2007年06月08日

子どもの見方が変わるかな。(3)4

e9eb53b0.JPG このシリーズでは、『子どもの言動を、大人の見た目だけで価値判断してはいけない。』ということを述べている。

 『子どもの言動には、必ずその背景がある。』そういう確信の下、子どもに対応するようにしたいものだ。

 背景を探る。たとえ問題行動のように見えても、背景を知ることによって、子どもに共感したり内面に寄り添ったりすることができるだろう。それが子どもとの信頼関係構築につながる。師弟関係でも、親子関係でも、同じだ。

 まずは、これまでの2つの記事をリンクしよう。島本先生のお話である。

   子どもの見方が変わるかな。 (1)   (2)


 本日はその第三弾である。それでは、どうぞ。



 わたしが尊敬するAという、B小学校の校長で退職された先生がいらっしゃいますが、その方が若いころの経験をわたしに話してくれました。

 やっぱり2年生の男の子で、ふだん担任であるA先生と目が合わない。言葉は乱暴で行動も乱れがち。どうも気になる子どもだと思って毎日を過ごしていたのだけれど、その子がある日、ちょっとした事件を起こした。

 と言うのは、廊下をおしっこしながら通っちゃった。中休みだったので、みんなびっくりしちゃって、その子を取り囲んでがやがややっている。そこには、どうも校長先生も居合わせたらしい。

 そのとき、A先生は職員室にいらした。クラスの子が、
「先生。大変だよ。Cちゃんが廊下でおしっこをしちゃった。」 
っていう声で、あわてて現場に行ったら、確かに廊下にずっとおしっこの跡があって、その子は突っ立っていた。

 A先生はクラスの子に、
「バケツと雑巾を2つお願い。」
と言って持って来させて、一つをCちゃんに持たせ、もう一つは自分で持って拭いた。終わって、
「Cちゃん。教室に戻っていいよ。」
って言って帰した。

 そうしたら、校長先生が、
「A先生。ちょっと。」
校長室に呼ばれた。そして、
「君の指導は優柔不断でこまるよ。ああいうときは、きちっと指導しなきゃ。」
と、きつく言われた。A先生は、
「お言葉を返すようですが、わたしはまだ何も指導していませんが。」
それに対し、校長先生は、
「だから、だから、ああいうときは、現場できちんと指導すべきだ。」
とおっしゃった。

 で、A先生は、『この子はふだんほとんど自分と口をきかない。その子が小刻みに身体をふるわせていたから、きっと何かわけがあるに違いない。』と思った。

 それで、校長先生には、
「落ち着いてから、話をします。そして、指導をします。」
と言って教室へ戻り、授業が終わってみんなを帰して、そうして、その子の肩を抱いて、
「どうした。おしっこ、がまんできなかったか。」

 そうしたら、Cちゃんは、『ふうん。』とかぶりをふった。
「どうしたのだ。」
と聞いたら、Cちゃんは、ポツンポツンと話し出した。

 それをつなぎ合わせると、

 その子のお父さんが入院している。そして、どうも、ここのところ、おしっこの出ない状態が続いているらしい。

「父ちゃんの見舞いに行っている。昨日も母ちゃんと行ったよ。

 母ちゃんが父ちゃんに、『おしっこ、出た。』って聞いた。そうしたら、父ちゃんが、『出なかった。』って言ったから、母ちゃんはすごく悲しい顔になった。
 そんなことを考えていたら、『ぼくもおしっこ出なくなったら、母ちゃんはもっと悲しがる。』そう思った。そうしたら、おしっこしちゃった。」
「そうか。どんな気持ちがした。」
「うん。出てよかった。」
「そうか。よかったな。先生もそう思うよ。・・・。今は。」
「今は、・・・、すごく恥ずかしい。」
「そうか。分かった。・・・、じゃあ、先生もすぐ行くから、校門のところで待っていて。」

 それで、校長先生に、
「Cちゃんのお父さんのお見舞いに行ってきます。」
と言って、病院に行った。

 しばらくして、お父さんは退院されたのだけれど、それ以来、A先生は、Cちゃんとよくコンタクトがとれるようになり、その結果、信頼関係で結ばれるようになって、Cちゃんもきちんと生活ができるようになったという話。




 この、A先生は、わたしにとっても大先輩で、社会科指導をはじめとして、いろいろお世話になった。
 
 本ブログでも、すでに記事に登場願ったことがある。

 昨年の1月21日 人権教育(4)交流教育の記事の中ほど、

『わたしが尊敬している方だが、ある先輩校長が、職員朝の打ち合わせで、次のようなことを言った。』

 その校長の若かりしころの逸話が、本日の記事になっている。


 
 さて、この話は、いろいろな教訓を思わせる。

○ 即時即場的指導は大切である。しかし、本事例のように、落ち着くのを待って指導した方がいい場合もある。その辺りの見極めは、担任の指導力の問題となるだろう。本事例では、子どもが、『小刻みに身体をふるわせていた。』ことから、『きっと何かわけがあるに違いない。』と考える。その辺りだ。

○ 担任が子どもに対するのと同様、校長は、各教員の個性、指導力などを、よく把握しておくことが大切だ。十把一絡げの指導では、効果がないだろう。それが、今度は、管理職と教員との信頼関係構築に関係してくる。

○ 学級担任をしていると、自分のクラスなのに、ある子どもの内面が、なかなか理解できないということは、おおいにありうることである。
 無表情、目を合わさない。会話も成立しない。担任を避けているわけではないが、打ち解けた姿も見せない。
 注意すると、ふてぶてしい態度をとる。
 そういう子どもでも、日ごろはおおらかに接することが大切だが、ここぞという信頼関係構築のチャンスは、見逃さないようにしたい。

○ 本事例において、担任が一切当該の子を叱ったり怒ったりしていないことに着目したい。・・・。そうだよね。事情が分かってしまえば、叱れないよね。我々大人は、事情も確認せず、やった行為そのもののみで叱りつけていることが、いかに多いか。反省である。

○ 反省ついでに再度書こう。『ほんとうに、子どもって、まわりの大人の接し方によって、いかようにも変容していく。大人が、その確信を持てるかどうか、それは実に大きい。』


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 ちょっと、本記事の内容とは違ってしまいますが、

 子どもって、いけないことをしたときは、いけないことをしたと分かっていることが多いですよね。分かっていても、やってしまうのですよね。

 そういうとき、『なぜ、そのようなことをしたの。』と、理屈でせめてもうまくいかないことが多いと思います。やったことに理由などないからです。

 いらいらしていたのかな。腹を立てていたのかな。やきもちの場合もあるかもしれないね。

 その気持ちを分かってあげられ、共感することができたら、もう、子どもは、反省するのではないでしょうか。

 なあんて、言うのは簡単。

 わたしもがんばらなければ・・・。


 それでは、今日も、1クリックをお願い・・・・・・できればと、思います。

 (4)へ続く。

rve83253 at 10:06│Comments(4)TrackBack(0)児童観 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by せきちゃん   2007年06月09日 07:44
子どもは、叱られるようなことをしたときに悪いと、思っています。
素直になれない子は、叱りつけるとこじれます。
子どもの眼を見れば、分かります。
時には、教師が何も言わないでも、その子どもを見るだけで、反省の弁を話すこともあるますから。
この3つの記事、若手に読んでほしいですね。
2. Posted by toshi   2007年06月09日 23:37
せきちゃんさん
 子どもは、何かして叱られることは分かっている。そういうとき、意表をつくような言動を指導者が取れると、意外と効果的ということはありますよね。
 そう。そう。それと、ほんとうに叱るべきことなのかの吟味も、必要な場合があると思います。
 初任者に対し、『そんなことで叱らなくていいよ。』という場合もあるし、『なぜ叱らないの。』というケースもありますね。
3. Posted by 宮崎   2011年08月17日 00:18
こんばんは。すばらしい記事でした。先輩の先生の対応の的確さ、生徒への観察眼、指導の仕方はどれをとっても自分にはできないもので、その裏付けはなるほどと思うものでした。
そして、受容と甘やかしの違いには納得するものでした。自分の中で感覚としてあったものがここで言語化されてあり非常に勉強になりました。やっぱり教員って奥が深いです!
4. Posted by toshi   2011年08月17日 09:40
宮崎さん
《自分の中で感覚としてあったものがここで言語化されてあり非常に勉強になりました。やっぱり教員って奥が深いです!》
 こんなふうにおっしゃっていただいて、わたしの方こそ感動です。
 ただ一つ。付け足させていただきますと、この記事の先生は、天寿をまっとうされ、昨年お亡くなりになりました。大校長でした。その校長先生のお若かったころの話です。きっと古ぼけた木造校舎ではなかったと思うのです。
 

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