2007年05月07日

教員査定の問題(2)序章4

89e22456.JPG  この問題は以前も序章だった。そして、また序章なのは申し訳ない。たぶん、本論は一回で終わってしまうと思う。
 それなのに、序章が二つあるのでは、体裁が悪いことおびただしいが、お許し願いたい。
 実は、今の教員査定の問題にかかわって、もう10年くらい前のことだが、ある象徴的な話が二つあったので、紹介させていただきたいと思う。


第一話 長女との話

 長女の了解を得て掲載するのだが、娘は、ある航空会社の客室乗務員だったことがある。長子誕生で続けられなくなってやめたのだと思う。
 
 娘が、客室乗務員を目指したとき、あるいは、採用になってからも、その努力には目を見張るものがあった。まじめで、真剣で、・・・、とにかく、親としては、『身体に気をつけろよ。』と言うくらいで、黙って見守るしかなかった。

 
「すごいではないか。もう、採用になったのに、そんなにもがんばらなければいけないのか。」
「うん。訓練や試験がきびしいからね。・・・。大変よ。合格しなければ、何回も試験の受け直しだもの。それまでは、乗務できないの。・・・。
 でも、きびしいのも分かるの。お客さん第一でしょう。保安の面一つ見ても、客室乗務員が飛行機の知識うろ覚えでは、万一のとき、お客さんを助けられないものね。」
「そうか。そりゃあ、そうだな。・・・。でも、わたしたち一般人は、ふだん、客室乗務員の仕事というと、お客さんへのサービス係としか思っていないよな。」
「ふだんはそうよ。サービスとセールス要員ね。でも、非常の際は、保安要員にもなるの。だから、客室乗務員だって一名でも欠けていたら、飛行機は飛ぶことができないのよ。」

 
「そうか。企業もいろいろ大変だなあ。査定もあるのだろうし。」
「まあ、今も査定みたいなものかもしれないわね。どんな仕事もそうじゃない。」
「いや。学校の教員には、査定なんかないよ。」

 そうしたら、娘は、いきなり、すっとんきょうな声を上げた。
「ええっ。学校の先生に査定はないの。そんなのおかしいよう。・・・。査定がなかったら、みんな、なまけちゃうじゃない。」

 わたしは、まさか、娘に、そのようなことを言われるとは思っていなかったから、かなり動揺はしたが、それは顔に出さず、平静をよそおって言った。
「そうかい。・・・。みんななまけちゃうかい。・・・。じゃあ、お父さんも怠けたって言うのかな。」

 娘は、『しまった。』という感じで、首をすくめ、
「そりゃあ、お父さんはなまけていたなんて思わないけれど、・・・、でも、なまけちゃう人は多いと思うなあ。だって、一生懸命やったって、なまけたって、お給料はかわらないわけでしょう。・・・。そうしたら、やらないよう。」



 第二話 自校教員との話

 今の、果てしも知らぬ教育改革。そのしょっぱなは何だったのだろう。勤務時間の問題だったかなあ。もっとも、これは地域による違いがあっただろう。

 それ以前の、まだ落ち着いていたころだった。何気なく自校教員と話していたら、査定の話になった。まだ教員の査定など、現実の問題とはとても思えなかったころのことである。

 教員の多くは、
「教員に査定などとり入れたら、校長におべっかつかう教員ばかりになってしまいますよ。」
「学校っていうところは、特殊な職場で、成果はすぐ現れないではないですか。だから、査定はなじまないですよ。」
「それに、教員は、協力し合わなければやっていけないではないですか。それなのに、上級教員とか、並みの教員とかわけられるようになったら、協力どころではなくなってしまいますよね。」
「お互いが競争相手になってしまい、間違いなく職員室はあれた雰囲気になりますよ。」
そんな話をしていた。

わたしは、
「そうかあ。そんな、校長におべっかつかう者ばっかりになってしまうかなあ。もっとも、校長が、おべっかつかう者に、おべっかつかってくれるからということで、いい評価をしていたら、そうなるか。
 でも、そんな学校は成果を出せないだろう。校長自らが、苦労をせおってしまうようなものではないかな。
 また、査定をとり入れると協力体制がとれないと言うけれど、どんな職場だって、査定があっても協力しながら仕事をやっていると思うよ。」


 以上で、二つの話は終わり。



 わたしは、第二話のとき、娘の仕事を思い浮かべていた。

 査定はある。試験の成績によって、あるいは、仕事の様子を観察することによって、評価される。しかし、その査定項目のなかには、『協力・協調』なども当然含まれるはずだ。そうでなければ、狭い飛行機のなかで、やっていかれないだろう。

 『何を査定項目とするかが大事』というのはよく分かる。少なくとも、学力検査の結果などで、教員の査定がなされるとしたら、これは、教育がゆがむというものだろう。
 しかし、はっきり査定できる項目もあることは否めない。このあたりは次回に述べよう。

 上記、二つの話は、どちらも真実だろう。人間、評価されなければなまけるというのも、評価者におべっかつかうというのも、荒唐無稽の話とは思えない。どちらにしても、このような問題の職場というのはあるに違いない。

 そして、どちらにしても、その問題性を除く努力というか、配慮というか、それを行って、よりよい職場環境をつくるべきではないか。

 我が職場が特殊というのはよく分かる。それは、よりよい職場環境をつくることが、よりよい子どもを育むことと同義である点だ。

 そうした点を踏まえ、今という時代を見たとき、

 今という時代というのは、先に述べた国民主権、それは受益者主権という意味なのだが、
 そして、教育の受益者は、多くが第一話のような考え方だと思うので、もう、教員の査定は実施すべきか否かを論じる時代ではなくなった。それは受け入れた上で、その弊害をなくすにはどうしたらよいかを論じる時代になったのだと思う。

 それでは、次回は、わたしが考える教員査定について、書くことにしよう。

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 人間は弱いものです。『査定がなければどうしても、〜、』という部分は、確かにあるでしょう。

 しかし、わたしたちは、査定がないからこそ、『評価者の評価を気にすることなく』、自分たちのやりたいように、それはつまり、『人間性豊かな子どもを育む教育実践』を指すのですが、それをやれるのだという考え方で、励んできました。

 娘よ。そういうことだったのだよ。そして、そういう教員は、大勢いるのだよ。

 それから、もう一つ。上記、『人間は弱いもの』という言い方は、自己弁護には使いたくないですね。これは、相手を許容、受容、共感するときにこそ、使いたい言葉です。

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rve83253 at 03:03│Comments(18)TrackBack(0)教育制度・政策 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by ベアー   2007年05月07日 11:24
今回のお話もとても考えさせられました。
一般企業においては、仕事の成果が数字などに表れることが多いですが、教育は子供の成長というすぐに結果が出るとは限らないものが対象ですから、その査定項目には充分注意が必要ですね。
自分の評価を上げる為に子供達を利用するようなことがあってはならないと思います。
ただやはり評価される機会があるのは、基本的には良いことですよね。
きちんとやっている教師の方がきちんと評価される査定であれば、むしろ良い緊張感が生まれて良い結果になるのではないかと思います。
でもそこが難しいのでしょうね。

次回の教員査定の記事も楽しみにしています。
2. Posted by Hideki   2007年05月07日 21:45
今回のお話は、一般企業にいる私には、ちょっと哀しくなりました。まあ、公営・官営という場にいる人からみれば、企業というのはそう映るのかもしれませんが。。。

評価を導入すると上司におべっかを使う、評価がないと怠けてしまう、評価は短期的な視点にしか立てない、評価を導入するとお互いが競争関係に陥り荒れてしまう…どれもこれも、情けない議論です。一般の会社をそのように見ているとしたら、言葉は悪いが世間知らずも甚だしいと思う。

そもそも子供達を「評定」する人、その前に子供達を良く見る人≒評価する人が、評価そのものに対する認識がこれではちょっと不安です。

3. Posted by Hideki   2007年05月07日 21:50
> 査定がないからこそ、『評価者の評価を気にすることなく』、自分たちのやりたいように、それはつまり、『人間性豊かな子どもを育む教育実践』を指すのですが、それをやれるのだという考え方

この考え方は、一歩間違うと、教師個々人が好き勝手に行ってもかまわないという事態を導くと思う。この場合、教師個々人の自主性とモラル、そして教師の信念に委ねる部分が大きくなるのだろうけど、その場合には、その教師の「選択権」を親と子どもに与えてもらいたい。私達が評価します。

本当にそこまで自分のやり方に自信があるのなら、信念があるのなら、評価者を恐れることなく、まずは堂々と評価者に訴えて欲しい。きちんと筋を通してもらいたい。

そんな気概や理論もなく、ただただ自由に自分のやりたい事をやりたいという、ふやけた発想には、申し訳ないけど私は賛同しかねます。
4. Posted by Hideki   2007年05月07日 21:57
ちなみに評価は目的たる実績・成果で評価するものもあれば、その過程や経過、目的に向かっての活動で評価するものもあります。

確かに教育の成果はすぐには現れず、短期的な成果・結果だけで評価するのはとても危険です。だからといって、その活動を評価しないわけにはいかない。

目指すこと(狙い)、その為にどう考えたか(道筋)、そのやり方の長所と短所…想定されるリスクへの対処を事前にしているか。

計画段階でのチェック項目はいくらでもあります

また、同時に途中経過のチェック項目(子供達の姿など)もたくさんあると思う。

Plan-Do-Check-Action というPDCAは使い古された処方箋ですが、やはりチェック(評価)による行動修正は大切です。そして、それを「きちんと」やっているかどうか、目指す方向はあっているか、という点は、管理者がきちんと見ていなければいけない。それが考課なんだと思う。
5. Posted by toshi   2007年05月08日 00:02
ベアーさん、Hidekiさん

 ううん。わたしが悩んでしまいました。おっしゃることに全面的に賛成というわけでもありませんが、勉強になったのも事実です。
 ありがとうございます。

《公営・官営という場にいる人からみれば、企業というのはそう映るのかもしれませんが。》
 企業がそう映るというよりも、我々は知らないのですよね。企業がそう映るというよりも、査定についての自分自身の持ち合わせがないと言った方が正解なのかもしれません。
 持ち合わせがないので、情けない議論になっていたのでしょう。

6. Posted by toshi   2007年05月08日 00:24
 我々は、統一された評価観をもっていないのだと思いました。わたしたちがよしとする評価観を誰もがよしとするわけではない。
 早い話が、○マス計算をよしとする人は、我々の評価観を認めないという部分があるでしょう。我々は訓練的なことは基本的には軽視しますが、重視する人もいるといった具合です。ベアーさんのおっしゃる、『子供達を利用するようなことがあってはならない』も、人によって利用と考えたり、真に子どもを育んでいるのだととらえたりという面がありそうです。
 こうした教育論争は、戦後すぐに始まり、永遠に続くもののように思います。

 一方では、これでいいという見方もあるでしょう。大学の学問の自治と似通った部分かもしれません。もしそうであれば、上記の内容は査定の対象としないとなりそうです。

 そうなると、Hidekiさんのおっしゃる、『市民が評価します。』になってしまうのでしょうね。
 学校選択制などは、その表れなのかもしれません。
7. Posted by toshi   2007年05月08日 00:46
わたしは、教育論争はしてきたし、これからもするでしょう。
 しかし、学校を経営する立場としては、個々の教育観は問わないし、指導法も問わない。熱意と、信頼があればよいというとらえで、査定を考えたいと、そんな内容の記事を次回考えていたのです。

 これについては、ベアーさん、Hidekiさんはどうお考えになりますか。

 もっとも、次回またお考えをお寄せくださるのでもけっこうですけれど。
 
8. Posted by toshi   2007年05月08日 00:54
《本当にそこまで自分のやり方に自信があるのなら、信念があるのなら、評価者を恐れることなく、まずは堂々と評価者に訴えて欲しい。きちんと筋を通してもらいたい。そんな気概や理論もなく、ただただ自由に自分のやりたい事をやりたいという、ふやけた発想には、申し訳ないけど私は賛同しかねます。》
 これについては、異論を唱えます。
 査定がないということは、『評価者』というのはそもそもなかったのであり、ただ、日々の何気ない言動にそれは表れるといったくらいの意味で使ったのであり、それでしたら、理論はともかく、気概を持って言い合ったこともありました。むしろ、査定がないだけ、言いやすかったかもしれません。
9. Posted by toshi   2007年05月08日 01:13
Hidekiさんが、コメントの4番でおっしゃったことは、わたしも、現役最終年に研修しました。それで、少しかじった程度だったのですが、おっしゃることはよく分かります。
 ほんとうに評価項目は多岐にわたっていました。『こんなことまでいちいち分かるか。』って言いたいくらいでした。

10. Posted by toshi   2007年05月08日 16:28
今朝のコメントに補足します。

 査定について、今は、若干の持ち合わせがあります。それについては、次回にふれさせていただきます。少し、世間が分かってきたと言っていいかな。

《そもそも子供達を「評定」する人、その前に子供達を良く見る人≒評価する人が、評価そのものに対する認識がこれではちょっと不安です。》
 わたしだけではないと思うのですが、教員の多くは、子どもたちの「評定」と、教員の「査定」はまったく別次元の物と捉えていると思います。それは、給料にはね返るということのみ、強烈に印象づいているからでしょう。
 今は、このHidekiさんのコメントも、若干、分かる気がします。査定の目的はそんな矮小化されるものではないと、そういうことでしょうか。 
11. Posted by toshi   2007年05月08日 16:40
《査定がないからこそ、『評価者の評価を気にすることなく』、自分たちのやりたいように、それはつまり、『人間性豊かな子どもを育む教育実践』を指すのですが、それをやれるのだという考え方》
 これについては、言葉が足りませんでした。すみません。
 学校は、学校ごとに、経営計画、教育課程を持っており、毎年PDCAの過程も踏みながら、教育実践しています。『やりたいように』は、ちょっと言葉がまずかったと反省しています。
 『評価者の評価を気にすることなく、経営計画、教育課程は踏まえながらも、自分の信ずる教育実践にまい進できる。』
くらいの意味だったのですね。
 また、これまでの評価は、学校全体としてのふり返りと方策という意味であって、教員個々ではなかったわけです。
12. Posted by Hideki   2007年05月08日 19:50
私の方こそ、公教師についての知識や経験も無いのに、大変に言葉が過ぎた表現があり、不愉快な思いを皆さんにかけたと反省しています。本当に申し訳ありませんでした。

お話をうかがっていて、また別途グーグルなどで検索をしてみて、「たしかに世界が違うなぁ」という印象を強く持ちました。ただ、その中から、次のステージに学校が進化していく際の、いくばくかのヒントにでもなれればと思う次第です。

評価という点については、「評価される側」以上に「評価する側」の真価が評せられるように感じています。その場合の一番のポイントは、評価する「基準」。それが、一様で無かったのなら、確かに評価は、評価者によって、文字通り、千差万別、こっちでは善なものがとなりでは悪という結果になっちゃいます。

まずは、「評価する側の問題」を一番先に解決しないといけないと感じた次第です。
13. Posted by Hideki   2007年05月08日 19:58
人事査定、あるいは考課といわれるのは、ご指摘のとおり、その対象者の処遇(報酬、役職、地位、など)を決めることですので、評価とは基本的に意味が異なりますよね。ただ、査定は評価の結果に基づいて行われるものですので、両者は切っても切れないと思うのです。

ここで、単純な疑問があるのですが、教員の報酬(昇給)、あるいは役職といったものは、どうやって決まっていくのでしょうか?

昇給などは全員が一律で上がるのでしょうか

それでも役職昇進は全員がなされるものでもないでしょうから、なんらかの査定が為されているのと思うのですが、違うのでしょうか

こう思うと、本当、私は教員の基本的なことを知らなかったですね。すみません。
14. Posted by POOHママ   2007年05月08日 21:20
失礼と承知の上で・・・
Toshi先生とHidekiさんの
突っ込みあい、
とても勉強になります。
どちらの意見にも
「なるほど、そういう見方もあるのか」
と感心しながら読んでいます。

また傍観させていただきます。
15. Posted by ベアー   2007年05月09日 00:35
toshi先生とHidekiさんのおっしゃること、とても納得しながら読ませて頂きました。

《しかし、学校を経営する立場としては、個々の教育観は問わないし、指導法も問わない。熱意と、信頼があればよいというとらえで、査定を考えたい》
私もそのように思います。
どういう先生を良い先生と考えるかは人によって違いますし、教育観や指導法もそれぞれで良いのではないかと思います。

《しかし、はっきり査定できる項目もあることは否めない。》
これもその通りだと思います。
やはり何を査定項目とするかが非常に重要ですよね。
学校の先生のお仕事は本当に色々な側面があるので評価するのも難しいかと思います。
Hidekiさんの
《確かに教育の成果はすぐには現れず、短期的な成果・結果だけで評価するのはとても危険です。だからといって、その活動を評価しないわけにはいかない。》
というご意見ももっともだと思いました。
16. Posted by toshi   2007年05月09日 05:05
Hidekiさん
 次のステージへの進化ととらえるか否かは、人によりいろいろだと思いますが、わたしは、進化ととらえたいと思います。
 やはり、横並び主義は、市民の理解を得られないでしょう。よりよい査定のあり方を模索する時代だと思います。
 評価する側の真価が問われるというのは、その通りと思います。これも、次回記事にするつもりです。
 教員の報酬(昇給)、役職については、地域による違いがありますが、昇給は、全員一律と言っていいと思います。これは、横並び主義を意味しますから、まもなく廃止されるでしょう。
 昇任については、これは、今は、試験制度が多いのではないでしょうか。もちろん、対象者に対しての査定はあると思います。
17. Posted by toshi   2007年05月09日 05:10
POOHママさん
 いつもお世話になります。
 わたしも大変勉強になっています。
 ただ、傍観などとおっしゃらずに、ご意見等、お寄せいただければと思います。どうぞ。よろしく。
18. Posted by toshi   2007年05月09日 05:17
ベアーさん
 何を査定項目にするかが重要だということ、その通りと思います。教育は地方分権ですから、この点でも、地域による違いが出てくるでしょう。最初から完璧というのは無理でしょうから、互いに学び合うなかで、それはよその地域から学ぶということもあるでしょうし、企業の査定から学ぶということも、市民からということもあるでしょう。
 これについても、次回記事にまとめたいと思っています。

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