2007年05月09日

教員査定の問題(3)4

39dcfd7a.JPG  以前、教員免許更新制について、教員免許の価値が低下しているときに、更新制は意味がないのではないかという記事を書いた。

 その後分かったのだが、教員免許がない者に対しても、教員としての採用を始めたというニュースを知った。教員免許などあってもなくてもいいという時代に入ったと言えよう。わたしはこの動きには賛成である。
 採用になってから、特別免許状を授与するというが、これは形だけの教員免許と言っていいだろう。それならそれで、免許制そのものを廃止したらいいと思う。そうすれば、なおいっそう、誰でも採用試験を受けられることが明確になる。

 そう思うので、ますます更新制の意味が分からなくなった。教員の負担を増すだけではないか。どう整合性をつけるのか、今後を見守りたいと思う。


 それに対し、今日とり上げる教員査定の問題は、まさに、教員としての資質の向上、人材育成の目玉として、重要性を増していくものと思う。


 前回の記事で、Hidekiさんからご質問をいただいた。
『教員の報酬(昇給)、あるいは役職といったものは、どうやって決まっていくのでしょうか。昇給などは全員が一律で上がるのでしょうか。それでも、役職昇進は全員がなされるものでもないでしょうから、何らかの査定がなされていると思うのですが、違うのでしょうか。』

 これは、今現在も横並び主義なので、全員一律に上がるのだ。
 役職昇進は、これは、別に登用試験があるし、校長の意見具申もある。それが査定の代わりと言えなくもない。(もっとも役職昇進については、我が地域のことであり、全国的にはさまざまな形態があると思う。)


 ただ、わたしは、思う。

 民間企業だって、ついこの前までは、年功序列、終身雇用だったわけだ。そのときは、教員ほど徹底はしていなかっただろうが、ある程度横並び主義だったのではないか。査定はあっただろうが、多分に形式的ということはなかっただろうか。

 もしそうなら、遅ればせながら、まずは公務員、そして、教員も、実力主義社会(?)へ参入ということになるのだろう。

 ただ、教員の場合は、査定が企業、一般公務員にくらべ、かなり困難さを伴うと思う。

○ 数値目標に示しにくい。
○    成果はすぐには現れない。
○ 査定があれば評価の中核となるであろう授業等について、評価者である管理職は、日ごろほとんど観察できていない。
現行教育基本法は、『人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成』を教育の目標とする。当たり前といえば当たり前。誰もが共感するが、しかし、各人が思い描く、その教育の具体的な姿は多様性に満ち、違った立場になると、論争すらある。

 特に三番目について、今、わたしがパッと思い浮かべるのは、はるえもんさんのブログ、『先生が子どもたちのために明日からできること』の12月12日の記事、「『さんはちにじゅうよん』でもいいじゃないか!」である。

 わたしは、この記事では、はるえもんさんの主張にまったく共感する。なんで、『さんぱにじゅうし』にこだわるのだと、切歯扼腕する思いだ。

 ところがそのわたしも、『意見を言うときは、必ず挙手して指されてから言いましょう。』については、はるえもんさんと見解を異にする。

 ことほどさように、教育論は多様なのである。

 評価者にも、心の広い人、こだわる人など、多様な人格があるだろう。自分と違う教育観を持つ教員に対して、はたして、公平公正な査定ができるかという思いがある。

 

 ここで話は大きく変わる。

 わたしにとっての現職最終年。それは、我が地域において、人事考課制度がスタートした年であった。
『本格的な人事考課制度をとり入れる。評価の結果を給料には反映させない。しかし、一人ひとりの教員に応じた人材の育成と能力開発には生かす。特に異動や校務分掌等の資料にする。』とされた。

 その前年は、人事考課についての研修の年であった。ここで初めて、わたしたちは、人事考課のやり方、考課の項目などについて、その全容を知ることができた。
 
 自分にとっては、生涯通じて空気のように感じてきた横並び主義が骨の髄までしみこんでいたから、最初の率直な感想は、『また、仕事がふえるなあ。』『なんでここまでやらなければいけないのだろう。』だった。


 しかし、研修を積むにつれ、だんだん、意義、ねらい、内容等が分かってきた。

 そして、感じたことは、『評価者の実力が試されるのだな。』『なるほど。評価者の主観を廃し、誰がしても同じ結果となるような仕組み、配慮が、いろいろなされているのだな。』だった。
 一見矛盾と感じられる両者だが、『公平公正な評価をするために必要な仕組みが作られている。あとは、そうした仕組みを生かすうえでの評価者の力量が問われているのだ。』と感じた。

 一例を挙げよう。

 ようするに、『愛情をもって子どもに接している。』というような項目ではダメなのだ。これでは、大いに主観が入ってしまう。
 しかし、どうだろう。『子どもの思いをくみ取る努力をしている。』さらには、『子どもの思いを生かして学習を進めている。』となれば、かなり主観は排除されるのではないか。
 もっともこれは、主観を排除するための例示として書いたものであって、実際にこうした項目があると言っているのではない。

 さらには、どのくらいであればA、このくらいならBというように、評価の尺度も明確にする。

 そうしたことに工夫が感じられたのだ。



○ 『ほう。』と思ったのは、『目標管理手法の導入』と言われるものだった。

 各教員が、年度当初、学校教育目標を踏まえ、職務遂行上の自己目標を設定する。そして、一年間その達成に向けて職務に取り組み、年度末にその達成状況やプロセスを評価するというものだ。
 その際、管理職は、一人ひとりの教員と話し合い、その目標の妥当性、達成状況など、指導助言することが大切である。

 そう。ここにも、評価者の手腕を問われる状況が生まれる。ただ評価すればいいというものではないのだ。

 また、単年度ごとの評価なので、単年度で達成不可能というような、つまり、すぐにはあらわれない取組は、この人事考課ではとり上げないこととなる。


○次に何を評価するのかということだが、これはもう、学校の教育活動全般と言っていい。さらには、責任感、協調性、積極性といった一人ひとりの教員の資質にかかわるものも評価する。これも、性格の評価ではないので、具体的場面での行動等に即して評価することになる。

 ただ先に述べた、教育観、指導観のたぐいは、問わないこととする。

 問うのは、『専門的知識・技能の活用、分かりやすい指導、計画的な指導、目標の達成度、児童の課題解決に向けた指導、児童の学習への興味・関心の高まり、指導法の工夫・改善』といったたぐいのことだ。

 これでよいと思う。校長が変わったら、『よし』とされる事柄がガラッと変わったというのではまずいからだ。



 わたしは校長として、せっかく始まった人事考課制度なら、これを少しでも有意義なものにしようと考えた。教員が意欲的になるような方向で使いたいと考えた。
 そこで、授業を見ることに努めた。

 教室訪問は、それまでもしていたが、それはたぶんに廊下とんびのようであり、一教室に一時間ということは、研究授業でもない限りなかった。それを、各教室とも、年間3回、じっくり一時間見る機会を設けることにした。放課後、短い時間だが、よいと思った点を中心に話すようにした。また、年間3回なので、次に見る機会までの改善要望を述べたり、改善の結果を評価し、ほめたり感謝したりするようにも努めた。

 

 さて、前回記事にした、『校長におべっかつかうようになる。』の件についてだが、

 以上述べてきたことをきちんとこなす校長なら、おべっかをつかう余地はないだろう。そうした人事考課システムになっている。しかし、それでも、あえて恣意的な評価をする校長はいるかもしれない。その学校は間違いなく成果を上げられないだろう。荒れる学校もでてくるかもしれない。

 
 それを防ぐ手だて。

 まず、教員。
現在、学校評価に関しては、地域・保護者、児童の声も聞いている。将来的には、これらの声も教員の査定に反映させてよいのではないか。

 校長も評価される。現状では、教育委員会による評価、査定が多いと思うが、将来的には、地域・保護者に加え、教員、児童の声も反映させてよいと考える。

 また、もう一つ。・・・・・・・・・。わたしは思う。こういう時代、査定の時代になったなら、わたしは、管理職の降格人事もとり入れてよいと思う。
 今、どうなのだろう。管理職の降格人事がないのは、全国共通なのだろうか。我が地域では、昭和20年代までは、降格人事はあったのだ。復活させてよいのではなかろうか。もちろん、どういう状況になったら適用すると、ある程度厳格な条件はあってよいと思うが。


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 さて、わたしは、我が地域で現在実施している、人事考課制度を中心に書いてきました。
 査定は、近い将来実施されるでしょうが、現在まだ、どういう状況で実施となるのか、まったく分かりません。状況から、推測するだけです。

 人事考課制度なら、わたしは、これまで述べてきたように、教員を活性化する手段として、使えると思うのです。
 でも、それが査定となり、給料に反映されるとしたら、わたしは活性化につながるか、自信がありません。
 特にベテラン教員は、長い間の横並び主義を空気のように受け止めてきました。体中にしみこんでいます。自分は収入が増えたと喜ぶような、そんな教員はいないと思うのですがね。

 ごめんなさい。これまで、査定は受け入れざるを得ないかのように書いてきました。でも、ここまで述べてきて、(?)となってしまいました。

 読者の皆様は、どうお考えですか。お声をお寄せください。

 それでは、今日も、愛の査定をいただけますでしょうか。よろしくお願いします。
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1. 教員免許更新制(教育関連3法案)今国会で成立の見込み  [ ブログで情報収集!Blog-Headline ]   2007年05月17日 16:27
「教員免許更新制(教育関連3法案)今国会で成立の見込み」に関連するブログ記事から興味深いものを選んでみました。ぜひ、読み比べてみてください。 =20...

この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:04
こんにちは

そうですね、端的にいえば年功制は若いうちは報酬に反映せず、「最後に報いる」という発想なんですよね。確かに横並びといえば横並びの要素はあります。でも査定が形式だけのものかといえば違います。若いうちの反映要素は少ないが、年を追うごとにその差は大きくなっていく感じです。

また、そのときの評価でよくあったのが情実評価です。その評価基準がブラックボックスで傍の見ようによっては「上司ウケ」が良い人が評価される様にも見えたりしまう。

この一番の問題が、評価のフィードバックがきちんとなされない事。あいつはがんばっている、お前はまだまだだ、というだけで終わっちゃうわけです。
2. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:05
きちんと、「ここができた、ここができないから今度はここを重点的にがんばれ」という様な次への指針と方向づけになるフィードバックが評価の一番重要な点だと思う。

評価をきちんとしようとしたら、対象者の働きぶりを本当にきちんと見る必要が出てきます。それが対象者の生活(報酬)に関わってくるから尚更です。

だから、評価点が詳細で多岐にわたるのは至極当然な話なんです。これが「所見だけでの評価」だけになってしまっては、一面的な把握に陥る危険性があると思う(人によってはその所見が的を射ている鋭さを持つ場合もありますが、これは評価者の資質に依っちゃいます)。

3. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:13
ちなみにこれは前の会社の評価方法の一例です。

まず、業績評価と能力評価を大きく分けます。業績評価はそのとおり「目標に対しての結果・実績」。これを一時金の算定基準にするわけです。この基準算定式が「基本部分」と「考課反映部分」とに分かれ、そこの比率や数式が評価と報酬の変動性に大きく関わるわけです。

この目標とは、toshiさんのご指摘の点とほぼ同義ですね。ただ、そのまえに「今年度の組織としての目標・指針・戦略」の提示があり、それに向けて個々人の役割と活動から、今年度自分は何をするか?を上司と話し合って決めるわけです。

この目標設定が実は一番の大事な点となります。
それが自分の報酬に関わってくるだけに、いいかげんな目標は立てられません。真剣にならざるをえない。

でも、目標なき行動の危うさを考えると、私はこれは正しい姿だと思うのです。
4. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:29
一方の能力考課という方が難しい。あいつは優秀だ、あいつはダメだ、だけでは対象者にフィードバックできないという意味でも評価としては不十分です。

私らの場合では、組織に必要な能力という点で分解して考えていました。

まずはベーシックにS・K・A…「Skill」「Knowledge」「Attitude」に分けます(スキル・知識・態度)

知識は業務上必要な知識。商品知識、業界知識、経営知識等々。

スキルは、職務上で必要とみなされる能力。ここが一番のポイントでしょうが、「理解力」「分析力」「企画力」「交渉力」「統率力」などです。

5. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:29
これらは連動はするものの、実は人によって得手・不得手があります。深く考えずに行動力だけある人。頭は良いが行動が伴わない人。優秀かもしれないが自分勝手で組織目標に沿わない人。

また態度は、協調性、責任性、規律性、積極性などです。勤務態度などは規律性ですね。自己啓発などは積極性です。

各々の点を点数化して評価します。

それを一定の計算式で指数化してABCDEで評点していくわけです
6. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:42
お話の中でちょっと気になったのが、学校における人事マネージメントって、どうなっているのだろう?ということなんです。

各々の教師の働きぶり…教えぶりを、管理者の方々はどうやって見ておられているのでしょうか?もちろん周辺評価(休み時間の子どもの笑顔など)でもうかがいしれますが、でも、その教えている実際の場を見ないことには、とても危うい判断になると思うのですよ。誤解されがちなんですが、これはけっして「監視」じゃない。

授業中は担任の先生と子供達の世界です。もちろん先生には全幅の信頼をよせていますよ。ですが、だからといって、その姿を「第三者が誰もみていない」というのは、はたしてどうなのでしょうか?

そこに、いまの、実際には稀にしか起こらないですが、でも由々しき問題の萌芽が潜んでいる感じがしています。

7. Posted by Hideki   2007年05月09日 22:50
評価というのは、成果、あるいはその成果に到るまでの過程も含め、「活動の共有」でもあると思うのです。

それなのに、「評価」という仕組みを受け入れようとしない、あまつさえ断固拒絶する、そんな教育現場の実態があるのだとしたら、やはり私は不安を禁じえません


そして、評価と査定と結びつけることそのものは色んな意見もあるとは思いますが、その「評価」の重要性を各先生方が真に認識し、本当に大切なものだと思うのなら、査定という形で反映させていくことは、至極当然な話じゃないのかなぁ。

実は、いろんなHPで評価・考課に反対する意見(組合?)を拝見しました。そして、目標というものに対するの認識の無さ、目標に対してのレビューということへの意識の無さに、ちょっと愕然とした次第です。
8. Posted by Hideki   2007年05月10日 00:07
もちろん最終的にマネージメントの目指すものの一つに配下のメンバーのモチベーションアップ(活性化)がありますので、査定の実施が現実にモチベーションダウンにつながる危惧はもっともなことだと思います。

でも、だからといって、今のままでいいという発想も私には疑問です。

私の誤解なら良いのですが、それが個々の先生の自主性を重んじる余り、個々の授業への不干渉へとなり、結果として「放任…マネージメントの放棄」になってるのではないか?

> ○ 査定があれば評価の中核となるであろう授業等について、評価者である管理職は、日ごろほとんど観察できていない。

toshiさんのこの1文がとても気がかりなんです。

9. Posted by Hideki   2007年05月10日 00:09
評価を気にせず自分の信じる方法に邁進できる…これは一見正しいようで、その方法の方向性をチェック(評価)しないことを考えると実はとても危険な選択肢に感じるのです。

最後は、先生を信じるしかない、学校を信じるしかない

親としては、そこに行き着きます

だけど、先生も人間です。過ちもおかします。
そんな人の過ちそのものは余り責めたくありません。

でも、その個人の過ちを未然に防ぎ、最小限にくいとめる
それが組織のマネージメントと思うのですよ。

だからこそ、マネージメント(管理)をしっかりとやって欲しいと思うのです。

「評価無きマネージメント」は、私には現実味がちょっと無さ過ぎるのです。

(最後、また過激な表現になってしまいました…すみません。でも本心としてあ偽らざる気持ちなんです)
10. Posted by POOHママ   2007年05月10日 22:35
ちょっとそれるかも知れませんが・・・
「教育は人なり」といいますよね。
誰の言葉かは思い出せませんが、
大学で習ったのか、
初任校の校長かPTA会長かがおっしゃったのか、
とにかく、教師になった初期の頃から
かなり自分なりに意識していた言葉です。

「教育は人なり」
だから、
「教師の資質(授業力)向上が求められる」
と解釈する人もいる。
だからこそ、
「普段の生活も社会人として
 (子どもが大人になったときの)
 お手本となれるような生活を
 しなければならない。」
と解釈する人もいる。
私は、「両方あり」と思っています。

残念ながら、そういう意識の低い教師もいます。
「私生活はどうでもいい」とか、
「教科書さえきちんと教えれば、
 そのほかは二の次だ」とか。
そういう教師が増えたから、
評価制度が必要になってきたのかも
とも思っています。

11. Posted by ベアー   2007年05月11日 01:01
今は教員免許がなくても教師として採用される時代なのですね。
免許があってもなくても良いという状況になるつつあるときに免許更新制にするのは、確かに矛盾を感じますし、それよりも査定を取り入れることで教員の資質の向上が図れるのではないかということ、とても納得できました。

私もやはり、教師が評価されることは良いと思うのですが、それが給与に反映されるというのにはちょっと考えてしまいます。
甘い考えかもしれませんが、教師の評価がお金に結びつくということに抵抗を感じてしまうのです。
確かに残業代も出ない状況で頑張っておられる先生方のことを考えれば、正当な評価のもと優秀な先生に相応の報酬が与えられるのは良いかとも思うのですが・・・。
12. Posted by toshi   2007年05月11日 05:55
うわあ。こんなにも長文、ほんとうにありがとうございます。企業の査定について、よく分かりました。この点では、後発の教育委員会ですから、先につくり上げた企業の査定を、そのまま踏襲したのでしょうね。そんな感じを強くしました。でも、いいものはいいわけですから、まねしてかまわないと思います。

 ただちょっと疑問に感じた点。
むかしの査定について、
・ 若いときは、報酬に反映させず、歳をおうごとに差が開くという点ですが、そうすると、単年度主義ではないようですね。
・ 情実人事という点も、今のわたしたちの人事考課はオープンで、本人にも開示しています。

思ったことは、民間のそうした先行経験があったからこそ、年功序列、終身雇用がくずれた今、民間も公務員も、査定が改善されたと考えてよいのでしょうね。フィードバックの点もおっしゃる通りだと思いました。
13. Posted by toshi   2007年05月11日 05:57
 Hidekiさんの前の会社の評価法というのは、わたしが研修を受けた内容とほとんど一致していると思いました。わたし、記事には書きませんでしたが、《『今年度の組織としての目標・指針・戦略』の提示》にあたるものもありました。それは、校長が、学校経営計画を踏まえ、『今年度の重点目標』を提示します。昨年度から、我が地域では、それを、地域・保護者にも提示するようにしました。
 各教員は、それを踏まえて、管理職の助言も受けながら、自分の目標を決定することとなります。

 近い将来、査定となったとき、それがこの人事考課とどうかかわるかについても、Hidekiさんのコメントでよく分かりました。ありがとうございました。

 
14. Posted by toshi   2007年05月11日 05:58
そう。わたし、査定についての思い、考えは、今のところ、ぐらぐらしていますが、報酬にかかわるだけ、評価する側もされる側も、真剣度が増すということは言えるのでしょうね。

 わたし、Hidekiさんのコメントを読ませていただいて感じたことがあります。
我が地域が人事考課をとり入れて数年たちますが、一般的には、あまり真剣でないなと受け止めています。査定がないからでしょうか。
個人の目標を受けるかたちで管理職が授業を見るということも、あまり実行されていないと思います。この辺は、Hidekiさんが一番心配されている点でもあると思うので、別途、記事にしたいと思います。よろしくお願いします。
15. Posted by toshi   2007年05月11日 06:10
POOHママさん
 『教育は人なり』これはむかしから言われているし、わたしも肝に銘じてきました。子どもにとっての学級担任は、最大の教育環境なのですね。
 『教師の資質(授業力)向上が求められる』『普段の生活も社会人として、〜』の部分も、納得できます。
 しかし、誤解されないようにふれたいと思いますが、人事考課でも、私生活は評価の対象外なのですね。POOHママさんもそこまではおっしゃっていないと理解しています。
 あと一つ。これは記事にしましたが、性格の評価でもないと言うことです。『積極性』『協調性』の評価はしますが、あくまで具体的な仕事の取組として評価するのであって、性格にまで立ち入ってはいけないということ。
 これは、評価者として、肝に銘じたことでした。
 
16. Posted by toshi   2007年05月11日 06:18
ベアーさん
《今は教員免許がなくても教師として採用される時代なのですね。》
 今のところ、どこでもそうなっているとは言えません。そのようにしたところが、ニュースになるくらいですからね。でも、近い将来、これは一般的な姿になるのではないでしょうか。
 そう。教員の場合、残業手当はむかしから出ないのですよね。査定が徹底すれば、この点も改善が望まれますね。ただ、今、民間もどうなのでしょう。むかしのようには、出ていないのでは?
 教員の場合、アバウト。でも、査定の時代となれば、けっこうシビアな意識になるのかもしれません。 
17. Posted by minami   2007年05月11日 21:14
こんにちは。人事考課制度のお話、たいへん興味深く読ませていただきました。「校長が評価する」ことに関して、私はかなり否定的な捉え方しかできていなかったのですが、それによって校長の力量も向上する、という考え方もあるのですね。
私が昨年調査に入った北海道の宗谷地区のある中学校では、教職員集団の人数が少ないからできるということもあるのですが、全教職員による相互評価を行っています。もちろん校長や教頭、養護教諭も含む評価です。それによって、他の先生の活動が見えてくる(見なくては評価できないので)という利点が見えてきました。もちろん、その土台には教職員集団の元々の信頼関係があるのですが、すばらしい取り組みだと思いました。
18. Posted by Hideki   2007年05月11日 21:34
こんばんわ

いろいろと申し上げましたが、一方で学校での教師の査定について、一般の企業と一緒にできないことも考えることもあります。

「教育」「報道」そして「宗教」、この3つは『自由』が保障されなければいけない点です。これらは人の思想と信条に多大な影響を与えます・

これが、統制され、もっというなら洗脳に使われると、とてつもない危険を招くというのは、戦前の帝国日本のみならず、歴史が証明しています。

19. Posted by Hideki   2007年05月11日 21:35
だから、体制による、教育の管理強化…締め付けは、下手をすると統制につながる危険性をはらむ。

これは一般の企業などにはありえない、大きなリスクです。

それを危惧し、教育の自由の確保を主張する、という点については、企業人からは口をはさむ余地はありません。

戦前の過ちへの大いなる反省にたち、ことさら体制に組しない姿勢をとる報道。それと同じく、体制に主権を渡さない、という教育者の気概には、素直に頭が下がります。
20. Posted by Hideki   2007年05月11日 21:44
これらも含め、まずは「評価者」がどうあるべきか、「評価する側」がどうあるべきか、をきちんとする必要がありますね。

じゃないと、「評価のやり方」に問題が生じ、それが転じて「評価することそのものが悪い」という形に発展しそうな気がしています。

そう、ちょうど、ゆとり教育議論に似てますね。

きちんと中期的スケジュールの中から段階的な準備をして進めるべきもののように思います。

私は、活きた評価、真剣な評価は、どんな世界でも必要だと思う。芸術などは、他者評価ではなく自己評価になるのかもしれませんが。

教育は、子どもの一生を左右する、大きな行為なので、独り善がりにならない、評価が必須だと思うのです。

21. Posted by toshi   2007年05月12日 04:58
minamiさん
《それによって校長の力量も向上する、という考え方もあるのですね。》
 はい。わたしも、人事考課の研修を受けて、ものすごく実感したところです。一人ひとりの実践をよく見なければいけませんし、性格に立ち入ったり、何年も前のことをほじくり出したりして、評価の対象範囲を越えてしまうことは厳に慎まなければなりません。評価者にとっても自分自身の教育実践を問われることになりますね。
 また、自分が理解していないこと、理解できないことは、相手に対しても見ること不能なのですね。

全教職員による相互評価、これはすばらしいですね。
○人事考課に前向きですね。
○校長も自校の教職員に評価されるのですね。
○自校教職員に評価されるということは、信頼も緊張感も増すでしょうね。
○評価項目によって、先に述べた実践力の向上が、全職員にも期待されることになりそうです。

 
 
22. Posted by toshi   2007年05月12日 06:55
Hidekiさん
 おっしゃることよく分かります。教育の自由は、大学の学問の自由、大学の自治に象徴されます。
 義務教育においては、それと同等というわけにはいきません。学習指導要領の制約はありますし、教育公務員の責務といったものも、学校教育法などで定められています。
 しかし、教育課程の編成権は、学校にありますし、教育は、権力の不当な支配に服してはいけませんので、そういう意味では、企業や役所のそれとは違って当然なのですね。
 わたしは思うのです。受益者主権への方向性をもつ今の日本ですから、受益者の声に謙虚に耳を傾ける、その姿勢が、これからの教育には、必要なのではないかと。今までは、受益者の声に対しては、超然としている部分があったのですね。

《教育は、子どもの一生を左右する、大きな行為なので、独り善がりにならない、評価が必須だと思うのです。》
 これ、肝に銘じたいと思います。

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