2007年07月05日

いわゆる『平和教育』3

b721e94c.JPG また、大臣が失言騒動だ。しょうこりもなく繰り返される。一体これは、何なのだろう。

 この大臣発言に対する論評は、今、ここでは特にふれまい。『ひどい。』という思いは、マスコミが報道する通りだ。


 ここでは、いわゆる、世間でよく言われる『平和教育』なるものをとり上げてみたい。
 と言っても、わたしが言う、『いわゆる平和教育』を標榜し実践している方々からは、わたしのような考え方こそ、『いわゆる平和教育』だと言われてしまうかもしれない。



 これは、わたしがかつて勤務した学校の教員から聞いた話だ。

 よその地域の、ある平和教育実践推進校(そういう言い方をするかどうかは分からない。)が研究発表会を行った。多くの参会者がいらした。

 その教員は、中学年の授業を見た。授業そのものは、子どもが主体的に学び、活発に意見が出て、とてもよかったのだそうだ。でも、『みんななかよし』がテーマになるくらいで、特に、戦争をとり上げての授業ではなかったらしい。

 
 そこで、授業後の研究会において、参会者と授業者で、以下のようなやり取りがあった。

「平和教育の実践推進校ということだが、子どもたちは、どう変わったのか。どう育っているのか。」
「学校のきまりをよく守るようになった。また、男女がとても仲良く協力し合うようになった。」
「その程度のことでは、納得できない。平和教育の実践推進校ではないか。戦争についての意識が変わったとか、そういうことはないのか。」

 それについては、特に授業者から、言及はなかったとのこと。 

 多くの参会者は、不満そうだったと言う。



 わたしはその話を聞いて、さもありなんと思った。

 わたしの言う、『いわゆる平和教育』を標榜する方々は、戦争の問題をとり上げ、それをどう教えたかを問わないと、『そんなものは平和教育でもなんでもない。』と思うようだ。


 しかし、それは違うのではないか。

 小学校中学年だ。

 わたしは、この段階の子どもたちなら、『学校のきまりをよく守るようになった。また、男女がとても仲良く協力し合うようになった。』で、十分ではないかと思う。

 今の生活が改善されること。つまり、にくしみ、差別、さげすみ、・・・、そういった感情が、いかに人間を悲しい存在としてしまうか、それを、実生活のなかで実感すること。それこそが、真の平和教育なのではないかと思う。

 逆を言おう。いじめをうむ環境、容認してしまう環境、それこそが、まさに、戦争につながる道なのではないか。


 昨日のテレビで言っていた。

 平和教育を盛んに行っているとみられる地域の中、高生にアンケート調査をしたのだそうだ。そうしたら、『原爆を落とされてしまったことは、仕方のないこと。』そういう回答が40パーセント以上あったとのこと。

 テレビでは、大臣発言とならび、こちらの方も問題だと言っていたが、ほんとうにその通りと思った。


 どうしてこうなるか。

一方的に教え込んでいるからだろう。『こうあるべきだ。こう思うべきだ。』と、指導者が押し付けるわけだ。

 押し付ける内容は、別に、問題はない。『原爆は悲惨だ。決して容認できない。戦争は二度とやるべきではない。』というもの。

 
 問題は指導法だ。

 いわゆる『平和』にどっぷりつかっている今の子どもたちは、戦争のことなど、なかなか実感的にとらえられない。『ぼく(わたし)だったら、戦争なんか行かない。逃げる。』簡単にそう言う子どもたちだ。


 わたしは思う。

 子どもの思いを、授業のなかで、ふんだんに出させればいいではないか。

 わたしなら、戦争に直結した内容は、小学校高学年以上で扱う。

 そして、子どもの思考力を育むには、試行錯誤も大切なのだから、授業のなかで、『原爆が落とされても、しょうがなかったのではないの。だって、それで、戦争が早く終わったのではないの。』という考えがあってもよい。 

 そういう発言を契機として、原爆の悲惨さが、学習のまな板にのることになる。そして、『いかなる場合でも、原爆投下があってはならない。核兵器はなくすべきだ。』という結論に、子ども自身が導いていく。


 結論。

 『いわゆる平和教育』を標榜する者は、地道に学級づくりから取り組まなければならない。

 そして、子どもを信頼し、子ども主体の学習を保障するなかで、それは、子どもの思考力を養うことでもあるのだが、子ども自身が戦争を否定する価値観を身につけるように、最大限の努力を払う。

 そのような教育を志すべきである。


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 わたしが今担当している初任者は、いわゆる平和教育を盛んに行っている地域の出身です。
 今回の大臣発言をきっかけに、ちょっとそういう話をしてみました。

「はい。わたしの地域でも、少しではありますが、『うちの学校は平和教育はやらない。』という学校もあるのです。そういう学校は、やはり一方的に教え込む姿勢をさけているのですね。真の平和教育はもちろんやっていますよ。」
とのことでした。

 わたしは、少し安心しました。

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rve83253 at 06:55│Comments(2)TrackBack(0)指導観 | 平和教育

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この記事へのコメント

1. Posted by そら   2011年08月08日 16:36
初めまして。
現在、大学の通信教育で平和教育のレポートを書いています。

平和教育について検索していたらたどり着きました。

私が目指す、小学校における平和教育と同じ理念でしたので、とても共感しました!

これからも楽しみに学ばさせていただきます!
2. Posted by toshi   2011年08月09日 10:43
そらさん
 過去記事へのコメント、ありがとうございます。
 今日は、長崎に原爆が投下された日ですね。長崎平和祈念式典の映像をみながら、今、これを打っています。
 平和教育に限らずですが、日本では、保守層も革新層も、『何をとり上げて教えたか。』が大事で、『子どもはどれだけそこから学び、平和的心情を我がものにしたか。』は軽視されます。
 形だけが大事にされていると言っていいでしょう。この日にあたり、真の平和教育の実り多からんことを祈っています。

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