2007年05月31日

人権教育(11)国際理解教育3

a156d426.JPG いきなり核心で恐縮だが、

 外国人の名前が呼ばれるとき、それが日本人の感覚からするとおかしくて、思わず吹き出しそうになるときがあるのではないか。そういうとき、笑っていいのだろうか。

 逆を考えてみよう。

 たとえば、わたしが外国へ行ったとき、あるいは居住しているとき、わたしの名前が、その国の人たちにとって、思わず吹き出しそうになる名前だということもありうるだろう。
 そのようなとき、いきなり、わけも分からず嘲笑されるとしたら、どのような気持ちになるだろう・・・、考えただけでもいやになる。その国にいたくなくなるかもしれない。

 ちょうど、そのようなことが現実にあった。


 地域の各小学校6年生が集まる行事でのことだった。外国籍の児童の名前が会場に響きわたった。どっと会場を包む変な笑い声。わたしはいたたまれない思いで自分のクラスを見わたした。
 やはり、わたしのクラスの子たちも、笑っていた。

 残念だった。自分は、子どもの心を鍛え、育んでいる気になっていたが、『何だ。これは。まだまだだな。』と、思わずにはいられなかった。



 翌日の教室での朝の会で、子どもたちに言った。

「〜。昨日は残念なことがあった。〜。このクラスの子たちは笑わないと思っていた。よその学校のお友達だけれど、あのように多くの子に笑われて、あの子は、日本という国をどう思っただろう。〜。」

 『このクラスの子たちは笑わない。』そう言うについては、一つの事情があった。


 このときより、2ヶ月くらい前、数校の選手が集まっての水泳大会が行われたときだった。わたしのクラスの子が、よその学校の子たちに笑われたのだった。

「第○コース A小学校 Aさん。」
の放送が響きわたる。

 そのとき、
「A小、Aさんだってよ。」
「学校の名前とおんなじじゃん。」

 そのとき、わたしのクラスの子たちは、怒ったのだった。

「失礼しちゃうね。」
「笑うことなんかないじゃないねえ。学校名と同じだって、おかしくなんかないよねえ。」

 確かに、友達を思うあまりの怒りだったのだが、・・・、

 そして、わたしはこの子達の怒りをもっともなこととして、受け止めてやっていた。


 だから、わたしは、そのときのことを引き合いに出して、しかった。
「このクラスの場合、そういうことがあったのだから、よけい、外国籍の子の名前を笑ったことは、許せない。
 学校名と同じということで笑われるくらいのことは、昨日のことに比べれば、別にどうというものでもないだろう。」
そう言って叱ったのだった。



 今日の記事は、『安心して暮らせる学級』の続きのつもりだ。

 友達への思いやり、やさしさ。・・・。そういったものは、自分の学級の友達にだけ、あるいは、自分の学校の友達にだけ、あるいは、日本の友達にだけ、あればいいものではあるまい。

 このとき、子どもたちは、自分たちの行為の問題性について、まったく気づいていなかった。それで、わたしにしてはめずらしく、一方的に説教することになった。

 子どもたちの心にしみこんでいったと確信しているが。・・・。どうだっただろう。

 ふだん、一方的にしかることはあまりなかっただけに、後味の悪さは否めなかった。

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 今日の記事は、前回の、高知県教育委員会が採用してくださった記事にもかかわりますね。

 子どもたちを指導していて、後味の悪さを感じることは、案外あるものです。ふだんは、あまりそのことを記事にしていませんね。すみません。

 今日はちょっとお願いしづらいのですが、上のバナーを1クリック、・・・、すみません。 


rve83253 at 00:30│Comments(0)TrackBack(0)国際理解教育 | 人権教育

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