2007年06月06日

英語教育導入は、異文化理解のために4

e7010450.JPG 今日の記事は、タイトルで少し悩んだ。

 かつての学校だよりを掲載することは決めている。しかし、今回は、『学校だよりへの想い』を書きたいわけではない。

 主張したいことは、二つある。

 まず、教育の地方分権にかかわることが一つ。

 それと、本記事における学校だよりを通して、今後実施されようとする、小学校における英語教育についてお考えいただければと思う点が一つ。


 まず、だいぶ前の記事で恐縮だが、本ブログの下記記事をお読みでなかったら、そこからお読みいただければと思う。

    平成18年11月19日 教育委員会を民主的に

 この記事で、我が地域の教育委員会は、国の言いなりにはなっていないと述べた。その事例として、生活科の発足、学習指導要領の地域版、いじめの報告などをあげた。

 それにつけたして、ここでは、異文化理解を中心とした国際理解教育をあげる。


 我が地域では、平成元年度からだっただろうか。外国人講師による、異文化理解を中心とした国際理解教育を始めた。英語に親しみ、楽しく外国人とふれ合い、異文化理解に役立てることを目的とした。あくまで国際人の育成をねらったのである。

 しかし、国は、これを、英語教育と受け取ったようだ。

 今でこそ、国は、小学校における英語教育を推進しようとしているし、教育再生会議も第二次報告でそれを提言しているが、当時は逆で、国は、『小学校における英語教育など、とんでもない。』とばかり、我が地域の教育に苦言を呈してきた。

 そこで、我が指導主事は国に出向き、上記目的をこんこんと説明した。
「我が地域でやろうとしているのは、英語教育ではない。英語を通して、広い視野からの人間育成をねらうのだ。」
と。

 そう。だから、英語の読み書きはしないのだ。あくまで外国人講師との会話である。それも、ゲーム、歌、工作などを通して楽しく会話し、外国人講師との心の交流をねらう。英語を身につけさせることをねらうのではなく、英語を通して国際人としての感覚を養うことが目的だった。


 わたしの勤務校にも外国人講師はいらした。そして、この国際理解教育を実践した。当時、全国にあまりない取組だったと思う。

 当時の外国人講師は、今と違って、日本語に堪能ではなかった。だから、あらかじめ各担任は、通訳つきで打ち合わせを行った。

 それで、授業でこまることはあまりなかった。
 もちろん会話はすべて英語だ。しかし、写真や絵、服などの実物を使っての、講師の出身国の紹介、また、ゲーム、簡単な工作、歌など、具体物を通しての学習だったから、英語は分からなくても、手や身体の動きで、だいたいのことは、子どもに理解できた。

 地域・保護者の参観もわずかだがあった。皆、にこにこしながらご覧になっていた。
「けっこう身振り手振りなどで、子どもは分かるものですね。感心しました。大人のような拒否反応は初めっからないし、むしろ、興味津々といった感じで、授業を受けていますね。」
「先生が、シットダウンと言って、手でも合図するでしょう。すると、隣りの子に、『ほら。座れって言っているよ。』などと教えてやっている子もいましたね。」

 そのようなことを通し、わたしは学校だよりでPRすることの必要性を感じた。そして、あるとき、それを記事にしたのである。

 すると、外国人講師に対しても、このたよりを紹介したくなった。『このようにまとめさせていただきましたよ。』と、言いたかったのである。
 そこで、通訳にお願いをした。快諾してくださったので、外国人講師には、英訳の学校だよりをプレゼントすることができた。

 さあ、それでは、まず、日本語の方から、どうぞ。



    ハロウィンのお祭り

 すでにご承知のことと存じますが、今年度、我が校に、外国人講師として、A先生
(もちろん、お便りには、実名を掲載してある。)が着任されました。毎週、木曜日、各学級年間5回の授業を行います。楽しいゲームやスポーツなどをとり入れ、英語を通して異文化理解を図っています。

 先日の集会では、A先生を中心に楽しいハロウィンのお祭りをしました。朝の始業前、図書室では4年生が思い思いの仮装をしていました。わたし、興味津々でのぞき込むと、女の子からお願いをされてしまいました。

「校長先生。のぞかないでね。後の楽しみにしてください。」
「そう。わかった。ごめんね。それでは、体育館で見せてもらおう。」
その子の言い方があまりにやさしく、微笑をたたえているので、うれしかったです。

 体育館には、4年生以外の全校生が集合しました。期待にふくらんだ顔が並びます。まず、最初に入ってきたのは、かぼちゃのお面をかぶったA先生。体育館全体にどよめきが広がり、驚きの声とともに拍手がわき上がりました。次に司会の先生の声により、1組から順に入場しました。みんな思い思いの仮装をしています。おばけ、バレリーナ、魔法使いなどなど。それぞれがよく似合っていました。

 A先生の授業で思うこと。それは、very good.を頻発することです。一つの授業でおそらく10回以上おっしゃっているでしょう。ほめることが意欲をかき立て、やる気をもたせる最大の要因になっているのだと思います。ほめる教育。その大切さは万国共通なのではないでしょうか。本校がA先生から学んでいる最大のことのような気がします。



 日本語は以上です。それでは次に、英訳をどうぞ。


  “Halloween”                   by toshi

As you know, Ms “A”came to our school, “B” Elementary School, in this spring
as teacher from Republic of Ecuador. Ms “A” has a class every Thursday now,
and all the pupils will have five lessons of her until the end of the school year.
They will be stimulated by playing games or sports in Japanese and English to
understand the difference of culture.

The other day, we enjoyed having Halloween’s party with Ms A’s help. That
morning the pupils in the fourth grade were preparing for Halloween in the library, then I looked into there, one of them asked me.

“Principal, Please don’t look now, we want you have a wonderful surprise.”
“Sorry. O. K. I will wait you at gymnasium.”
I said. Her smile and manner was very sweet, therefore I was very happy.

At the gymnasium, all the pupils except the fourth grade were together and their
faces shone with joy and expectations. The moment Ms “A” appeared at the
gymnasium with the mask of pumpkins, a stir rippled through there and then
a round of applause arose with a wonderful surprise. A teacher introduced class 1. and 2… the children appeared to be dressed up as witches, ghosts, ballerinas etc. Every pupil suited the dress very much.

I’d like to tell you about Ms A’s class.
Ms A often says “very good”in her class. I never counted the number of it, but
I think at least she say“very good”more than ten times at one lesson. I’m sure
that a little praise from the teacher is a great encouragement to study. Seeing the good in children and praising something good in them is very important and
common to the whole world for education. Ms “A”showed us the essence of
education through her class practically.


 さて、話題を今に移そう。冒頭に述べたように、教育再生会議は、小学校における英語教育の導入を提言した。しかし、『日本中で外国人講師を。』などと言うのは、どだい無理な話だ。たぶん、担任がやることになるだろう。

 その場合、一般の方がイメージするような、読み書き中心の、あるいは、読み書きをとり入れた英語教育になるのなら、わたしは、反対したい。
 やるのなら、本地域でこれまでやってきた、国際理解教育、異文化理解の教育、その枠を守ってほしい。

 楽しく学ばせたいものである。

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 教育再生会議が、第二次提言をまとめ、報告しました。また、それについての所感も、おいおい、記事にしたいと思います。その折はまた、どうぞ、よろしく。

 それでは、今日も、1クリックお願いできればと思います。



rve83253 at 15:33│Comments(3)TrackBack(0)国際理解教育 | 英語の指導

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この記事へのコメント

1. Posted by 消耗品   2011年08月03日 16:02
異文化交流、異文化理解、これらを真の意味のある物へと発展させるためにベースとなるもの、それは以前述べさせていただきましたが、「自分たちと違うもの、異質に対する壁を作らない、他者を受け入れる姿勢」だと思います。
これは大人子供問わず日本人にはあまり見られない姿勢だと感じております。
異文化理解を謳うからには教員も大人も子供に模範を示すべきだと思います。AETと直接関わりのある教員だけがAETと仲良くするという光景をどの学校でもよく見かけます。果たしてこの光景、子供たちの目にはどう映っていることでしょう?
「A先生、わたしたちといる時はいつも楽しそうなのに、職員室では寂しそう。休みの日とかどうしてるのかなぁ?ひとりぼっちじゃないのかなぁ?」とでも思っているのかもしれません。
我々中高の教員も教科問わず、心の壁を取り払って積極的に仲良く彼らと接するべきだと思います。異文化交流、異文化理解に英語を話さなければいけないなどという条件はないのですから。旅行に誘ったりスポーツに誘ったり、言葉なしでも仲を深める手段はいくらでもあります。そういった姿を子供たちに見せる事もまた教育的に良い効果があるのではないでしょうか?
2. Posted by toshi   2011年08月03日 23:01
Aさん
 今、わたしが初任者のときの教え子とメールのやりとりをしています。教え子と言っても、今年、50歳になりますが、その子(?)のメールの内容の一部を紹介させてください。

《〜、国際親善ボランティアをする際の心得のひとつに、“多様な価値観との共生を実現させるためには、マジョリティが意識を変えなくてはならない”ということがありました。
 <同調>ではなくて<共生>とは互いに変化しあう位置づけといいます。
 <棲み分け>でもなく、互いに違いを認めて影響し合い双方が変化していくべきこと。
 日本人は違いを認めることはできても、変化を最小限にとどめたいという気質を持っているそうです。
 そういえば、私も含めて日本人は生涯をどの国で生活するかを選択する習慣がありませんよね。
 仕事で長期赴任することはあっても、国際結婚でもしない限り日本で生活するのが当たり前と思い込んでいる場合が圧倒的です。〜。》

 Aさんとわたしとの今回のつながりも、互いに影響し合い変化していく関係かなと思いました。そして、
《同調ではなくて共生》《棲み分け》でなく、《互いに違いを認めて影響し合う関係》という部分は、わたしが教え子から学ばせていただいたことでした。

3. Posted by 消耗品   2011年08月04日 00:18
《同調ではなくて共生》《棲み分け》でなく、《互いに違いを認めて影響し合う関係》
これこそが子供のみならず日本人全体の課題だと思います。
いじめや様々な差別問題の解決にも繋がると思います。

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