。
 来年度は、きっと、最初から自信をもって、学級経営をされることでしょう。そう確信しています。

 なお、もう一人、A初任者もすでに記事にしています。『小学校初任者のブログ』の方に掲載しました。よろしければご覧ください。

    初任者の成長(1)
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rve83253 at 21:52│Comments(6)TrackBack(0)初任者指導 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by ダディ三鷹   2007年03月23日 03:33
子ども一人一人を見る事ができていれば、ほめることは無限にあるということは、裏返せばほめることが難しいのは、一人一人を見ることができていないからかもしれませんね。
うちには中2と小6の2人の子どもがいます。ここ2、3年(あるいはもう少し長い間)、我が子をほめることをおそろそかにしてきた自分に気づきました。
子どもが小さいうちは「これができた」「あれができた」とほめることは容易なのですが、大きくなってくるうちに子どもたちがしていることを本当には見なくなっていたのかもしれません(答案やノートなどを見て、子どもを見ていなかった……という感じかなあ。記憶の中の上の子どもと今現在の下の子どもを無意識にであれ比較してしまうこともあったかもしれません)。子ども同士の人間関係がややこしくなってくるなかで「共感する」というキーワードに出会って、そちらにばかり気を取られていたようにも思います。
2. Posted by ダディ三鷹   2007年03月23日 03:34
(続き)
今日は下の子どもの卒業式です。この子が何かと自信をもてないでいるようすが、ずっと気にかかかっています。それなのに、この子が自分なりに頑張っているとは思っても、「気持ちはわかるが、実践が」などとどこかで思ってしまってほめられないでいたようです。できていないことを肯定したらいけないと思ってしまうのです。
そうではなくて、その意志をほめることもできるのですよね。なにができたとほめるのではなくても、小さかったときのように「がんばったね」とほめることが今でもできるのだと、改めて気がつきました。
今日は、心から「6年間、つらいこともあったけど、よくがんばったね」と言えそうです。ありがとうございます。
上の子も、今日は終業式です。こちらも、1年間、友達関係で悩みながらも部活動をやりぬいたのだ、と「できたこと」「意志」を見つけることができました。ありがとうございます。
3. Posted by きゃる   2007年03月23日 18:15
今年一年、勤務校で研究したことが、
「どのようにして、こどもに自信をつけさせるのか」
でした。
明らかになったのは、教師の子どもに対する賞賛の言葉かけが大事だと言うことです。
集団をほめる言葉、一人一人をほめる言葉は違います。
そして、目指す子どもの姿(つけたい力)を明確にしていないと
適切にほめることができないということです。
あたりまえのことなんですが、
できてなかったですね、今までの自分には。
4. Posted by toshi   2007年03月24日 11:32
ダディ三鷹さん
《ほめることが難しいのは、一人一人を見ることができていないからかもしれませんね。》
 一面としては、当たっていると思います。
 あと、記事にもしましたが、子どもをほめることが、真に子どもを伸ばすことになるとは信じられないということもあるでしょう。
 特に初任者の場合は温かな目で見守り育ててほしいと思います。
 わたしも、30有余年前、保護者にも子どもにも育ててもらいました。感謝しています。下記の記事は、ストレートに保護者に育ててもらったと書いているわけではないのですが、ちょっとかかわってはいると思いますので、よろしければご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2006-01.html#20060102

5. Posted by toshi   2007年03月24日 11:39
ご謙遜だと思いますが、保護者の場合だと確かに難しいです。わたしにしてもそうでした。
 学級の子どもですと、心静かに待てるものが、我が子だと、つい待つことができず、いらいらしてしまうこともありました。
 また、学級ですと、30〜40人子どもがいますので、じっくり見れば、誰かほめたくなる子がいて、その子をほめることによって、他の子へのよい影響を考えることもできるのですが、家庭のように、たった2人では、それもあまり期待できません。まあ、なかなかうまくはいかず、反省だらけです。
《その意志をほめることもできるのですよね。》
 そう。そう。その通りです。
 最後になってしまいましたが、お子様のご卒業、おめでとうございます。

6. Posted by toshi   2007年03月24日 11:46
きゃるさん
 すばらしい研究ですね。特に今というむずかしい時代、その意味、価値は高まっていると思います。切実性をましているとも言えるのではないでしょうか。
 以前、記事にしましたが、意味づけ、価値づけともかかわってきますね。
 『4年生でもいすに座っていることをほめたくなる。』子どもによってはそれでいいのですが、同じケースでも、場合によっては、素直さを強調してほめるなどということもあっていいでしょう。
《目指す子どもの姿(つけたい力)を明確にしていないと、適切にほめることができないということです。》
 ほんとうにその通りだと思います。

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