2007年04月05日

学校だよりへの想い(2)4

d5306b10.JPG 校務分掌のなかで、学校だよりは、誰が担当することになっているのだろうか。これは学校によってさまざまなのではないか。

 わたしは、教務部のとき、学校だより担当になったことがあるし、教頭のときも担当したことがある。

 今日は、教務として、担当していたころにふれる。

 このとき、校長に言われた言葉が忘れられない。

「いいか。toshiさんはワープロに慣れているから担当になったのだと思うが、単なるワープロ係じゃないぞ。それじゃあ、下請け機関みたいで、おもしろみが何もないだろう。toshiさんの教育論とか、いろいろ思うところもあるだろうから、どんどん書いてみたらいい。創造的に仕事をやろうな。」

 だからと言って、紙面は決まっている。そんなにたくさん書けるわけではない。だいたい毎号、7行くらいのコラム的な記事を書かせてもらった。また、校長の了解を得て、わたしの名前は出さず、『編集子』ということにした。
 そうすると、けっこう楽しいものである。わずか、7・8行ではあるが、日々、実践の中で、いろいろ想をめぐらせ、『よし。次号はこのことを書こう。』などと思ったものだった。

 事前に校長には目を通してもらった。しかし、直されたことは一回もなかった。

 『編集子』ではあったが、一部、保護者には分かってしまった。
「そりゃあ、分かりますよ。toshi先生は、学年だよりも学級だよりも書かれているではないですか。文章から受ける印象っていうものですかね。」


 自分が校長になって、同じことを係に言った。学校により、それは教頭だったり、教務主任だったりしたわけだが、皆さん、遠慮されて、
「いや。いいですよ。校長先生が書かれたものだけで、保護者は喜んでくれるのではないでしょうか。」
何回か同じ反応が続くうち、わたしは、言わなくなってしまった。

 今、それを申し訳なかったと思う。やはり、遠慮されるにしても、毎年、言うべきだっただろう。受けてくれる人だったら、仕事への充実感は強まったに違いない。


 さて、今、打ち直して、いやになってしまったことがある。前回、『保護者へのお説教はしない。』と書いたが、
 あらまあ。けっこうしているのである。
 まあ、打ちながら思い出したのだが、当時は、もちろん校長ではないし、けっこう、教職員から、『あれを書いて。これを書いて。』と、注文もされていた。

 というわけで、ご容赦を。

 もう一つ。今、打ち直して、あらためて、『あああ。』と思ったのだが、このころはまだ、スポーツの面での、両性の区別があったのだね。今、このような、性による種目の区別はないのではないか。
 ちなみに、平成元年のころです。


 それでは、一部を紹介させてください。


○ 5月号
 「子どもたちがよくあいさつするね。廊下ですれちがうと、わざわざ立ち止まって、おじぎをしながら、『おはようございます。』って言う子もいるよ。にこにこして、表情もとても明るい。」
「そう。あいさつは確かによくするわね。それはもう感心するくらい。でも、それでいて、言葉づかいはよくないのよ。子ども同士で、『てめえ、何やってんだよう。』などと言うこともあるわ。」
 言葉は、品性を表すもの。そう言われます。この矛盾はどうしたことでしょう。友達関係と対教師の関係は違うということなのでしょうか。友達相互の人間関係を温かなものにしなければと思いました。

○ 11月号
 秋たけなわ。スポーツの秋。いよいよ高学年の希望児童を対象に、サッカー・バスケットの練習が始まります。早朝練習が中心となります。男子は校庭でサッカー、女子は体育館でバスケットです。
 技を磨くことはもちろんですが、子どもたちにはぜひ心も磨いてほしいと願っています。チームワーク、根気強さ、不撓不屈の心など、スポーツを通して磨けるものはたくさんあります。
 だんだん寒くなる時期。朝7時過ぎに登校させるのは大変かもしれませんが、ご家庭のご協力をよろしくお願いします。 

○ 12月号
 わたしたちは、『子どもに学ぶ。』とよく言います。教員は子どもを教え導く存在なのに、『子どもに学ぶ。』とは、どういうことなのでしょう。
 どうでしょう。『ああ。そうか。子どもってそんな発想をするのか。おもしろい。』と、感心してしまうことはありませんか。そんなとき、自分の子ども時代を思い出すことがあるかもしれません。それが、『子どもに学ぶ。』という感じなのですね。
 しかし、それだけではないと思います。子どもの発想の方が、世慣れた大人より、柔軟で、心が豊かだということはあると思います。その心にふれたとき、真に、『子どもに学ぶ。』感じになるのですね。
 『子どもに学ぶ。』は、大人の側に柔軟さを必要とします。子どもは教え導くだけの存在という硬直した姿勢からは、『子どもに学ぶ。』姿勢は生まれません。子どもとともに歩む。『師弟同行』『親子同行』の姿勢が望まれるのです。

○ 1月号
 お正月。それは、教え子との年一回の再会のときでもあります。それは年賀状。
 最近は写真付きの年賀状も現れ、子ども時代とは似ても似つかぬほど、見事に成長した姿を見せてくれます。それが結婚式の写真だったりすると、思わず、ご両親の、それまでの労苦を思ってしまいます。
 毎年の年賀状は、子どもの成長を物語ってあまりあります。その確実なあゆみは、うれしいものです。と同時に、自分の歳を感じてしまうときでもあります。教え子からの年賀状を手にし、彼らの幸せを願わずにはいられません。
 もちろん今受け持っている子たちからも、たくさんの年賀状をいただきました。さあ、今年一年、またがんばっていきましょう。先生もがんばるよ。

○ 2月号
 もうすぐ新1年生が入学します。今ごろ入学に胸をときめかせていることでしょう。デパートなどのランドセル売り場は、新入児のご家族で、にぎわっていることと思います。
 テレビで見たのですが、世は個性化時代。ランドセルにまでその影響が現れているようです。何と、横長のランドセルがありました。著名な方のデザインによるもの。でも、あれで、教室のロッカーに入るのでしょうか。もし入ったとしても、ロッカーに入れる物は他にもたくさんあります。
 ちょっと心配になりました。個性的であっていいものと、個性的ではこまるものとがありそうです。

○ 5月号
 『先生。頭が痛い。』『すっごく気持ち悪い。』
 1日の日。身体の不調を訴える子が大勢いました。保健のA先生に言いました。
「今日は、うちのクラス、保健室へ行く子がものすごくふえちゃって。」
「先生。今日は、そういうクラス、多いですよ。聞いてみると、ほとんど行楽の疲れなのですね。ずいぶん無理している子もいます。」
 近いうち、運動会がありますが、これで大丈夫かなと心配になりました。
 明日からは、4連休。どうか、無理のない楽しい行楽をと願わないではいられません。

○ 1月号
 お正月。親戚一同が集まりました。我が子とともに、甥、姪が集まり、にぎやかでした。
 子どももだいぶ大きくなり、今では百人一首が恒例となりました。ほんの数年前、『遅いなあ。まだ見つけられないの。』などと言っていたのに、今年は子どもたちに追い立てられました。『こんなはずでは、』と思い、必死になるのですが、とうとう負けてしまいました。
 子どもたちの表情もいろいろ。『当然。』という顔もあれば、『あれ。おじさん、こんなに弱かったかな。』と、けげんそうな顔もありました。
 一年一回の百人一首ですが、それだけに子どもの成長の早さに、舌を巻く思いでした。『子どもの頭はやわらかい。』『鉄は熱いうちに打て。』そんな言葉を思い出しました。

○ 2月号
 校庭に12か所。火の輪ができました。健康を祈りながら、焼き芋を食べました。『先生。やわらかくておいしいよ。』幸せそうにほほえんでいる顔、顔、顔。
楽しいひと時でした。高学年の子たちが、よく火の面倒をみてくれました。風が強かったのですが、火が燃え盛るとトタンをかぶせたり、消えかかるとわらをくべたり、かいがいしい働きぶりでした。
 今の子は、こういう燃え盛る炎のような火に弱いのではないか。万事便利な世の中で、さんまを焼くにも煙が立たないなかで生活しているのだから。
 事前にはそう思っていました。でも、そんな心配はいらなかったです。どの火のところにも、姉妹学級のように、大きい子と小さい子がいました。下級生が退屈すると上級生が寄って、一緒に遊んでやっている光景も目にしました。暖かだったのは、燃え盛る炎のせいばかりではなかったようです。


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    心の教育(3)

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rve83253 at 14:25│Comments(5)TrackBack(0)学校経営 | 学校だより

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この記事へのコメント

1. Posted by 43104   2007年04月05日 16:44
5 はじめまして・・・ではありませんが、【43104】と名乗らせて頂きます。単にごろ合わせなんです。また私事で長文になることをお許し下さい。さて、今回の記事、大変興味深く私が中学生の頃を思い出しました。中学3年生の時のことですが、学年だより「維新」という題名で、ある教員が学校内の出来事や生徒がこんなことをしたなどを書き綴ったものでした。このようなものが学級内にあってもいいかなと思ったのがきっかけで、私を含め数人のメンバーで、学級だより「平成維新」の作成に取り掛かりました。「維新」と同じ原稿用紙を使用し、全く同じ書式で発行しました。クラス内の評判は思いのほか良く、第2号、第3号と続き、記憶が正しければ第25号まで発行することができました。
2. Posted by 43104   2007年04月05日 16:45
つづきです。
父兄参観の日、ある生徒の母親が私のところへきて、「あなたが平成維新を書いている人ね」最初は苦情を言われるのかと思いましたが「毎回楽しんで読んでるわよ。これからも頑張ってね」同級生から言われるならまだしも、生徒の母親から言われたことに驚きと嬉しさで、その時どんな表情をしたのか覚えてません。内容は決して面白いものだったとは思えない。でも学級だよりを作って本当に良かったです。決して自慢をするつもりではありませんが、この様な生徒が、今の世の中存在するのかと感じました。
3. Posted by toshi   2007年04月05日 21:36
43104さん
 すごいですね。中学生という立場で、学級だよりを発行されたのですね。しかも、中3のときとは。
 これぞ、まさに、前号までシリーズとして書いていた、奉仕活動そのものではありませんか。担任の向こうを張って始めたというのもおもしろい。
 そうか。中学生だと、こういうこともできるのですね。
 もちろん人に言われて始めたのではないのだから、きっと楽しかったことでしょう。担任が出す学級だよりもそうなのですが、単なるサービスではないのですね。1.書くことは記憶に残ること。力にもなります。2.人間関係が豊かになったことでしょう。3.それによって、学級生活が充実したことと思います。
4. Posted by せきちゃん   2007年04月07日 11:57
昨年度に引き続き,学校だよりの担当になりました。教務主任などの立場が神戸にはないため,どちらかというと……。

校長の思いなどは,年度当初と年末にしか書かないため,各学年の報告の頼りになっています。
5. Posted by toshi   2007年04月07日 16:27
せきちゃんさん
 ところ変われば、なんとやらですね。教務主任の立場がないとか、また、学校だよりに、校長の思いがほとんどないというのも、びっくりしました。
 こちらは、基本的に校長は毎月、自己の思い、教育観など、記述します。でも、まあ、それに替わる何かがあるのでしょうね。
 学校だより担当とのこと。担任でもあるのでしょうから、大変でしょうが、がんばってください。

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