2007年06月10日

子どもの見方が変わるかな。(4)4

b6cfd7c7.JPG 今回がこのシリーズの最終回である。

 本シリーズにお寄せいただいたコメントがありがたかった。

 せきちゃんさんからは、『初任者、若い先生方にぜひ読んでもらいたいですね。』とのコメントをいただいた。
 ほんとう。本ブログの目次には、しっかり、☆マークをつけましょう。

 また、keiさんからは、『問題行動があったとしても、どの子どもたちにもかならず理由があると思います。「それは何なのだろう?」と考えたい。見えないものを見ようとすることを大事にしたいなと思います。〜。(決して甘やかすことではありません。)』とのこと。

 児童理解について、少しでも役立つのであれば、望外の喜びだ。また。『決して甘やかすことではない。』については、最後にふれてみたいと思う。



 最終回の今日は、新聞の投書をもとにした話になっている。ある保護者の投書であり、おもしろいので、ご記憶の方もいらっしゃるかな。

 それでは、どうぞ、ご覧ください。



 この前、ある新聞を読んでいたら、こんな投書がありましたよ。

 それは『カエル』という題だったのですけれど、

 1年生のお母さんが授業参観に行った。授業は算数で長さくらべをしていた。3本の長さの違う紙テープで、どうやって長さをくらべるかという学習だった。
 それで、黒板には、優秀そうな女の子が出て、紙テープを使って一生懸命説明をしていた。

 ふと、我が子はと見ると、折り紙で作ったカエルをピョンピョンとばして、遊んでいる。

 お母さんは頭に血が上った。それで家で我が子の帰りを、てぐすねひいて待っていた。

 帰ってくると、
「あんた、今日、授業参観で何していたのよ。」
って、頭ごなしに叱った。そうしたら、その子は不思議そうな顔をして、
「ええっ。ぼく、ちゃんと勉強していたよ。」
「うそ、おっしゃい。みんなが紙テープで長さをくらべていたとき、あなたはカエルで遊んでいたじゃない。」
「ええっ。だって、お母さん。今日の勉強は長さくらべだよ。だから、ぼく、どのカエルが一番跳ぶか、ちゃんと長さくらべしていたよ。」

 その投書は、『開いた口がふさがらなかった。』と結んである。



 でもね。これは、親だけではない。先生方がまず考えなければいけないのだけれど、toshi先生もぼくも、さんざん研究してきたことは、『その子に合った勉強の仕方がきっとあるはずだ。一律でなくていい。』

 長さをくらべるのなら、ある子は、自分や友達が跳んだ距離でくらべてもいい。ある子は紙テープでもいい。別な子はカエルだっていいではないか。そういう子どもの実態や興味・関心に応じて指導しなければいけないよ。

 その点、先生も親も、どうも、みんなと違うことをやっていると、違うだけなのに、間違っているととっちゃう。

 わたし、よく言うのだけれどね。『違いと間違いは違うよ。』

日本人はどうも、違いと間違いの区別がつかない。間違いは正さなければいけないが、違いは尊重しなければいけないのだよね。でも、おうおうにして、間違ったことを正さない。違ったことを正しちゃう。そのことはおかしいのではないか。



 お話は以上ですが、

 今日は、すみません。本シリーズ最後なので、いろいろなことにふれてしまいます。

 まず、『間違いと違い』については、すでに記事にしたことがあり、それをお読みいただけたら幸いである。ただし、その記事は、いじめを招く要因の一つとして、このことにふれているので、それはあらかじめご承知願いたい。

   平成18年4月9日   いじめの問題(3)

 次に、本記事のように、子どもの主体的な学びを保障するために、学習の場面で子どもの多様性を認めようということについては、

   平成19年3月10日  パワフル算数
   平成18年5月14日  42円になったよ 

が参考になると思う。


 本事例の場合でも、まず、紙テープの子、カエルの子など、自分の興味・関心にそったかたちで、それぞれが自力解決を図る。どれにしても、一方をそろえないと長短は決められないことに気づくだろう。

 次に、ピンと張らないと、長さはくらべられないことにも気づくはずだ。ただし、これは、紙テープの場合だね。

 カエルではどうやって距離を測るかが、新たな課題になるだろう。そこで、跳躍地点と、着地地点とで、やはり紙テープのようなものが必要ということになるのではないか。
 すると、双方が一つの学習に統合される。そして、紙テープの利点がより明確に理解されることになるだろう。長さ(距離)の違いが常に目にみえるかたちで存在しているからだ。


 最後に、keiさんがおっしゃった、『問題行動があったとしても、どの子どもたちにもかならず理由があると思います。「それは何なのだろう?」と考えたい。見えないものを見ようとすることを大事にしたいなと思います。〜。(決して甘やかすことではありません。)』にふれたい。

 子どもの思いを尊重したり、子どもの思いに寄り添ったり、共感したりすることは、はっきり子どもを甘やかすことと区別したい。甘やかすのは、溺愛に近いから、これは、指導する側が、ほとんど問題意識をもたず、育もうとする気持ちもなく、ただ、許してしまっていることになる。これは、野放図、わがまま、自己中心につながってしまうだろう。

 また、上記、平成18年4月9日 いじめの問題(3)では、このことにもふれている。

 本投書で言えば、『みんなが紙テープで長さをくらべていたとき、あなたはカエルで遊んでいたじゃない。』は、認めてやろう。

 でも、女の子が一生懸命説明しているさいちゅうに、その説明を聞かず、カエルに熱中していたのなら、これはもう、叱るかどうかはともかくとして、何らかのはたらきかけ(正す姿勢)は必要だろう。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 まったく話が違いますが、おうちのなかで、ゴキブリを目にしたら、近くには、その何倍ものゴキブリがいると考えていいそうですね。

 大部分のゴキブリは、人の目にふれるようなところへは出てこないのです。ですから、人の目にふれるところに出てくるようなゴキブリの行動は、ゴキブリ社会のなかでの問題行動なのだそうです。

 しかし、ゴキブリが突然変異したり、進化したりするとすれば、そこで重要な役割を果たすのは、そのように問題行動の多いゴキブリだそうです。

 以上、そういう話を聞いたことがあります。

 ここでは、問題行動というよりも、ユニークな発想のゴキブリ(そんなのいるかな。)と言った方がよさそうですね。

 それでは、今日も、1クリックをお願いしますね。

 (5)へ続く。

rve83253 at 18:18│Comments(0)TrackBack(0)児童観 | 算数科指導

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字