2007年04月23日

教員査定の問題(1)序章3

79fde627.JPG  ある保護者の方から、メールをいただいた。転載の承諾をいただいたので、記述してみたい。では、どうぞ。




 始業式。わたしも他の3人の転入生の保護者と一緒に参加してきました。ほんのひと時を見ただけですが、とても良い学校でした。

 体育館で校長先生が、全校児童の前で担任発表をされました。
「○年○組 △△先生」と発表されると、高学年の子どもたち中心に一斉に大歓声、拍手、ガッツポーズ、そして、それに応えてポーズを決める先生もいて、とてもほほえましい光景でした。

 何より、この、『大歓声、拍手、ガッツポーズ』が、どの先生のときにも大きかったのです。転任されてきた先生、初任の先生のときだけ静かだったかな。ああ。この先生は人気がないのだなと思わせる瞬間がありませんでした。特に人気があると感じる先生はいましたけれどね。そして、年配の先生方がとても明るく人気があるのです。
 先生と児童との信頼関係がとても強いのだなと思いました。(後略)

                                   いただいたメールは以上です。




 転入生の場合は、保護者も一緒に、始業式に参加する。そういう例は多いのではないかと思う。わたしがいた学校もだいたいそうであった。


 『とても良い学校』とある。

 そういう印象をもつことができたことは、転入生の保護者にとっては、ホッとする思いであろう。まして、どの先生のときも、『大歓声、拍手、ガッツポーズ』なら、うれしくなってしまうということも想像できる。

 『そんな、たまたま始業式を見たくらいで、すぐ、いい学校などと言うのは、早計ではないか。』という思いをもたれる方がいらっしゃるかもしれない。

 でも、そんなことはない。わたしたちはよく言う。
「授業中の教室に5分もいれば、その教室の雰囲気、学級の様子はだいたい分かるものですよ。」
月日の経過により、思いは徐々に具体的になっていくだろうが、最初に抱いた印象は変わらない。




 もう一つ。

 かつての担任時代。わたしは週案(週学習指導案)に毎週反省記録を書き続けたときがあった。今日はその一部と、それに赤で書いてくださった校長の言葉を書かせていただきたい。



 20年の教員生活のなかで、初めての2年生担任である。学習内容、学年行事など、新鮮である。教材研究などに意を注ぎたい。
 校長先生の担任発表。子どもたちは歓声を上げてくれた。子どもたちの前に立つ。先頭のAは、オーバーに胸をなでおろすしぐさをする。次のBも、満面の笑みを浮かべわたしを見つめてくれる。Cは、わたしをじっと見つめながらも、成長した感じの引き締まった表情をしていた。後ろの方まで笑顔が多く、それがうれしかった。担任としての新たな決意がわいてきた。


 次、校長の言葉。

 これは、○秘だが、子どもへの担任発表は、教師の評定に通じる。歓声が渦巻き、身体で喜びを表現する。逆だったら担任の心はどうだろう。好かれ、慕われる教師。やさしさときびしさが兼在している。



 今から、15年余前のことだが、そのときも、まだ、『教師の評定に通じる。』などと書くことは○秘だった。いろいろな教員がいることは自明のことではあったが、言ってはならないこととされていた。

 教員は横並びだったからだ。優劣があってはならない。それでは、団結を乱す。このころまでは、保護者、地域もそうした雰囲気を、おおむね、『了』としていた。
 だから、仕事のできない教員がいると、他の多くの教員が表立っては何も言わずにカバーしている状況があった。



 一度ひどいことがあったっけ。

 その教員は、自分が担当の対外的なかかわりのある仕事を忘れていた。

 ただうっかり忘れていたのならまだいい。遅ればせながらやればすむからだ。

 しかし、こまったのは、交渉済なのか、まだ交渉していないのかまで忘れてしまった。だから、もちろん、交渉したとして、どこと交渉したのかもわからない。

 これではもう、カバーのしようがない。

 結局それにかかわる行事は、なしになるのを覚悟せざるを得なくなった。



 かつて、○秘の時代は、こういうことが表ざたになることはほとんどなかった。皆さんが、『何か事情があったのだろう。』と斟酌し、ぐっと飲み込んでくれた。

 しかし、今は違うだろう。

 予定されていた行事がない。これはもう、ただでは済まされない。説明責任が伴うからだ。いや。説明責任なんて軽いものではないね。校長以下、何らかの処分を受けて当然のこと、・・・、かな。

 考えてみれば、わたしたちは給料をいただいて仕事をしている。それだけの責任が伴っている。


 このような場合、企業ならどうなるのだろう。


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 新たなシリーズを始めました。教育再生会議が、教員査定の問題についても、話し合いを開始するようです。次の提言に盛り込まれるのでしょう。
 わたしは次回も、序章を続けます。

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  (2)へ続く。


rve83253 at 07:47│Comments(4)TrackBack(0)教育制度・政策 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2007年04月24日 15:12
生徒の前での担任発表。先生にとって、一番シビアで一番気になる評定ですね。子供は、良くも悪くも正直だから…。
先生方一人一人が、子供達に愛情を持ち、一生懸命その責務を果たそうと努力してくれるのであれば、もうそれだけで私は充分と思っています。多少の優劣があろうと、それもまた個性。
私がのんびりしているからそう思うのでしょうか。
あまり査定査定と言って、先生方にとって窮屈な現場にならない事を祈ります。そのしわ寄せは結局子供にいくのですものね。
2. Posted by くるみ   2007年04月24日 15:15
今と昔の学校や保護者、地域の関係がよくわかりました。
いつもながら、歴史と現実とそしてこれからをわかりやすく
語りかけてくださってありがとうございます。

そして、先生同様、親も厳しくも優しくありたいなあと思いました。
3. Posted by toshi   2007年04月24日 19:47
yokoさん
 シビアと言えばシビアです。でも、公平、公正であれば、もう、避けて通れない時代だとも思っています。
 ここのところ、校長が何を言うかで、物議をかもしているようですが、この点に関しても、むかしは、『担任発表の間は、一切声を出してはいけません。』と、子どもに言った校長がいました。横並びの古きよき時代ですよね。
 保護者の方から、ありがたいコメントをいただきました。
 査定は避けて通れない。ならば、どれだけ意味のある査定にもっていくかというように論を展開したいと思っています。
 どうぞ、よろしくお願いします。
4. Posted by toshi   2007年04月24日 19:57
くるみさん
 ほんとうにずいぶん時代は変わりました。
 わたしが若かったころは、時代の変化というと、もっぱら、戦前、戦後の比較だったのですが、今は、同じ民主主義体制化、同じ日本国憲法の下でのこれだけの変化ですから、ただただ戸惑いといった思いもあります。
 近いうち、この辺りの考察も、記事にしたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

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