2007年05月15日

いじめ防止と算数の授業(1)4

4927aa4b.JPG 言うまでもなく、子どもの学校生活の大部分は授業である。その授業で楽しく充実した思いになるか、理解できないままいたずらに時間がたっていくことになるかは、単に、『分かった。』『理解できた。』を超えて、豊かな心を育めるかどうかにかかわること、必然である。

 話は変わるようで変わらないのだが、先の、教員の査定シリーズで、aiさんから、大変感慨深いコメントをいただいた。
 『〜。toshi先生とhidekiさんのやり取りを拝見させていただき、ネットの場でもすばらしい意見交換ができるのだということを再確認いたしました。互いの立場の違いを認識しながらも、ただ主張をぶつけるのではなく、相手を理解したい、相手に理解してほしいという思いを強く感じましたし、ご自身の知らない部分を相手から吸収し補完しあっているような印象さえ受けました。』

 そう。大変なおほめの言葉で、ありがたかったが、また、そういう自分のことを引き合いに出すのは、大変恐縮してしまうのだが、わたしたちが、授業のなかで目指すこともまたこれと同じで、子どもたちが、このように価値追求の話し合い学習を行えるようにしたいと思っている。

 こんなコメントもいただいた。
『まれにではあるだろが、(独善的な授業、経験にのみたよって行う授業が、)由々しき問題の萌芽となっているのではないか。』(ごめんなさい。端的に書きすぎですね。)

 由々しき問題とは、おもに、いじめを指すと思うが、ここにも、授業が子どもの心の成長に大きくかかわるだろうという、市民の方の思いが伝わってくる。



 わたしの昨年度勤務校の一つは、人権教育の指定を受け、算数科の授業を通して、豊かな人間関係の構築の研究に取り組んだ。

 算数の授業と人権。一見結びつかないと思われる読者の方もいらっしゃるのではないか。

 算数は、だいたい正解が一つしかないので、できる、できないが明確になりやすい。
 正解を追い求めるだけの授業をやっていると、できる、できないが価値のすべてとなってしまい、できる子ができない子をばかにするとか、もっとひどければ差別的言辞をろうするとか、そうなりやすい部分もあるのだ。

 そうではなく、数学的な考え方を養う授業。試行錯誤もありで、学級の子どもたちみんなが自分の考えを出し合い、それこそ、ないところを補い合うこともして、価値を追い求めるとしたら、これは、いじめのない学級づくりにもつながるというものだ。



 我が地域で、一指導主事が、『算数の授業で子どもの人間関係を育む』と題し、いじめにもふれた講演を行った。『なるほど、そうか。』と思える部分が数多くあった。
 教員向けの話ではあったが、わたしは、広く市民の皆さんにも紹介したい思いにかられ、その指導主事にブログ掲載をお願いしたところ、快く了承してくださったので、ここに掲載させていただくことにした。





算数の授業で子どもの人間関係を育む


 今、いじめ対策がいろいろと議論されている。いじめという行為をいかに封じ込めるか、原因究明から対応策まで、さまざまな角度から知恵が出されている。
 その議論を通して強く感じることは、そもそも、いじめを生まない環境づくりを、もっとも大切にしていかなければいけないということだ。
 子どもが他者を差別したり、排除したりせずに、自他のよさを認め合い、ともに育つための営みを重視すること。それが、いじめの素地をつくらないことにつながる。

 なかでも、学校生活の大部分を占めるのは授業なのであるから、一人ひとりの子どもが意欲をもって学びに取り組み、差別感や疎外感を感じることなく認め合い、考え合う、そのようにして人間関係を構築する授業を目指すことが重要である。
 地道ではあるが、学びそのものの質的向上をめざして、ていねいに取り組むべきである。
 それでは、豊かな人間関係を築くための授業づくりのポイントを探っていきたい。



【課題】
○○○○○   ●●●
○○○○○   ●●●
○○○○○   ●●●
○○○○○   ●●●

白のおはじきと黒のおはじきを合わせた数を求める式を考えましょう。

1. 4×5=20 4×3=12
   20+12=32
2. 4×5+4×3=32
3. 4×(5+3)=32
4. 4×8=32



○ 安心して学ぶこと

 上の図で示した課題(小学校4年・算数「式と計算」)は、おはじきの全体の数を、( )を使った式で表す学習場面である。                         
 まず、誰もが自分の学習経験を生かすことで、1、から、4、までのいずれかの式を導き出すことができるだろう。
 しかし、1、の式を考え出した子どもはどのようになるのだろうか。この段階では、適切な式とは扱われずに、考えの価値を周囲の子どもから認められることもない。
 このような経験から、授業の進め方によっては、自分の考えに自信が持てず、授業に参加できない不安も感じるようになってしまうだろう。
 何気ない指導のなかで、子どもを差別したり、排除したりするきっかけにもなりかねない。

 そうではないだろう。1.の式は、あらかじめ、子どもと指導者との対話で、『3つに分かれている式を、よりよい1つの式に創り上げよう。』という問題を設定することで、誰もが安心して目標に合った学びに参加できるようになる。安心して学べる場の用意が大切である。


○やる気を出して学ぶこと

 子どもはよりよい式として、2.から、4.までの式を導き出す。どれも一つの式だが、計算回数の少ない4.がよいと主張したり、計算回数こそ2回だが、もとの問題場面を忠実に再現できる3.の式の方がよいと主張したりして話し合いは進む。

 それぞれの考え方が比較検討されるなかで、(  )を使った式の意味を理解したり、式のもつよさを判断する基準を実感したりしながら、互いのよさを認め合い、考え合い、さらには高め合うことが自然に営まれる。自他の考えを肯定しつつ、子ども同士でさらなるよさを追求するための「やる気」に満ちた学びの場を提供することが大切になる。
 遅れがちな子どもは、他者の意見によって自分の見えなかったよさや改善点が見えてきて、次の学習への意欲も高まり、進んでいる子どもも、自他の考え方の相違を比較し、それをより的確に表現することで、多くの仲間の支持を得たいという意欲をもつことになる。遅れがちな子どもに、いつも別メニューを用意するのではなく、学級集団のなかで、仲間が応援したり、支えたりしながら、それぞれの立場の子どもが、他者との関係のなかで、じっくりと学び合うことが必要である。

 
○学んだことに満足できること

 4.より3.の方が、式としてすぐれているという考えを共有した後、2の式の価値を考えることになる。3.の(  )を使った式のよさが強調された後だけに、1つの式で表してはいるものの、計算回数3回の式の価値はなかなか見えてこない。しかし、白、黒のいずれかの被乗数が4でなかったら、この分配法則は適用できないという場面を見出した子どもの発言により、話し合いは再び活気を呈してくる。

 新たに、2、の価値を認めるきっかけが生まれたのである。「いつでも使えるか。」「どのような場面でも適用できるのか。」という一般性の視点から、考え方のよさを考えようとしたわけである。たしかに、1列のおはじきの数が、5個や3個になったら、(  )を使った式では表せない。このような見方をともに考え出していった。
 他者によって、自分の考えの価値を見出され、満足する子ども、自分の考えで他者の考えに価値付けできたという満足を感じる子ども、すべての考えにそれぞれのよさがあると満足する子ども、いずれの子どもも、学んだことに満足する授業が実現し、そこに豊かな人間関係を構築する場面が提供されることになる。

 日々の授業のあり方や取り組み方を考え直し、授業の質を高め、豊かな学びを提供することは、同時に子どもの豊かな人間関係づくりにも貢献しているのではないか。その積み重ねを繰り返していくことが、いじめを生まないための環境づくりに結びつくはずである。


 指導主事の話は以上である。


 指導主事は特にふれていないが、これは教員向けだったからだろう。ここではちょっとふれたいことがある。

 それは、式は、ただ単に高度な式、そうでもない式という観点だけで見てほしくないということである。

 おはじきが白と黒、並んでいるが、その見え方が違っていると言ったらいいだろうか。

1.の式は、白は白、黒は黒とまったく別個なものに見えている。だから、初めは白同士、黒同士で答えを求め、後で足しているのだ。

2.の式は、一応別個なものに見えてはいるのだが、合わせることの展望は最初からあると言えるだろう。

3.は、白と黒をくっつけて、まず横だけを併せたということだろう。

4.は、もう、色の区別がなくなっていると感じられる。完全に一体化させているといえよう。

 
 さて、最後に、

 わたしが見た授業で、こんなのがあった。かなりベテランの先生である。

 宿題の答え合わせをしている。順に答えを言う。『いいでえす。』『ちがいまあす。』の大合唱だ。それだけ。無機質な教室である。
 『ちがいまあす。』の言葉のニュアンスが気になることも多かった。ブログによくある、(笑)という感じだ。

 担任が答えを問う。『はい。』『はい。』の大合唱に合わせて、『かんたん。』『かんたん。』の声。これも、そのままやり過ごされる。
 
 『かんたん』でない子もいるだろうになあ。
 
 授業を見ていて、心配になる。


 いじめ防止は、よりよい授業を行うことから。そう実感した。


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 先に、査定シリーズを掲載しましたが、本記事における内容も、授業を見る際の観点として大事にしたいなと思いました。

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   (2)へ続く。 

rve83253 at 05:56│Comments(12)TrackBack(0)算数科指導 | 人権教育

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2007年05月15日 21:05
こんちは

今回のお話は2つの面があると感じました。

一つ目は「考える能力」を養う授業ということ。ただただ答えが○か×かというだけを「照合」するだけでなく、答えに向かっていろいろな道筋で考えること…その発想・独創力と論理構成力を養う、問いかけが大切だということ。こだま先生がよく主張される学習法にも、それが現れていると思う。

もう一つが、できる・できないだけを問うことは、優越感・劣等感をいたずらに助長するだけだということ。それが、妙な選民意識という勘違いを生み、ひいてはいじめの芽となる。「そんなことも分からないのか」という言葉を皆の前で無神経に言う教師は、その言葉の影響力を考えて欲しい。

できない、という時点で、その子は自分自身に何らかの情けなさを感じているものです。それを殊更に広げる意味は無い。

このあたり、無神経さと厳しさを履き違えている人が結構いるのが残念です。

2. Posted by Hideki   2007年05月15日 21:15
一方で、Toshiさんの授業のお話をうかがっていると、実は先生が、深く考えた、子どもの思考を配慮した授業をされているのに、それが親には伝わっていないことの方が多いなぁということも感じました。

親が授業をみる機会といえば授業参観。でもいきなり授業をみただけでは、わが子が挙手したとか、解答を間違ったとか、そんなことしか目につかなかったりします。

授業参観の後にセットで行われる懇談会では、もっぱら普段の生活態度とそれに対しての活動の説明が中心。先の授業の狙いとかの説明を伺うということは、ほとんど記憶にありません。

3. Posted by Hideki   2007年05月15日 21:19
これは、学業の内容を聞いても、所詮分からない、という先入観をもつ、親の方の問題が大きいとは思うけど、これはちょっともったいないと感じました。

先生が狙いとする学習のときの狙いや進め方を、もし親と共有できれば、家庭での学習法もまた変わってくるかもしれません。

少なくとも、宿題の解答を一緒に渡したら「子どもが答えを見てズルをするからダメだ!」というレベルの低い発想は、親も教師もしなくなってくると思います。

とはいいながら、親に個々の授業の狙いや考え方を説明するのは、現実には何かと労力を要するものと思います。

そこで、例えば、今はWEBというツールもあるので、こういうものを上手く使って、伝えていくのもいいのじゃないかなと思う次第です。子どもにとっては今日やった授業の復習にも役立つでしょうし。
4. Posted by toshi   2007年05月16日 06:18
Hidekiさん
《無神経さと厳しさを履き違えている人が結構いるのが残念です。》
 若いときの自分は、甘やかしと気配りをごっちゃにしていたという思いがあります。一見反対のことを言っているようで、同じかもしれません。
 このあたりのこと、子どもへの接し方という意味で、ほんとうに大切なことだと思います。
 いじめの原因は、これと決め付けるわけにはいきませんが、本記事で示した要因は、大きな部分を占めているように思います。
 
 そう。こだま先生と共鳴できる部分は、まさにこの点なのです。
5. Posted by toshi   2007年05月16日 06:55
 Hidekiさん。ごめんなさい。こういう授業をやっていると、けっこう保護者も分かってくださると思うのですよ。たとえば、初任者の授業ではありますが、3月10日に掲載した『パワフル算数』の授業。
 あれがもし父母参観であれば、『子どもってかわいいなあ。』ってにこにこしたり、『子どもでもすごいことを言うものだなあ。』と感心してうなづいたり、そりゃあ、やっぱり、我が子が最大の関心事でしょうが、けっこう、楽しんでくれたのではないかと思います。
 そういう保護者の表情、しぐさなどが、子どもをさらにハッスルさせるといった面もありました。


 
6. Posted by toshi   2007年05月16日 06:59
《先の授業の狙いとかの説明を伺うということは、ほとんど記憶にありません。》
 これは、わたしもそうでした。そういうことを話すのは時々あったくらいです。
 でも、今は、説明責任の時代。わたしの学校でも、けっこう授業のねらいとか、学習内容などをプリントして教室の入口においておく先生が多かったですね。

でも、Hidekiさんがおっしゃるように、さらに、保護者の理解を仰ぐ姿勢をもてば、保護者も応えてくれるでしょうから、担任は学級経営が楽しくやりがいのあるものになると思います。

 特に、総合的な学習の時間などは、そういうことをしないと、保護者の理解はなかなか得られないでしょうね。
7. Posted by こだま   2007年05月16日 15:06
こんにちは!ご無沙汰しています♪

今回の記事は私にとって重要な課題です。
現在の教育の問題点はカリキュラムのあり方だと思います。つまり、今日の授業の目当ては「割り算の計算」だから、今日中に「割り算の計算」を「できる」ようにしなくてはいけないという制約にしばられてしまっている感じがします。
だけど、割り算などは私からすれば、小学校の6年間かけてゆっっくりと熟成させて初めて本物の応用力をともなったものとして身につくのであって、促成栽培的に数回の授業だけで身につくものではないと思っています。
8. Posted by こだま   2007年05月16日 15:06
今回記事の中で紹介されたの本来あるべき授業はある程度力量のある先生でないと現在のカリキュラムの元ではもしかしてむずかしいかなあと思いますので、やはり現場のどの先生でもそうしたゆとりのある、考える力を育てる授業ができるような、カリキュラムがあればなあと考えます。

とはいえ、そんなこと現実の流れからして、今のところ望めないようですので、やはり気がつかれた先生から、ある種の工夫によっていろいろとチャレンジしていただきたいですね。

またこのような授業が日常的に行われる学校であれば、登校拒否やいじめが確実に少なくなるものと思うところはtoshi先生と思いは同じです。

制度の改革はうまくいきそうにありませんので、やはり授業の中身ですね。

とりとめのない内容ですみませんでした。
9. Posted by toshi   2007年05月16日 23:30
こだまさん
 こちらこそ、いろいろありがとうございます。今日のこだまさんのコメントを読ませていただいて、1月29日の記事『教育再生会議の提言に思う。(1)』を思い出しました。
 実は、記事でふれていなくて申し訳なかったのですが、上記1月29日の記事の最後に登場する指導主事と本記事の指導主事とは同じ方です。
 その指導主事が、1月の記事に書きましたように、『無駄にしていい時間はないのです。教員は発問と子どもの活動の一体化をはかるべく努力しないといけないでしょう。』と言いました。
 誤解してほしくないのは、試行錯誤は、無駄とは考えていないのです。
 
10. Posted by toshi   2007年05月16日 23:41
こだまさんが主張される《ゆっっくりと熟成させて初めて本物の応用力をともなったものとして身につく》を大切にしていかなければいけないと思います。こだまさんはいつも、『いったん身につけば、後はものすごく早い。』とおっしゃっていますよね。あれ、ほんとうによく分かります。子どもが自分で学ぼうとするからでしょうね。
わたしは現体制のもとでも、それは可能と思っているのですがね。
11. Posted by 中田   2009年03月11日 08:43
おはじきを数える問題は、
まさに今、子供が学校でやっている内容なので、
興味深く読ませて頂きました。
答えは同じでも導き方は様々。
ベストの導き方を最初から学ばずに、
色んな導き方を出し合って、
最終的に、どれが一番良いかを子供達に考えてもらうような授業は、子供のノートを見る限り、全く感じられません。
いつも式は1つです、黒板をうつしたのでしょう。

結局、算数の授業でも、その進め方、導き方、生徒の考えの受け入れ方、間違った子供への配慮の仕方は、子供達の人間関係の構築において、少なからず影響はあると思います。
なぜなら、某プリント学習塾で、本人の学年のレベルでなく、能力で学習震度が違ってあたりまえと謳っていたのに、講師が同学年同士で比較するようなことを言ったり、小馬鹿にするような言動が見られ(息子は昔、通っていたのです)、やはり、その教室では、数名ですが、低学年で微分積分をやっているような子供は、ものすごく周囲を見下すような言動や態度をしていました。先生も特に止めることはありませんでした。

やはり、このことからも、大人の背中は子供が見ていると言えます。
親が先生や学校の悪口を、子供に聞かせれば、同じような考えになるように。

話は脱線しますが、昨日、好きなもの同士の席替えを先生が提案されました。
が、翌日、なぜか、それは却下されました。
息子はがっかりしていましたが、今まさにクラスでイジメがある現実なのに、なぜ、こんな酷いことを先生は言えるのかしらと思います。

12. Posted by toshi   2009年03月12日 05:32
中田さん
 塾が、『いじめ』の温床になるようなことをやっていたら、経営が成り立たなくなりそうですがね。
 たとえ塾でも、子どもの心を育むことは、大切にしてほしいものです。
 やはり、指導する側の人間性が問われるのでしょう。
 こだまさんの指導を見ていると、数学的思考力を養っていることもさることながら、それは、やはり温かな人間性に裏づけされているといった感じがします。
 最後の、『好きなもの同士の席替え』も、やはり同じなのでしょうね。残念です。

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