2007年04月29日

近隣県のA小学校校内研究会に招かれて4

80c98130.JPG  わたしたち教員の世界は、地方分権がある意味徹底しているのか、他地域とのつながりがほとんどない。全国の研究会があるとは言え、それは極めて限られた回数だし、それに参加するのは一部でしかない。都道府県単位の研究会も同様である。

 地域内の研究会はかなり活発に行われているものの、これも地域による温度差はありそうだ。

 だから、こうして、ブログにより、教育論、指導観などを展開することは、意義あることと考える。


 もう一つ。意義あることがあった。

 わたし自身もびっくりしたのだが、このブログのメールを通し、近隣県の小学校より、校内研究会の講師依頼があったのだ。まったく人間関係も何もないところで、ただただブログの論調を通し、そこに信頼をおいて講師依頼してくださったことに、感謝の思いでいっぱいになった。

 もう一つある。わたし、長い教員生活のなかで、算数の講師を引き受けたのは初めてだ。社会科が出発点だったし、その後、生活科、総合的な学習の時間などは、ずいぶん引き受けてきたが、それだけに、初め、『なぜ算数なの。』という思いがあった。

 でも、これもすぐ分かった。当ブログに、算数の記事が多いということだろう。
 初任者指導だと、算数が一番やりやすいのだ。算数の場合、学習はある程度パターン化されるので、子どもの奇想天外な発言にびっくりさせられることがあまりない。つまり、ある程度、予測がつくということだ。
 それに、算数は時間数も多い。わたしのように、週一回初任者のクラスにはり付く立場だと、社会科、生活科は、授業がない場合もあるが、国語、算数は、まあ、だいたいあると言ってよいだろう。



 さて、それでは、どのような話をしたか、その一部だが、以下、書き進めたい。

 なお、残念ではあったが、肝心のメールをくださった教員は、4月に異動となられたため、お会いできなかった。

 ここでは、『数学的な考え方』にふれた部分を書くことにする。
 そう。これは、小学校においても、数学的という。決して、『算数的な考え方』とは言わない。


 まず、数学的な考え方とはどういうことか。
 初めに、決して数学的な考え方を養っているとは言えない授業形態を示した。

 正解を出してよしとする授業だ。それは教員が解説する授業だけを指しているのではない。たとえ、子どもの共同思考の場を用意したとしても、それがただひたすら正解に向かっての解き方のみを扱う、そんな授業だったら、それは、多くの場合、数学的な考え方を養う授業とは言えない。知識・技能は身につくかもしれないけれどね。


 では、次に、数学的な考え方の例示しよう。

 本記事冒頭の写真を見ていただきたい。(いい写真でなくてごめんなさい。)

 一番上の図形の面積を出す問題である。
 この解き方は、図形を分割し長方形2つに置き換えて解く方法が2つ。もう一つは、大きな仮の長方形を設定し、それから、設定した分を引くという、以上、3つの解き方が代表的なものか。

 さて、この3つの解き方は、すべて同じ価値を持つか。
 価値とは、便利さ、楽さ、応用が利くかということなど。そういう意味で、どうか。それを考えたい。

 上記図のままだと、『長方形+長方形』で解くものが2つ。『長方形−長方形』で解くものが1つとなるだろう。2つの数量を足したり引いたりするだけだから、便利さも楽さも同じだ。

 しかし、引いた長方形が端ではなく、仮の大きな長方形の真ん中へ行ったらどうなるか。凹のような形だ。これを分割方式で解くと、『長方形+長方形+長方形』の3度手間になる。引く解き方は、先ほど同様、『長方形−長方形』ですむよね。

 さらに引く長方形が大きな長方形の辺にくっつかず、完全に大きな長方形をくりぬくように真ん中へ行ったらどうなるか。そうなると、分割方式は、長方形4つを足すことになる。引く方は、相変わらず、『長方形−長方形』でよい。

 さらに、引く長方形が斜めになったら。
 これはもう分割方式は、小学生で解けることは解けるだろうけれど、大変だ。引く解き方は何も悩むことはない。これまで同様、『長方形−長方形』でよい。

 以上、こうなると、応用が利き、楽に解けるのは、引き算による解き方だということが分かるだろう。こういうことを考えるのが、数学的な考え方と言う。


 次に、数学的な考え方を養うための留意点にふれた。いずれもこれまでのわたしのブログ記事を根拠に話した。

○ 子どものつぶやきを大切に。      42円になったよ

 『ええっ。変だよ。どうしてえ、〜』『だから、〜なのではないの。』など、子どもが思わず叫んだりつぶやいたりする発言は、直感的かもしれないけれど、切実な思いに裏打ちされたものが多い。だから、それを大事にして授業を行えば、数学的な思考力が養われるという考察。

○ 子どもの思考の陥りやすい盲点を知る。 1をわけたらどうなるの

 これは授業記録を掲載しているので、お時間のある方が、お読みいただければと思う。
 話したことは、『3分の1メートル』という言い方が子どもになじみがないので、こういう表記に抵抗感がありそうということだ。
 教える側は、『小数だと割り切れないこともある。しかし、分数で表記すれば、すっきりと長さを表記できる。』そう思って指導するわけだが、子どもの頭ではすっきりしないのだ。
 これは、おそらく、りんご1個の3分の1ならともかく、3分の1メートルなどという言い方は、生活実感にないことに起因しよう。ものさしにも、そのような表記はないものね。

 ○ 塾との共存をはかろう          学校だよりへの想い(4) 主体的な学びの紹介後半部に書いてあります。

 正答と、正答にたどり着くまでの道筋を教え込む学校や塾は、多いのかもしれない。それでは、数学的な考え方を養うこととは程遠いと思われる。
 学習指導要領では、目標として、『数量や図形についての算数的活動を通して,基礎的な知識と技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考える能力を育てるとともに,活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活に生かそうとする態度を育てる。』と言っている。ただ単に正答が出せればよいというものではない。
 
 だから、塾で先行学習し、正答が出せる状態になっている子どもであっても、数学的な考え方を問われるという意味では、塾へ行っていない子と同じ段階であると言える。
 『塾へ行っている子が正答を言ってしまうと、そこで学習は完了してしまうので、塾へ行っていない子の理解が進まない。』などと思うのは、正答主義の授業を行っているからであって、そうならないようにしないといけない。

 そのためには、分からない子が、分からないと言える学級をつくらないといけない。『何でも言い合える学級』『自由で開かれた雰囲気の学級』をつくらないといけない。

 ○ 発問と学習内容の一体化         教育再生会議の提言に思う。(1)記事にしたのは、この後半部です。

 学校5日制となり、余剰時間は減った。無駄はできるだけ排除しないといけない。 発問はよく吟味しよう。そのために、教材研究の重要性はますます増しているのだ。

○ わたしの子ども時代の話

 わたしは、自分が子どもだったころの授業をけっこう覚えている。(もう50年も前だけれどね。)
 『どんな学習問題で、そのとき、自分はどういう発言をして、友達がこう反論してきて、〜。』など、けっこう覚えているのだ。
 でも、こういう大人はものすごく少ないようだね。

 あれは、何年生のときだっただろう。余りの出る小数同士の割り算だ。余りの処理の仕方が問題となった。
 わたしは、計算で出た余りはそのままでいいと言った。でも、友達のBさんは、余りは元の小数点に戻さないといけないと言う。『そんなばかなことがあるか。それでは何で小数点をはじめに同じ桁数だけ移動させたのか、移動させた意味がなくなる。』みたいなことを言ったのを覚えている。

 話し合っていると、だんだん自分の意見は間違いだと気づく。そういうときの身の処し方というのは、ものすごい勉強ではないか。まさに、生き方、学び方の学習だ。

 おまけに副産物もある。こうして今も覚えているというのは、自分の考えは間違っていたのだが、数学的な考え方を駆使したからであり、二度と同じ間違いはしないという貴重な宝も手に入れることができる。



 これで話は終わったのだが、司会者から、基礎・基本のとらえについて質問を受けた。

 答えは、

 学習指導要領に書かれているものすべてが基礎・基本である。だから、教科書に載っている内容も、『これは発展です。』と書かれている内容以外はすべて、基礎・基本である。
 ただし、知識・理解・技能だけが基礎・基本ではない。上に、学習指導要領に書かれた目標を掲げたが、『数量や図形についての算数的活動』『基礎的な知識と技能』『日常の事象について見通しをもち』『筋道を立てて考える能力』『活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き』『進んで生活に生かそうとする態度』以上、みんな基礎・基本である。

 しかし、わたしは、以前、当ブログに、『子ども一人ひとりの基礎・基本』(1)および、(2)という記事を書いた。

 学習指導要領云々は、子どもの外側から、『子ども一人ひとりの基礎・基本』は、子どもの内面から、基礎・基本を見ていると言えよう。

 ○年生に獲得してほしい基礎・基本、期待する基礎・基本(前者)はしっかり胸に収めながらも、いざ、自分の学級の子ども一人ひとりと面と向かうときは、一人ひとりの実態をしっかり把握して、一人ひとりの基礎・基本を大切にしていきたいものである。

 『基礎・基本の確実な定着』というものを、わたしはそのように考えたい。


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rve83253 at 16:38│Comments(4)TrackBack(0)指導観 | 算数科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by 依頼人   2007年04月29日 19:00
この記事内の異動してしまった無責任な依頼人です。

先生の専門外の教科でお願いをしてしまい、とても悩まれたのではないかと、大変恐縮しております。
本当に申し訳ありませんでした。


このような形で交流が生まれたのも、ひとつの縁だと思いますので、先生にはこれからもいろいろなことを学ばせていただきたくお願い申し上げます。
2. Posted by toshi   2007年04月29日 20:10
依頼人様
 早々と、コメントをいただき、ありがとうございます。
 無責任などととんでもない。まして、悩んだなどということはありません。戸惑いくらいなら、ありましたが。
 でも、記事にも書いたとおり、ほんとうに楽しかったのです。先生がいらっしゃらないのが、残念だったけれど、また、いつか、お会いできる日もあるでしょう。その日を楽しみにしております。
 こちらこそ、貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。
3. Posted by Hideki   2007年04月30日 08:19
こんにちは

とても大事なご指摘ですね。

本記事、ちょっと誤解されかねないなぁ、と感じたのが、具体例で示された面積の求め方。長方形の面積は足し算ではなく引き算で出したほうが良い、という結論になってしまったら、違いますよね。

問題にはいろいろな解き方がある、それを自分なりにあれこれ考えること。その「気づく力…着想力」を養うこと。そして、自分なりに考えるときに、その理由をあわせて考えることで「考え方…論理力」を養うこと。

私はこの2点が大事なんだと思うのです。そして、算数・数学にはこれを導きやすい。目でみて結果(面積)が分かるから。

それを、「正解」という一つの答えだけを問い、よしんば「暗記」するだけでは、この「考える力」養われない。そう思うのです。
4. Posted by toshi   2007年04月30日 22:54
《本記事、ちょっと誤解されかねないなぁ、と感じたのが、具体例で示された面積の求め方。長方形の面積は足し算ではなく引き算で出したほうが良い、という結論になってしまったら、違いますよね。》
 ほんとうだ。おっしゃる通りです。
 いや。実は、わたし、引き算で出した方がいいと思っていました。でも、正確に言えば、『こういう考え方だと引き算の方がいい。』そういうことですよね。
 『別な考え方だと、違う解き方の方がいい。』そういうことは、当然あります。
 ああ。ありがとうございました。ほんとうに、Hidekiさんのおっしゃるとおりです。
 

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