道徳指導

2016年06月24日

オバマ演説から、かつての道徳の授業を思う(再改訂版) 〜母さんの歌全文掲載〜

kasannouta 広島におけるオバマ米大統領の演説は、我ら日本人にとっても心温まる想いを残したのではないか。アメリカ、日本を超え、人類の重い課題で一貫させたからだろう。それは被爆者の想いとも一致していたと思う。

 特に心に残ったのは、
 きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。

のくだりだった。

 戦争末期に生まれたわたしは、戦争そのものの記憶はない。しかしながら、幼少期、両親から戦争にまつわる話はいっぱい聞いた。両親にとっては、ついこの前のおぞましい記憶だったに違いない。

 また、戦後初期の貧しい生活の中で、さらには、横浜という、連合軍占領下、多くの米兵が身近にいた中で育った記憶には鮮明なものがある。

 戦いこそなかったものの、決して平和な日々でもなかった。だから、オバマ演説の、《平和な日々の何と尊いことか》はよく分かるつもりだ。それゆえ、今もなお、恐怖と貧しさの中にいる世界の子どもたちには、そうした生活から逃れられる日々が一刻も早くやってくることを願わずにはいられない。大人ががんばらないといけない点だろう。

 もう一つ。このくだりが心に残ったのは、かつての道徳副読本の教材文が想起されたからだった。本記事では、その教材文《母さんの歌》をとり上げたいと思う。そして、同文をとり上げた授業での子どもの発言は、最後にふれさせていただこう。

 なおこのたび、副読本出版社、作者、さらには挿絵画家の方々から、利用許諾をいただくことができました。そのおかげで、この再改訂版を出すことができます。厚くお礼申し上げます。

 出版社 光村図書出版株式会社
 副読本 道徳 4年 きみが いちばん ひかるとき
 作  大野允子氏
 絵  早乙女道春氏

 
  母さんの歌

 sashie4『くすのき町』は、バスの終点です。
 道のほとりに、大きなくすのきが立っていました。
終バスが着いて、まばらな人かげが路地に消えると、
くすのきの辺りは、ひっそりします。
 細い月の出た夜でした。
 くすのきの頭が、空の中でゆれていました。
「おや、聞こえるぞ。」
 くすのきは、足元で、小さな歌声を聞いたのです。
「母さんが歌ってる。やさしい、声だなあ。」
 くすのきはうっとりしました。
「・・・・・・幸せな、親子だな。」
 手をつないだ親子が、歌いながら、
くすのきのそばを通っていきました。
「いいな、いいな、母さんの歌は・・・・・・・。」
 くすのきは、また、あの夜のことを思い出したのです。
「かわいそうな、とってもかわいそうな、親子だったよ。」sasie2
 夜空が真っ赤にそまって、広島の町が、焼けていった夜のことです。
「ずうっと、遠い、昔のことのようだ・・・・・・。いやいや、なんだか、きのうのことのようだ・・・・・・。」
 くすのきは、町が焼けていくのを見ました。人の死んでいくのも見ました。
「おそろしいばくだんだった。あんなの、初めて、見たんだ。ここの道を、みんな、にげていったな。
 足元へたおれて、もう、動けない人もいた・・・・・・。」
 暑い夏の日でしたが、くすのきの周りには、ひいやりしたかげがあったのです。日がくれると、広げたえだのしげった葉が、夜つゆの落ちるのをささえました。太いみきによっかかって、ねむる人もありました。土の上に転がって、ねむった人もありました。
 くすのきのにおいが、かすかに、ただよっておりました。
「・・・・・・みんな、やけどをしていた。にげようにも、もう、動けなかったんだ。ものを言う力も、ないようだったな。」
 町を焼く火が、くすのきの頭を、赤々と照らしていました。
「だいじょうぶだ。こんな町外れまで、火事は広がってきやしない。安心して、おやすみ。」
 くすのきは、足元でねむっている人たちを、自分が、守ってあげなければならない、というような、気持ちでした。
「おや。聞こえる。」sashie3
 くすのきは、足元で、小さな歌声を聞いたのです。やさしい子守歌です。ぼうやをだいて歌っているのは、おさげのかみの女学生でした。母さんの名を、よび続けるぼうやを、ほっておけなかったのです。
「かあ、ちゃん。」
「はいよ。」
「か、あ、ちゃ・・・・・・。」
 声が、だんだん、弱っていきます。まいごのぼうやは、顔じゅうひどいやけどで、目も見えないようでした。
「母ちゃんよ。ここに、母ちゃんが、いるよっ。」
 女学生は、ぼうやを、しっかりとだきました。女学生の心は、母さんの心になりました。母さんのむねに顔をうめて、ぼうやは、もう、なんにも言えないのです。母さんは、くすのきによりかかって、ぼうやをだいて、子守歌を歌い続けました。
「いい歌だ。歌っておやり。ずうっと、ずうっと、声の続くかぎり、歌っておやり。小さな、やさしい母さん。」
 くすのきは、むねがつまりました。でも、うれしかったのです。
「・・・・・・。ぼうや、よかったな。母さんに、だかれて・・・・・・いいな。」
言いながら、くすのきは、体をふるわせていました。
「かわいそうな、小さな親子・・・・・・。」
 やがて、朝が来て、日の光が、小さな親子のほおを、金色に照らしました。 sashie1
「まるで、生きてるようだったよ、二人とも・・・・・・。」
 子守歌を聞きながら、ぼうやは、死んだのです。ぼうやをだいたまま、くすのきによりかかったまま、小さな母さんも死んでいました。
「・・・・・・目をつむると、今でも、あの歌が、聞こえてくるようだ。」
くすのきのひとり言が、夜空を流れていきました。




 悲しい、悲しい、話ですね。でも、その中に見えてくる、人の心の美しさ。極限の中での温かさ。敬虔。
 
 大野さんの著作にふれて、確認することができた。この教材文に《広島》という名前は登場するが、《戦争》とか、《原爆》とかはない。また、4年生の教材であることを考えると・・・、爆弾とあるから、戦争中の話であることは分かるだろうが、原爆は分からないかもしれない。

 その分、ただただ、《人の心の美しさ》に焦点を定めているように思われる。
 
 でも、わたしにとっては・・・、、わたしの心を強く打つのは・・・、何度も書くようでまことに申し訳ないし、また冒頭でも少しふれているが・・・・・・、この原爆投下時、わたしは生後7か月だったということ。

 ということは、この話に登場する坊やはわたしより数年年長なだけだ。女学生にしても、生存していれば80代後半となろうか。どちらにしても、現在、お元気に活躍してていいはずの方々である。それが、幼いうちに命を奪われてしまう。
 もう・・・、涙なしでは読めないのだ。

 ところが・・・、子どもは違う。

 4年生の子どもは、少なからず、はるかむかしの、遠い、遠いできごとと思っている。今一つ、時代感覚はピンとこないようだ。

 わたしがこのお話を読むとき、ふいに声をつまらせると、子どもはハッとしたような表情を見せながら、《先生、どうしたのだろう》と、怪訝そうにわたしを見る。だから、授業も終末に近づいたころ、
「このお話のとき、わたしは赤ちゃんだったのだよ。・・・ということは、この坊やは・・・、」
と言うと、びっくりしたような様子を見せる。
「ええっ。toshi先生。このとき、生きてたの。」
と口に出す子もいる。ここで、初めて、わたしと思いを共有した感じになる。

 
 
 最後に、《母さんの歌》をとり上げての授業にふれてみたい。記憶に残る子どもの発言を書かせていただきたい・・・といったところだったが・・・、大野さんの作品にふれることができて、あらたに思い出したことがある。

 わたしは、校長時代、毎年、卒業が近づくと、6年生を対象にしての卒業記念授業を行った。それはすべて道徳だった。そして、ある年、この、《母さんの歌》をとり上げたことがあったのだ。この教材は4年生とされているが、すでに歴史を学習している6年生なら、さらに深いところで、《人の心の美しさ》を感じ取れるのではないか。そう思ってとり上げた。

 そして、さらに思い出した。《確かこの授業は担任が記録をとってくれたはずだ。》
 それで、必死になってさがした。なんとあったではないか。見つけることができた。記憶にたよる必要はなくなった。大野さんの作品や早乙女さんの挿絵を掲載させていただけるとともに、何という幸運。

 それで、この再改訂版は、そちらの授業を掲載させていただくことにした。ただし全文載せたらものすごく長くなってしまう。だから主要な部分だけにさせていただこう。また、子どもの話は同じ言葉を繰り返してまどろっこしかったり意味不明で問い返したりする部分もあるので、読みやすさを考えてtoshiが修正をくわえたこともお許しいただきたい。

 それでは、どうぞ。

「くすのき町は、町はずれでしょう。原爆で被爆した人たちが、大勢逃げてきたからね、くすのきは悲しくなったと思う。」
「そう。もう戦争が終わって50年以上たっているのにね。今、ほんとうの親が歌っているのを聞いて、昨日のことのように戦争中のことを思い出してしまうのだから、くすのきにとってもつらい経験だ。」
「足元でねむっている人たちを、自分が守ってあげなければならないというような気持ちって書いてあるでしょう。これもつらかったからこそ、忘れられないでいるのだと思う。悲しい。」
「でも、くすのきは胸がつまりながらも、うれしかったって書いてある。うれしい気持ちもあった。」
「それはそうだけれど、大勢の人がなくなっていくのだから、それはやっぱりものすごくつらくて悲しい。そんななかだからこそ、やさしい女学生がお母さんになってあげたことは、うれしかったっていうこと。だからちょっとうれしいくらい。」
「なくなる直前におさげがみの女学生が幼い子のお母さんになってあげたのだから、それはやっぱりくすのきにとっても忘れられないほどつらかったと思う。」
「女学生もここまで一人で逃げて来たのだと思うの。逃げながらたくさんの人がなくなっていくのを見たでしょう。そうしたら、この坊やも自分も助からないのだから、どうせ助からないのなら、お母さんを呼んでいるこの坊やのお母さんになってやりたい。そうしたら坊やは安心して・・・・・・天国へ行けるのではないか。そう思ったのではないか。とってもやさしい。」
「賛成で、さらにつけたすと、くすのきもやさしいんだと思う。だって、たくさんのやけどをした人を守ろうとしているでしょう。守ろうといったって、休ませてあげることくらいしかできないんだけどね。それに、おさげ髪の女学生が坊やに歌を歌ってあげているとき、励ましてあげているから、やさしい。」
「くすのきに励まされたし、守ってくれたから、女学生も少しうれしくなったと思う。それにやっぱり独りぼっちだったのだから、坊やのお母さんになれたっていうことは、女学生にとってもうれしいことだったのではないか。だから女学生も天国へ行けたと思う。」
「賛成で、初め女学生は、お母さんになってあげようという思いだったけれど、母さんの心になりましたって書いてあるから、お母さんになり切ったという感じ。そうなれたのは、やっぱりうれしかったのではないか。」
「わたし、今、思ったのだけれど、このくすのきも、お母さんの心をもっていると思う。もう動けなくなった人を幹によっかからせてあげているし、いい匂いで包んであげているし、守ってあげなければいけないとも思っているしね。・・・。それに、坊やには、《よかったな。母さんに、だかれて》って言って、女学生にも、《坊やに歌っておやり。小さな、やさしい母さん。》って声をかけて励ましてやっているしね。・・・。ほんとうにやさしいし、お母さんの心になっている。」
「避難してきた人、みんなの、お母さんだ。」
〜。
「戦争がなく、平和なときでも、この女学生のような、そしてくすのきのような、やさしい心を大切にしたい。」
「中学生になっても、この話を忘れないようにしたい。そして、お母さんの心までは無理だと思うけれど、やさしい心は忘れないようにしたい。」
「くすのきは木だから、50年後もお母さんの心を持ち続けているけれど、わたしは人間だから、50年持ち続けられるかどうかは分からない。だけど、このお話を小学校生活の最後にみんなと一緒に学んだことは忘れないようにしたい。」
「いつだったか、校長先生の話を聞いた時があったでしょう。戦争は憎しみの心から生まれるのだけれど、このようにお母さんの心こそ、大切にしなければいけないのだと思いました。お母さんの心は平和につながっていると思いました。」


 記録にはないが、またまた思い出したことがある。

 授業終了後一人の子がわたしのところへ来た。確かこの子は授業中発言しなかったのだと思うが・・・、
「校長先生。卒業記念の授業、ありがとうございました。わたしも、この授業のことは忘れないようにしたいです。
 それで、授業の中でわたし、発言したいと思ったことがあったんです。それは、坊やは目が見えなくなってしまったけれど、ほんとうのお母さんでないことは、声を聞いて分かったのではないかって思ったのです。
 でも、もう一度読んだら、声も出せないくらい弱々しくなってしまったし・・・、女学生に抱かれて安心したようだし、それは違うなと思いました。
 それにみんなの言っていることがすごかったから、わたし、そんなこと、どうでもよくなってしまって、最後は、お母さんの心、お母さんの心って、心の中で言っていました。」

「うわあ。そうか。それはうれしい。よく言ってくれたね。・・・。でも、ちょっと残念な気もするよ。今、わたしに言ったように、その言葉をそのまま発言してくれればよかったな。」

 《そうか。》といったように、ハッとした表情を見せて、ちょっと笑みをもらしてくれた。

 そう。授業中における変容。それも友達の意見を聞いての変容だ。心が深まっていく。心が柔軟になっていく。鍛えられていく。どれも、大事だね。

 そして、その輪を広げていくのだ。これも、平和につながる・・・・・・だろう。


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 ninki
 

kodomo わたしの問いかけに応えて、すぐコメントをくださった大澤さん。

 ほんとうにありがとうございました。この記事は、すべて大澤さんのおかげです。大澤さんのおかげでいろいろなことを思い出せて、書くことができました。

 大澤さんは、ポプラ社発行の絵本も購入したいとおっしゃる。わたしも購入したくなりました。

 戦後71年。・・・・・・・。ああ、この言い方は・・・、いつも思うのだけれど、これはわたしの年齢と一緒なのです。
 その年に、米大統領が広島を訪れました。そして、被爆者の一人と抱き合っている写真を目にしました。双方の表情を見て・・・、ここでもまた、《お母さんの心》を思い浮かべました。

rve83253 at 06:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2016年05月31日

オバマ演説から、かつての道徳の授業を思う

nawatobi  初めにお断りしたいことがあります。

 本記事は、最初に入稿した記事の改訂版になります。改訂前は、ある道徳副読本に掲載された教材文のあらすじを載せていました。しかし、そのあらすじというものは、わたしがその教材文のタイトルや出版社を忘れてしまったため、わたしの記憶によるものでした。

 そして、末尾で、《どなたか、この教材文のタイトルや出版社をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントを入れていただけないでしょうか。》とお願いしたところ、大澤さんがコメントを送ってくださり、判明しました。まことにありがとうございました。

 判明しましたので、原文を読むことができました。そうしますと、若干の記憶違いがあることが分かりました。そこで、わたしの記憶によるあらすじは、削除させていただくことにしました。あしからずご了承ください。

 それでは、改訂版ですが、よろしかったらどうぞ、ご覧ください。


 
 広島におけるオバマ米大統領の演説は、我ら日本人にとっても心温まる想いを残したのではないか。アメリカ、日本を超え、人類の重い課題で一貫させたからだろう。それは被爆者の想いとも一致していたと思う。

 特に心に残ったのは、
 きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。

のくだりだった。

 戦争末期に生まれたわたしは、戦争そのものの記憶はない。しかしながら、幼少期、両親から戦争にまつわる話はいっぱい聞いた。両親にとっては、ついこの前のおぞましい記憶だったに違いない。

 また、戦後初期の極貧生活の中で、さらには、横浜という、連合軍占領下、米兵が身近にいた中で育った記憶には鮮明なものがある。

 戦いこそなかったものの、決して平和な日々でもなかった。だから、オバマ演説の、《平和な日々の何と尊いことか》はよく分かるつもりだ。それゆえ、今もなお、恐怖と貧しさの中にいる世界の子どもたちには、そうした生活から逃れられる日々が一刻も早くやってくることを願わずにはいられない。大人ががんばらないといけない点だろう。

 もう一つ。このくだりが心に残ったのは、かつての道徳副読本の教材文が想起されたからだった。それは、広島への原爆投下後の悲惨な光景を見ていた、ある老木の述懐を中心としたお話だった。前述のように、そのあらすじは削除させていただいたが、わたしの記憶による、授業における子どもの発言は、引き続き紹介させていただきたいと思う。

 なお、原文にふれることができ、若干の記憶違いが判明したため、修正をくわえていることをご了承いただきたい。 

「女学生だから、今のわたしたちよりちょっと上くらいの歳だと思うけど、まだ子どもであることは間違いないでしょう。それなのに、お母さんになってあげた。すごい。」
「幼い子がかわいそうだと思ったから。」
「もうほんとうのお母さんにはめぐり合えないだろうと思ったから、お母さんの代わりになってあげた。」
「天国でほんとうのお母さんに会えたのではないか。」
「天国なら、子どものお母さんがほんとうのお母さんになったかもしれない。」
「お母さんが二人になったのかな。」
「でも、天国でしか幸せになれないなんてかわいそう。」
「老木は涙を流している。老木にとってもつらい悲しい記憶なのだ。」
「でも、幼い女の子がお母さんになってあげたことで、老木はうれしかっただろう。うれしかったのですとも書いてあるしね。でも、悲しい中でちょっとうれしいくらい。」
「今の方は、完全にうれしい。ほんとうのお母さんが幼い子に歌を歌ってあげているのは、わたしたちから見ればふつうのことだけれど、戦争中の悲しい出来事を知っている老木がそれを見るのは、決してふつうではない。幸せだし、大事だし、ずっとこうでなければいけないと思っている。」

 何やら、この授業の記憶がこのたびのオバマ演説と重なってきた。

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 ninki
 

 平和記念資料館(原爆資料館)は、かつてわたしも二度ほど訪れたことがあります。そして、記事にも書かせていただきました。
 《平和を祈る》です。よろしければご覧ください。

 記事でも少しふれましたが、わたしはこの原爆投下時、生後7か月の赤ん坊でした。ですから、戦争にふれた記事を書くとき、いつもこの運命はわたし自身の運命でもありえたのだと思います。

 平和を願い、守り続ける気持ちは、永遠に持ち続けなければいけないと・・・、オバマ演説を聞いて、またまた思いを深くしました。

rve83253 at 05:27|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2012年03月04日

初任者とともに伸びよう(2) 〜『心のノート』の使い方は、〜

hinamaturi 今年度の初任者指導もあと数回を残すだけとなった。初任者は巣立ちの時を迎える。わたしはわたしでまた新たな出会いを迎えることになる。
 そのような時期、今回は3年生担任のAさんをとり上げてみたい。

 何度も感激することがあった。
 

 6月ごろだったかな。国語の物語教材について、
子どもが指導書なのだ。だから、子どもの読後感想を大切にして、指導していかなければいけないよ。」
と言い、それをもとに単元の指導計画を作成したことがあった。

 そうしたら、他教科に転移した。
「体育の『学習カード』については、まだわたし、何も話していないと思ったけれど、すごい取組をみせたね。何を参考にしたの。」
「はい。国語の物語教材でtoshi先生からご指導いただきましたが、『ああ。これは体育なら、学習カードのことだと思ったものですから、体育主任のB先生にうかがって、ご指導いただきました。」
 わたしはその言葉にしびれてしまった。
「いいなあ。『一を聞いて十を知る。』という言葉があるけれど、まさにそれだね。」
 そうしたら、今回は、それどころではない。このわたしが教えられる思いになった。


 話は大きく変わって恐縮してしまうが、平成12年度より文科省が出している『心のノート』なるものがある。昨年度、例の民主党を中心とした連合政権のもと、事業仕分けでこの予算は削減対象となり、今年度はこのホームページを学校が印刷して使うことになった。
 わたしはもともとこの『心のノート』は使いにくくできればなくしてほしいと思っていたから、この仕分けには大賛成だった。


 それでは、わたしが使いにくいと思っていたわけと、それがどう初任者の話につながるのか、本記事はその辺のところを述べてみたいと思う。


〇使いにくいと思っていたわけ

・今3年前の記事にリンクさせていただこう。
    正直に言ったら、すっきりしたよ。(道徳の授業) 

 この記事では、初任者の研修のために、わたしが行った授業を紹介させていただいた。3年生の道徳。押さえたい内容は、『正直・誠実、明朗』。
 例によって長い記事となってしまう。本記事でその概略は述べるが、よろしかったらご覧いただきたいと思う。

 わたしがこの記事で強く印象に残っているのは、
 Bちゃんがつらい内容を発言しようとして言いよどんだとき、それを察したわたしが、
「うん。いいよ。無理に発言しなくても。だって、言いにくいことだってあるものな。」
と言ったにもかかわらず、顔を真っ赤にさせて、
「でもね。やっぱり、お母さんには言ったほうがいい。・・・。正直に言えば、すっきりする。」
と発言した場面だった。

 この発言・・・、Bちゃんだけがすばらしかったのではない。みんなで話し合うなかでだんだん道徳的価値が深まり、それがBちゃんの発言につながったのだ。
 今、順を追って、子どもたちがどう価値を深め合っていったかその概略をつづってみよう。

「電車賃としてもらったのに、勝手にお菓子代にして、親に黙っているのはいけない。」
「無駄づかいだ。」
「友だちに見せびらかせたのもよくない。悪いことに誘っている。」
「でも、電車賃をお菓子代にした分、自転車で水泳教室に行くというようにがんばっているのだから、そんなに悪いことをしてはいない。」
「『自転車で行くから電車賃はお菓子に使っていい?』って親に聞けばいい。」
「いいなんて言わない。親は交通事故にあわないように電車に乗って行ってほしいのだ。」
「万一交通事故にあったら親は悲しむ。」
「親に言ってもお菓子代にしていいとは言わないだろうけど、でも、正直に言わないとだめ。」
「主人公は電車賃をお菓子代に使って心が痛んでいる。いけないことをしたと思っている。だから、ダメ。」
「友達も誘ったことになるから、もっとダメ。万一のときは親が謝りにいかなければならなくなる。」
「主人公は反省したからよかった。」
「反省してもダメ。もう遅い。」
「親に言うと損しちゃうけれど、でも言わなければだめ。」
「親に言えば怒られるし、罰も受けるけれど、でも、言った方がいい。言えばすっきりする。」

 子どもたちの話し合いに紆余曲折はあったし、指導者であるわたしの投げかけもあったけれど、子どもたちの発言をつづると、このようになる。
 ねっ。上述のように、みんなで話し合ったからこそ、それがBちゃんの価値ある発言につながったということ。ご理解いただけると思う。
 だから、もとよりこれはBちゃんの発言ではあるけれど、この想いは学級みんなのものだ。発言できず黙って聞いていた子も含めて、しっかりこの『正直』について考え合ったと思う。


 さて、この内容について、『心のノート』ではどうなっているか。今、これもリンクさせていただこう。
    正直に明るい心で元気よく

 なんと、
『正直に明るい心で元気よく』
『自分に正直になれば、心はとても軽くなる。』
『すなおな心・・・心が明るくなる。』
『すなおになれない心・・・心が暗くなる』
『「心のつな引き」で自分と向き合おう。』
などと、道徳的価値がみんな書かれてしまっているではないか。

 上記授業とくらべてほしい。

 一方は子どもたちが深め合い、子どもたちの手で到達した道徳的価値なのにくらべ、もう一方は国により子どもたちに与えられた価値となってしまう。

 どちらでもいいだろうか。同じことだろうか。・・・。いや、同じではないはずだ。

・一方は、子どもたちが主体的に学んでいる。自ら価値を獲得している。そこには考え合う姿もふんだんにみられる。ほほを紅潮させやっとの思いで発言する姿もある。そのBちゃんの姿を学級の全員が見ている。

・価値葛藤もある。主人公のやったことについて、『たいしたことではない。お菓子代にした分、がんばったのだからそんなに悪くはない。』という考えも出てくる。
 実はむかしからある道徳副読本には、子どもたちが道徳的価値について深く学べるように、この価値葛藤を盛り込んだお話が多い。道徳研究会の先人の皆さんの研究のたまものであろう。

・『心のノート』も一応、価値葛藤らしき文章はある。本リンク先で申せば、『「心のつな引き」で自分と向き合おう。』がそれにあたるか。
 しかしながら、ご覧いただければ分かるように、もう、どちらに価値をおいているか編集者の意図は明確で、事実上子どもたちに葛藤は起きないのではないか。

・大人の世界でも、この価値は一様ではない。『ばか正直』という言葉もあるくらいだ。素直に何でも言うことが正直とは限らないだろう。本授業でも、冒頭、やはりこれもBちゃんの発言だが、『親に心配をかけたくないという思いで、言わないこともある。』という意味の発言している。

・『心のノート』に限った話ではないが、教え込みの授業では価値葛藤は起きにくい。価値は一様で薄っぺらになりやすいのだ。

・何より、わたしがブログによく書いていることだが、子どもに言わせたいこと(つまり、授業のねらい)がすでに記述されてしまっているので、授業が授業にならないのだ。
PAP_0191
 この点、一問一答式の授業者には向いていると言えよう。
T「なぜ正直に言えないのですか。」
C「叱られるのがいやだから。」
T「正直に言うとどんな気持ちがしますか。」
C「心がとても軽くなります。」
 ただ書いてあることを言えばいい。ああ。目に見えるようだ。

 そういえば、Wikipediaをみて笑ってしまったことがある。この『心のノート』を肯定する意見が紹介されているが、そのトップに『教師の負担が軽減する。』とあった。
 なんということだ。こと、授業のことではないか。こんな負担軽減があっていいものか。

 わたしは思った。《研究しない教師は楽できる。》
 願わくば『心のノート』はなくし、その分、教員の研究、研修にお金をかけてほしいものだ。


〇それでは、冒頭ふれた初任者Aさんの話に戻させていただこう。わたしがAさんから何を学んだかということだね。

 Aさんの道徳の授業は、めったにみることはなかった。なにしろ道徳は週1時間だし、わたしは週2日しか入らないから、たまに時間割を変更したときしかみることができなかった。
 それで、そういうときはだいたい、行事とか子どもの問題行動があったときとか、そういうときだったから、以前から、『道徳とはそういうものではないよ。』という話はしていた。

 それで、ある日、わたしが道徳の示範授業をやることにした。副読本を使い、オーソドックスな流れをみてもらうことにした。

 そうしたら、どうだ。何とわたしの次の出勤日。わたしの机上にAさんの道徳指導案略案なるものがおかれているではないか。
『toshi先生。先日のご指導、ありがとうございました。それで、今日、さっそく道徳の授業をやってみようと思います。ご指導よろしくお願いします。』
なるメモ書きもあった。ああ。Aさん。ごめんなさい。こんなことなら、もっと早くやればよかった。

 略案ではあったが、よく書けていた。わたしは衝動的に、その略案をもって校長室にうかがった。校長先生に、その感動をお伝えした。

 その授業は、『家族愛』をとり上げていた。

 本来なら、その授業のあらましをつづるのであるが、もうこの記事もだいぶ長くなってしまった。そこで、本授業の講評はメールによって行ったので、それを転記させていただこう。


 本日の道徳の授業、すばらしかったです。この前のわたしの示範授業の域を超えていました。わたしの言わざるところまでちゃんとできていた点、わたしの方が逆に学ばせていただきました。

 主題名と資料名との違いを完全に理解していました。主題名は『楽しい家族』でしたね。そして資料名は、お父さん扮する怪獣の名前だったと思うけれど、双方をうまく使い分けていました。ナイスです。

 最初子どもの発言は少なかったけれど、先生はあせらず気持ちに余裕をもって、子どもの発言を引き出そうとする言葉かけに終始していました。
 だからでしょう。だんだん発言する子が増えていきましたね。そのおかげで、シーンとしてしまう場面もあったけれど、それに緊張してしまうことなく、リラックスして考えていました。

 もう3年生の残りは少なくなってしまったけれど、あの調子でやっていけば、発言する子は徐々に増えていくことでしょう。

 どうして発言する子をふやすことができたか。それは、先生の教材研究が豊かだったからです。授業の構想を練る力といってもいい。

 たとえば、
「お父さんが毎日家にいるよっていう子は?」とか、
「今度はお話のなかで聞くよ。このちい子さんの家族が明るい理由は。』と問い、
 さらに、話し合いに終始するのではなく、
「この紙に書いて。」
というように、活動に多様性をもたせることによって、言いやすくする配慮がみられました。

 道徳は道徳的価値の価値葛藤があると盛り上がります。あのとき、
「このお父さん、やり過ぎだよ。」
というつぶやきがあったかなかったか、わたしは耳鳴りがひどいので子どものつぶやきをときどき聞き間違えてしまうのだけれど、もしそういうつぶやきがあったのならそれを採り上げるとよかったです。
 それは価値葛藤を生み出したでしょう。

 やり過ぎと思う子、反対に、親子なんだからあれでいいと思う子。

 実際道徳でとり上げるお話は、価値葛藤を生み出す話が多いです。そうなると、本音が出やすくなるのですね。もちろんどちらが正しいという話ではありません。本資料だって、最初やり過ぎと思う子が、
・船員で外国航路が長く、めったにうちにいないお父さん
・娘もお母さんも、そうしたお父さんの姿を受け入れ喜んでいる
というように、想いを変えたり読み取りを深めたりするきっかけになるでしょう。

 でも。逆に、『わたしだったら、お父さんがそんな怪獣のマネをして襲ってきたら、『いやだ。あっちへ行って。』って言っちゃう。』と言う子がいてもいいのです。

 おしいことがありました。大事なことの押さえが抜けたまま、終わってしまいました。

 というのは、お父さんがいよいよまた船に乗って外国へ行っちゃうというところで、
『さびしいけれど、ちい子はがんばります。』
と言っているところです。ここは押さえられなかったね。

 だから、子どもたち、親子の情愛は十分感じ取っていたけれど、その情愛が明日へのやる気、意欲につながるといったところは抜けてしまいました。

 でも、いいよ。研究授業ではないのだから、こうしたことの積み重ねによって、抜けない力をつけていくことになります。

 もし抜けなかったら、最後の先生の子ども時代の話にしても、ちょっと違ってくるね。

 釣りに連れて行ってくれたお父さん、
 おいしいチャーハンをつくってくれたおばあちゃん、
 今は一緒に住んでいないけれど、幼いときのそうした思い出が、今の先生のがんばる力になっている。

 そういう話になったのではないでしょうか。

 わたしのメールは以上だ。

 
 さて、いよいよわたしが学ばせてもらった話になるが、

 実は、初任のAさん。本時の最後に、『心のノート』を使ったのだ。『家族愛』のそれにリンクしよう。
     わたしの成長を温かく見守り続けてくれる人・・・家族
 このリンク先の一番下、『あなたも自分の方法で工夫して、まとめてみましょう。』の自由記述欄を使った。

 よく読んでみると、ここはそんなに価値の押し付けを感じなかった。だから、子どもたちは、上の吹き出し(?)を見ながら、
・「わたしのお母さんも、叱るときはおっかないけど、ふだんはやさしいし、何でも話せるよ。」
・「ぼくのお姉さんは、何も教えてくれないなあ。でも、一緒に遊ぶことはある。」
などと思い思いに語りながら、自分の家族への想いを書きこんでいた。

 さて、最後に、わたしは何を初任者から学んだか。

・『心のノートは使えない。』という、その想いが必ずしも当たっていないことを学ばせてもらった。
 さらに、今年度は冒頭書いたようにホームページを印刷して使用することになったから、必要なところだけ使うことが可能で、このやり方はいいなあと思われた。

・でも、そんなことより、もっと大事なこと。
 それは、授業の最後にこれを使用するのであれば、内容はどうあろうと価値の押し付けにならないのではないかと思わせてもらったことだ。
 逆に、読み物教材を通して考え、豊かに感じ取った道徳的価値を、さらに深めたり考え直したりするうえでは、案外大切な役割を果たすことができるかもしれない。

 Aさんがそのような意図をもっていたかどうかは分からないが、わたしの言わなかったところまで想いを寄せ、授業を創り上げたことは確かで、上記メールを送るパソコンに向かいながら、心のなかで拍手を送らせてもらった。

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ninki



 今、我が家の近所に住んでいる方が訪ねてこられ、わたしのパソコンをのぞき込み、つぶやいています。パソコンには、上記『心のノート』の家族愛の画面が写っています。

 そこにある、『いっしょに食事をする。』『いっしょに出かける。』『いっしょに学校であったことなどを話す。』の欄を指し示しながら、
「わたしは子どもの頃、こうした経験は皆無でしたよ。ですから、こういう楽しさというのは、まったく分からなかったですね。理解できなかったです。もし子どものときにこんな心のノートがあり、級友が楽しそうな話をしていたら、わたしは荒れたかもしれませんね。
 大人になり、所帯をもってからですよ。『ああ。家族で一緒に食事をするっていうのは、なかなかいいもんだなあ。』と思ったのは。やっとその良さが分かるようになりました。」

 そうか。そういうこともあるだろうなあ。

 だとすれば、こういう子どもはその後ますます増えているはず。家族がいても、家族と一緒に暮らしていても、『家族愛』そのものは理解できない。そんな子どもはけっこういるのでしょうね。

 だからといって、これをテーマとする授業をやらないわけにはいきません。だとすれば、この場合、家族愛があることを前提とした『心のノート』を使うわけにはいかないでしょう。やっぱり読み物教材で多様性を認め合いながら、子どもの現実に向き合う授業にしたほうがいい。そう思われます。 


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2011年08月22日

ひびき合う学校、学級、学習へ(2)

PAP_0071 本シリーズの2回目は、かつて(30年近く前)の我が勤務校の研究紀要から、道徳の授業をとり上げてみたい。

 ひびき合う学校、学級、学習をめざし取り組む道徳の授業は、ある講師に言わせると、『道徳的価値の押さえが弱いのではないか。』と批判されたが、学級経営との関連を重視しているということで、肯定的に受け止めてくださる講師の先生もいらした。
 あくまで週一時間の道徳の授業時間として授業をみるか、学校の全教育活動を通して行う道徳教育という立場からこの授業をみるか、その違いかなと、わたしたちは受け止めていた。

 この紀要の理論編をみると、次のような文言がある。

 
『〜。

 道徳の時間を充実させることは、子ども自身が自分の行動や自分の考え方や自分の生き方や自分の心をふりかえり、よりよい生き方を考えていく場とすることである。それには、この時間は学級経営に根ざして行われなければならない。28ある内容を順序よく教え押さえたとしても、それだけでは、本校のめざす心豊かな子の育成は図れないのである。
 また、道徳の時間で押さえたことが学級経営に反映されるようにすることが本校の道徳教育の充実につながるのである。このように道徳とは追い続けていかなければ定着するものではない。

 わたしたちは、これまでの道徳の時間をふりかえり、たてまえだけの道徳、おざなりの道徳の時間になっていたのではないかと反省した。ひびき合える道徳の学習にするためには、もっと子どもたちが本音を出し合い、ぶつけ合い、そこから生まれる価値葛藤を大事にし、その葛藤からより高次な価値に迫っていかれるような、そんな道徳の学習にしたいと願った。

 まず、研究は、道徳の28の内容と本校教育目標との関連を図ることから着手していった。本校の月別重点目標に沿えるように、28の内容を組み変えていった。これにより、学校月別重点目標と道徳の時間との関連が生まれることになった。そして、それは、学級における朝の会や終わりの会にも生きるようになった。
 ただし、これはあくまで基本であり、実践にあたっては自分の学級の実態に即し、順序やウエートのかけ方に違いがあってもいいこととした。

 〜。』


 それでは、次に、ある先輩A先生の授業の概略を、やはり同紀要から紹介させていただこう。A先生のことはすでに過去記事に書いたことがある。一つだけリンクさせていただくと、『あこがれの先生(1)』がある。わたしにとって、まさに恩師というにふさわしい、そういう先生だった。
 ただ、この先生の授業観は、微妙にわたしと違うところもあった。もちろん子どもの内面をよく把握し、子どもの想いを大事にした上での話だが、子どもを引っ張り上げようとするところはあった。  


 本実践は、3年生。6月に行われた。敬けん(資料「ひさの星」 斉藤隆介 作)の内容をとり上げた。紀要のタイトルには、『自分の経験を駆使して価値に迫る子どもたち』とある。
 また、「ひさの星」のお話は、HPにありました。今、リンクさせていただきましょう。

 なお、TはA先生の言葉、Cは子どもの発言である。ほとんど全員に近い子が発言している。また、発言できなかった数人の子も、一生懸命考えたり言おうとしたりしていたことは、その表情やしぐさなどから分かる。
 また、ときどき、授業記録を分断して、考察等を入れさせていただくが、◎は、紀要に示されたA先生の考察、※は、今、本紀要を読み返しての、わたしの想いである。


T1 今、一つのお話を先生が読みます。このお話には、ひさという女の子が登場します。ひさってどんな女の子かな。そんなことを想いながらお話を聞いてください。

 ◎まだまだ、人間の外面的なものに心をうばわれている子が多い。ただ少数ではあるが、精神的な部分に美しさを感じたり、あこがれの気持ちをもったりする子は出てきている。子どもの心を育てるためには、人間の内面をするどく見つめていかれる目を養いたいと思う。
 これまでも多くの物語文を学習してきたが、いずれもそのとらえ方は、行為の善悪によりどころを求めてきたようである。いまだ、心の美しさをとらえられた子は少ないようである。中学年になったばかりの子どもならば、それもごく自然な姿なのであろう。人の心の美しさを感じ取れる子こそ、わたしの目指す理想像である。

 道徳で扱う28の内容は、どれも大切である。しかし、敬けんと人類愛は、特に重要に思われてならない。人が人として正しく生きていくためには、人を愛せなければどうしようもないからである。
 愛に打算はない。報償を求めない行為を美しく思うのが一般であろう。この美しさにあこがれる心情こそ、道徳的世界を創り出していく源泉であろう。
 少しでもそこに近づこうとしたとき、ほんとうの意味での心の成長があるのだと思う。『心豊かな子』とは、そういう子を指しているのではないか。

 子どもたちの身近な話題を資料にしたとき、Bが言った。
「A先生。今日の道徳つまんなかったよ。もっとドーンと大きなお話で勉強しようよ。」
 心に残る資料を求めているのだろう。たまに、とんち話などを読んでやると、
「もっといいお話を聞かせて。」
という子も現れている。少しずつ美しいものへのあこがれの情が育ってきたのかもしれない。

※道徳は、自分たちの生活を振り返るところから入るのが、ふつうである。しかし、敬けんに限っては、いきなりお話から入る手法もありうる。
 なぜかというと、本授業の場合、お話を読む前に、たとえば、『みなさんは、人のどういうところに美しさを感じますか。または、あこがれますか。』などと発問してしまうと、『ひさの星』を読んだ後、《人の美しさ、あこがれ》をもつことを前提とした話し合いになってしまうおそれがある。
 そこに子どもの想いで迫ってほしいのだから、それはやはりさけたいことである。

 ちなみに、本時の目標は、
 『人の心の美しさに感動し、自分もそのような生き方をしようという心情を育てる。』
となっている。

 それでは授業の流れに戻ろう。

 お話を読み終わり、しばらく間をとって、

T2 ひさって、どんな女の子だと思いましたか。
 
C1 自分の命をかえて人を助けたから、すごい。犬の出てくるところもそうだけど、川に入って政吉を助けて、自分は死んじゃったから、すごくえらい。
C2 無口な女の子。着物をぬいでか着たままか分かんないけど、男の子を助けた。自分も助かれば、お父さんやお母さんは悲しまなかったけど、自分の命をなくしてまで人を助けたところがえらいと思う。
C3 ぼくは、政吉のお母さんは悪いと思う。わけも聞かず突き落としたなんて言ってひどいと思う。
C4 ひさは明るい感じの子じゃないけど、2回も小さい子を助けている。とってもいい人だと思う。
C5 ひさは、自分より人の方が大切。人のために、たった一つの命をつかってしまった。

T3 たった一つの命を捨てたひさをどう思いますか。

C6 テレビに出てくるウルトラマンのお母さんみたい。ワッと守ってくれるそれみたい。
C7 ひさは何も言葉をしゃべらない。黒い犬が赤ちゃんをおそったときも助けた。いろんな人を助けた。きっと友達がいっぱいほしかったんじゃないかな。
C8 C7君に似てる。おもては無口でうらはすごい。命はたった一つなのにたくさん人を助けている。このお話では2つのことしか書いてないけど、もっとほかでも助けてるんじゃない。
C9 犬にかまれそうになった赤ちゃんを助けて、家に帰ってお母さんに叱られても、言わなかったところが、すごくえらい。

T4 お母さんに叱られても何も言わないひさをどう思いますか。
PAP_0024
C10 静かな子だと思う。

T5 静かってどういう意味ですか。

C11 わけを話せばほめられるのに、ひさは自分はほめられなくてもいい。赤ちゃんがいい人になってくれればいいと思っていた。ひさはやさしいけど、心のなかもやさしい。大人じゃないのに人を助けて、お姉さんみたいな人だと思う。
C12 死んじゃったんだよ。かわいそうじゃん。ひさのお母さんだってかわいそうだ。
C13 ひさの心のなかに花が咲いているみたい。ビルの上から飛び降りたりして自殺する人がいるけど、あれは悪いと思う。ひさはいいことをして死んだ。かわいそうだと思う。
C6 さっき言い忘れたけど、黒い犬がミサイルで、ひさはお母さんだ。

T6 お母さんが自分の子を守るのはよく聞きますね。ひさが助けたのは。

※ここいら辺り。わたしなら発問せず、子どもたちのやり取りをもっと大事にする。そうすれば、C7の『友達がいっぱいほしかったんじゃないかな。』などは、いかにも今の子どもらしい(〜とは言っても、これは約30年前の授業だが、)思いだが、それに対しては、違和感を抱く発言も出るように思われる。
 今の子どもらしいと言えば、ウルトラマンとかミサイルとかいう言葉に象徴されるが、こうした発言もこの学校ではその子らしい意見として大切にされる。決して、《さげすみの笑い』の対象とはならない。だから、誰もが自由に思いを発表できるのだ。

C14 よその子。赤ちゃんも政吉もよその子だった。
T7 そういうひさをどう思いますか。
C15 わたしにはひさのようなことはできない。黒い犬などこわくて、向かっていけない。ひさはやっぱり小さいお母さんみたいに思う。
C16 わたしもひさのようにはできない。死んじゃうかもしれないような川はとてもこわい。
C17 ちびっこお母さんだ。
C18 自分のことはどうでもいい。人を大切にする人なんだ。
C19 ひさは兄弟がいなかったんじゃないかな。自分ひとりだけでかまってもらえなかったので、赤ちゃんや政吉を弟みたいに思っていたんだと思う。
C20 わたしは自分の妹がすごくかわいいと思っている。で、海みたい静かなところなら助けられるかもしれないけれど、ひさが飛び込んだような川だったら、いくら妹でも助けられない。ひさは、人を愛していたんだと思う。
C21 ひさははずかしがりやだと思う。自分からは友達になろうと言えない。助ければ友達ができて勇気ももてる。神様が勇気をひさに与えてくれる。いい人になれば勇気をもらえるから、一応やってみようと思ってやったんじゃないか。
C22 花咲き山の女の子とよく似てる。ひさのお花もきっと花咲き山に咲いたと思う。
C23 ひさは、ものすごく人を想う子だ。

T8 このお話に出てくる村の人の気持ちを考えてみよう。

※このTの投げかけは、唐突とは思わない。C22の『ひさのお花』は、お話のなかの『ひさの星』と共通するだろう。そこで、『敬けん』に迫れるタイミングと判断し、発した投げかけではなかったか。ただ惜しまれるのは、『ひさのお花』なる発言をもっと大事にしてほしかったと思う。そうすれば、この発問がなくても、自然に、村の人の気持ちに迫れたであろう。
 大先輩のA先生。すみません。

C24 赤ちゃんや政吉を助けて死んだ後、ひさの気持ちがやっと村の人に伝わった。空に出た星は、ひさの星だとわたしも思う。
C25 ひさと村の人は、糸で結ばれている。
C26 空に出たひさの星は、きっとどの星よりもきれいな星だっただろう。
C27 ひさのやさしい心が村の人に伝わった。だから、C26さんが言ったように、すごくきれいな星だったと思う。
C21 磁石のように村の人の心とひさの心がくっついたんだと思う。ひさの星はすごくきれい。これは神様が与えたんだと思う。
C28 いい心、美しい心は星になっていった。
C29 川のなかで政吉を助けたので、その星は川の上に出たんだ。 

T9 C12さん。どうですか。今も、ひさはかわいそうと思いますか。

C12 星になったひさは、空からお母さんやお父さん、それに、村の人を見ているから、いいなあと思うようになった。
C30 ひさは星になったから、お父さんやお母さんだけでなく、村の人にもずっと見ててもらえる。
C31 ひさは星になったから、いつも黙っていいことをしたんだけど、村の人はずっと覚えている。
C32 日本昔話によく似たお話がある。やっぱり自分の命を捨てて、川の水を止めたお話を知っている。

T10 そうね。図書室に本があると思うので、これからもたくさん読んでみましょう。


 授業記録の概略はここまでである。以下、同紀要に示されたA先生の想いを書かせていただく。


◎ 〜。

 子どもたちの感想はさまざまだった。
・自分の命を捨ててまで幼い子の命を救ったひさをえらいと思った子
・自分の善行を決してひけらかさないところにえらさを感じた子
・よく似たお話を思い出していた子、
・自分だったらどうするかと、我が身におきかえて考えていた子
 いずれも、ひさの生き方に感動した子である。

 C3のように、ひさの善行を知らずひさの母親に文句を言いに来た政吉の母親に怒りをぶつけている子もいた。ひさに味方するあまりに、政吉の母親が憎くなったのだろう。
 しかし、なかには、ひさの善行が理解できず、『友達がほしいから』と思った子も数人いた。
 T9の発問で、子どもの思考の流れは変わった。特に、C12は、当初、ひさはかわいそうと言っていたのが、そこから抜け出し、心の美しさを感じ取るようになった。

 ただかわいそうと思っていたのでは、人の美しい生き方にあこがれているとは言えないだろう。自分の立場を村人へおきかえたとき、それまで悲しみや怒り、にくしみの情までもっていた子どもたちは、次第に心安まっていったようである。そして、人間が求めてやまぬ美しい心への共鳴と憧憬の情へと変わっていった。その代表的な存在が、C12であった。
 C12は授業後、家で感想文を書いてきた。それを紹介して、本稿の終わりとしたい。(ここでは、読みやすさを考え、ひらがなを漢字におきかえて表記)

『〜。
 雨がやんで空に光る星のことを村の人たちは、「ひさの星だ。」と言った意味が分かりました。ひさが、たった一つの命をなくしてまでも、幼い男の子を助けた、やさしさの心が村の人たちに分かったのでしょう。あの、青白い星が、村の人にはひさの心のように思われたのだと思います。ひさをどこかに生かしておきたかったのでしょう。
 いいことをしているのに人に話さないひさ、いいことをしているのに叱られてしまうひさ、わたしはかわいそうでたまりませんでした。だけど、あの青白い星がひさの変身みたいなものだったら、村にいるお父さんやお母さんのことが見えるだろうから、とてもよかったなあと思えるようになりました。ひさは、今、星になって生きているんです。とっても美しい星になって。
 ひさは、わたしと同じくらいの歳の女の子かもしれません。わたしには、ひさがしたようなことは、とてもできそうにありません。でも、少しでもやさしい心の人になって、友達や妹に親切にしていこうと強く思いました。』

 
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※A先生が書かれる、『ひさの善行が理解できず、友達がほしいから』とした子は、やはり、自分の生活経験の反映として、発言したに違いありません。政吉の母親への怒り、憎しみの情にしても、同様でしょう。それは子どもらしい思いの表出と言っていいでしょう。

 ただ問題となるのは、いかにして、道徳的価値の獲得に至ったかといったところでしょうか。『ひびき合う学級、学習』としている以上、子ども同士のひびき合いによって獲得したと言えるようになってほしいもの。

 もちろん、本授業だって、子ども同士のひびき合いはふんだんにみられます。前の人の意見に耳を傾け、それを受けての深まりのある発言がたくさんみられます。しかし、T8はやや性急に過ぎたのではないでしょうか。繰り返しになりますが、その直前に、『ひさのお花』なる発言があっただけに、もっと子どもの脈絡を大事にすれば、真にひびき合う子どもたちの姿がみられただろうと惜しまれました。
 

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2010年01月06日

道徳教育のあるべき姿は!?3

a8e053fa.JPG 前記事に、『反道徳的』と書いて思い出したのだが・・・、

 もう30年くらい前になる。

 当時、我が勤務校は、道徳と社会科で授業研究を進めながら、学級経営の研究をしていた。


 そのときの、ある道徳の講師の指導で、忘れられないことがある。

 指導といっても、道徳の授業そのものの指導を覚えているのではなくて、指導が終わり、雑談となったときの、その雑談が忘れられないのである。

 講師の先生方、ご指導いただいた本筋ではなくて、ごめんなさい。


 そうした先生は、何人かいらした。そして、そのお話は、毎回、毎回、ズシンと心にひびくので、わたしたち教員は、それを楽しみにしていた。心の栄養になったとも言えよう。

 その講師の方々には共通する何かがあった。だが、それは、後に譲らせていただこう。


 ここでは、その、雑談のなかから、一つだけ紹介させていただく。



 それでは、どうぞ。


 ある日曜日、A先生は、当時小学生だったお嬢さんと一緒に、繁華街を歩いていたそうである。

 そこで、募金を呼びかけている人たちと出っくわした。

 A先生は、何くわぬ顔で通り過ぎようとしたが、お嬢さんから呼び止められてしまった。

「お父さん。募金を呼びかけている人がいるよ。」

「うん。そうだね。」

「募金しないの。」

「ああ。・・・。

 ああいう人たちはね。みんな、いい人ばかりではないんだよ。なかには、インチキして自分たちの飲み食いに使ってしまう人もいるのだ。それは見ただけでは分からない。だから、お父さんは募金しないのだよ。」

「ふうん。そうなの。・・・。だけど、お母さんは、いつもこういうとき募金しているよ。」

 A先生は、それがショックだった。

『そうか。妻はしているのか。・・・。知らなかった。』

 そうしたら、次々と、いろいろな思いが重なってきたという。


・自分は学校の先生だし、まして、道徳を専門としているのに、娘にまずいことを言ってしまったか。担任として、自分のクラスの子どもたちに向かってだったら、このようなことは言わないであろう。

・だけれど、妻だって、募金に応じるのは、娘と一緒に歩いているときだけではないのかな。

・娘への教育という意味では、黙って募金した方がよかったかな。募金に応じたところで、たかが10円。仮にその人が自分のために使ってしまったとしても、娘への教育効果を考えれば安いものだ。

・ああ。だめだ。こんなことを考えること自体が、もう、道徳的ではない。


 しばらくのあいだ、そのような葛藤から抜け出せなかったとおっしゃる。また、自己嫌悪にも陥ってしまった。



 その後、その先生がおっしゃったことは、もう、記憶の限りではないけれど、たぶん、このようなことではなかったか。


 人間て、弱いんだよ。そんな立派に生きられるものではない。悪の行為にまではいかなくても、ずるさ、手抜き、そういったものはいくらもある。人間の宿命だ。その弱さを見つめ、葛藤し、悩み、よりよい生き方について考える。道徳ってそういう時間ではないのかな。

 しかし、『いや。人間は強くなければいけない。そのような心の弱さは克服しなければいけない。そのために、道徳教育がある。』そういう人もいるよね。

 その人は、たぶん、立派に生きているのだろう。

 でもね。そんな考えで、子どもの教育はできないよね。弱さへの共感、弱さを受容すること。それが愛だろうし、それがあって、初めて、道徳教育を論じることができるのではないか。


 ごめんなさい。講師の名を借りて、今のわたしの思いを書いてしまったような気もします。



 今になって思う。


 いやあ。これは実に大きな違いだ。道徳教育に限らず、大きく教育観の違いといってもいいだろう。いや。そもそも、それは、人間観の違いからきているのではないか。


 『人間は強くなければいけない。そのような心の弱さは克服しなければいけない。そのために、道徳教育がある。』

 そういう講師の先生は、子どもの実態を軽く見て、道徳的価値の押さえに傾斜のかかる指導をされていたように思う。『どの子にも、本時ねらいとする道徳的価値をしっかりおさえなければいけない。』とされた。おさえれば、どの子にも道徳的価値が身につく。もしそうでなかったら、それは、押さえが弱かったのだ。

 そうおっしゃっていたように思う。


 ここで、象徴的な場面を紹介させていただこう。すでに過去記事にある。

 授業と、その後の研究討議の様子を簡単に記させていただいた。下記リンク先記事のなかほど、『その先生の道徳の授業である。』からがそれにあたる。


    子ども一人一人の基礎・基本(1)

 授業で押さえたい道徳的価値は、『不撓不屈』だったのだが、それを、『勇気』ととらえた子がいて、その『とらえ』をどうみたらいいかといった話し合いだった。


 今のわたしに言わせれば、簡単なことだ。


 学ぶ主体は、子どもなのだ。

 馬を水場に連れて行くのはたやすいが、水を飲ませるのはむずかしい。

 馬自身に、水を飲む気持ちがなければ、周りはいかんともしがたい。

 せいぜい、水を飲む気にさせるにはどうしたらいいかを考えるくらいだ。


 それだから、結論ははっきりしている。この場合、『勇気』ととらえた子に対して、『それで十分。この子は成長した。』と担任が満足しているのであるから、それ以上無理する必要はない。

 子どものことを一番よく知っている担任をさしおいて、まわりがとやかく言っても、それは・・・、

 そうだ。いつも『はーと&はーと』ブログでお世話になっているkeiさんがおっしゃっている、『初めに子どもありき』にはならない。


 
 A先生は、当然のように、その子にとっての基礎基本は何かを大切にして、ご指導くださった。

 ひるがえって考えるに、A先生のようなタイプの方は、皆さん、柔和な表情をされ、笑顔がたえなかったように思う。まあ、そのような表情ばかりが印象として残っているのかもしれないが。

 逆に、一律な基礎基本という考えの先生は、どうも、苦虫をかみつぶしたような表情ばかりが印象に残る。

 ごめんなさい。決してそのような表情ばかりしていたわけではないと思うのだが、総じて無表情が多かった。


 
 さて、最後に、


 我が校はそのとき、道徳的な心情を養うことのみを研究の目的としていたのではなかった。冒頭述べたように、学級経営の研究だったのである。

 いわば、研究そのものは、人間性豊かな学級集団づくりをねらいとしていたのだ。もちろん、そこでは、道徳的な心情を育むことも不可欠となる。そういうとらえだった。


 してみると、どの子にも共通して押さえるべき基礎基本というとらえでは、学級経営上、こまった事態になることもあったのではないか。

 子どもの言葉で言わせてもらえれば、

「だって、本当のことじゃん。」
「〜ちゃんだけじゃないよ。ぼくだってやったよ。」
「だってこの前、先生、〜って言ったじゃん。」

 子どもにそう言われて、二の句がつげなくなることがないか。それは、子どもの言うことが正論(?)だからだ。ちょっと生意気なところはあるかもしれないけれどね。


 学級生活に限らず、実生活で、何が道徳的かは、むずかしいことがある。


 正直必ずしも、常に良いとは限らない。『バカ正直』という言葉もあるしね。

 また、『うそをつく』ことが、必ずしも悪とは限らない。人への思いやりがうそをつかせることもあるしね。

 また、同じことを言っていると思うのだが、『付和雷同』と『心の柔軟性』、あるいは、『首尾一貫・初心貫徹』と『頑固』というように、性格とか言動は同一(?)であっても、その言葉から受けるイメージはまったく逆になる場合もある。

 あげればきりがないね。


 だから、実生活においては、それこそ、柔軟性がほしいのだ。

 その際、金科玉条のごとく大切にすべきなのは、決まりきった杓子定規の道徳的価値ではないだろう。

 『人間性の豊かさ』。『心の温かさ』。それに尽きるのではないか。

 そして、そうしたかまえで、道徳の授業を行うことこそ、真の道徳教育になるのではないか。


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 つい最近も、自分の道徳の授業を紹介させていただきましたが、ここでも、また、紹介させてください。わたしの方から、葛藤場面を演出しています。

    正直に言ったら、すっきりしたよ。

 また、次は、道徳ではなく、子どもの大変な問題行動に対して、どのような指導をしたか、それをご覧いただきたいと思います。ホームページですので、文字は大きくなっています。

    コンパス事件 Aさんは悪くない



 

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2009年12月25日

真に道徳的心情を養うには、3

0401b2cd.JPG 先日、ある学校で、道徳の授業を見せていただいた。


 授業そのものは、整然としていた。

 子どもたちはいきいきしていたし、担任の発問によく手を上げ答えていた。意欲的な子どもたちだった。楽しそうに学ぶ様子がうかがえた。

 板書も分かりやすく、よく整理されていた。関係するものを線で結んだり、色チョークを使ったりしていた。また、とり上げたお話に登場する人物のイラストが貼られ、吹き出し風に文字が書かれるなどの工夫も見られた。

 参観している教員からは、『いい授業だ。』と評価する声もあった。



 しかし、待てよ。何か変だ。


〇担任の発問は、あらかじめ決まっているのだろう。こう問いかけ、その次はこうと。

 子どもの発言も聞きっぱなしという感じ。担任がいい答えと思うものについてはほめているけれど、それが深まるとか、前の誰かの発言と関係づくとか、そういう営みはみられない。

 だから、お話に登場する人物Aの行動、思いについての発言がほぼ出尽くすと、次は、Bの行動、思いについて発問するといった感じで、授業の流れは、プツンプツンと切れていた。

〇子どもの発言も、『カンタン、カンタン。』と言わんばかり。ただ、担任の発問に答えるだけ。それも、言葉は短い。

 たとえば、Aがどうしてそのように思ったかを問うと、

「言ったらかわいそうだから。」
「手紙を久しぶりにもらってうれしかったから。」
「言ったら、友達が気にしてしまうと思ったから。」
「大事な友達をなくしたくないから。」

 次、それと反対の行動を主張する登場人物Bについては、

「言わないと、また繰り返してしまうから。」
「他の人にも、やってしまうかもしれないから。」
「分かったとき、何で言ってくれなかったのと言われてしまうかもしれないから。」
「友達をなくしても、正しいことは言うべきだ。」

 子どもたちは淡々と答えているだけで、双方のあいだに価値の葛藤を感じている様子はなかった。

〇そうして、『(主人公の)Cさんはどうすればよかったのでしょう。』という発問に移ってしまった。

 これも、一斉に、『Bさんが言うようにすればいい。』という意見が相次ぎ、それでまとまってしまった。

〇わたしは、その授業をみて思った。

 みんな、『正義感が大切。』と言わんばかりだけれど、ほんとうに心からそう思っているの。もっと言わせてもらえれば、そうした行動がとれるの。

 子どもたちに、そう問いかけたくなった。

〇傑作だったのは、『どちらにも賛成。』と答えていた子が、2人いたことだ。まったく反対のことを主張するAとBなのに、どちらにも賛成ということはどういうことなのだろう。

 しかし、担任はこの発言を無視してしまったから、この2人の心のうちは分からない。



 授業の様子は以上だ。


 わたしからみれば、きれいごとで済んでしまい、これでは、とても、子どもの道徳的心情が養われたようには思えなかった。


 わたしの思いは、

・『正しい行動を』とか、『人に親切であれ。』とか、『規律ある生活態度を、』とか、そういうことの大切さを、子どもたちはよく分かっている。だから、ただ発言するだけだったら、カンタンなことだ。

 それどころか、こうした授業をしていると、『人には親切にしなければいけない。』と立派な発言をする子が、その舌の根もかわかぬうちに、休み時間など、友達にいじわるしたり、いじめて泣かしたりしている状況がある。


 
 授業後、ある友人Dさんと話した。

 Dさんは言う。

「指導者の意図通り、スムースに進んだ授業だったわね。それだけに、底の浅い授業になっちゃったわね。あれで、道徳的心情が養われたと言えるのかしら。

 特に、一人の子が、『言いにくいことだけれどちゃんと言うべきだ。』と『仲良しの友達なのだから、言わない方がいい。』のどちらにも賛成と言っていたのは、理解に苦しむわ。先生も、それについてとり上げなかったしね。」

「確かにそうだね。わたしもびっくりしたよ。でも、あれが、葛藤のあらわれだったら、わたしは評価したい。あの子は、言い方が分からなかっただけかもしれない。」

「それ、どういうこと?」

「うん。確かに、『どちらにも賛成』って言ったのだけれど、ほんとうに言いたかったのは、『ううん。よく分からない。Eさんが言ったことも分かるし、Fさんが言ったことも分かる。だから、ぼくは悩んじゃう。』ということだったかもしれない。」

「なるほど。そうした複雑な心を言い表すことが、あの授業ではできないというわけね。」

「そうだね。あの授業では、Aさんの気持ちを考えているときはAさん、そして、Bさんの気持ちを考えているときはBさんというわけで、思考が分断されてしまっているから、子どもは葛藤する必要がない。

 それなのに、最後は、見事に、『言いにくいことだけれどちゃんと言うべき。』という結論で終わったね。担任の言わせたいことが、子どもに見え見えだったからではないかな。」

「そうでしたね。無難ではあるけれど、子どもたちはあれで納得したのかな。」

「納得したとは思えないね。いや。いつもあのような授業を受けているから、納得したとか、しないとか、そんな思いにすらなっていないと思う。」



 そう。ここは、やはり、子どもの本音、価値葛藤、悩みなど、そうしたもやもやがふんだんに出てくる授業をしたいものだ。

 たとえば、

「正しいことは、やっぱり言うべきだ。でも、なかなか言えない。親友であればあるほど、言いにくい。」

などという意見が出れば、いいのだが。

 正義を貫くことと友情とは、ともに並び立たないことがあるというわけだ。『孝ならんと欲すれば、忠ならず』という有名な言葉があるけれど、こういうことは、実生活において、いくらも起こりうる。

 また、正直必ずしも美徳とは限らないし、うそも美徳となりうる。

 そういうことを真剣に考え合う授業でないと、空疎なのだ。



 ここで、一つの過去記事を紹介させていただこう。

 ちょっと長いし、わたしのやった授業を紹介させていただくので、自画自賛、我田引水のようになってしまうが、上記授業との違いを申し上げ、何が大切かを申し上げたいので、ぜひご覧いただきたい。

    正直に言ったら、すっきりしたよ。(道徳の授業)


 それでは、道徳の授業を行うにあたって、わたしが特に留意したことを申し上げよう。

〇日ごろから、子どもの言動をじっくりみとる必要がある。授業でとり上げる道徳的価値について、子どもたちに何もよさがないなどということはないのだから、そのよさをほめる材料として生かすようにする。

〇指導者の側から、子どもの発言内容を限定してしまうような発問は、極力控える。子どもたちに対しては、何を言ってもいいという態度を貫く。その代わり、本時おさえたい価値に限定できず、価値が拡散してしまう恐れもあるので、その点は、指導者が、整理してかかる必要がある。

〇子どもの自由な発言を大事にするということは、本音を大切にすることでもある。ただし、人権的な意味からも、無理はさせない。言いたくないことは言わなくていい自由も認める。

〇子ども同士で価値の葛藤が生まれれば理想的だが、出ない場合は、指導者側から、わざと反対の価値をぶつけるようにする。またきれいごとばかりになりそうなら、本音をぶつけるようにする。リンク先の授業では、『Dさんがいけない。』という子どもの思いに対して、『そんなにいけないとばかりも言えないのではないか。』とぶつけている。

〇同授業で、子どもたちは、それぞれ、自分の家庭のことを思い浮かべ発言している。これは自分ごととしてとらえているからだろう。だから、とてもではないが、きれいごとで済ますわけにはいかない気持ちになっている。

〇自分のつらかった思いを、勇気をふりしぼって吐露するBちゃん。このときは、泣き顔になっていた。顔を真っ赤にして言ったとも思う。

〇上記の、子どもをほめたくなる言動についてだが、

 何をどのようにほめるか。そこに、おさえたい道徳的価値が含まれる。そして、子どもたちが主体的に授業に臨むなかで、その道徳的価値を身につけることができるようになると思われる。


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 きれいごとで済ませない授業、本音の出る授業、それは、子どもたちにとっては、何でも自由に言える授業、何を言っても、担任や友達がそれを大事にしてくれる(反論も含めて)授業ということだと思います。

 そして、真剣な話し合いの中で、自分の思い、考えをさらけ出すからこそ、道徳的価値が自分のものになっていくのではないでしょうか。

 逆に、建前ばかり、きれいごとで済む授業は、どうしても子どもの発言に軽さを感じてしまいます。


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2009年05月27日

道徳の授業 初任者指導をかねて5

d9ca7365.JPG 先の、『子どもの無限の可能性を信じよう。』の記事の末尾に、


 (同記事でとり上げた)授業については、近日中に、姉妹ブログである『小学校初任者のブログ』でも、初任者指導の観点から、とり上げてみようと思っています。

 入稿したら、リンクさせていただきますので、そちらの方もよろしくお願いします。


とお知らせしました。


 大変遅くなり、申し訳ありませんでしたが、

 このたび、同ブログに入稿しましたので、リンクさせていただきます。よろしければ、ごらんください。

 初任者のAさんからいただいたメールは、子どもの日記の引用などもあり、大変感動的なものでした。


    道徳の授業のあり方は、
 

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2009年05月22日

道徳教育の現状は?4

675cec88.JPG 何年ぶりだっただろう。先日のことだ。

 退職したもの同士、二人で楽しく飲むことができた。


 わたしは社会科、Aさんは道徳というように、所属する研究会は違っていたが、最後の10年くらいは、ともに仕事をすることがふえ、

 また、同じ地域の小学校長として情報を交換し合った仲ということもあり、年賀状のやり取りで、どちらからともなく、『また、飲みましょう。』ということになった。


 ちょっと蛇足を。

 不可解なことがある。わたしたちは、同じ学校に勤務したことはない。

 これは、わたしたち教員仲間に限ったことではないと思うが、

 今は親しくお付き合いいただいていても、そもそも、その出会いがいつだったか。何をきっかけにお付き合いいただくようになったのか、それを思い出せないケースは多いのではないか。

 Aさんとの出会いもそうだった。いつのまにか、自然にといった感じなのだ。



 再会はうれしかった。

 最初こそ、『久しぶり。』『おお。お互い元気でよかった。』などと、なつかしんだものの、すぐに、現職中の、しょっちゅう顔をつき合わせていたときの気分に戻った。それがおかしかった。



 さあ。話の中身だが、


〇まず、話題となったのは、道徳教育の現状についてだ。

 現状に問題があるとしたら、どのような問題があるのだろう。

 初任者に限らずだが、道徳の時間がお説教になっていることはないか。
 また、道徳が、日々の生活指導と、たいして違わないということはないか。

 若い先生の指導を見ていると、そんな懸念があるのだ。それでいいと思っているフシもある。

 おそらく、自分の子ども時代、そういう授業を受けていたのではないかと思われる。


 もちろん、学級に問題が起きたとき、お説教に走る。それは分からないでもない。

 だが、道徳とは、年間の教育計画に基づき、意図的・計画的に、道徳的な価値の追求を目指し、道徳的な心情を養うことを目的として行うものであって、即時即場的指導とは違う。だから、それは、道徳とは切り離して行うべきだろう。

 
 お説教に関し、お酒の場ではあったが、道徳の大家がおっしゃるには、

「一方的なお説教で、子どもがどれだけ心を揺さぶられるか。『そうだ。先生の言う通り。ぼくたち、わたしたちは反省しなければいけない。』そう思うかどうかだね。そこは問われるところだろう。指導者の自己満足で終わってしまうのなら、やらないほうがいい。
 指導者と子どもとが、強いきずなで結ばれていれば、それも期待できよう。
 しかし、そうであったとしても、それは道徳の授業とは、一線を画するものだ。
 
 道徳の時間では、児童自らが道徳性を育むことをねらうし、それが実感できなければいけないし、また、伸びようとする意欲をもつようなものでなければならない。

 そうなると、一方的なお説教では、どうもね。」


 わたしは、この話をうかがっているとき、先の『見せかけ、まやかしの民主主義』でとり上げた、『返事を返してこない児童はひじを掴んでひき戻し、もう一度一層大きな声で挨拶の言葉をかけて返事を待つ。』姿を思い浮かべていた。

 その話をすると、

「それは、お説教よりもっとひどいね。有無を言わさず体罰的に行っているし、言葉かけもない。
 児童の心情を養う面から考えれば、マイナスの効果しかないだろう。つまり、『こわいから言うことはきくが、反発心も起こるだろうし、心情的には、ねじ曲がってしまうだろうね。」

 
〇次に、わたしが最近気になっていることを聞いた。わたしが若いときは、道徳の授業は、前述の通り、道徳的な心情を養うものであって、道徳的な実践力を求めるものではなかったと思う。しかし、今は、その点、どうも違うようなのだ。

 この点、学習指導要領を調べてみると、

・平成10年度版では、『〜、道徳的価値の自覚を深め,道徳的実践力を育成するものとする。』とあるのに対し、

・昭和43年版、すなわち、わたしが初任だったころのそれを見ると、『〜、児童の道徳的判断力を高め,道徳的心情を豊かにし,道徳的態度と実践意欲の向上を図るものとする。』

とある。


 やはり、明らかに違うよね。

 むかしは、『道徳的判断力、道徳的心情、道徳的態度、実践意欲の向上』とあるように、『実践』という言葉は使われているけれど、あくまで、『心情』を養うことをねらうのに対し、今は、『道徳的実践力』となっている。



 よく聞く話なのだが、

 「Aちゃんは、道徳の授業だと、いいことをたくさん言うのよね。だけど、実際の生活では、それが伴わないのよ。」

 ようするに、言葉と実践とが乖離し、何が正しいか分かっていても、行動が伴わないというのだ。

 そういう方は、『だから、道徳の授業をしても意味がない。』といった感じをもたれるようだ。

 とかく教員にとって悩ましくなるのは、

 『授業ではすばらしい発言をする子どもが、日々の生活では、友達をバカにしたり、問題行動ばかりとっていたりして、その発言が行動につながっていかない。』ということではなかろうか。

 そういう場合、はたして、『だから、道徳の授業は、意味がない。』となるのだろうか。

 
 これに関し、上記、道徳の大家がおっしゃるには、

 「それは違うのではないか。そういう先生は、そういう子どもの発言を、『口ほどにもない。』と思っているのだろうが、そういう発言をしたその瞬間のその子の心は、まさに、『その発言の通りに生きようと思っている。』と、信じてやるべきではないのか。」

 これは、すばらしい言葉だ。そう思った。ピグマリオン効果という言葉もあるくらいだものね。だからこそ、道徳の授業は大切にしたい。


〇ところで、学校が行う道徳教育は、

 以上述べてきたような、特設された道徳の時間と、全教育活動を通して行う道徳教育とがある。


 学習指導要領にも、

・学校の教育活動全体を通じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする。
 
・道徳の時間においては,〜,各教科,特別活動及び総合的な学習の時間における道徳教育と密接な関連を図りながら,計画的,発展的な指導によってこれを補充,深化,統合し,道徳的価値の自覚を深め,道徳的実践力を育成するものとする。


 そう。日ごろ行う道徳的な指導に関し、道徳の時間は、それらを補充、深化、統合する時間なのだ。

 だから、上記、子どもの思いと行動が乖離しているように見えても、実は、道徳的価値の自覚は進んでいるのだと信じてやろう。それが、道徳的な実践力につながる近道だと信じてやろう。そうでないと、その子の道徳的実践力の育みは、スタートにも立てない。

 そう思った。


 なお、以前も記事にさせていただいた、上記、補充、深化、統合の一例だが、

 子どものすばらしい言動があったとき、

 『うわあ。Bさんの今の行動、すばらしいね。この前、道徳で学習した、くまさんのやさしさを思い出しちゃったよ。』

と言えば、学級全員が、瞬時に、Bさんの行動の意味とか、価値とか、そういうものを理解するであろう。そうすると、それは、道徳的な実践力の育みに結びつくというものだ。

 わたしは、Aさんにそのようなことを言った。


〇ここで、前記事『子どもの無限の可能性を信じよう。』でとり上げた、最後に感動とともに聞いたMさんの発言を、再掲させていただこう。

 「『ぼく』(主人公)は、自分があわてんぼだっていうことを分かっているのにね。だから、自分にあわてんぼって言えばよかったのに、ぶつかった男の子に、あわてんぼって言っちゃったからね。それで、びっくりしちゃって、むしゃくしゃした気持ちになっていたと思う。

 それで、あわてんぼって、人に言っちゃったことをすごく後悔していたからね。だから、次の日は、『いいんだ。拾ってくれてありがとう。』ってやさしく言うことができた。」

 この発言以降、Mさんの日ごろの表情がガラッと変わった。すごく明るくなっている。笑顔が多くなり、素直で、学級生活が楽しいといった感じになってきた。だから、ふてくされるといった感じはまったくない。


 そう。

 表情がガラッと変わっただけでも、またふてくされなくなったというだけでも、『道徳的な実践力が養われつつある。』と認めてやろうではないか。


 わたしは思う。

 先の、『道徳的な心情を養うことが目的か、道徳的な実践力を養うことが目的か。』に関してだが、あまり、実践力、実践力と、大上段に構えないほうが、かえって実践力が養えるのではないかと。


〇最後に、わたしは、Aさんに対して、失礼なことを言った。

 いや、Aさんに対してというよりも、『道徳の指導に関して、』と言った方がいいのかもしれない。

 それは、

「道徳の授業は、パターン化されているから、初任者指導としては取り組みやすいのだよね。」

ということだった。

 Aさんに言われてしまった。

「確かに、パターン化されてはいる。しかし、その成否を決定する要因を考えれば、実に奥の深いものだ。」

 そう。それは分かる。

 簡単に申せば、日ごろの学級経営そのものが問われるということだ。

 日ごろの指導者の児童対応の通りに、子どもは育っていくのだもの。こわいといってもいいくらいだ。


〇わたしは、ここで、『インディアンの教え』を想起する。

 今、リンクさせていただいたが、リンク先の冒頭に、『自分が父親になるかもしれないという思いで読むと、胸に染み入るものがあります。』とある。

・ああ。父親か。

 胸が痛む。

 もう一度、父親をやり直したい気分だ。


 実は、今、

 初任者指導を通して、学級担任としては、やり直しがきいている気分のときもある。

 しかし、父親をやり直すことは、もう今さら、無理だものね。


・別なことも言わせていただこう。

 今は、民主主義の時代。男女平等の時代。

 このインディアンの教えは、何も父親だけではないよね。

 母親にも、そして、教員にも、『胸に染み入ってくれればいいな。』という言葉だ。

 Aさんが言った、『奥の深さ』も、実はここにあるのではないか。

 
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 冒頭、『お説教に走るのは、分からないでもない。』と書かせていただきました。しかし、これはやはりまずい。

 今でも、初任者のクラスの子たちにやってしまうことはあるのですが、できるだけ、子ども自身に考えさせる方向で、働きかけたほうがいい。そう思います。


 また、道徳の授業のパターン化については、

 これは、前記事でも予告させていただきましたが、近日中に、『小学校初任者のブログ』に、道徳の一授業の様子を掲載させていただきますので、そこで、くわしくふれさせてください。よろしくお願いします。


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2009年02月06日

子どもの自己認識力を、より確かなものに。3

49891055.JPG 学級担任なら、子どもの姿を日々記録することだ。もちろん、すべての子を毎日記録することは不可能。

 でも、『一週間たったら全員の子を記録していた。』というくらいにはがんばってもらいたい。


 そして、それを時々は見直す。

 すると、『今』とくらべ、子どもの変容、子どもの成長に驚かされることはよくある。


 ちょっと、今、わたしが担当しているBさんにかかわる過去記事を読み返してみた。

 あらためて驚いたことがある。

 記事は、『初任者の成長(8)』だ。

 ここに登場するAちゃん。

 今はまったくふつうの子だ。あまったれたところなど、みじんも見せない。そして、発表力は今もすばらしいものがある。


 わたしが驚いたのは、わたしがかつてのAちゃんの甘えん坊の姿を、もう忘れていたことだ。わずか半年ちょっと前なのに。


 そう。わたしのことで、すべてを論じてはいけないが、人間て、忘れっぽいものだよね。


 今、目の前にある子どもの問題行動。気になること。

 それはいやおうもなく気づかされる。

 しかし、それがなくなり、気にならなくなると、『目の前では、もう何もしていないので、忘れてしまう。』というわけだ。

 そして、その場合は、まったく別なことが気になっていることも多い。


 今、記録を読み返すことにより、そんな自分を反省するのだ。過去のAちゃんを思い出すと、今の成長した姿にいとおしさすら感じる。


さて、さらに、考察の目を加えてみると、

 先のリンク記事における結論は、『初任者の変容と、子どもの成長とは、同時進行。』ということだった。

 そうなのだ。

 今、とり上げたAちゃんの変容にしても、やっぱり、初任のB先生の変容ぬきにしては語れない。

 子どもへの声かけに調子の合わない感じを覚えたり、

 子どもをぐいぐい引っ張ったり、『これは重要ですよ。しっかり覚えようね。』などと言ったりしたことは、もうまるっきり過去のことで、

 『子どもの発言をよく聞き、子どもの思いを引き出そうとする姿』は、すっかり定着した。


 そうなると、

 子どもの何気ない言動のなかに、感動のタネの芽吹きを感じるようになる。このクラスに、春は早くもやってきた。


 今日は、一つ、その感動のタネの芽吹きをお伝えしたい。



 ある日、朝の会で、B先生は、子どもをほめた。

 そうだ。この『ほめる。』も、すっかり定着してきたね。

「昨日ね。とってもうれしいことがあった。Dちゃんが、わたしに、『B先生。最近、このクラス、ずいぶん変わったね。』って言ったのだ。わたしも、すごく変わったと思っていたから、とってもうれしかった。・・・。みんなは、どう思うかな。」

 そうすると、口々に言う。

「変わってないよ。」
「そう。ぜんぜん変わってない。」
「おおんなじ。おなじだよ。」


 これは、意外な声。わたしは、教室の後ろにいたが、ズッコケテしまった。

 わたしも、このクラスの変容はいろいろ感じていたし、折にふれて、Bさんにも話してきたから、『何だろう。この声は。・・・。テレているのかな。・・・。それとも、自分で自分のクラスの状態を認識する力がないのかな。』

 そう思った。

 それで、放課後、Bさんに言った。

「Dちゃんの気づきを、ともに喜んだのはすごくよかった。それを学級全体に返したこともよかったよ。でも、その後の、子どもたちの反応は意外だったね。

 それで、これは結果論だが、

 子どもに聞くのではなくて、Bさんの思いを子どもたちに話してやったほうがよかったな。『みんなは、こう、こう、こういう点で、Dちゃんの言うとおり、ずいぶん変わったと思うよ。だから、とても感心しているのだ。』というようにね。

 そういうことを通しても、子どもたちは、自分で自分たちのクラスを客観的に見る力が養われるだろう。」


 でも、後日、このわたしの言葉は、まったく、当たっていなかったことを知る。子どもたちの意外な反応は、やはり、『テレ』だったようだ。

 まじめに、真剣に考える場面では、まったくそのような反応はなかった。



 さて、その、『後日』のこと。


もう今年度も残りわずかとなり、若い先生を中心に、『toshi先生の授業を見せてください。』という声が聞こえてくるようになった。校長先生のご理解もいただいたので、先日道徳の授業を行うことになった。

 指導内容は、『愛校心』。


 それでは、授業の様子を要点のみだが、書かせていただこう。
 
 初めに、

「このクラスがいいなあ、楽しいなあと思うことは、どんなことですか。」

と問いかけた。


 すると、次々に、発言した。

C「おもしろいクラス。」
C「騒がしいクラス。」
C「ええっ。騒がしいっていうのは変だよ。それじゃあ、いいところじゃなくて、悪いところみたい。」
C「じゃあ、にぎやかなクラス。」

 これなら異議ないみたいで、みんな納得した。

C「けんかが少ない。」
T「ほう。そうか。わたしもそう思っていたけれど、みんなもそう思うか。」
C「4月からくらべれば、けんかが減ったよ。」

 おお。これは、本記事冒頭に書いた『人間は忘れっぽい。』の反対で、記録などないにもかかわらず、まして、子どもなのに(いや。失礼!)、よくとらえているものだ。わたしは、舌を巻く思いだった。


 もう一つ。すてきな表現があった。

C「スマイルの多いクラスだよ。」
T「うわあ。しゃれた言い方だね。・・・。スマイルってみんな分かるかな。」
C「うん。分かるよ。笑うっていうこと。」
T「そうだね。笑顔が多いっていうことだな。」


 わたしは、うっかりした。これは、学級目標の一つだったのだ。

 それと関係づけることができれば、ああ、すてきな意味づけ、価値づけができたのに。Bさん。ごめんなさい。


 まだ、言いたそうな子もいたが、それは最後に言ってもらうことにして、副読本の教材文を読むことにした。


 お話には、

『学校をもっと楽しくするためには、』ということで、3年生のある学級の話し合いの場面が登場してくる。

 『もっと楽しく』の話し合いのはずなのに、上学年のよくないことばかり出てしまう。それで、議長役の子が、『もっと楽しくなるようなことも言ってください。』と投げかけると、やっと、いいことも出てきて、学級がなごやかな雰囲気になったという話。


 ところが、このお話をめぐっての話し合いになると、急に、学級の雰囲気がかたくなり、発言はあまりでなくなってしまった。

 これは意外だった。

 『発問はできるだけしない』主義のわたしとしては、授業が進めにくくなった。

 それでも、子どもから出たのは、

「最初、お話に出てくるEやFはえばっていていけないけれど、あとで反省したから、それはよかった。」
「4年生は、3年生に、『1年生が遊んでいるのに、遊び場を横取りしていいのか。』って言うけれど、その4年生だって、別なときは横取りしているのだから、人のことは言えない。」

 それで、また、シーンとしてしまった。


 わたしとしては、後ろで数人の若い教員が見ているから、ちょっと、その意外な感じに、内心、とまどいを覚えた。『なんだろう。このクラスで、このようなことは初めてだ。いつももっと発言するのに。』と思いながらも、それはおくびにも出さないようにして、努めてふだんどおり、明るく振舞うようにした。


 再び、元気よく発言するようになったのは、

C「ぼくたちのG小学校は、こんなことはないよ。上級生はみんなやさしい。」
C「そう。『ぼくたちが遊ぶのだから、どけ。』なんて言う人はいない。」
C「うん。えばってないよな。」
C「ぼくたちが遊んでいると、『ああ。ここは、3年生が遊んでいるのだな。じゃあ、ぼくたちは向こうで遊ぼう。』っていう感じで、なんか自然に、遊ぶ場所が決まっていくよ。」

 わたしは、『こういう流れなら、もっと上級生のすばらしさを出させよう。』と思って、次々出る子どもたちの発言を聞いていた。


 ころあいを見て、投げ返す。

T「分かった。このG小学校の上級生はみんなやさしいんだ。じゃあ、この副読本のお話の学校より、このG小学校のほうがすばらしいっていうことだね。」

 うなづく子どもたち。


 それで、わたしは続ける。

T「そうか。分かった。そのように、上級生がやさしいから、このクラスのみんなもやさしくなって、それで、けんかが減った(冒頭の発言で板書したところを指しながら、)のかな。」

C「うううん。そうじゃない。このクラスのみんながやさしくなったから、けんかが減ったのだと思う。」

T「そうか。同じ、『やさしい。』なんだけれど、それは、上級生がやさしいおかげっていうのではなくて、自分たちは自分たちでやさしくなった。そう言いたいのだね。」

 うなづく子どもたち。


 そうか。

 この場合、わたしの『関係づけ』は、ちょっと無理があったようだ。

 関係づけできなかったり、逆に、無理に関係づけようとしてしまったり、この日のわたしは、反省だらけになってしまった。


 
 以下、途中は省略させていただいて、

 終末の場面に移ろう。

 
T「みんなが、『このG小学校の上級生は、えばっていないよ。やさしいよ。』って言ってくれたことは、わたしもすごくうれしかった。その声はね。4年生、5年生、6年生の先生方に伝えよう。すると、各クラスで、子どもたちに言ってくれると思う。みんなの声をね。

 ところで、このクラスのDちゃんが、B先生に、『最近、このクラス、ずいぶん変わったね。』って言ったのだったね。それを聞いて、わたしもすごくうれしかった。

 そこで聞きたいのだけれど、変わったっていうのはどのようなことがあるのか、言える子はいるかな。さっき、やさしいからけんかが減ったというのは出たね。それと同じでもいいし、違うことでもいいから、言える子は手を上げてね。」

 すると、ふだんあまり発表しないDちゃんを含め、7人手を上げた。Dちゃんは、変わったと言った張本人(?)だから、最後に指名することにした。


C「やさしくなったに付け足しで、少しずつやさしくなった。」

 おもしろい言い方だなと思ったわたしは、
T「そうか。少しずつか。いっぺんにやさしくなったのではないよって言いたいのかな。」
C「そう。だんだんだんだん、ゆっくりゆっくり変わっていったの。」


 ここで、授業の流れを中断させていただいて、わたしの独り言。

 この発言をしたHちゃんは、わたしが着任した初日。もうその日は、4月20日近かったが、担任のBさんの言葉にものすごく腹を立て、

 それこそ、そんなに腹を立てるようなことではないとわたしは思ったのだが、

 とにかく腹を立て、それからしばらく机に突っ伏していた。そこには、『絶対顔を上げまい。』といった意志を感じ、いささか、驚かされたのだった。


 今となれば、なつかしい思い出だ。

 そのGちゃんが、『ゆっくりゆっくり、〜。』などと言うものだから、実に感慨深いものがあった。

 あっ。そうだ。この、Gちゃん。

 先に述べた、「変わってないよ。」「そう。ぜんぜん変わってない。」「おおんなじ。おなじだよ。」の一人でもあった。

 それが、この場面では、こんなにも緻密、繊細に、クラスの変容を語る。なんかジーンとしてしまうな。やはり、『ぜんぜん変わっていない。』はテレが言わせた言葉だったのかな。

 独り言、終わり。授業に戻ろう。


C「泣く人がいなくなった。」
という発言もあった。

 ごめんなさい。またまた、独り言です。

 そうなのだ。よく泣く子がいたっけ。過去記事にある

 この記事に登場するIちゃん。リンク先記事では、Bちゃんのことだが、このIちゃんはもう、ここ数ヶ月。まったく泣いていないのだそうだ。

 でも、この、「泣く人がいなくなった。」は、留意点あり。それは最後にふれる。



 また、授業に戻ります。

C「係の仕事をよくやるようになった。」
C「つけたしで、お掃除もしっかりやるようになった。」


 
 すみません。もう一人、Dちゃんの発言はあとまわしにさせてください。


 ここで、わたしから話をすることにした。

 道徳は、最後、『先生のお話』で終わるのが一つのパターンとしてある。

 もちろん、お説教するためではない。子どもたちのやる気、意欲を培うため、そして、自己肯定感を抱かせたり自己認識をより確かなものにしたりするために話す。

T「そうか。ようく分かった。みんな、このクラスの子たちはすばらしく成長したと思っているわけだ。自分で自分たちのことをそのように思えるということがすばらしい。それが、どれだけ自信となるか分からない。

 ところで、さっき、「泣く人がいなくなった。」というのがあったけれど、これはちょっと、お話するね。(かげの声だが、わたしには、Iちゃんの『よく泣いていた』ことが意識としてある。)

 確かにそうだと思う。ほんとうに、最近、このクラスで泣く人を見たことがない。でもな。このようなことが発言として出てくると、『ああ。もうこれからは、泣いちゃあいけないんだ。』って思う子がいるかもしれない。もしそうだったら、それは違うぞ。

 人間、泣きたくなるようなことは誰だってある。泣きたくなったら泣いていいよね。・・・。」

C「そうか。toshi先生。泣く子がいなくなったのではなくて、『泣きたくなるようなことが減った。』のだ。」

T「ああ。いいねえ。そうだね。それなら、いい。みんな仲良しだから、今は、泣きたくなるようなことがないんだね。・・・。うん。いいなあ。これなら、泣きたくなったら泣けるものね。」



 自己認識。

 自分で自分を客観視することができるということ。それもひとつの学力だ。

 自分に自信をもつことができるということ。

 友達も、自分と同じように、自分を客観視しているのだと認識できること。

 それが、Dちゃんの『みんな変わったね。』という言葉に現れているように思える。



 ただ、二つほど。子どもに見えていないこと。


その1

 それは、この子どもたちの変容は、担任であるB先生の変容と同時進行であったこと。これは、子どもの目に見えていない。

 でも、それはそれでいいのだ。

 『わたしたちが変容できたのは、B先生のおかげ。』と思っていたのでは、それは自己認識につながらないもの。

 やはり、『自分たちが成長したから、ゆっくりゆっくりではあるけれど、確実に成長したから、だから、変わったのだ。』そう思ってほしいし、そう思ってもらえるような指導を心がけたい。


その2

 これは、授業が終わってから気づいたことだが、この授業で、副読本の話をとり上げたら、急にシーンとなってしまったわけ。

 それに気づかされた。

 おそらく、子どもは、それに気づいていないだろう。『何となく、発言する気分ではなくなった。』そのような感じではないか。



 つまり、こういうことだ。

 自分たちは、仲良しだ。けんかもほとんどしない。わがままを言ったり、えばったりすることもほとんどない。それは、G小学校の上級生も同じ。

 それにくらべ、この副読本に出てくる小学校は、ちょっとひどい。下級生は上級生にえばられてかわいそうだ。

 そう思ったら、なんだか発表しにくくなってしまった。


 もし、それが当たっているなら、これも自己認識の現れと言えよう。ああ。そして、シーンとしたことだって、すばらしいことになるのではないか。



 最後に、お待たせ。

 張本人(?)のDちゃんにご登場願おう。

C「わたしはね。みんな、よく発表するようになったと思う。」

 そうなのだ。よく発表するようになったのに、本時はシーンとしてしまった。

 これは、わたしの教材文選択のミスと言えよう。問題行動の多いクラスの教材文などは、使うべきではなかった。


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 本日の結論は、過去記事にも書いたことがあります。よろしかったらご覧ください。

    教育の真髄

 冒頭、子どもたちの日々の姿を記録するといいと書かせていただきました。それは貴重な思い出になるのですね。

 でも、思い出にとどめておいたのでは、ちょっともったいない。

 やはり、子どもの成長のカテに。そのための支援に。つまり、自ら伸びようとする心を支えてやるために、利用するといいですね。

 あれっ。最後は、なんか、保護者の方に言っているような感じになってしまいました。すみません。


 もう一つ。今日の記事は、初任者のBさんや子どもたちはすばらしくなっているのに、わたしは反省ばかりで、そういう意味でも、すみませんでした。

 まったくいくつになっても反省ばかりです。 

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2008年10月03日

正直に言ったら、すっきりしたよ。(道徳の授業)4

53d908b0.JPG 楽しい授業だった。3年生の道徳。初任者指導の一環として、わたしが初任者のクラスで行った授業である。

 ここのところ、初任者である担任の努力により、このクラスは、雰囲気が落ち着きつつある。学級内にときにみられたとげとげしさが薄れ、多くの子の表情が柔和になってきた。

 いきなり話がそれてしまうので恐縮してしまうが、最近、驚いたことがある。以前、『このクラスの学力は低いと思う。』などと、子どもに大変失礼なことを書いたが・・・、算数の割り算だ。
 よく理解するようになった。一生懸命解いているさいちゅうのみんなのノートを見て、その顕著な変化に感動すら覚えた。

 特筆すべきは、何のちゅうちょもなく、きわめて自然に、絵や図を書いて解こうとする子が何人もいたことである。わたしは、週2日だけこのクラスに入るわけだが、『日ごろの指導の成果だ。』と、初任者を絶賛した。


 さあ。それでは、道徳の授業に戻ろう。今日はかなり長くなってしまうが、お付き合いいただけたら幸いである。

 指導内容は、『正直・誠実、明朗』となっている。教材名は、『電車ちん』。

 今、出版社の許可をいただいたので、その全文を採録させていただく。(教育出版株式会社刊『心つないで』3年)



    電車ちん


 まさおは、お父さんとお母さんにすすめられて、水えい教室に通うことにしました。水えい教室は、まさおの家から少し遠いところにあるので、えきまでは自てん車をつかい、えきからは電車で行きます。
 毎週、水曜日と土曜日、まさおは、休まずに通いつづけました。まさおの水えいは、目にみえてうまくなりました。
 ある日、まさおは、ふと、あることを思いつきました。それは、少しつかれるけど、電車にのらないで自てん車で通えば、行き帰りの電車ちんがもうかるではないか、ということでした。
 まさおは、さっそくじっ行してみました。かた道八十円、行き帰りで百六十円のお金で、おかしを買いました。(このことは、お母さんにはないしょにしておこう。)まさおはそう思いました。その時、
「はい、電車ちんの百六十円。交通じこには気をつけなさいよ。」
と言って、おくり出してくれるお母さんの顔が、ちらっと頭にうかびましたが、すぐきえてしまいました。しかし、家に帰ってお母さんの顔を見た時、なぜかむねのおくが、ちくりといたくなりました。まさおはまよいましたが、お母さんには何も言いませんでした。

 こういうことが二回、三回とつづくうちに、まさおはだんだんへい気になってきました。そして、電車で通ってきているけんじくんに、百六十円を見せて、とくいがってみせたのです。けんじくんは、はじめびっくりしたような顔をして、まさおの話を聞いていましたが、
「よし、ぼくもやろう。今ど、一しょにおかしを買おうね。」
と、うれしそうに帰っていきました。まさおは、けんじくんの後ろすがたを見ているうちに、きゅうに、(ぼくは、大へんなことをしてしまったのではないか。)と思いました。


 教材文は以上である。

 わたしは、このお話を読み、指導内容は、『正直』にしぼろうと決めた。
 その理由は、
・3年生の子どもに、『誠実』は抽象度が高いと思ったし、
・『明朗』については、このお話の主人公は、『よくないことをして反省した。』のだ。どちらかと言えば、明るい話ではないし、まず、子どもからは出てこないだろうと思った。
・『正直』なら、このクラスの子どもたちが正直にふるまう姿は、何回かみてきたので、それらをとり上げて称賛しながら、『正直』にかかわる道徳的心情をさらに養うことができる。
 そう考えたからである。

 そこで、冒頭、
「これまで、『正直に言えてよかったよ。』とか、『正直に言えなくて反省したよ。』とかいうことがありましたか。」
と問いかけた。この段階では、まだ教材文は提示しない。

 しばらくの沈黙のあと、Aちゃんがつぶやく。独り言のような感じだったが、声は大きかった。
「いつも正直に言っているものなあ。」 
予想もしていなかったつぶやきだ。わたしは驚いたが思わずニヤッとしてしまった。
「そうか。Aちゃんは、いつも正直なのだ。・・・。分かった。いつもだから、特別、『よかったよ。』なんて思ったことはないっていうことかな。」
 やはり、ニコニコッとしながら、うなづく。
「だって、お母さんは、正直に言えば、いつも、『いいよ。』って言ってくれるもん。」
 やさしいお母さんだね。

 そうしたら、Bちゃんが挙手。
「ぼくは、ときどき、正直に言わないこともある。『友達にぶたれた。』とか、『悪いことを言われた。』なんていうことは、お母さんに言わないこともある。」

 これは少し、『正直とは、ずれるな。』と思った。『正直』というのは、『自分がいけないことをしたときでも、それを正直に言うことができる。』という感じだからだ。Bちゃんの場合は、友達へのやさしさとか、『親に心配をかけたくない。』というか、そういう気持ちのようだから、『思いやり』という感じだ。
 それで、軽い調子で、
「どうしてお母さんに言わないのか、それも言うことができるかな。」
と問いかけた。が、ちょっとこまったような表情を浮かべ、言えないようだった。そこで、無理じいはやめることにした。

 「それではね。今日とり上げるお話をわたしが読みます。このお話の主人公は、まさおといいます。
 さあ、まさおは、正直に言うことができたので『よかったよ。』って思ったかな。それとも、正直に言えなくて反省したかな。そんなことを考えながら、聞いてください。」

 そうして、全文、読む。子どもたちは全員、この副読本を手にしている。

 読み終えて、先ほどと同じ発問をする。そうしたら、『正直』とか、『反省』とかにふれる子はいなくて、もう、『まさおはいけない。悪い。』という意見に集中した。子ども主体の学習、子どもの思いによって進める学習だから、これはこれでいい。子どもたちの意見を聞くことにした。
「まさおはいけないよ。勝手にお菓子に使っちゃったのに、お母さんに黙っているから。」
「お金を違うことにつかっている。お母さんは電車賃と言ってわたしたのだから、お菓子に使ってはダメ。だから、悪い。」

 ここで、『無駄づかいだよ。』と、声がかかる。
「友達に見せびらかしているのもいけない。悪いことに誘っている。」
「水泳におかしをもっていっちゃあ、だめ。」

 子ども主体の学習におけるむずかしさの一つに、学習内容の拡散がある。上記発言においても、最初こそ、『正直』にかかわるが、あとは、『誠実』、『公徳心』にかかわる発言だ。こういうとき、無原則に子どもの発言に流されると、何が指導内容かがあいまいになっていく。

 そのようなことを意識しながらも、『まさおはいけない。』一辺倒だったから、わたしから揺さぶりをかける。
「そんなにまさおはいけないかい。お金の使い方をちょっと変えて、それを言わなかっただけではないかな。別に人のお金を取ったわけではないし、まさおはその分、自転車で水泳教室まで行って、がんばったわけだし。」

「それはいけないよ。だって、お母さんは、電車賃と言ってお金を渡しているじゃん。だったら、ちゃんと電車に乗っていかなければダメだよ。」
「でも、まさおはがんばってるよ。全部自転車で行ったら汗だくになっちゃうしつかれちゃうから、そんなに悪くない。」
 ここでおもしろかったのは、Aちゃん。
「ちゃんとお母さんに言えばいいのだよ。『電車に乗らないで、全部自転車で行くから、電車賃でお菓子を買ってもいいですか。』って聞けば、お母さんは、『いい。』って言ってくれるかもしれないよ。」
 Aちゃんのお母さんは、ほんとうにやさしいのだね。きっと、何を言っても、正直に言えば、叱らないのだろう。そう思われた。

 そうしたら、反対論が相次ぐ。
「いいなんて言わないよ。だって、お母さんは、交通事故が心配なのでしょう。『交通事故に気をつけなさいよ。』って言ってわたしているのだから、全部自転車で行って、もし交通事故にあったら大変だもの。」
「そう。やっぱりお母さんに言わないで、もし、車にひかれちゃったら、お母さんは悲しいし、やっぱり言わなくてはダメだよ。」
「正直に言っても、お母さんは、お菓子代にしていいとは言わないと思うけれど、でも、やっぱり言わなくてはダメ。」

 わたしは、言う。
「そうか。やっぱりちゃんと、お母さんに言って、お母さんは、『いいよ。』とは言わないかもしれないけれど、でも、(板書冒頭の『正直に言ってよかったよ。』の部分を指しながら、)正直に言えば、よかったよっていう気持ちになるのかな。」
 正直という価値に焦点を当てようとするが・・・、なかなか思うようにはいかない。

 Cちゃんである。
「全部自転車で行って、電車に乗らないのなら、お母さんにそう言って、お金を返さなければいけない。」
 Cちゃんのおうちは、お寺である。さすが、『正義感が強い。』と思われた。Aちゃんの、『やさしいお母さん』もそうだが、やはり、家庭環境は、発言内容に強く反映される。

 ここで、Dちゃんの発言となる。
「まさおはうちに帰って、お母さんの顔を見たとき、胸の奥がちくりと痛くなったでしょう。だから、まさおだって、『いけないこと』って、分かっている。」
「『大変なことをしてしまった』と思ったとも書いてあるよ。だから、やっぱりダメだよ。」
「ここはね。友達のけんじくんをさそっているでしょう。だから、もっといけない。だって、けんじくんまで交通事故にあったら、お母さんは謝らなければいけないもん。」 
「自分一人だけじゃなくなった。いけないことにさそっているから、もっといけないことになっちゃった。」
「そう。お母さんに悪いよ。」

 ちょっと蛇足だが、子どもたちはよくお話を読み取るようになった。4月のころは、教科書すら開かなかった子が多かった。読んでも、誤読が多かった子どもたちだ。この点でも、すばらしい変容に、感動してしまう。もっとも、ほんとうなら、このくらいの読み取りはできて当たり前なのだが。

 そう思っていたら、意味不明の発言あり。
「外でさそったから、ダメ。」
 『外』ってどういうことだろう。ちょっとわたし、首をかしげた。いろいろ聞いて分かったことは、ようするに、お母さんのいないところで、子ども同士で、こういうことをしてはいけないということなのであった。また、『秘密にしたのもダメ。』という意味もあった。了解。

 また、まさおは最後、『大変なことをしてしまったのではないか。』と思って、反省したからよかったという意見と、反省してももうさそってしまったのだから、遅いという意見とがあった。


 そうしたら、Eちゃんである。
「わたしも、いけないことをしてしまったことがあるけれどね。それで、お母さんに言うと怒られて、言って損したと思うけれどね。でも、あとで許してくれるから、やっぱり正直に言った方がいいと思う。」
「そうか。損しても言った方がいいか。」
「うん。大変なことになるよりはいい。」
「なるほどな。」
 これはすばらしい発言だ。教材文のまさおのことから、自分自身の生活に思いをはせるようになった。そう。国語の読解ではないのだから、自分自身に投影させることはいいことだ。

 それに、もう一つ。やっと、正直の価値を深める段階にきた。

 そうしたら、Bちゃんが挙手。Bちゃんは、お話のことで話し合っているときは、まったく挙手しなかった。冒頭の発言といい、自分ごとに敏感に反応する。
「ぼくはね。お母さんに正直に言うと、怒られるの。このまえも、〜って言ったら、『またやったら、もう外で遊ばせないよ。』なんて言われちゃった。でもね。・・・。でもね。・・・。」
口ごもってしまったBちゃん。必死の形相になる。そこで、わたし、
「うん。いいよ。無理に発言しなくても。だって、言いにくいことだものな。」

でも、Bちゃんは決心したように続けた。
「でもね。やっぱり、お母さんには言ったほうがいい。」
その様子に感動したわたし。
「うわあ。すごいよ。言いにくいことなのに言ってくれた。・・・。そうか。Eちゃんが言ったように、損することもあるけれど、でも、言った方がいいか。」
「うん。正直に言えば、すっきりする。」
 わたしは、更なる感動につつまれ、絶句した。

 感動の理由は、もう一つあるのだけれど、それは後述する。

 わたしは、無言でBちゃんを見ながら、何度もうなづいたあと、『すっきり』と板書し、色チョークで何重にもその文字を囲った。


 実は、この、Bちゃん。7月だったかな。正直な言動をみせたことがあるのだ。

 友達とトラブルを起こした。大きな声で言い合いをした。初任者の担任が、事情を聞くと、一瞬言いよどんだが、決断するように、
「うん。初めはぼくの方がいけなかった。ぼくの方が、悪いことを言った。」
 だから、Bちゃんの『正直』は、筋金入りなのだ。『すっきり』にそのことを思い出した。


 さて、この記事は、まだまだ続くが、授業は終末に近づいた。

 授業の最後は、『指導者の話』を聞く活動が望ましいとされる。わたしもそれに賛成である。
 ただし、その話とは、
・日ごろの子どもたちの道徳的な実践から拾うこと。
・それが見られない場合は、指導者の子どものときの話でもいいこと。
・まずいのは教訓をたれること。ましてお説教などはとんでもない。

 授業は、ほのぼのとした感じをもって終わりたい。子どもたちが明るい気持ちで、『これからがんばろう。』という気持ちを抱くことができるようにしたい。

 だから、前日までは、この授業の終末は、7月に、正直にふるまったBちゃんのことを話そうと決めていた。しかし、授業当日を迎え、その思いは変えることにした。

 それは、この日の朝、教室で、ハプニングが起きたからである。『正直』にかかわるハプニングだった。

 それに、この授業のさいちゅうに思ったことだが、Bちゃんの『正直』は、もう授業のなかで、十分とり上げることができた。さらに、重ねることもなかろう。

 さあ。どのようなハプニングだったか。それは、子どもへの話を通して、ご理解いただこう。


 わたしは切り出した。
「けさ、Fちゃんが、(いじけて)先生の机の下にもぐって出てこなくなっちゃったね。それで、そのわけが、みんなも、(担任の)G先生も分からなかったから、こまっちゃったのだよね。わたしももちろん分からなかった。
 それで、10分くらいたってからだったけれど、わたしとFちゃんが廊下へ出て、そして、しばらくしてから、教室へ戻ったでしょう。」

 そのとき、聞いてもいないのに、Hちゃんが挙手。わたしの話のさいちゅうだったが、Hちゃんを指名することにした。
「Fちゃんは、教室へ戻ってきたとき、まだ泣いていたけれどね。でも、なんか、すごくうれしそうだった。」
「そうか。よかった。うれしそうだったか。・・・。実はね。Fちゃんとわたしとで、みんなに話していいことと話してはいけないことと約束したことがあるから、話していいことだけ話すのだけれどね。
 だって、Fちゃんは自分の損することを、自分から正直に言ってくれたのだもの。わたしも約束は守らないとな。

 それで、言っていいこと一つ目は、
 Fちゃんが机にもぐってしまったわけなのだけれど、友達のみんなには関係のないことだった。これはね。みんなが『何でもぐっちゃったのだろう。』って心配しているはずだから、みんなのためにも言ったほうがいいっていうことで、Fちゃんも許してくれた。
それはFちゃん自身のことだった。自分で自分に腹がたったっていうことだった。その中身は、Fちゃんとの約束があるから言わないけれどね。
 みんなそれで納得してくれるよね。Fちゃんは自分の損することを、正直にわたしに話してくれたのだから、いいでしょう。それで。」
 みんな、うれしそうに首を縦にふってくれた。

「次、言っていいことの二つ目は、
 正直にみんな話したら、気持ちがすっきりしたのだって。
 ほら。さっき、授業のなかで、Bちゃんが、『怒られたっていい。正直に言えば、すっきりする。』って言ってたよね。(板書の『すっきり』を指しながら、)実は同じことをFちゃんも言っていたのだ。だから、わたしはすごいなあと思った。

 さあ。道徳の授業はこれで終わりね。

 でも、わたしがみんなに言いたいことはまだある。道徳の授業ではないけれど、聞いてね。

 それは、Fちゃんが正直に何でも言えたわけなのだけれど、3つある。

 一つ目はね。
 クラスのみんながやさしかったことだ。
「よく、『何、そんなところへもぐっているのだよ。早く席に座れよ。』などと怒るように言うことがある。〜。」

 『実は、みんなだって、6月くらいまではそうだった。』と言いたいが、それはあえて言わない。

「でも、そのようなことがあると、Fちゃんはますます席につけなくなっちゃうでしょう。だから、そういう子がいなかったことがよかった。みんな、気づかないふりをしてあげていたよね。

 二つ目はね。
 そうは言っても、あまりにも気づかないふりをし過ぎて、無視するようになってもいけないよね。みんなは、無視もしなかったよ。
 ちょうど、1時間目が始まるまえだったけれど、お友達が5人くらいFちゃんのところへ行って、『大丈夫。』『どうしたの。』『席に着くことができるの。』などと言って、やさしく声をかけていたよね。あれも、Fちゃんはうれしかったに違いない。
 騒ぐように、『どうした。どうした。』っていうのもいけないし、無視するのもいけない。みんなのFちゃんへの態度はちょうどよかったのではないかな。それは、やさしさがあったからだと思う。

 三つ目はね。
 わたしが、『だれか、Fちゃんが机にもぐっているわけ、知っている子、いるかな。』って聞いたとき、Hちゃんが、『違うかもしれないけれど、〜かもしれない。』って言ってきてくれたよね。
 これは違ったのだったね。Fちゃんは、『違う。そうじゃない。』って言いたそうで、首を振っていたものね。でも、違っちゃったからムダだったとは思わない。
 違っちゃったけれどね。『Hちゃんが、こんなにもFちゃんのことを心配している。気にかけてくれている。』その気持ちは、十分Fちゃんに伝わったと思うよ。だから、とてもよかった。

 その3つが重なって、Fちゃんは、何もかも言おうと思ってくれた。わたしはね。そう思うのだよ。だから、このクラスはとってもいいクラスだ。みんな仲良し。そう思うよ。」

 これで、授業は終わりにした。

 本授業では、半分以上の子が発言。初任者であるGさんはびっくりしていた。でも、それは、やはり、初任者の学級づくりがすばらしいから。
「この学級の土壌は、Gさんがつくっているものだ。わたしはそこにタネをまいたに過ぎない。」


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 Fちゃんの『自分がいけなかった。』という話。現在という時代が、子どもにとって生きにくい時代になっていることを、またまた感じてしまいました。
 それが何かということは、ごめんなさい。ここでも、Fちゃんとの約束がありますので、秘密にさせてくださいね。
 担任のGさんには、もちろん話しましたけれど。

 ああ。これも、Fちゃんの了解はとってありますよ。
  

rve83253 at 12:13|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2008年02月01日

ああ。道徳(徳育)が教科だって。3

df59f474.JPG 昨日、我が勤務校は、道徳の研究授業を行った。教員採用後、2年次、3年次、4年次の教員が対象だった。

 一方、教育再生会議は、最終報告で、道徳を徳育と変え、教科とすることを提言した。



 ああ。何を考えているのだろう。道徳的価値観の画一化をねらっているのかな。


 本記事では、そのあたりを、昨日の研究授業を振り返りながら、検証してみようと思う。


 若い3人の教員の授業は見事だった。
 本来なら、その授業の様子を紹介したいが、それは本旨ではないので、『道徳を教科とした場合の危惧』にかかわる部分に限定して書かせていただきたいと思う。


 4年生の担任は、自作の教材文を使った。それだけでも大変意欲的なことが分かる。

 簡単に紹介すると、

『ぼくと同じクラスの女の子を、たまたまデパートで見かけた。その子は、足を骨折し、松葉杖をついていた。しかも、重い荷物も抱え、つらそうに階段を上っていた。ぼくは助けようと思ったが、声をかけることができなかった。いやな気持ちになった。

 次の日、ぼくは、友達のAと話しながら、登校した。学校の階段に差し掛かったら、そこでまた、昨日の女の子が、つらそうに階段を上っているのを見た。『今度こそ。』と思ったが、とまどっていたら、友達のAが、その子のそばにかけより、『大丈夫かい。ぼく、ランドセルを持ってやるよ。』と言った。ぼくは、恥ずかしくなった。』

というもの。

 みんなで、『ぼくの』、いやな気持ちになったり、恥ずかしくなったりした、その心情について話し合った。

「声をかけてあげられなかったから。」
「同じクラスなのに、協力してあげられなかった。」
「無視したのと同じ。」
「男の子だったら助けたかもしれない。」
「勇気がなかった。」
「別れてからも、女の子がちゃんと階段を上がったか、気になっていたと思う。」

「Aは、すぐ声をかけてランドセルを持ってやった。先を越されたという思い。」
「女の子が、うれしいと思うことをやってあげられなかった。」
「ぼくは何も応えられなかった。」
「心の弱点が出た。」

 これ以外にも、ほんとうに多様な意見が出て、その点、『すごい。』と思わせた。担任も、うれしかっただろう。


 終末近くなり、担任は、
「人に思いやりをもって接するには、どのような気持ちをもてばいいのでしょう。」
と投げかけた。
 
 その際も、子どもたちの多様な意見に感心させられたのだが、一つ、指導者も子どもも、ある一つの観点が抜けているなと思った。


 読者の皆様は、どういう観点が抜けたと思われるだろうか。




 それでは、ヒントを差し上げましょう。

 よく、『やろうと思っただけでやらないのは、思わなかったのと同じ。』などと言う人がいるが、ほんとうにそうだろうか。思っただけの人と思わなかった人は、同じだろうか。



 それでは、わたしの思いを。

 『ぼく』は、最初、自分に対しいやな気持ちになっているし、次の学校の場面でも、恥ずかしくなっているのだから、『そういう気持ちをもてただけでもすばらしい。』と、わたしは思うのだ。

 だって、そういう場面に遭遇しても、何も感じない人だっていっぱいいるだろう。それにくらべたらね。(何も感じない人だって、そのときたまたま忙しかったり、考え事をしたりしていたのかもしれないし、・・・、しかし、本授業で、そこまで扱うのは無理というものだ。)

 そうした、より広いとらえで、道徳の授業に臨んでほしい。そう思った。



 現に、授業の冒頭、Bちゃんが、
「ぼくは、さっきの休み時間、Cちゃんが〜してくれたのに、『ありがとう。』も言えず、黙ったままでいた。」
と、それこそ、すまなさそうに、恥ずかしそうに言っていたのだ。


 思っただけではダメなのか、つまり行動に移せなければダメなのか、思っただけでもすばらしいとするのか、ここに、指導者の指導観、人間観が現れると言っていいだろう。


 まして、他校の校長先生である、講師の先生は、
 『道徳は、即、行動化を目指すものではない。目指さないというわけではないが、即大事にするのは、道徳的心情を養うことである。』
そうおっしゃった。それなら、よけい、心情面を重視してよいというものだろう。



 さて、記事冒頭の、『徳育と名を変え、教科とする。』の話題に移る。



〇教科となれば、教科書ができる。多くの現場が、『教科書で教えなければならない。』という思いをもつだろう。

 今は、副読本を使用しているから、指導者は自分の学級の実態をみながら、教材文を選ぶことができる。本指導者のように自作も自由だ。わたしも校長時代、自作で、卒業記念の授業を行ったことがある。

 そうした自由がかなり奪われ、全国画一化に向かうのではないか。



〇これが本授業とかかわるのだが、教科となると、評定をしなければならない。

 わたし、昨日の研究会講師にうかがった。

「どうなのでしょう。教科となった場合の評定ですが、今は、絶対評価の時代ですよね。そうすると、むかし、テレビで、『よい子。悪い子。ふつうの子』というのがありましたが、徳育の評価規準は、そのようなものになると思っていいのでしょうか。」

「はい。そう考えていいと思います。よい子がA規準。ふつうの子がB規準。そして、『悪い子』などという言い方はしないでしょうが、それが、C規準ですね。さしずめ、そのようになると考えられます。

 こわいですね。だって、心情って、内面ですよね。それを評定する。そのようなことはできないですよ。
 けっきょく、『行動によって評定』ということになるでしょうね。しかし、逆に、『行動したから、心情が育っている。』と決めることもできないですよね。」


 そうなのだ。前記、わたしが、思ったもう一つの観点。『思っただけでもすばらしい。』は、成立しなくなる可能性がある。


 ほんとうは、

〇『思っただけでもすばらしい。反省する心が豊かなのがいい。そういう気持ちがあればこそ、3回目に女の子に出っくわしたときは、心から助けることができるのではないか。』

〇このクラスの男の子にしても、同様だ。してもらっても、『ありがとう。』と言えなかったことを悔いる心。その心を認め、ほめることによって、次は、『ありがとう。』と言えるようになる可能性が高まる。


 それなのに、『目に見えない』道徳的心情は軽視され、『見える』行動のみが問われる時代がくるのかもしれない。 



 道徳。名を変えるのはかまわない。徳育だってかまわない。そのようなことはどうでもいいことだ。
 だけれど、教科化だけはこまる。ただでさえ、『すべての子に、共通してとらえさせなければいけない基礎・基本の徹底』などと叫ばれているのだものね。
 

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 教科化に問題を感じる方の多くは、『道徳的価値観の画一化』を心配されているのではないでしょうか。そうなのですが、

 本記事に書いたように、画一化の問題の中身はいろいろあると考えます。

 そう。そう。すでに記事にしたものもあります。

   子ども一人ひとりの基礎・基本(1)

 この記事の後半で、道徳の授業をとり上げています。
 この記事の場合、『不撓不屈』でとらえられた子に、Aがつくのでしょうか。
 そして、勇気のとらえは、本時目標に達成していないということで、Cがつくのでしょうか。
 ああ。やはり、考えただけでも、こわいですね。国語の読解ではないのですからね。


 今のところ、中教審は、教科化を考えていないようですね。ここは、中教審にがんばってもらうしかありません。

 道徳教育の重要性。それは、わたしも、強く感じます。そこにとどまるなら、何も異存はないのです。


 それでは、・・・、

 ああ。いやだな。このブログ記事も、Aだ。Bだ。いや、Cだ。


 悪い夢を見てしまいました。
 
 どのように思われても、1クリックいただければうれしいです。

rve83253 at 11:32|PermalinkComments(15)TrackBack(0)

2007年06月26日

宗教的情操を養う教育

7e9eacdf.JPG 教育再生会議は、特に、標記の件についてはふれていないようだ。

 しかし、わたしとしては、道徳教育をとり上げたこの際、それに関連させたかたちでふれてみたい。


 わたしは、宗教的情操を養う教育は、今という時代、特に大切にしていきたいと思う。


 しかし、本筋を書く前に、ちょっとふれておきたい点がある。

 教育基本法改定のときだった。テレビの報道番組で、政治家が次のようなことを言っていた。
「現代という時代、宗教教育は特に大切ではないか。
 欧米には、宗教という、生きていくうえでの規範になるものがあるが、日本にはそれがない。特に、日本の公立学校は、こうした教育をさけているようだ。
 それは、特定の宗教を教えるようなことはあってはならないが、人間の力を超えたところにあるものへの畏敬の念は、教えなければいけないと思う。」

 わたしは、この意見について、大筋において賛成なのだが、用語の使い方が間違っていると思った。

 ご承知のように、憲法20条では、3項において、『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』と規定している。

 つまり、『宗教教育』は、特定の宗教を教えることと同義なのである。

 だから、上記のような意見を言う際は、『宗教的情操を養う教育』と言うべきではないかと思った。
 


 さて、それでは、『宗教的情操』とは、どのような内容をもつものであるか。

 わたしは、現代の道徳の学習指導要領のなかに、その文言は含まれていると思っている。だから、その文言を引用させていただきたい。

 道徳的価値としては、『敬けん』にあたる。

低学年 身近な自然に親しみ、美しいものにふれ、すがすがしい心をもつ。

中学年 自然のすばらしさや不思議さに感動する。美しいものや気高いものに感動する心をもつ。

高学年 自然の偉大さを知る。美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。

中学生 自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める。人間には弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて、人間として生きることに喜びを見いだすように努める。

 ※
『美しいもの、気高いものには、自然だけでなく、人間の心も含まれる。』とは、確か、道徳研究会で学んだような気がする。


 
 かつて、わたしは、中学年担任だったとき、以下のような話をとり上げ、授業をしたことがある。今、その題名も副読本の名前も忘れてしまったので、うろ覚えの話であることはご承知願いたいが・・・、


 むかしの話である。

 最愛の娘を亡くされたお父さんは、嘆き悲しむ。

 生きる力もなくなる。

 月日がたち、『いつまで嘆き悲しんでも、娘はかえってこない。』と思うようになる。
 娘もそのような自分を見たら、悲しむに違いない。

 そう思ったお父さんは、お地蔵さんを作ることを思い立つ。

 作ったお地蔵さんは、娘と瓜二つの顔になる。

 そのお地蔵さんを大切にしているうちに、娘といつも共にいるという気持ちになり、父親は幸せな思いを取り戻す。



 そのような話だった。

 授業の様子もうろ覚えなのだが、確か子どもたちは、お地蔵さんが、亡くなった娘さんと瓜二つの顔になった不思議さを感じ、それと父親が娘を思う気持ちとを結びつけ、活発ではありながらも、しんみりとした感じで、話し合いを進めたのだったと思う。

 最後に、『父親は幸せな思いを取り戻す。』と書いたが、これは、文章には表記されていなくて、子どもたちが感じ取った内容だったと思うが、それも、今となってははっきりしない。



 ここでふれたいことは、二つ。

 一つは、『これは、特定の宗教教育ではないか。』という見方も成り立つかな・・・、ということ。

 わたしは、『道徳の副読本にあるのだから、特定の宗教教育ではない。』という消極的理由のほかに、
 この授業は、『(人間の行為の)美しいものや気高いものに感動する心をもつ。』をねらいとして行ったのであり、お地蔵さんは、そのねらいを達成するために、たまたま借用したに過ぎない。そう考えた。

 しかし、・・・、さあ、果たしてそれは万人に認めてもらえる考えであるか。

 宗教教育と宗教的情操を養う教育の境目はむずかしい。


 二つ目。

 そういうことを超えて、今という時代、ともすると、大人でも、自分さえよければいい。自分の利ばかり追い求める。そういう側面があるのは否めない時代、

 see21さんの言葉を借りれば、『拝金主義、物質優先主義、おもしろ至上主義、等々、欲望まみれの社会を肯定し、あるいは、容認してきた我々大人世代の責任は重く、子供達は、その被害者であると言えようかと思います。』という時代、

 『人間は万能ではない。』
 『真に価値あるものは何か。』
 『ほんとうの幸せは何か。』
 『謙虚に生きる。』

 それを追求する教育は、大切にしなければならない。


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 それにしても、教育再生会議が、徳育重視と言いながら、このことにふれなかったのは不思議な気がします。

 それでは、今日も、慈悲の心で、1クリック、お願いできるでしょうか。



rve83253 at 03:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2007年06月21日

『真実の道徳教育』とは?4

eaa3f4d8.JPG 前々記事で、道徳教育についてとり上げたところ、see21さんからコメントをいただいた。そして、同氏のすてきな記事も読ませてもらった。


 いきなりで恐縮だが、ちょっと目線を変えさせていただきたい。『おもしろいものだなあ。』と思ったことがある。

 教育再生会議では、道徳を教科にするにあたり、名称を徳育とすることも提言した。しかし、なぜ徳育なのか、どう道徳と違うのかについての文言はまったくないのだ。

 それに対し、・・・、

 see21さんの論調には『道徳に代わり、道理を教えるべきだ。』というのがあるが、その、『道徳と道理の違い』が、実に明確なのだ。

 一方は国の施策にかかわる提言。他方は単なる一ブログ記事。(see21さん。失礼な言い方でごめんなさい。)

 しかも、教育再生会議には、プロの教員が何人もいらっしゃる。

 それに対し、see21さんは、教育関係者ではないとおっしゃる。

 わたしも、一応、教育のプロであろうから、このことに関しては、なんともなさけなく、申し訳ない思いになった。

 教育再生会議に所属する『教育のプロ』が、説明責任を果たしていないのではないかと感じた。

 と、同時に、『このような調子で、教科化されたのでは、かなわないなあ。』とも思った。



 それでは、本論に入る前に、see21さんの記事を紹介しよう。まずは、お読みいただきたいと思う。


 
   道徳教育について

 
 わたしは、see21さんが主張される点の根幹については、大賛成だ。そして、わたしは、同氏のおっしゃる『道理』も大切にして実践してきたつもりだ。ただし、『道徳』の名の下に、・・・、だけどね。


 同氏の主張1

《真実は、どうか、と言えば、「嘘はついてはならないが、人というのは愚かな存在なので、縁次第では嘘をついてしまうものだ(だからって、嘘が許されるわけではない)」ということになります。》

 その通りだと思う。まずは、『うそをつくのはいけない。』という道徳的価値があると思う。それは押さえなければいけないし、子どももストンと胸に落ちるように納得するだろう。

 しかし、同時に、

1.それは分かっていても、人間の弱さとして、うそをついてしまう状況があることも、共感的に理解するはずだ。

 道徳的価値が必ずしも真理そのものでないことは、他にもある。

2.うそをつくことが、人間としての美徳となるケースだってあるはずだ。

3.また、一つの道徳的価値が、他の道徳的価値と相克関係にあり、双方が並び立たないケースもあるだろう。古くは平家物語の『忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず』の事例の通りだ。


 これらを、子どもの言葉で言えば、次のようになるだろうか。

1.「そんなこと言ったって無理だよ。みんながルールを守らなかったら、一人だけ守るなんて、できっこないよ。」
「でも、交通事故にあったら、損するのは結局自分でしょう。死んでしまうかもしれないのだよ。やっぱり守らなければダメだよ。」

2.「でも、うそをつかなければいけないときだってあるよ。たとえば、『ぼくのこと、嫌いなんでしょう。』って言われて、正直に、『うん。嫌いだよ。』なんて言ったら、その友達は傷つくでしょう。だから、そういうときは、うそをついて、『そんなことないよ。』って言ってあげた方がいい。」

3.2.であげた事例は、そのままで、『正直』と『友情』の相克関係と言えるだろう。

 言いたいことは、こういうことだ。これらは、決して例外的で特殊な事例ではない。子どもの世界でも、頻繁に起こりうる。


同氏の主張2
 
《道徳と真実の内容を比較すると、明らかに違いますが、子供達は、この違いを感覚的に実は理解しています。なぜ、道徳教育しても、人間として質の高い人間に育たないか、と言えば、矛盾ある内容の道徳教育を子供達に強要しているからです。》

 上記の事例で示したつもりだが、同氏がおっしゃるように、子どもたちは、この違いがあることを理解していると、わたしも思う。

 そして、同氏の論述と少し違ってくるのだが、『真実の道徳教育』というものは、あると思う。

 ただし、『道徳教育を子供達に強要』していたのではダメだ。すなわち、教える側が、子どもの思いを無視したり軽視したりして、一方的に発問し、子どもは答えるだけという、一問一答式の授業をやっていたのではダメだ。
 また、指導者の思い、押さえたいことが、プンプン子どもの前でにおって、子どもに感じ取られてしまうような授業でもダメだ。そういう雰囲気だと、子どもは指導者の思いに合わせる形でしか意見を言わなくなるであろう。つまり、きれいごとしか言わなくなる。

 反対に、子どもの思いを大切にし、何でも言い合える学級作りをしていれば、子どもは本音で語るようになる。本音を語る学級なら、上記事例のような意見がふんだんに出てくるはずだ。

 つまり、教員主導でない、子どもの思いを軸に進む授業形態をとって、初めて可能になるものだ。
 
 
 同氏の主張3

《子供に、いくら綺麗事を教えても、矛盾は必ず伴うわけで、最終的には受け付けてもらうことはできません。その為には、一にも二にも「己を知ること」であり、人間を知ることが大切です。人間を知れば、上記のような道理(真理)は、理解できるようになります。(時間はかかります)》

 現代の道徳の授業のために、多少弁護させていただきたいが、以上の点、今の道徳の副読本(現在のところは、教科書ではない。)は、けっこうよくできている。

 人間的な弱さにしても、価値観の葛藤にしても、けっこうそういった事例はとり入れられているのだ。あるときは、道徳的に見て、問題ある事例もとり上げられている。人間的な弱さに共感しながらも、『それではいけないのだよね。』という押さえになるよう工夫されている。

 
 そうか。そういった点でも、道徳が教科になり、徳育と名を変えたら、どうなるのだろう。もし、価値観の押し付けになるようなら、同氏の懸念されるようになりかねない。
 

 ここで、同氏の主張1.につけ足しをしたい。

 前々回も述べたように、今の、学校の道徳教育は、学校の全教育活動における道徳教育と、週一時間の道徳の時間とから成り立っている。

 つまり、子どもの学校における生活は、すべて、道徳教育の対象である。そこには、なかよく協力し合う場面も、自分の利、欲に支配されて、けんかする場面もあるだろう。

 そのなまなましい場で、指導者が、どう子どもに対応するかは、実に大きなものがある。

 機械的にけんか両成敗を適用したり、強引にあやまらせたり、道徳的価値をおし付けたりするのか、

 子どもの思いをよく聞いてやり、人間的な弱さに共感したり、寄り添ったりするのか。

 そのあたりが、道徳教育を成果のあるものにするかしないかの境目となるように思う。



 それにしても、see21さんの記事からは、多くの示唆をいただいた。大変ありがたかった。

 どうも、ありがとうございました。


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 ここに、一つの記事をリンクさせてください。

 道徳の授業でないのは申し訳ありません。校長時代の朝会での話です。
 朝会での話ですが、『あんな子、いなければいいのに、などと思うことはありませんか。思うのは仕方ないけれど、〜。』というように、人間的弱さにもふれた言葉かけをしています。
 よろしければ、ご覧ください。

   平成18年5月5日  平和教育(1) 朝会の話


 ああ。教育三法が成立してしまいました。あまりにも、道徳的でない成立の仕方でしたね。
 相次ぐ強行採決。そして、会期延長にもなりそう。参院選も延期に。・・・。今の政治を見ていると、こちらの方がよほど、危機的状況のように思います。

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2007年04月27日

知徳不可分 4

f0f8285b.JPG  わたしには、以前から引っかかっていたことがある。

 知徳不可分。つまり、『正しい知識、生きて働く知識(豊かな思考力に裏打ちされた知識)を身につけた人間は、徳も身につけているのだ。』という考え方についてだ。

 この引っかかりについては、すでに記事にしたことがあるので、まずは、それを再録させていただきたい。

 ただし、これまでのわたしの記事を読み続けてこられた方は、以下、※印のところまでは、読み飛ばしていただいてけっこうである。


 まずは、わたしが、『パワフル算数』という記事を掲載したのだった。わたしの担当する初任者が、すばらしい授業をやった。その紹介記事である。

 それに対し、PSJ渋谷研究所Xさんが、感動の記事を掲載し、わたしの上記記事にTBしてくださった。

 このPSJ渋谷研究所Xさんは、そこで、知徳不可分にふれていると思うが、
『初等算数であっても、そこで科学あるいはロジカルであろうとすることを学ぶ姿勢は成長を促すに違いない。』
『科学やロジックという「方法論」(を学ぶこと)が、ぼくらの道徳や倫理(あるいは道徳観、倫理観)に対して何の働きも持ち得ないということではない。』
とおっしゃった。

 さらに、
《こうやって考える力を磨くこと、異なるレベルの理解をぶつけ合って次のステップ(どの考え方が理に適っているか=合理的かを判断する)へ進む体験を重ねた子どもたちは、自分には理解できないあやふやな「ロジックもどきの言説」に盲目的に頼ろうとすることはしないに違いない。》
ともおっしゃってくださった。



 それに対し、わたしは、3月19日の『PSJ渋谷研究所Xさんに触発されて』の記事中の3番後半の部分で、以下のように述べた。
 
 《わたしは、『PSJ渋谷研究所Xさんの上記記事』を読み、《自分には理解できないあやふやな「ロジックもどきの言説」に盲目的に頼ろうとする。》の箇所から、むかしの、サリン事件を思い出した。有名大学に入る力は持っていても、判断力がまるで育っていないということをものすごく感じていたのだ。》



 しかし、それと同時に、PSJ渋谷研究所Xさんの記事から、あることがひらめいた。

 と言うのは、それまで、
『思考力を養えば、判断力は身につく。思考力と判断力は一体だ。生きるうえでの自己決定を迫られることは多いわけだが、豊かな思考力を育むことは、自己にとって、家族にとって、市民にとって、もっと言えば、日本にとって、人間にとって、自分はどう行動したらよいかを決める上で、適切と思える判断力が身につくのだ。』そう思っていた。

 そう思いながらも、しかし、(その一方で、)人が悪事をなすとき、『思考力を養っても、完全犯罪を目指す方向で、その思考力を使うこともあるのではないか。』と言われたら、反論するものを持ち合わせていなかった。

 そのため、それまで、上記、思考力、判断力一体論を主張する気になれなかった。

 (つまり、知徳不可分について、そこまで言い切る自信がなかったのだが、)それについて、このPSJ渋谷研究所Xさんの記事がヒントをくださったというわけだ。



 なるほど。子どもの、『科学的であろう。ロジカルな態度を身につけよう。』という姿勢を養うことは、けっして、道徳や倫理と無関係ではないのだ。

 完全犯罪を目指す方向で思考力を使うことはあるだろうけれど、それは、真の思考力なのではなく、自分自身の生活や生き方とは無縁な世界で、知識のみ身につけた者がなす業なのではないか。
 そう思えるようになった。

 

 
 ところで、知徳不可分については、もう一つ、ある。

 それは、JPMさんとのメールのやり取りを通しての、JPMさんのコメント5番だ。

 《徳は本来、知的なものと一体不可分なのですよね。だから、活動の有意性を認識せずに活動させることは、徳と知を分断して教えようとすることであり、無理が生ずると考えます。だから、子ども全員に活動するための内面まで含めた態勢を求めたいですし、〜。》
とあった。

 つまり簡単に言えば、
『自ら考える力を育む。そのことは、徳を身につけることと一体のはずだ。しかし、内発的動機付けをおもんばかることなく活動させれば、徳と知を分断させることになる。つまり、学んでも活動しても、徳は身につかない。』
ということだろう。


※※※※
 こうした、やり取りを経て、わたしは、けっこういろいろなことに気づくことができたのである。
 そして、今、知徳不可分について、論評できるような気がしてきた。



 それでは、だいぶ長い前置きとなったが、以下、今、思うことを記述することにする。


 まず、現実には、今も、内発的動機付けをおもんばかることなく、教える側が一方的に、発問したり、活動させたりする授業がありはしないか。(それは、もちろん、『子どものために』という仮面をかぶっていることが多いのだが、)

 そうした授業では、子どもは、『やらされる』意識が強いし、『欲求不満』にもなりかねないし、知と徳の分断どころではない。『不徳』を身につけることにもなりかねない。
 ご承知のように、学校生活の大部分が授業である以上、授業が充実したものであるかどうかは大きい。
 今の学校の『いじめ』多発について、その要因の一つには、このことも上げられるのではないかと思う。



 次、内発的動機付けがなったとしても、それだけでオーケーとは言えない。

 先にあげた、『パワフル算数』の学級は、けっこう学ぶ意欲が旺盛である。

「先生。今日は、〜の勉強をするのだよね。ぼく、調べてきたよ。ああ。すぐ発表したいな。」
「今日の図工、楽しみなのだ。〜を使って作るのだよ。」
などと朝から言っていることも多かった。

 だから、授業の初めに、日直が『気をつけ。今から、○○のべんきょうを始めます。礼。』などと言うことなく、上記子どもの意欲的な発言から、自然に授業に入っていくことも多かった。

 そして、PSJ渋谷研究所Xさんが、大きな賛辞を贈ってくださった授業の展開となるのだが、しかし、しかしだ。



 この授業の問題点を指摘する前に、初任者である担任のために、言い訳を最初にしてしまおう。

 この学級には、大変自己主張の強い子(『パワフル算数』のCちゃん)がいた。その他人をやりこめる言動から、Cちゃんに反発する子が何人かいて、物議をかもすことも多かった。その様子は、姉妹ブログ『小学校初任者のブログ』、『いじめ発生』(この記事ではAちゃんのこと。)として記事にさせていただいたこともある。

 そして、初任者である担任の努力が一番であるが、わたしもいろいろ助言させてもらったこともあり、『パワフル算数』のころは、けっこう学級の雰囲気は改善されてきた。

 Cちゃんは、このころ、自分とは異なる友達の主張に対し、『ああ。そうか。なるほどね。』と言って、自分の主張を変えるという柔軟性も見せ、担任やわたしを感動させることもあった。

 言い訳はこれで終わり。


 それで、『パワフル算数』の授業の問題点に移るが、どうだろう。かなり解消されたとは言え、まだまだ、相手をやり込めようとする残滓が見られるのではないか。

 たとえば、
《すると、突然、Cちゃんは、すっとんきょうな声を出し、
「だから、それを、ぼくは言ったのだよ。」
話し合いの冒頭、みんなから、『変だ。』と言われたものだから、少し、向きになっていた。》
あたりにそれが感じられると思う。

 真理の追求も、科学的態度の構築も、相手をやり込めようとする心の前では、曇りが生じてしまうのだ。そして、知徳不可分どころではなくなってしまう。


 相手をやり込めようとする心の動きから言えることは、

 感情的になったり、意地になったりしてしまう。
 そして、そのときの心の状態(気分と言ってもいいかな。)に支配されるから、論旨の一貫性がなくなったり、ああ言うこう言うで何が言いたいのかわからなくなったり、矛盾を生じてしまったりする。

 また、相手の意見の一部のみに反応し、相手の意見を理解しないまま、論じようとするので、話し合いがごちゃごちゃになってしまい、何が問題かという、一番大切な部分まで分からなくなってしまうこともある。
 そうして、授業を混乱させているのが自分だということにも気づかない。

 そこで働かせる思考力も、斜に構えたり、断片的、皮相的だったりして、あまりにも真理追求には程遠くなってしまう。
 まさに、知と徳の分断である。いや。知と不徳の結合と言ってもいいかもしれない。


 やはり、そこに、豊かな人間関係の構築がないと、知徳不可分とはいかないわけだ。
 ここはやはり、意見の異なるものに対しても、思いやりの気持ちがほしい。やりこめるのではなく、『ああ。おしいね。』『ここまではぼく(わたし)と同じ考えだよ。』などという言葉があればよい。

 ここで初めてわたしは、冒頭の引っかかりを解消することができたのである。知徳不可分。ストンと胸に落ちるくらい納得できた。


 最後に、それがうまくいっている授業を紹介しよう。と言っても、むかしの自分の授業であるのはちょっと気が引けるが、『小学校初任者のホームページ』に載せてあるので、その引用について、ご勘弁願いたい。

 6年生の社会科、『歴史上の人物をとり上げて』である。

 ここでは授業記録を掲載している。

 このなかの、学習段階(授業記録の表の一番左側に書いてある。)でいえば、『学習問題を修正しようとする子どもたち』のなかの、中野(もちろん仮名)さんの発言に注目してほしい。

 『今、話し合っている内容は、話し合う価値がないのではないか。』という問題提起である。

 それに対し、同じ学習段階のなかで、小川さんが言う。

 小川さんはこまってしまったのだ。それは、まさに自分が言おうと思っていた中身を、中野さんによって、価値がないと否定されてしまったからである。
 そして、否定されたことは理解できたし、また、多くの子が中野さんに同調したことから、意見が言いにくくなってしまった。

 それで、たしか、小川さんは、勢いよく上げていた手を上げようか下ろそうか迷ったのだと思う。それをおもしろいと思ったわたしが、ことさら小川さんを指名したのではなかったか。

 この発言に、小川さんの柔軟性を見る。価値の追求、真理の追求のまえでは、真理に対してのみ従順である姿勢を見る。


 それ以外にも、いろいろあるので、お時間のある方は、この授業記録をゆっくりお読みいただけたら幸いである。

 そうすると、学力の高い子も、そうでない子も、いきいきと発言していること。
 だから、ほとんど全員に近い子が発言していること。
 どの子の発言もからみ合い、補完し合っていて、それによって、学習に深まりを見せていること。
 などが感じ取れるのではないか。

 まさに、知徳不可分の人間形成を見る。

 

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 こうした学びは、PSJ渋谷研究所Xさんがおっしゃるように、大人になったときの、大人としての生き方に、直結する学びです。
 知徳不可分。わたしたち教員は、自信をもってそう言える授業をしたいものだと思います。


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2007年03月16日

記念の授業(4)道徳 卒業のときに4

145cbfaf.JPG 

『六十年ぶりの母校』

 自作の教材文を使い、初任者のクラスで、示範授業として行った、その授業の様子を2回にわたり紹介してきた。

 しかし、そもそもは、校長時代、6年生を対象に、卒業を記念しての授業として行ったものだった。

 今日は、そのなかから、思い出の発言をとり上げてみる。4年生との発達段階の違いが少し明瞭になるのではないかと思う。

     記念の授業  4年生との授業 その1    その2

 とは言っても、6年生の方は、

○卒業という、人生の一大エポックの際の授業であること。
○校長としてのわたしが行った授業であること。今は、初任者指導教諭という立場だから、子どもの受け止め方も違うのではないか。
○学校が異なっていて、地域性の違いもあること。
などから、単純に発達段階の違いとばかりは、言い切れないものがあるかもしれない。

 また、ここでは印象に残る発言しか記事にしないのだが、実際は、その1、その2で書いた、今回の4年生と同様の発言もたくさんあったことは、お断りしておきたい。
 

 まず、冒頭の投げかけは、
「中学生になろうとしている今、最も大切にしたいものは何ですか。また、それはなぜですか。」
だった。

○ 努力することです。努力すれば夢がかなうと思うから。

○ 涙です。うれしいときに流した感動の涙です。小学校の6年間、そうした経験がいっぱいあったから、中学生になっても、涙を大切にしたいです。

○ 家族です。中学生になると、家族と話すことも今より少なくなってしまうと思うので、家族と一緒にいる時間を大切にしたいです。

○ 友達です。6年間一緒に過ごした仲だし、お互いに分かり合ってきたことや、がんばり合ったことなどがたくさんあるからです。

○ 友達の個性です。どんな性格の子とも、その子の性格を大事にして、仲良くしてきたからです。


 次に、おばあさんの話を取り上げた段階では、

「小学校の思い出が、忘れられない。」
「母校が見つかってよかったね。」
「小学校のときのことを思い出すのが、好きになっている。」
「60年もたっているのに、担任の先生や友達のことを忘れないなんてすごいと思う。」
「苦しい生活だったから、思い出が、生きる上での支えになっている。」
「思い出を誇りにしているということもあると思う。」
「生き抜くバネって言っているから、忘れてはいけない大切なものだったのだと思う。」
「思い出は、ただなつかしいだけではないのだなと思った。すごい力を持っている。この思い出があるから、生き抜いてこられたという感じがする。」

「校長先生から卒業記念としていただいたこの色紙が、これからぼくたち、わたしたちにとって大切で、なくてはならないものになると思う。大変なとき、苦しいとき、生き抜くバネになると思う。」


 わたしはこの学年の子どもたちを誇りとした。特に、『友達の個性が大事』という発言をした、この子のクラスについて、わたしは、この言葉が心から納得できた。そういう学級生活をしてきたと思えたからだ。


 今、卒業式の式辞から、その部分にかかわるところを抜書きしてみよう。

『〜。

 わたしは、この○年間、みんなとともに過ごしてきましたけれども、みんなの学校における生活のすばらしさ、見事だったこと。下級生にやさしい6年生とか、みんなで協力し合って、助け合って、すばらしい学級を創り上げたこと。朝会などで、何回も、そういう話をしてきました。今日はその最後だと思っています。

 皆さんの、そういうすばらしい学校生活が、このA小学校のよい伝統となって、よい校風となって、見事に下級生に引き継がれていると思います。

 〜。

 そうして、それらの発言を受けて、ほんとうに感激したのは、『友達の個性です。』そういう発言がありましたよね。すごいと思いました。

 それで、その、すごいと思った理由ですけれども、『これは口先だけのことではない。わたしは、みんなと○年間一緒にすごしてきた。その生活を振り返ってみると、皆さんの実践が、これらの発言がほんとうであることを裏付けている。』そう思いました。

 もう一つ。『発言した子は、それぞれ一人ずつですけれども、これらはみんなの心だな。』そう心から思えたこと。それが感動した大きな理由だったと思います。

 『お友達の個性を大事にしてきた。』その言葉について、わたしはみんなのいろいろな生活を思い浮かべました。とかくね。元気な子、積極的な子、こういう子は、慎重に、ゆっくりやる子をいやがることがあります。タイプの違う子を避けたり、いやがったり、ひどければいじめたり、そういうことが案外あります。
 ところがみなさんは、違うタイプのお友達であっても、違うタイプの姿、それを認めたまま、ほんとうに仲良くしてきた。お友達と。

 そして、お友達の喜びを自分の喜びとした。うれしいことがあるお友達に対し、『それは、よかったね。』と心から喜んであげることができました。また、悲しんでいるお友達に対しては、心から同情し、そのお友達の悲しみを和らげて上げることができました。』


 このなかのあるクラスには、自閉的傾向の子がいた。

 友達からみれば、突然、暴れだす。興奮する。驚くことも多かったのではないか。とにかくそうなる理由が分からない。そう思うことも多かったのではないか。

 しかし、やさしささえあれば、ともに生活していると、だんだん、分かっていくものだ。『ああ。こうなると、Bは、きれるのだな。Bがきれるのは、ぼくたち、わたしたちがきれるのとは違うな。』そんな感じである。そして、Bの『個性』を受け止め、避けるのではなく、見事に溶け込ませていった。会話も多かった。
 Bとふれ合うすべもかなり分かってきた彼らは、卒業期になると、にこにこしていることがものすごくふえた。

 『中学校へ入ると心配です。』これが担任の口癖だった。しかし、案ずるよりうむがやすし。同じクラスの子たちが、Bへの理解を示していたから、他の小学校から入学してきた子たちも、自然にBの『個性』を受け止めることができ、問題はあまり起こらなかったようだ。


 だから、授業の中でも、式辞でも、わたしは言った。

「みんなは、このお話のおばあさんに匹敵するくらいの、心豊かな思い出を、この小学校でたくさん作った。だから、皆さんも、苦しいとき、つらいとき、それこそ、生き抜くバネになるような、そういう思い出をたくさん持つことができた。わたしはそう確信している。」


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 道徳の時間の指導については、今、校長の参加も求められています。
小学校学習指導要領 第3章 道徳 第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い 3 (1)を参照してください。
 このはんちゅうにおいては、道徳が専門かどうかは関係ありません。


 さて、先の、『パワフル算数』について、PSJ渋谷研究所Xさんが、大変うれしい記事をまとめてくださいました。
 次回は、そのことにふれたいと思います。

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2007年03月14日

記念の授業(3) 道徳 その24

1eac9e11.JPG 『子ども同士が話し合うなかで、子どもが子どもの言葉で価値ある概念に到達する。』そうすることができなかったと述べた。

 それは残念だったが、それはそれ、本記事では、終末の場面がどう展開したかを、述べてみたい。


「実はね。このわたしも、このおばあさんほどではないが、小学校生活の忘れられない思い出があります。50年ほど前になりますがね。
わたしの学校で、マラソンのリレー、つまり駅伝のようなものですね。そういうのが行われていました。

 わたしは走るのは、遅い方なのです。しかも、そのときは、風邪をひいていて、熱も少しありました。だから、『いやだなあ。走りたくないなあ。』と思っていたのです。でも、リレーだから、走らないわけにはいきません。やっぱり、2人の子にぬかれてしまいました。『ああ。みんなになんて言われるかな。』そういういやな気持ちでいたのです。

 そうしたら、Cという友達が、
「toshi。風邪ひいているのにがんばったじゃん。速かったよ。」
と言ってくれました。それは、それは、涙が出るほどうれしくなっちゃってねえ。だって、ぬかれて、ふつうなら、いやなことを言われてもふしぎじゃないところでしょう。そういうときに、そう言ってもらえて、・・・、だからね。忘れることができないのです。」

 そうしたら、子どもたち。
「すごいね。toshi先生。友達の名前まで覚えているのだ。」
「励ましてくれたからでしょう。覚えているのは。」


 さて、ここからは、A学級、B学級と、具体的な事例を交え、分けて書いてみようと思う。
 
 まずは、A学級。

「その、わたしの話と同じようなことが、このクラスでもあったよね。」
「ええっ。」
「ほんとう?」
「うん。あったよ。だって、最近、このクラスのみんなは、お友達同士、とってもやさしくなっているよ。そういう思いやりのある言葉をよく聞く。」

「じゃあ、言うね。・・・。言う前に、これは、Dちゃんのことなのだけれど、Dちゃんにとっては、あまりいい話じゃないから、言う前にあやまっちゃうね。ごめんね。・・・。Dちゃんは、体の調子があまりよくないというか、そういうことで、学校へ来るのがどうしても遅くなっちゃうでしょう。・・・。最近は、早くなっているよね。それは、みんなが、Dちゃんにやさしいからだと思う。・・・。これは、前、遅くなっちゃったある日、Dちゃんがうれしくなっちゃうような一言をかけてやった子がいるじゃん。」

 そうしたら、Eちゃんである。
「ああ。分かった。それはね、Fちゃんだよ。Fちゃんがね。『Dちゃん。大丈夫? 今日は早いじゃん。』て、言ったの。」
「おお。すごい。覚えていた子がいるか。もう、何ヶ月も前のことだぞ。・・・。それは、もう、感動ものだな。すごいよ。」
 また、また、いっせいに拍手がわき起こる。

ところが、楽しい。かんじんの、言われたDちゃんは覚えていないというのだ。Dちゃんは覚えていなくて、関係のないEちゃんが覚えている。もう、みんな大笑いだ。でも、温かな雰囲気に包まれ、ジーンとくる瞬間だった。

「ねえ。すごいでしょう。わたしの子ども時代と同じようなエピソードだと思わない。」
「分かった。友達に何かいやなことを言われないかなと思っているときに、逆に、励ましてくれたんだ。」
「そうだね。うれしくなっちゃうようなことを言ってくれた。」
「そうだ。そうだと、50年たってもちゃんと覚えている。このお話のおばあさんが、60年たっても覚えているようにね。・・・。そうすると、Dちゃんもね。覚えていないということだが、今日、こうして、話題にしたからね。これからはずっと覚えていてくれるのではないかな。・・・。そのくらい価値あることなのだ。」

 どの子もうれしそうだった。幸せそうな笑顔、決意を感じる緊張した顔、そんな顔に満ち溢れていた。


 次は、B学級。

 このクラスは大変だった。初任の担任が、やさしく子どもに接し、ほとんどしかることはなかった。また、ほめるということもあまりなかった。確かに子どもとはよく遊んでいたが、だんだん自己統制のきかなくなった子どもは、授業中でも、奇声を発したり、立ち歩いたりするようになった。
 一番荒れた時期は、勝手に教室をとび出す。わけもなく友達に暴力を振るう。長身の担任は、その子を、抱きかかえ、校長室に連れて行くなどということもあった。その子は、そうして抱きかかえられているとき、意外にもにこにこして、うれしそうだった。4年生だが、幼児語がとび出すこともあった。


 その担任と、以下のようなやり取りをしたことがある。

「もっと、子どもをほめなければだめだよ。授業中立ち歩く子なのだから、席に座っているだけでもほめる。」
「4年生なのに、・・・、ですか。そんなの当たり前のことだと思うけれど。」
「そりゃあ、ふつうの4年生の場合は、当たり前でいい。でも、Gちゃんは、明らかに、先生の愛情を求めている。それは抱っこしてほしい。声をかけてほしい。ぼくの方を向いてほしい。そういうことだ。だから、それに応えないと、もっともっと荒れてしまうぞ。」
「でも、Gちゃんにだけ、そんなことをしたら、逆に、わたしに声をかけてほしくて、席を立ち歩く子がふえてしまうのではないですか。」
「そんなことはない。・・・。ないよ。・・・。じゃあ、立ち歩く子がふえるかどうか、ためしにでもいい。やってみたらどうだ。」

 たしかに、もう一人だけ、立ち歩く子が出た。Hちゃんだ。この子は、幼児語こそ出なかったが、ミニGちゃんという感じで、回数こそ少ないが、似た行動を示すようになった。しかし、それだけだったのは幸いだった。

 他の子は、彼ら、Gちゃん、Hちゃんに対し、だめな行動に対しては、『だめでしょう。そんなことしちゃあ。』『やめなさいよ。』毅然としてそういうものの、そういうとき以外は、きわめて友好的だった。だから、いつも級友とともにいることができた。


 担任は、その後、見事に自己改革を遂げた。今では、特別に、Gちゃん、Hちゃんをほめる必要がないくらい、2人は、落ち着きを見せるようになった。奇声を発しない。暴力も振るわない。席を立ち歩くことも、・・・、いや、これは、たまにあるな。しかし、学級は見事に立ち直った。もともと、友達へのやさしさはあったわけだから、今はもう、それに満ちあふれている。

 担任は言う。
「学級経営のよしあしを決めるのは、やはり担任なのですね。子どもではないということがよく分かりました。来年は、何年生を受け持つか分かりませんが、4月からもう、がんばってみます。」


 ここでは、それを語るのが趣旨ではないので、このくらいにしておこう。道徳に戻る。

 上記、わたしの小学校時代の回顧談をしたあと、
「このクラスだってね。友達同士のかかわりがすごく豊かじゃないか。ほんとうに、みんな楽しそうに学級生活を送っている。・・・。だからね。3週間くらい前だったかな。この中の、ある子から、すばらしい言葉がとび出したことがあるよ。

「なあに。」「だあれ。」期待に満ちた顔、顔、顔。

「担任のI先生が、何かでみんなのことをほめていたときだ。『そう。ぼくたちは、4月のころと比べると、すっごく成長した。』そう言った子がいたじゃないか。」
「ああ。わかった。Gちゃんだ。」
「そう。そうだよ。Gちゃんがそう言ったでしょう。だから、思わずうれしくなって、わたしは、後ろから、言ったじゃないか。」
「・・・。」
「『うん。認める。』ってね。ふだんは黙って授業を見ているだけだけれど、あのときは、思わず叫んじゃった。」
「そう。そうだったね。」
 多くの子がうれしそうに、うなずく。

「みんなはね。どの子ともなかよくできる。だめなときはだめと言いながらも、なかよしだ。だから、このおばあさんが、Cちゃん、Dちゃんをなつかしがるように、みんな、60年たってもこのクラスをなつかしがるに違いない。そして、苦しいとき、こまったとき、その思い出が、生き抜くバネになるような、そんな思い出をたくさん今作っている。そう思えるのだ。それがすごくうれしい。」


 さあ、また、両クラス共通の学習の流れに移る。

「最後にね。聞きたい。もうすぐ、5年生だ。どんな5年生になりたいと思いますか。」

「もう高学年なのだから、けじめを大切にする。」
「いい思い出をたくさん作る。」
「60年たっても忘れないような思い出だよ。」
「そう。生き抜くバネになるような思い出。」
「お母さんもね。このクラスは、いいクラスって言ってくれているの。だから、ずっとこのままでいたいのだけれどね。それは無理だから、新しい友達をたくさん作る。」
「下級生にもやさしくして、いろいろなことをやってあげて、喜ばれる5年生になりたい。」
「もう、2分の1成人式も終わったから、半分大人だからね。もっともっといろんなことが分かるように、がんばる。」


 授業が終わったあと、A学級のDチャンがわたしのところに来た。
「toshi先生。ありがとうございました。わたし、そのことを思い出せなかったけれど、でも、ほんとうにいいクラスだなって、思いました。」
「そうか。それはよかった。きっとね。もうこれからは忘れないと思うよ。それとね。あまりいいことではないのに、名前まで出しちゃって、ごめんね。」
「うううん。そんなことない。みんな、やさしいのが、とってもうれしいから。」

 この子は、ちょっとわけがあって、保健室登校、不登校にもなりかねない子だ。でも、もう、大丈夫だろう。


 最後にふれておきたいことがある。

 前記事での反省の反映なのだが、やはり、終末段階は、わたしがかなりでてしまう結果となった。
 でも、それは、

○ 道徳では、『最後は、教員の説話などをとり入れ、子どもたちが感動や学習のねらいに浸ったまま終わるのが望ましい。』とされていること。
○ わたしは、担任ではないのだから、たまにしか授業をしない。子どもが、十分心的に受け入れると判断できるときは、大いに語るべきではないか。

でも、これはむずかしい。反省と、両様、相まっている。指導者がこれでは、初任者は迷ってしまいますね。すみません。


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 わたしは道徳が専門ではないので、これ以上は分からない。どなたか、ご指導いただけたら幸いです。

 先にも書いたように、校長時代は、卒業期を控えた今ごろ、卒業生との記念の授業として行っていたものです。次回は、6年生の授業の様子に、少しふれたいと思います。発達段階の違いが読み取れるのではないかと思います。

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   (4)へ続く。


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2007年03月12日

記念の授業(2) 道徳 その14

e7e70308.JPG 3月5日に、道徳の自作教材文を掲載した。そして、先週の水、金曜日、この教材文を使って、初任者の2クラスで、わたしが授業を行った。今日はその様子を記載したい。

 そのまえに、まだこの教材文をお読みでなかったら、それをまずご覧ください。

     記念の授業(1)


 本授業のねらいは、『おばあさんの小学校時代のなつかしい思い出が、大人になってからも強く生きようとする力になっていたことが分かり、そのような心の豊かさにあこがれる心情を養う。』である。
 この点、前回、記事にしたとき、『ねらいは愛校心』と申し上げた点について、お詫びして訂正したい。『敬虔』とする。


 また、2クラスで行った授業であるが、両クラスとも、似た流れで学習が展開した。

 そこで、ここでは双方の流れを合体させ、あたかも一クラスの流れであるかのように記述させていただきたい。
 ただし、最後の場面(次回になってしまいます。)だけは、両クラスで現実にあった具体的な事例をとり上げているので、双方とも記述させていただきたい。

 
 最初、わたしから、子どもたちになげかけた。

 「みんなで楽しく勉強したり、力を合わせたりしてきたこの学級も、あと10日ほどで、編成替えになってしまうのだね。そのような今、何を大切にしたいかを聞いてみたい。」

 発言では、友達、友情、家族、生き物、命(たましい)、思いやり、思い出などがでた。ここでは単語の発言が多く、やや観念的というか、うわっつらだけの発表になってしまったような気がする。

 単語でなかったものは、
「一生懸命がんばっている習い事なので、さらに上手になりたいから、大切と思っている。」
「このクラスがとても楽しかった。だから、このクラスにいられたことがとてもよかったと思っている。それで、このクラスが大切。」
「友達がたくさんできたし、仲良くすることができたから、友達の思い出。」
くらいだったか。

 「はい。それではね。今から、一つのお話をみんなに配ります。このお話には、一人のおばあさんが登場します。そのおばあさんも大切にしてきたものがあるのです。何を大切にしたかを考えながら、読んでくださいね。」
 そう言って、教材文を配布した。
 読みのめあてを提示してから、お話を読むようにさせたい。そういう思いだ。

 配布しようとすると、子どもから声がかかった。
「あれ。いつもの道徳の本ではないのだね。」
「そう。今日のお話は、プリントにしたよ。なぜかと言うとね。これは、実際にわたしが体験したことをお話にしたものだからです。
だからね。このお話に出てくる『わたし』は、(指で自分を指し示しながら、)このわたしなのです。」
「ええっ。ほんとう。」
「じゃあ、お話を書いたのは、toshi先生ですか。」
「はい。お話を書いたのも、この、わたしです。」
 子どもたちは感心したように笑う。いっぺんに興味をもったように感じられた。


 わたしが全文を読む。食い入るように文面を見つめる子どもたち。読み終わると、いっせいに拍手が起きた。ふだん、それほど拍手などする学級ではないだけに、子どもたちの温かな気持ちが伝わってきた。

 「さあ。それでは、おばあさんが大切にしてきたものは何か、1分くらいたったら聞くから、もう少し考えてね。」
すぐ指名してしまうと、なかなか発言できない子が出そうなので、しばらく考える時間をとった。

 そして、指名。
「人を大切にしている。」
「つけたしで、仲良しだったCちゃん、Dちゃんや先生の思い出を大切にしている。」
「学校って言ってもいいのではないの。今は、A小学校って言う。」
「思い出。卒業しないで転校してしまったでしょう。しかも、遠いブラジルへ行くことになったからね。日本での楽しかった学校の思い出が忘れられなくなった。」
「ブラジルへ行ったから、日本の思い出って言ってもいいんじゃない。」
「それらはみんな一緒になっている。日本と、A小学校と、Cちゃん、Dちゃんは、みんな一緒で一つのなつかしい思い出になっている。」
「おばあさんは、その思い出を忘れないようにしようと思っている。」
「苦しいときにこそ思い出す、思い出だと思う。」

 わたしはここで、『苦しいときにこそ』と板書し、先の『楽しい思い出』『なつかしい思い出』を、チョークで指しながら、
「そうか。苦しいときにこそ、楽しかった日本のA小学校のことが、思い出となって、忘れられなくなっていくのだな。」
と言った。

「そう。思い出がね。苦しいとき、このおばあちゃんを支えてくれたの。」
「日本にいたとき、Cちゃん、Dちゃんと仲良しだったでしょう。だから、忘れられなくてね。Cちゃん、Dちゃんもがんばっているだろうから、わたしもがんばろうって思ったと思う。」
「ううん。ちょっと違うのだけれど、Cちゃん、Dちゃんは、日本にいるから、別に苦しくないでしょう。でも、おばあさんにしてみれば、Cちゃん、Dちゃんが励ましてくれているとは思ったと思う。苦しいときに。」
「最後の方に、A小学校の思い出が、苦しいとき、『生き抜くバネ』になったって書いてあるでしょう。だから、思い出がなければ、生きてはいかれなかったかもしれないからね。大切な思い出だったと思う。」
「思い出が命っていう感じ。」

 ここで、わたしは、冒頭の子どもの発言の板書『命(たましい)』と、思い出とを、矢印で結んだ。最初の観念的な言葉がだんだん意味を持つようになる。また、『生き抜くバネ』も、色チョークを使って板書した。

 そして、「『生き抜くバネ』って、どういうことだろうね。」と、なげかけた。
「おばあさんを支える力っていうこと。」
「賛成で、おばあさんを思い出が支えてくれる。思い出があるから、苦しくても、がんばれる。」
「やがて楽になるときもあるだろうから、それまでがんばろうという気持ちになったのではないかと思う。」
「思い出が慰めてくれる。」

 「わかった。でも、苦しかったのは、この息子さんが生まれるころまでだったのだな。それからは、まあ、くらしは落ち着いてきたって書いてある。少しは楽になったということだ。ところで、それからも、おばあさんは、思い出を大切にしたのかな。」

「大切にした。とっても苦しくて、つらかったでしょう。朝早くから子どもが働くのだから、苦しかった。その苦しさは、息子さんが生まれてからも、忘れられない。」
「もう、今のぼくたちの歳のときは、ブラジルにいたのだから、苦しい。なかよしの友達を忘れられなかったと思う。」
「苦しかったから、生活が楽になっても、日本のことが忘れられない。」
「CちゃんやDちゃんに会いたいなあって、ずっと思っていたと思う。」
「60年後にやっと会えると思って、日本に来たのだね。」
「ずっと日本に行って友達に会いたいと思っていたから、日本の思い出は忘れなかったのだと思う。」
「でも、日本に60年ぶりに帰ったら、町はまったく変わっちゃって、道もわからなくなったでしょう。」(『道はなくなっちゃったのだよ。』の声あり。)「そう。なくなっちゃったでしょう。それに、CちゃんやDちゃんにも会えなかったからね。がっかりしたと思う。」

 これは、学習を深める契機となる発言だ。ふつうは、担任が発問して、子どもがそれに答える形で、授業は深まっていくのだろう。しかし、これでは、子どもは受身でしかない。
 この子の発言は、わたしの発問に答えたものではない。友達の思いを聞きながら、自分の思ったことを言葉にしている。
 このような発言も認めること。それが、子どもの手によって、学習を深めることを可能にする。

 ただし、最後の、『がっかりしてしまう。』というのは、『そうではない。』と物議をかもす。
「がっかりはしていないよ。最後は、『満足した表情で帰った。』って書いてある。」
「toshi先生。ほんとうにおばあさんは、満足そうだったのですか。」

 これはすごい。わたしが書いたお話ということで、わたしに質問が来た。
 授業後、分かる。この子は、せっかく60年ぶりに日本に帰ってきたのに、『町はまったく変わってしまっている。』『なかよしの友達にも会えなかった。』『学校名も変わってしまっている。』ということから、『がっかりしてブラジルに帰ったに違いない。』と思ったようだ。
ところが、『満足そうに』と書いてあるから、筆者であるわたしに疑問をなげかけたのだった。そうしてみると、学習を深める契機となった上記『がっかり』発言も、読みが浅いのではなくて、信じられない思いが深かったのかもしれない。

 わたしは、『うん。満足そうだったよ。』と、文章よりは、ややぼかしたかたちで答えた。
「そうだよ。だって、写真を見ているとき、息子さんが、おばあさんに、『写真であっても、こうしてなつかしい先生や友達に会えたのだから、ほんとうによかったね。』って言っているでしょう。よかったって思っているのだからね。それと、おばあさんは、目にうっすら涙がにじんでいたのだからね。満足したのではないかな。」
「ぼくも満足したと思う。迷ったけれど、学校に来ることはできたし、だいたい60年もたっているのだから、友達に会えるとは思っていなかったと思う。だけど、写真も見られたしね。よかったという思いだったと思う。」
「それに、toshi先生の手をにぎって、何度も、『ありがとうございます。』って言っているでしょう。だから、やっぱり満足した。」


 わたしはこのとき、もう少し学習を深めたかった。それは何だろう。分かっていたはずなのに、思い出せない。
 示範授業なのになさけなかった。

 今なら分かる。

 『それこそ、おばあさんにとっては、ただ単になつかしいだけの思い出なのではない。もう、A小学校を訪ねずにはいられないくらいの、自分にとっては、それこそ、命を支えてくれたくらいの思い出であって、学校生活における先生や友達との生活は、そのくらいの重要性を持っているのだ。
そして今、まさに、ぼくたち、わたしたちも、それくらい、大切な、価値ある生活を、学校で、教室で、日々、送っているのだ。』
 それを子どもの言葉で押さえたかった。しかし、それができなかったのは残念でならない。

 上記に、次の4行のようなやり取りがある。
「最後の方に、A小学校の思い出が、苦しいときに、『生き抜くバネ』になったって書いてあるでしょう。だから、思い出がなければ、生きてはいかれなかったかもしれないからね。大切な思い出だったのだなと思う。」
「思い出が命っていう感じ。」

 せっかくここまで子どもたちは発言していたのだ。だから、ちょっと、わたしが、『そうか。思い出が命に匹敵するのか。思い出ってただなつかしいだけではないのだね。わかった。じゃあ、どういう気持ちで、おばあさんは、A小学校へ60年ぶりに来たのだろうね。』くらい言えば、子どもは、そこまで自力でたどり着いたかもしれない。


 それでは、この記録もだいぶ長くなった。終末部分は、次回、掲載することにさせてください。


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 これまでも、道徳などの授業の様子を、このブログに掲載したいなと思うことはありました。しかし、教材文は、著作権の問題があり、転載できません。教材文が分からなければ、授業の様子だけ書かれても、理解困難になってしまいますよね。それで、掲載しにくい部分がありました。
 しかし、この点、今回は自作ですから、まず、問題はありません。

 そこで、このブログをお読みの先生方へ。

 授業で、この教材文(六十年ぶりの母校)をお使いになりたい場合は、どうぞ、ご自由にお使いください。ただし、その場合は、お知らせいただけるとうれしく思います。

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   (3)へ続く。


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2007年03月05日

記念の授業(1)4

c92c9198.JPG ああ。2年間にわたった初任者指導も、最終の月を迎えた。感慨無量なものがある。初任者指導だけでなく、子どもとのふれあいという意味でも、一日一日を大切にしていきたい。

 これまで初任者一人あたりでは、平均一月に一回の示範授業をしてきた。今月は、4年生2クラスで道徳の授業を行うことにした。あくまで初任者の研修のために行う授業だが、本音としては、わたしの思い出のためという部分もある。

 今週中に行う予定だが、その授業のことは、このブログにも掲載させていただきたい。
 今日は、その授業で使う教材文を掲載させてください。

 これは、わたしが教頭だったとき、実際に体験したことである。だから、本文中の、『わたし』は、まさに、このtoshi。わたしである。ただし、主題にかかわる部分には、若干の創作がある。

ねらいは、『愛校心を養う。』別れようとしても別れがたい、そんな学級の雰囲気が前提となる。
 
 なお、本日掲載の写真にとった絵は、当時、図工主任にかいてもらった。



   六十年ぶりの母校

 校庭の桜が散ったころでした。温かな日差しがふりそそいでいます。わたしは校庭のごみ拾いをしていました。

 ふと正門付近を見ると、四十歳くらいの男の人とおばあさんが、たたずんでいました。学校の中へ入ろうか入るまいか、迷っているように見えました。わたしは急いでお二人のところへかけより、声をかけました。


「何かごようでしょうか。A小学校ですけれども。」
「ええ。あのう、・・・、このあたりにB小学校という学校はないでしょうか。」
「ああ。その学校はここです。今はちがった名前になっていますが、むかしは、B小学校でした。」

 お二人は安心したように笑みを浮かべました。
「ああ。よかった。確かこのあたりだと思ったのですが、A小学校となっているので、迷ってしまいました。」
「実は、ここにいるのは母なのですが、母は子どものころ、このA小学校に通っていたのです。あまりになつかしがるものですから、つい来てしまいました。」
「卒業生の方ですか。それはどうも。・・・。でも、このあたりの町も、学校もすっかり変わってしまいましたでしょう。」
「ええ。それはもう、えらい変わりようです。知っているはずの道も今はありませんでした。それにビルばかりになってしまいましたね。あまりに変わってしまったので、驚いています。
 実はわたしは卒業していないのです。三年生の秋に家族そろってブラジルへ移民しました。そのままブラジルで過ごしまして、このたび、六十年ぶりに日本に帰ってきたのです。」
「それは。それは。何もかも、なつかしいことでしょう。学校はすっかり変わってしまったのでしょうが、むかしの写真もございます。お見せしたいと思いますから、どうぞ、校長室にいらしてください。」

 校長室で、お二人にむかしのアルバムをお見せしました。
「うわあ。なつかしい。あら。Cさんがいる。まあ、Dさんも。」
ほんとうにうれしそうに見つめていらっしゃいました。目にはうっすら涙がにじんでいるようでした。

「これは卒業写真です。A小学校は開校して○○周年を迎えます。どうぞ、ごゆっくりごらんください。」
「あら。この先生はわたしの担任だった方です。やさしい先生で、よく面倒をみてくださいました。うれしいわ。こんな写真があったなんて。」

 息子さんは、そんなお母さんの顔を見つめながら、
「よかったです。母の長年の願いがかなえられました。ありがとうございます。」

 お母さんは、なおも話を続けられました。
「わたしは、六十年間、日本を一時も忘れたことはありませんでした。また、B小学校の楽しかった思い出を忘れないようにしようと、そればかり思ってブラジルでくらしてきました。
 苦しいこともありました。移民してすぐはなかなか作物が実りませんでした。干ばつもありましたし、農業になれない両親は見よう見まねでやっておりましたから、失敗も数多くありました。子どもだったわたしも、朝早くから夕方まで働きました。学校も満足には通えなかったです。
 そういうときに思い出すのは、楽しかったB小学校のことばかりでした。Cちゃんは元気に学校に通っているだろうな。Dちゃんは今もやさしくにこにしているのだろうな。そんなことばかり思ってくらしていました。やっとくらしが落ち着いてきたのは、この子が生まれたころだったでしょうか。」

「・・・・・・。」
 わたしは感動のあまり声が出なくなりました。

「母は、この学校の思い出を大切にし、苦しいとき、それを生き抜くバネにして働いたようです。」
おばあさんは何度も何度もうなずかれました。

「Cさん、Dさんはお元気なのでしょうか。」
「わからないのです。このあたりに家があったはずというところへも行ってみたのですけれど、もう大きなビルばかりで、まったく見つけることはできませんでした。もう無理ですね。」
「そうかもしれません。戦争もありましたし、そのときは、このあたりもすっかり焼け野原になってしまったということです。」
「でも、おばあさん。写真であっても、こうしてなつかしい先生や友達に会えたのだから、ほんとうによかったね。」

 おばあさんは、わたしの手をにぎり、何度も何度も、
「ありがとう。ありがとうございました。」
とくり返して、お礼を言ってくれました。

「実はあさって、ブラジルへ帰る予定です。そうしたら、もう、母は日本へ来ることはないでしょう。
一昨日も、この学校へ来たのです。でも、そのときは、学校がちがうと思ったものですから、もう少しさがしてみようということで、もどってしまいました。今日は、やっぱりここではないか。もしちがっていたら、学校の先生に聞いてみようと思い、やってきました。そうしたら、先生の方から来てくださったので、ほんとうに助かりました。ありがとうございました。
これで、安心して帰れます。」

 お二人は満足した表情で、帰られました。わたしは、その親子の後ろ姿を見えなくなるまで、ずっと見送っていました。


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 わたしは、校長時代、卒業を控えた今ごろ、この教材文を使って、卒業を記念しての授業をやらせてもらいました。そのときの子どもの発言などを中心として、卒業式の式辞としたこともありました。
 今回は、4年生ではありますが、がんばってくれると思います。

 また、道徳の自作教材文は他にもあり、かつて記事にしたこともあります。ただし、文章そのものは見つからなかったので、むかしのエピソードとして、掲載しました。よろしかったらご覧ください。

   皆、教育者

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   (2)へ続く。


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