2007年04月30日

『学校、担任批判を子どもの前ですることは、〜。』(2)4

08163c35.JPG ゴールデンウイークの幕開け。我が家は、娘夫婦と孫たちに囲まれ、にぎやかである。

 そんななか、次女が語った。先日の、『学校、担任批判を子どもの前ですることは、〜。』の記事についてである。

 わたしは、あの記事で、『(このわたしが)まったく担任批判をしなかったか。しなかったと言えば、うそになるだろう。』と書いた。

 ところが、娘は、その箇所を読んで、最初、
 お父さんが、わたしの愚痴に同調してくれたことなんてあったかなあ。愚痴をこぼすと、『それは、A(次女の名)が悪い。』と、逆に、しかられてしまうことが多かったような気がした。・・・、のだそうだ。

 そして、さらに、続ける。
「『お父さんは、学校の先生だから、わたしの気持ちが分からないのだ。』と感じたこともあったよ。ごめんね。今は、何でしかられたのか、分かっているつもり。」

 でも、読んでしばらくたってから、
「あっ。あったあ。」
と、思い出したのだそうだ。それは、こういうことだった。わたしも、娘に言われて思い出した。


 以下、その話を書くが、もちろん、これは、娘が話したことを書いているのだということは、お断りしておきたい。

 それは、担任ではなかった。クラブ活動とか、委員会活動で娘の担当となった先生(今、B先生としよう。)のことだった。

 娘が、あるとき、友達を傷つけることを不用意に言ってしまった。娘はすぐ、言ったことを後悔し、反省したのだけれど、そのとき、B先生に、
「〜。Aちゃんのお父さんは、学校の先生ではないか。その娘さんがそんなことを言っちゃあいけない。」
と言われた。しかも、そのときは、クラブか委員会かの活動中だったから、多くの友達がいる前だった。


 以下はまた、娘が話している調子で書こう。
「確かに、わたしが友達に言ったことは怒られて当然のことだったの。でも、わたしとしては、友達を傷つけたことだけをしかってほしかった。そのとき、何でお父さんが先生だからって、その娘だからって、そこまで言われなきゃいけないのか、それが納得できなかったのよ。

 それで、家で、お父さんとお母さんにそのことを話したのね。そうしたら、お父さんが、
「それは、確かに、Aの言うとおりだ。B先生のしかり方は間違っている。そこで、父親のことなど言う必要はないよな。」
って、言ってくれたのよ。

 それで、また、思い出したのだけれど、その後、お父さんは、
「わたしが先生でなかったら、そんなしかられ方はしなかっただろうに、お父さんが先生であるばっかりに、そう言われてしまったのだね。ごめんな。」って言ってくれたのね。・・・。今、思い出した。」

「そうかよ。B先生のことで、Aが怒っていたのは、わたしも思い出したけれど、そんなことまで言ったか。・・・。それは、覚えていないよ。」

「そう。でも、まだ続きがあるよ。お父さんには、続けてこう言われたの。
『大事なのは、自分が言われていやなことは、人に言わないようにしないとな。・・・。
 でも、Aは、その点はしっかり反省できているようだから、これからはもう、そういうことは言わないって、気をつけることができるだろう。・・・。

 だけど、Aはえらいよ。
 そんなしかられ方をしたら、友達に言ったことすら反省できなくなってしまう子もいるよ。
 Aは、もともと悪いのは自分だって、しっかり反省できている。・・・。それで、ちゃんと友達にはあやまることができたのか。』

 そう言われたのよ。わたし、たぶん、お父さんの話の途中から、涙ぐんでいたと思うよ。」


 娘の話はまだまだ続いた。

○このとき、『Aの言っていることは正しい。』って言ってもらえなかったら、『お父さんは学校の先生だから、わたしの気持ちなんか分からないのだ。』っていう気持ちはどんどん大きくなっていったと思う。

○やはり、ここぞと言うときに、子どもの味方をしてくれるのが親なのではないか。

○それに、お父さん、お母さんに話しただけで、すごく気が晴れて楽になったような気がする。


 話の最後に言われた。
「お父さんやお母さんは、このことで、学校に行って何か言ったりはしなかったでしょう。」
「そんなことするわけ、ないではないか。」
「そうだよね。家で話し合うだけで十分だものね。」

「わたしにすれば、『Aが心の豊かな子になってほしい。考える力のある子になってほしい。』って思っているわけだから、もう、そういう会話ができただけでうれしかったのだと思うよ。

 それに、学校だっていろいろな先生がいるのは当たり前だし、一人の先生だって、いろいろな気分のときがあるだろうし、そんなことにいちいち目くじら立てるのは意味がないよな。

 Aが、いけないことをしながらも、自分で反省できたのと同じように、B先生だって、きっとそのとき反省したと思うのだ。それでいいのではないかな。」
「うん。わたしもそう思う。別にふだん、B先生のこと、嫌いじゃなかったし、こんなことがあった後も、別にふつうだったよ。」
「親子で話し合ったからこそ、わだかまりなど、できるわけがなかったということかな。」
「そうだね。もう、お父さんがわたしの気持ちを分かってくれただけで、わたしとしては、きっと満足したのだと思うよ。」


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 今日の記事は、次女が小学校高学年だったときの話。
 わたしは、この記事のような対応が、ずっと前から(娘の幼児期から)できていたわけではありません。恥ずかしながら、そのあたりのことを過去に記事にしたことがあります。よろしければご覧ください。

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rve83253 at 22:34│Comments(4)TrackBack(0)保護者 | 子ども

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2007年04月30日 23:01
子供の気持ちになってあげる。そして、それが正しければきちんと受け入れてあげる事、重要ですよね。やっぱり、親が一番の見方であると子供が感じていると、少々の辛い事は乗り越えてくれると思います。その上で、親子共に、先生(相手)の気持ちにもなってあげられればもっといいですね。
それがひいては、「自分とは異なる意見を尊重する」という姿勢を育む事にもつながっていくのではと思います。とても大事な事ですね。
2. Posted by Hideki   2007年05月01日 01:14
すごいですね

こう言ってしまうと、とても失礼な物言いになってしまいますが、学校の教師も必ずしもいつも正しいとは限らない、という点のは事実あると思うのです。だから、学校はいつも正しい、学校に異議を唱えてはいけない、担任批判しちゃいけない、と杓子定規に決め込んでいると、結果として「子どもの心」を裏切ることになる。

学校の教師にも理解されず、親にも理解されない。こういう子どもは最も孤立に追い込まれてしま。最も避けなければいけない事態なんですよね。

しかも、一方でその対処法も、「あえて学校に文句として言わない」という、子どもの心を考えた、最も適切な方法でした。

一番大切なのは、子どもにとって何が一番良いことなのか?
先入観や形にとらわれず、的確に判断する

今回、toshiさんに、親の心構え、親のあるべき姿を教えられたように思います。

貴重なお話、どうもありがとうございました。
3. Posted by toshi   2007年05月02日 03:47
yokoさん
 そうですね。我が子の言い分が納得できるのなら、それを認めてやることだと思います。
 そのうえで、学校、担任についても、その気持ちを受け止め、共感できる部分は共感してやり、我が子が、学校を理解できるよう、そのあたりの気配りも大切に思います。
 
4. Posted by toshi   2007年05月02日 05:21
Hidekiさん
 人間のやることですものね。
 もちろんそう言って逃げる姿勢ではいけません。弱さを自覚しながらも、いえ、自覚するからこそ、ベストを尽くそうと努力するのだと思います。
 学校に限らずでしょうね。
 国はミスをしないという前提で、いろいろなシステムができあがっていると聞いたことがありますが、今、その前提はものすごく崩れていますよね。どだい無理な前提では、システムはほころぶばかりですよね。
《一番大切なのは、子どもにとって何が一番良いことなのか?先入観や形にとらわれず、的確に判断する。》
 ほんとうにそのときそのときの判断なのだと思います。いつも我が子の味方をしていたら、それはそれでまたおかしくなりますものね。

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