学級だより

2009年01月26日

ある日の学級だよりから、4

0ba83b45.JPG 今日は、特にテーマなどなく、申し訳ありません。

 学級担任だったときの、ある日の学級だよりから、たんたんと学級の様子を描いてみたいと思う。1年生。ちょうど、今ごろのたよりである。



 それでは、どうぞ、ご覧ください。


〇給食にアイスクリームが出ました。これには、わたし、びっくりしました。冬の寒いさなかだったからです。

 それで、社会科の『冬のくらし』の学習を思い出しました。


 Aちゃん、Bちゃんが、

「冬は寒いから、アイスを食べない。」

と発言。そうしたら、多くの子から反論されました。

「ええっ。食べるよ。ぼくなんか、いつも食べてるもん。」

「部屋のなかはストーブをつけているから、あったかいの。だから、食べるよ。」

 そのとき、

「給食でも食べたじゃん。」


 給食のアイスクリームも、ほんとうにおいしかったです。

 ところが残念です。今まで2回出ていますが、2回とも欠席が多いのです。

「toshi先生。アイスだけは休んでいる子のおうちに届けてあげたいね。」

「だめだよ。とけちゃうもん。」

なるほどね。でも、そのやさしさがうれしかったです。

 最近は、お休みも減ってきて、よかったなと思っています。


〇びっくりし、思わず、えらいなあと思ったのは、Cちゃんのこと。 

「ぼく、今日は、アイス、食べると、おなかこわしそうだから、いらない。」

 大好物なだけに、かわいそうになってしまいました。でも、その判断をうんとほめました。おなかをこわしそうでも、ほしければ食べてしまうことが、ふつうは多いのではないでしょうか。

 それにいつも元気いっぱいのCちゃんのこと。とてもおなかをこわしそうには見えませんでした。

 休んだ子の分と一緒にして、お代わりの希望者に分けてやりました。もらった子たちから、自然に、「Cさん。ありがとう。」の声が起きました。


〇朝から、大変寒かった日のこと。

 この日も、給食にアイスクリームがでる日でした。

 それで、わたし、

「今日は、給食でアイスの出る日だ。だから、教室の中を暖かくしておかないとね。ストーブ、つけるよ。」

 しかし、子どもたちから大反対されてしまいました。Dちゃんです。

「だめだよ。先生。あったかくしたら、アイスクリームがとけちゃうもん。」

 またまた、ストーブをつけることができませんでした。


〇社会科の冬のくらしの学習でも、楽しいことがたくさんあります。

 部屋を暖かくするための暖房具が、たくさん子どもから出されました。そのとき、Eちゃんです。

「コタツから出るとね。寒くなっちゃうから、そうしたら走るの。走れば暖かくなる。」
 

 すると、Fちゃんから反論されました。

「ええっ。おうちの中を走るの。そんなことしたら怒られちゃう。」

「あっ。間違えちゃった。おうちから出るとね。寒いから走るの。」

 それで、みんな納得でした。でも、車には気をつけてね。


〇続いて、Gちゃんです。

「冬はね。寒いから、修行ができる。」

 修行。何のことか分かりますか。

 でも、子どもたちやわたしは納得です。


 先日、このようなことがありました。

 休み時間、Gちゃんたち、ジャングルジムの上に乗り、じっとしています。

 わたし、思わず、声をかけました。

「何しているの。そんなところで、じっとしていたら、寒いでしょう。うんと、動きまわらないと。」

「ううん。いいの。ぼくたち、『寒くったって平気だよ。』って、今、修行しているさいちゅうなの。」

「ええっ。修行しているのか。参ったなあ。・・・。でも、風邪ひかないようにね。」


〇社会科で、暖房具の話をしていたら、Hちゃんです。

「そんなに部屋の中を暖かくしていたら、猫になっちゃう。」

 わたし何のことだか、一瞬、分かりませんでしたが、何人かの子が歌いだしました。

『〜。ねこは コタツで 丸くなる。』

 なるほど。歌の一節だったのですね。

「先生。オルガン、弾いて。みんなで歌おうよ。」

 社会科の時間ですが、楽しくみんなで歌いました。おかげで、歌を通して、冬を実感することができました。


〇もう一つ。社会科の、冬のくらしの学習の話題です。

 Iちゃんです。

 「サンタクロースが来てくれた。」

 なるほど。これも、冬のくらしなのですね。

「ぼくのうちにも来たよ。」

 そういう声がたくさん上がりました。おもしろかったのは、Jちゃん。

「でも、変なんだよ。わたしのうちには、23日に来たの。」

ほんとうに心から不思議がっていました。

「ぼくのうちは煙突がないから、来なかった。」

と言っている子もいました。でも、決してさびしそうではなかったですよ。安心しました。

 Kちゃんは、

「ぼくんちは、サンタクロースが来てくれなかったので、お母さんがサンタクロースの代わりをしてくれた。」

 教室は、温かな雰囲気に包まれました。

 わたしは、『サンタクロースなんて、ほんとうはいないんだよ。』という声がとび出さないかとヒヤヒヤしていましたが、大丈夫でした。


〇そのような話をしていたら、わたしは数年前の失敗を思い出しました。

 そのときは、5年生の担任でした。

 何かの話のときに、わたし、言ってしまったのです。

「そうだよね。でも、そういう、サンタクロースのような夢のある話は、うそだって言ってしまうのではなく、子どもらしさを、いつまでも、持続していたいものだよね。」

 そうしたら、何人もの子から怒られてしまいました。

「先生。だめだよ。そんなこと言っちゃあ。このクラスには、今だってサンタクロースを信じている子がいるのだよ。」

「そうだよ。ああ。かわいそうじゃん。」


 しまった。

 でも、もう、ときすでにおそし。口は災いの元。

 この場合、謝るのも、信じている子の心をよけい傷つけてしまいそうで、もう、言葉も出ず、絶句してしまいました。


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 今日は、単なるエピソード集のような記事になってしまいました。

 それにしても、冬の給食にアイスクリームが出るのには、戦後の貧しさを体験しているわたしには、ほんとうに驚きでした。

 でも、子どもにとっては、それも冬のくらしの姿なのですね。


 この子たちも、もう立派に成長し、そろそろ、結婚するような年ごろになっています。彼ら、彼女らの幸せを祈らずにはいられません。 

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2008年12月30日

一人ひとりを見つめて! 学級だよりから

633a3d37.JPG 今年最後の記事となりました。これまでと変わらぬご愛顧を賜り、厚くお礼申し上げます。

 世は、学力低下論争から始まり、ついには全国学力調査結果の公表で大騒動です。

 そのような折、教育の原点を見つめていただくのも、意義あることかと存じます。

 教育にとって何が大切かをお考えいただくよすがにしていただければ、幸いです。


 というわけで、

 わたしのかつての学級だよりを紹介させてください。

 1年生担任でした。

 7月のたよりです。

 本物は、全員、実名で掲載してありますが、ここではもちろん仮名とします。ただし、アルファベットを超えてしまうので、明日の紅白歌合戦に出場する歌手の名前を拝借することにしました。



 それでは、どうぞ。よろしくお願いします。


青山 4・5月は内気で、ほとんど声を聞いたことがなかった。あるとき、「toshi先生。今日はマスク、持って来たよ。」と、後ろの席から大きな声で報告してくれた。にこにこしてとてもうれしそうだった。それからは、青山さんの声を聞かない日など、まったくなくなったよ。

秋川 わたしが給食のたよりに、「秋川」と書く。栄養士のA先生の返事には、「雅史君」とある。完全に名前を覚えられたね。なぜか。秋川さんはいつも「給食、全部食べたよ。」と報告しているから。返事には、しょっちゅう、『いきいき』『はりきり』『パクパク』の言葉がある。   

秋元 給食室の見学をした。見学後、感想を絵や文にかいた。「給食室には何であんなに水道があるの。」とてもいい問題提起だ。みんなで考えた。給食が大量に作られていることに結びつく、いい話し合いができたね。秋元さんのおかげでいい勉強ができたと、みんなで喜んだ。

五木 上記秋元さんの問題提起について、「野菜についている土を洗うため。」と発言。他の子から、「土なんかついてないもん。」物議をかもした。さっそくみんなで聞きにいく。調理員さんのBさんに答えてもらった。土がついてくるのにはジャガイモがあるとのこと。五木さんの生活経験が、見事に生きた。

石川 朝会や集会の終了時、音楽に合わせて昇降口に向かう。石川さんはそういう時、実にいきいきと行進する。手足がよく動く。そして、いつも笑顔だ。石川さんのように大きな子は手足がなかなか音楽に合わないものなのだが、張り切っているからリズムにのるのだね。

北島 朝会や集会が始まる前、『早く並びなさい。』という意味で、いつも音楽がかかる。そういうとき、にこにこしながら足踏みをしている北島さんの姿が見られる。一番前で目立つだけにとてもうれしい。教頭先生も感心していられた。「とっても楽しそうだね。しかも、いつまでもやっているよ。」

大塚 大塚さんは保健係。つい最近、『保健だより』を書いてくれた。それを見たとき、大塚さんは新聞係だったかなと錯覚してしまったよ。絵と文でとてもしっかりかけていた。クラスへの呼びかけもあったね。みんなも、大塚さんの呼びかけにしっかり応えようね。

北山 おうちでの自主的な勉強を張り切って持ってくる。最初のうちはわたしに見せていたけれど、校長先生が健康を回復され、出勤するようになると、お祝いを兼ねて、校長室までそれを持っていった。校長先生からほめてもらったみたい。校長先生も、とても喜んでいらっしゃいました。

川中 国語の、『先生、あのね。』を書いていたとき、初めは、「何を書いていいか分からない。」と言ってきた。わたし、何気なく、給食を全部食べたときのことを言ったら、川中さん、ニコッと笑い、すぐそのことを書いてきた。やっぱりとてもうれしい思い出だったのだね。

木山 「給食のお代わりは、わたしがよそってあげた量だけにしてね。」人気メニューのときの話。そうしたら、「toshi先生は、ぼくたちより量が多いじゃん。お代わりも多いの。」と心配そう。「よし。わたしも、お代わりはみんなと同じ量にしよう。」木山さん。安心したみたい。とてもうれしそうだったよ。

倖田 お姉さんが2年生。放課後同じ服装で校庭に遊びに来た。そうしたら、保健のC先生。ふたごと間違えちゃった。仲良しなんだね。翌日はお姉さん、風邪を引いてお休み。国語の、『先生、あのね。』には、お姉さんの健康を気遣っていることを書いたよ。やっぱり仲良しなんだ。再確認。

東方 下校中、出張するわたしと出会った。「わああ。」と声を上げながら、全力で走ってきて、「先生。さようなら。」と手をふってくれた。入学後、どちらかと言うと、おとなしい感じの子だっただけに、このいきいきとした表情が、うれしかったなあ。

伍代 牛乳アレルギー気味だった。ある日、友達にはげまされながら、牛乳を全部飲んじゃった。その日の夜、家で湿疹が出ちゃったんだって。それ以来、半分に減らし、ゆっくり飲む量を増やしていった。そうしたら、全部飲んでも大丈夫となった。友達と伍代さんの努力だ。

徳永 入学してすぐは、縄跳びが苦手だった。体力づくりが始まったころは、ちょっと嫌がる姿も見られた。でも、がんばった。今では、連続で何回もとべる。「縄跳びが好きになったからとべるようになったんだよ。」と言う。この言葉、うれしかったなあ。

小林 「先生、昨日は初めて、氷川さんのうちに遊びにいったんだよ。」それから、2・3日たったら、今度は、「今日は、徳永さんちに遊びにいくんだよ。」と報告してくれた。放課後は、校庭でも友達何人もと遊ぶ姿が見られるようになった。ここのところ、急速に友達の輪を広げている感じがする。

坂本 放課後、用事もなさそうなのに、校庭側のドアから職員室をのぞきこみ、「あっ。toshi先生、何やっているの。いけないんだ。」でも、底抜けの笑顔と、あどけなさで、職員室にいる先生、みんな、にこにこ楽しそうに聞いていた。「かわいいなあ。」と言いながら。

氷川 友達にとってもやさしい。友達がこまっているとき、はげます意味で、声をかけてやっている場面が何回もあったよ。みんな廊下へ出て並んでいるのに、なかなか出てこない友達がいたとき、その子のそばへ行って、肩に手を置くようにして、はげましてやっていたっけ。

天童 「先生。ごめんなさい。」と言って、いきなりわたしにしがみついてきた。どうしたのかなと思ったら、国語の教科書を忘れてきたと言う。そのくらいのことで涙を流さんばかりにしている姿を見て、いじらしくなっちゃった。反省する心が豊かなのだね。もちろんその後、まったく忘れ物はありません。

平井 最近とても表情が豊かになってきたよ。だから、美人に見える。大人っぽい表情と言ってもいいかな。「お姉ちゃんがめだかを取ってきてくれたので、持ってきたの。とっても小さいから、よく見ないと分からないよ。」そして、よく面倒をみている。

中島 とってもユーモアがあるんだよ。水泳でシャワーを浴びたとき、「ああ。傘を忘れてきちゃったよ。」と言って先生方を笑わせた。その言い方がかわいらしかったなあ。あどけないだけではないよ。人をくったところもあって、ちょっととぼけたような味もあるのだよ。

布施 最近とても明るくよくしゃべるようになった。このまえの、『花の道』の載っている学級だよりを配ったとき、それを見て、「ばんざあい。ぼくのも載ってらあ。」と言って、喜んでいた。積極的になったので、授業での発言も増えてきたよ。このままがんばってね。

中村 雨の日の休み時間に校庭へ出た。理科の勉強だ。そうしたら、中村さん、びっくりした顔をして、わたしに訴えた。「大変だよ。プールの水があふれている。もうすぐこぼれそう。」ありがとうね。言わずにはいられないというその心情がうれしかった。でも、排水されるから大丈夫。

前川 発表力抜群。いい発表をたくさんするよ。ちょっと口をとんがらせて、訴えかけるような表情が印象的。自分の思うことだけでなく、友達の意見に対し、賛成、反対の意見もよく言う。友達の発言もよく聞いているから、言えるのだよね。『話す・聞く』能力がすばらしい。

浜崎 音楽の時間、自分から希望して、一人で歌った。「ささのは さらさら 〜」七夕の歌だ。歌声がとってもきれいで、特に高い音がすてきだった。輝くようにすき通った歌声で、よくひびいていた。思わず聞きほれちゃった。『美空ひばり』が生まれ変わったかと思ったよ。

美川 入学したころはよく友達といさかいを起こした。でも、それは、真剣に生きている証拠のような感じだった。ところが、最近は、めっきり落ち着いた感じで、言い争うような声をまったく聞かなくなった。友達と仲良くなったし、心に余裕が出てきた感じだ。

平原 理科の学習で、雨の日の休み時間に校庭に出た。多くの子が長靴で水たまりに入ったとき、平原さんは入らなかった。「あたりまえじゃん。ぼく、長靴じゃなかったんだもん。」でも、これ、あたりまえじゃないんだよ。何人も長靴でないのに入っている。その判断力をほめた。

水谷 席が一番前。わたしが手紙やプリント類を列の分わたすと、いつも大きな声で、「ありがとうございます。」って言うよ。えらいなあ。わたしも思わず、「あっ。また、感謝されちゃった。うれしいなあ。こちらこそ、ありがとう。」って言うよ。

藤 水谷さんと似ているけれど、藤さんは、「さようなら。」をした帰りのときに、「先生。今日も一日、わたしたちにいろいろ教えてくれて、ありがとうございました。」って言うよ。最初言われたときは、びっくりしちゃった。こんなこと言われたの、初めてだったからね

森 とってもかわいいなあと思うときがある。それは、発表するとき、にこにこしながら、頭をちょっと斜めにして、はっきり言うのだよ。はずかしそうな、あまったれたような感じがまたいいんだなあ。『十』の読みをやったときも、「うちのお母さん、テレビを見るとき、ジッチャンネルって言うよ。おかしくなかったんだね。」

藤岡 ちょっとはずかしいと思うと、すぐ涙が出てしまった藤岡さん。それが、最近は、『あっ。泣いちゃうかな。』と思うようなときでも、そんなことはなく、とても素直に話が聞けるようになった。おなかが痛いと訴えてきたのに、そのまま掃除をがんばったときもあったっけ。心が強くなったね。

森山 外で遊ぶのが大好き。友達と遊ぶのも大好き。だから、友達は多いのではないかな。すぐカッとしてしまうときもあるけれど、あと、さっぱりしているところがいいね。だから、仲直りがすぐできる。友達の発言をよく聞いていて、すぐ反応するところもいいよ。

水森 給食の片付けのとき、2組の前の廊下に、肉団子の汁をこぼしてしまった。そのとき、D先生がふこうとしたら、さっと動いて、D先生より早くふいたよ。自分がこぼしたのだから、D先生にやらせるわけにはいかないと思ったのだね。えらいなあ。なかなかできないことだと思ったよ。

和田 入学直後からみると、とっても口のきき方がおだやかで、かわいらしくなったよ。心がゆったりとしてきたからではないかな。終わりの会などでは、友達のいいところもたくさん教えてくれるよ。特に女の子のいいところを言ってくれる。ずいぶんやさしくなったね。


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 ああ。なつかしいなあ。

 もう一回担任をやりたくなりました。

 紅白出場の歌手の皆さんには、お名前を勝手に拝借し、申し訳ありません。

 紅組も白組も、がんばってください。 

 それでは、読者の皆さん、よいお年を。


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2008年11月07日

toshiの学級だより論(2)4

4c886b5e.jpg 本シリーズの前記事でもふれさせていただいたが、学級だよりというものは、教員サイドからみれば、出すのも出さないのも担任の自由である。

 だから、わたしの場合、異動になった直後は、すぐは出さないで、まわりの様子をみることから始めた。

 でも、結果的には、5月ごろから出すことになる。そういうことが多かった。それだけ、どこの学校へいっても、出す教員が多かったということになるだろう。


 このようなことを書くと、読者の皆さんはいぶかられるかもしれない。

『toshiは、誰も出していなかったら、自分も出さないのか。』と。


 そこで、言い訳だが、

 そういうことではない。

 折をみて、『ねえ。学級だよりを出そうよ。』と、呼びかけることはしようと思っていた。呼びかけたうえで、自分も出す。そうなるチャンスを待つという気持ちだった。


 ある学校へ異動になったときだった。そのとき、わたしは40代。着任した学校の多くの学年は2学級。わたしは若い女性の先生と組むことになった。


 異動後の初日。職員室を中心に、何がどこにあると、説明を受けているときだった。
「これはカット集です。各学年分がそろっています。学級だよりを出される先生は、カットにこれを使うことが多いですね。」

 わたしは、上記の意味でのチャンスが、早くもむこうからやってきたという思いで、尋ねた。

「ほう。学級だよりを出される先生は多いのですか。」

「はい。半分以上の先生は出していますね。なかには、みんなには言わないで、こっそり出している人もいるようですけれど。」

「先生は出されるのですか。」

「はい。わたしも気が向いたら出すようにしています。出す年と出さない年とがあるのですけれど。・・・。toshi先生は出していらっしゃったのですか。」

「はい。出していました。今は異動になったばかりですから・・・、でも、先生も出していらっしゃるのなら、最初から出すことにしようかな。」


 そのようなやり取りをしたので、このときは、子どもたちとの出会いの日から、お互いに出すようにした。


 そして、2号、3号発行となったある日、その教員から言われる。

「もう、toshi先生の学級だよりはすごいですね。文字が細かく、びっしりで、まるで新聞を読んでいるみたい。それに子どものことが満載で・・・、わたしのなんか、うすっぺらで中身なんか何にもないみたい。」

「そのようなことはないでしょう。わたしは週1回の発行なのに対し、先生は、1回1回の量は確かにわたしより少ないけれど、でも、もう、毎日のように出していらっしゃるではないですか。」

 この先生は、いきなり張り切られたようだった。そのすごいペースに、わたしは称賛の声を何度も送っていた。

 学級だよりは、もともと出すのが自由であるだけに、いざ、出す場合でも、それぞれの教員が、それぞれの持ち味をフルに発揮して出すのが一番いい。

 そのようなことも言った。



 ところで、わたしの魂胆は、学級だよりを出す先生を増やすことだ。そのためには、職員室で、学級だよりが話題になるようにするのが一番。

 そこで、わたしは、前号でも書かせていただいたが、自分の学級だよりは、全教職員に配布するようにした。そして、現に、出している教員に対しては、そうするように呼びかけた。

 最初は、管理職と同学年に配布していただけだったのが、だんだん、わたし同様にしてくれるものがふえた。

 わたしは、その協力に感謝した。



 しかし、なかには、批判の材料にするものもいた。

「こんな、文字ばかりの学級だよりなんか、保護者は読まないでしょう。もっとカットなども入れて、読みやすくしなくちゃ。」

 そうすると、同学年の教員を中心に、フォローしてくれた。

「それが、そんなことはないのですよ。わたしのクラスの保護者も、『1組のたよりも、2組のたよりも、それぞれのよさがあってすてきです。お隣のクラスの方と学級だよりを交換し合って両方読ませてもらっています。どちらも楽しみにしているのですよ。』などと、連絡帳で、教えてくれます。」

「toshi先生のおたよりは、子どものエピソードなどを通して、子どもをすごくほめていらっしゃるから、読んでいて楽しいし、〜。」


 わたしは、あるとき、学級懇談会後の雑談で、
「ある先生から、〜のように言われてしまいましたよ。」
と口にした。

 すると、みなさん、口々に、
「そのようなこと、あるわけがないじゃないですか。みんな、読んでしまうと、次の発行を楽しみにしているのです。」

「もう、うちの子は、帰ってくると、すぐ遊びにとび出してしまうので、月曜日になると、すぐ、『ねえ。学級だより、出していきなさい。』って声をかけるのですよ。」

 うれしいが、ここまで言われると、月曜日の発行を義務づけられた感じになる。もう、遅れでもしたら大変だ。


 さて、全教職員に配付する話に戻そう。

 
 『わたしのクラスの子どもたちの一挙手一投足を全教職員に知ってもらう。』それもねらいの一つだ。

 すると、わたしのクラスの子どもに出会ったとき、気軽に声をかけてくれる教職員が増える。それが子どもたちの励みになる。

「toshi先生のクラスのAちゃんに、『この前学級だよりに載っていたね。Aちゃん、〜のようなことをしたなんてすごいね。』って声をかけたら、Aちゃん、とてもうれしそうでした。」

などと報告を受けることもある。そういうときは、教室で、わたしからも言う。
「B先生に声をかけてもらったのだってな。よかったね。」

 保護者も含め、二重、三重の心のひびき合いとなる。



 こういう話題を職員室で増やすと、若い先生が、

「toshi先生、わたしも学級だよりを出そうかなと思います。」
と言ってくれるようになる。

「おお。出しなよ。出すといいよ。学級経営がやりやすくなる。」

 そして、前号にも書いたが、

・ただ単に、保護者や子どもへのサービスという意識だけで出すのは、負担感、義務感のみふえて、よくないこと。

・家庭で、親子が話題とするような、そのような記事が望ましいこと。

・数号発行したら全部の子どもが載るというのが望ましいが、そこまでの自信がないなら、イニシャルによる掲載が望ましいこと。

そのようなことを話した。


 ベテランは・・・、

 これはいい。

 もうご自分で確固とした経営方針をもっていらっしゃる。出さなくても、盛り上がる学級経営をされているのであるから、これはもう、出さなくてもいっこうに構わない。

 前号で、『楽しみで、電車の中でいつも読ませていただいています。』とおっしゃる先生も、ご自分が発行されることはまずなかった。



 さて、保護者から、
「わたしのクラスでも、学級だよりを出してほしい。」
と言われた場合は、

 素直に、それで出すことにした先生も、大勢いらした。それはそれでありがたく思った。


 でも、今、ここで、一番書かなければいけないのは、

 わたしが校長で、

 保護者からそういう声があるにもかかわらず、

 出さない先生がいた場合の、

 わたしの対応だよね。



 さあ、どうしたか。

 直接そういう声を聞いたことがないので、実際に応えたことはなかったのだが、

 もし、聞いていたら、以下のように応えただろう。

「それぞれの先生は、それぞれ、自分の得意不得意とするところがあります。それぞれの先生が、みな、自分の得意とするところで、学級経営にがんばってもらえればいいなと思っています。

 わたしの場合なら、文章を書くのは好きでした。でも、もう、歳をとると、休み時間子どもと遊ぶのは、たまにはやったとしても、いつもとなるとしんどくなります。

 どの先生も、学級だよりをだしましょう。どの先生も、休み時間、子どもと一緒に毎日遊びましょう。そういう主義でやっていくと、そうした項目がどんどん増えてしまいます。やがて、それは無理ということになります。

 そして、『どの先生でもできることしかやっちゃあダメ。』という気運がでてきてしまうこともあります。

 そうなると、学校の雰囲気は、沈滞していくのです。」

 まあ、このような話をしないで済んだのは幸いであった。



 ああ。でも、似たようなことはあったなあ。


 それは、PTAの会合だった。ある保護者の方から指摘された。

「体育の授業のときの体育着の着方が、学級によってまちまちですね。寒いからということで、上に、はおってもいいとするクラスもあれば、厳格に、体育着のみとしているクラスもあるようです。それでいいのでしょうか。

 学級によって、過保護だったりきびしかったりするのは、子どものためによくないと思うのですけれど。」


 わたしは、こう応えた。

「そこまで、学校として、そろえなければいけませんか。

 保護者の皆さんにもお子さんに対し、いろいろな考えがおありだと思います。学校の教員もそうなのです。

 学校へ来れば、すぐ体育着に着替え、お帰りのときまでずっと体育着で過ごしているクラスもあります。それはそれで、その担任の子どもへの思いがあるのであり、わたしは、各担任の思いを大切にしていきたいのです。

 ただ、寒さに負けない丈夫な体の子。

 そういう願いはわたしにもありますから、わたしはわたしで、全校朝会などで、『いつも、もう一枚服をぬいでも、寒くないかな。大丈夫かな。』そう思いながら、生活しましょう。そして、ぬいでも大丈夫と思ったら、ぬぐようにするし、寒いなと思ったら、着るようにするし、その辺をいつも心に留めて生活してください。

 そのような声かけはしていますし、教職員にも、そうした姿勢は呼びかけています。

 それでいいのではないかと思いますが、どうでしょうか。」

 大部分の保護者の方は、わたしの意見に賛同してくださった。


 最後は、学級だよりと離れた話題になってしまったが、ご理解いただけただろうか。


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上記の、保護者が学級だよりを交換し合いながら、読んでくださったと言う、この学年の話題は、これまでも、何度か記事にしています。

 とにかく、とても楽しい学年経営でした。

 今、その過去記事にリンクさせていただきますね。

  豊かな人間関係の構築を(3)

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2008年10月24日

toshiの学級だより論(1)4

cac10706.JPG 前記事の、『わたしの初任者遍歴(2)』において、わたしの担任時代の学級だよりを掲載したところ、ある読者の方からメールをいただいた。

 とても長いので、要約させていただくと、

・大変ユニークなおたよりで、まるで教室にいて、子どもたちの様子を見ているかのようだ。

・とても楽しいので、もしほんとうに保護者だったら、読まずにはいられない気持ちになるだろう。

・また、保護者なら、toshiの学級経営に協力したくなるだろう。


 そのようなことが書かれていて、感謝の思いでいっぱいになった。


 また、このメールには、一つ、質問もあった。

 『〜。お子さんの名前がよく出るようですが、これは、ほんとうの学級だよりは、どうだったのでしょう。やっぱりイニシャルだったのですか。それとも、実名で記載されたのですか。なんか、ちょっと、『実名かな。』とも思ったものですから、質問してみたくなりました。実名だったらすごいと思います。〜。』


 わたしは、『我が意を得たり。』という気持ちになった。

 そこで、これは、この読者の方にお答えするだけでなく、広く皆さんにもお伝えしたくなり、一つの記事として書かせていただくことにした。



 これはもう、お察しの通り、ほんとうの学級だよりは、実名で記載させていただいたのである。



 さて、話はいきなり大きく変わってしまって恐縮してしまうのだが、おつき合いいただきたい。


 教員の中には誤解しているものもいるかもしれないが、学校から発信される文書はすべて校長の責任において発行するものである。学級だよりとて、例外ではない。

 したがって、管理職は、『必ず事前に提出するように。』と言っているだろう。

 わたしも、もちろん、提出した。

 それだけではない。40代になってからは、全教職員(わたしが教職員と言う場合は、用務員さん、調理員さんを含む。)にも配付していた。

 教員の中には、

「toshi先生の学級だよりは楽しいから、いつも帰りの電車の中で読ませてもらっています。」

と言ってくださる方もいて、それはうれしく、ありがたく思ったものだ。



 ところで、ほとんどの校長は、実名が記載されていた場合、『イニシャルにするように、』と指導するのではなかろうか。

 それは、

・いつも載る子と載らない子が出てしまうだろうから、
・そうなると、載らない子の保護者から、クレームがついてしまうおそれがあるから。
・また、子どもにも不公平感がうまれ、そうなると、学級経営にも支障をきたすから。


 そこで、わたしは、できるだけ全員載せられるように、それは努力したつもりだ。

 特に、わたしが最後に受け持ったクラスは21人しかいなかったから、これはもう、基本的に毎号全員を載せるようにした。

 それでも、正直に言うと、かたよりがでてしまうことは避けられなかった。



 しかし、幸いなことに、保護者の方は納得し、むしろ喜んでくださった。

 それは、

 子ども同士のかかわりが密で、放課後も一緒に過ごしていることが多く(リンク記事の、『その1 バーチャルな世界との共存』に関連する記事があります。)、必然的に友人の家へ遊びに行くこともふえ、したがって、ほとんどの保護者が、ほとんどの子どものことを知っていたからではないか。

「ああ。あのAちゃんね。Aちゃんて、このような面があるのだ。」
「へえ。あのBちゃんが、意外ね。すごいじゃない。」

そんな思いをもって読んでくださった。

 

 実名で掲載する以上、いいことしか書かないのでは。

 そう思われるふしもあるだろう。しかし、それがそうでもないのだ。

 問題性の高いこともときには書く。ただし、読み手である子ども、保護者への配慮は欠かせない。


 たとえば、

 『ごめんなさい。もう、書く前にあやまらせていただきます。

 正直申して、あまりいいことではないのです。いえ。問題があると言ってもいいかもしれません。それでも、あえて掲載させていただくのは、Cちゃんのその後の反省する態度、それがほんとうにすばらしかったからです。感動したと言ってもいいでしょう。』

 そのようなまえおきをして、それから、書かせていただくようにした。


 日ごろの学級経営、児童対応において、いろいろな問題行動に対して、受容的、寛容的、共感的態度で臨む。そういう担任の姿勢が保護者に伝わっていれば、保護者も、寛容の心でみてくれる。

 それは確信に近いものがあった。


 こうした学級だよりが定着してくると、

 子どもたちは、日ごろの学級生活において、それを意識することも起きる。


 何か子どもをほめていると、

「toshi先生。そのこと、学級だよりに書くのでしょう。」

「今のDちゃんのこと、学級だよりにのせてあげれば。」


 逆に、授業のなかで、ついしてしまった発言。

「toshi先生。お願い。さっき言ったおねしょのこと。学級だよりには書かないでね。」

 そう言われてしまえば、それはもちろん書かない。いや。おねしょのことなど、言われなくても書かないよ。

 そういう信頼関係は大切にする。


 しかし、実名入りの学級だよりは、すべて万々歳、問題性は何もなかったということにはならない。

 
 基本的には、保護者からも子どもからも感謝される学級だよりだが、やはり、毎週発行していると、出してくれるのが当たり前という感覚になることもあるようだ。

 また、出している以上、子どもは、掲載されることを期待する。それがされなかった場合は、がっかりしてしまう。

 だから、担任としても、緊張感は常にある。

・前述のように、公平になるように努力しなければいけないし、
・何を掲載するのかもしっかり吟味しなければいけないし・・・、
・それは、たとえば、保護者がみた場合、『ああ。toshi先生は、全員載せようとするあまり、無理しているな。』と思わせてしまったのでもいけないし・・・、

といった具合だ。



 最後に、学級だよりの目的は何だろう。

・保護者へのサービス

 もちろんそれはある。あるが、サービスだけだったら、ときに、義務感が生じたり、負担感が生まれたりするだろう。

 そうではなく、せっかく出すのなら、自分自身の学級経営の向上に資するもの。そう位置づけたい。

 それは、

・児童理解、特に一人ひとりをよくみようとするきっかけになる。

・家庭において、学級だよりをきっかけとした親子の会話が生まれる。それが、子どもの学級生活に反映され、学級生活がさらに楽しく充実したものになる。

 そんな学級だよりでありたいものだ。


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 そんなわたしでしたから、校長時代は、教員の出す学級だよりについて、ユニーク(?)な指導をしていました。

 ほとんどの教員はイニシャルで書いてくるのですが、わたしは、実名にするようにすすめました。驚く教員もけっこういましたよ。

 さらに、できるだけ、多くの子を載せることにより、『4・5回発行したら、全員が記載された。』となったらすばらしいなどとも言いました。

 『それができれば、保護者からの信頼は厚いものとなり、学級経営も濃密なものとなるだろう。』そういう信念があったからです。

 ちゅうちょする教員に対し、『もし、何か起きたら、校長であるわたしが責任を負うから。』と・・・、そんなことを言ったこともありましたが、

 しかし、そんな事態には一回もなりませんでした。



 ただ、今回、記載しなかった学級だよりの問題性がないわけではありません。

・学級だよりは、あくまで任意に出すものです。出さない教員がいても、それは当たり前。・・・。だけれども、保護者にしてみれば・・・、

・せっかく出していても、学級だよりの内容と、お子さんから聞く話の内容があまりにも食い違っている場合は・・・、

 そういう事態に対し、校長としてどう臨んだかは、また、記事にさせていただきましょう。


 また、かつて、わたしの学級だよりを、『小学校初任者のホームページ』に記載したことがあります。

 そのなかかから、2編、紹介させていただきます。

    子どもの目線で

    悲しい涙が 

    (2)へ続く。
 

rve83253 at 06:52|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2008年10月22日

わたしの初任者指導遍歴(2)4

8452aa3f.JPG 本日の記事は、過去記事の『わたしの初任者指導遍歴』にかかわる。そこで、その記事をお読みでない方は、まずはそこから、ご覧いただけたらありがたい。

 同記事をお読みいただけると、わたしにとって、今の仕事は、天命というか、必然的な流れがあったことをご理解いただけることと思う。

    わたしの初任者指導遍歴



 同記事には、次のような言葉がある。平成元年度。ちょうど、国による、制度化された初任者研修が始まったときだ。



 『校内では、

 ほんとうは、指導者は、学級担任であってはならないようだったが、わたしは、学級担任を務めながら、初任者指導もするという、(今、ふり返ると、)ちょっと、考えられないような形がとられた。〜。』



 制度発足時は、どうしても多少の混乱はあるものだ。

 もう時効だろうから、正直に書いてしまうが、年度当初、校長としては、『学級担任が初任者指導をしてもかまわない。』という認識だったようだ。

 秋になって、それではいけないことが分かる。指導の厳格化が求められた。

 でも、年度途中に、わたしを担任からはずすわけにもいかないし、だからと言って、初任者指導の仕事をはずすというわけにもいかないという、校長の判断で、


 苦肉の策だったが、

〇初任者の一人は、音楽専科だったこと

〇わたしは、そのとき、1年生の担任だったこと

から、わたしのクラスの音楽を初任者が担当し、その授業をわたしが後ろで見て指導するという体制をとることになった。



 さあ。しかし、問題は、子どもたちに、この変更をどう説明するかだった。


 保護者に向けては、国による初任者制度の発足を懇切丁寧に説明すれば、それで済むだろう。でも、1年生の子どもにそのようなことを言ってもねえ。



 ここから先は、当時の学級だよりから・・・、



 ある日、とつぜん、子どもたちに言いました。

「わたしはね、音楽の授業だけ、クビになっちゃったんだよ。」
「ええっ。なんでえ。」
「クビって、先生。音楽の授業がなくなっちゃうの。」
「そんなの。いやだあ。」
「いや。音楽の授業はあるよ。」
「ああ。よかった。」
「だって、先生がクビになっちゃったら・・・、できないじゃん。」
「ああ。それなら、大丈夫。ほら。3年生、4年生、5年生、6年生の音楽を教えているA先生がいらっしゃるでしょう。A先生が、このクラスの授業をやってくださるから。」

「toshi先生。何でクビになっちゃったの。」
「うん。・・・。たぶんね。オルガン間違えてばかりいるから、それでじゃないかと思うよ。」

 子どもたちは、けげんそうな、ふしぎそうな、何とも不可解といった表情をしていました。


 さて、その翌日のことです。

 「toshi先生。お母さんに、先生のクビの話をしたら、お母さん、大笑いしていたよ。」
「うちのお母さんは、『A先生にオルガンを習えばいいのにね。』って言っていたよ。」
「そうだよ。そうすれば、もっとうまくなるじゃん。」



 今後、わたしは、A先生が我がクラスで授業するのをみることになります。もちろん文書でお知らせしたように、初任者指導の一環です。


 しかし、子どもたちは、わたしがA先生に教わっていると思うでしょう。

 それでいいのだと思います。

 先生という存在は、子どもから信頼されればされるほど、その教育効果は上がります。

 スタートは上々。そのような思いをもちました。



 しかし、そのようなやり取りを子どもたちとしていたら、この、A先生からわたしが教わるということは、実際、おおいにありうることだと思いました。



 このようなことがあります。


 5年前、前任校において、わたしは3年生の担任でした。この学校は、地域の音楽会に3年生が出場しました。

 それで、音楽専科の先生がピアノ伴奏、わたしが指揮をすることになりました。ところがわたしは、歌の指揮など、まったく経験がありません。


 けっきょく、そのときの初任者だった若い専科の先生から教わったのです。自分で言うのもなんですが、教わって、確かに指揮が上手になりましたよ。



 初任研。それは確かに大事なことです。しかし、わたしたちは、年齢や経験年数に関係なく、お互いに学び合っている関係でもあります。

 その辺のご理解を、ぜひ、よろしくお願いします。



 A先生が1年〇組の教室を訪れての授業がスタートしました。子どもたちは、これまでとは違った授業の雰囲気に興奮したよう。もちろんオルガンの伴奏はわたしのもたつきと違いますから、子どもたちは、張り切って、歌ったりドレミ体操をしたり手拍子を打ったりしています。

 A先生も、初めての1年生の授業で、気分が新鮮なようです。

 
 そのような折、終わりの会で、ホロリとさせられるできごとがありました。Cちゃんたちです。

「toshi先生。終わりの会で、歌、歌いたいな。」
「そうだよ。歌おうよ。」
「toshi先生。オルガン、弾いてよ。」

 みんな、にこにこしてわたしを見ています。わたしは、ジーンとして、こみあげてくるものがあり、無言でいたら、

 Dちゃんがオルガン、Eちゃんが椅子を出してくれました。


 みんなで楽しく、数曲、メドレーで歌いました。わたしのオルガンは、少しは上手になったかな。 


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 あれから、約20年がたちました。当時の初任者も、もうベテラン教員です。

 たまに、研究会の講師としてお邪魔する学校に、当時の初任者が勤務していることがあります。再会を果たしたときは、その成長をみることができ、何とも言えずうれしくなります。

rve83253 at 04:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年07月03日

1年生の育ち(1) 自己認識にかかわって

4aef9340.JPG わたしは、1年生を4回担任している。

 しかし、初めて担任したのは39歳のとき。

 その担任発表のとき、自分より10歳も若い教員から言われた言葉が、忘れられない。

「toshi先生。1年生だからって、軽くみちゃあダメよ。『どうせ、1年生なんてこのくらい。』そう思ったら、その程度にしか育たないわ。でも、『どこまで育つか、楽しみ。よし、やってやろう。』って思ってやれば、はかり知れないくらい力を発揮するようになるのよ。」


 ほんとうにその通りだった。

 ここのところ、道徳教育にふれていることが多いから、本記事では、そういった面から、1年生の育ちをみてみよう。

 そうは言っても、毎週一時間の道徳の時間のことではない。学校の全教育活動を通して行う道徳教育。そちらの関連である。


 それでは、1年生を4回目に担任したときの学級だよりから、掲載してみる。




 1年生の自己認識

 自己認識。自分自身を客観的に見る力といったらいいでしょうか。『そんなもの、大人でもむずかしい。』よくそう言われます。

 確かにそうですね。でも、低学年の生活科のねらいに、これがあるのです。

 わたしは、これまで、低学年の場合は、担任から言われたとき、反省する心があればよいと思っていました。『いけない。しまった。これから気をつけよう。』そういう気持ちですね。でも、みんなのすばらしい心に接し、わたし自身、この言葉の認識を変えなければならなくなりました。


 給食当番で、手を洗っているときでした。Aちゃんがきびしい調子で、Bちゃんに文句を言っていました。Bちゃん。Aちゃんを見ながら、じっと我慢をしています。

 わたしは、どうなるかという思いで、じっと様子を見ていました。我慢しているBちゃんをほめてやろうと思ったとき、Aちゃんがすばらしいことを言いました。

「わたし、ちょっとえばり過ぎちゃったね。ごめんね。Bちゃん。」

 『自分で自分のあやまちに気づくということ。』それがすばらしいと思いました。ジーンとして胸が熱くなりました。この2人に心からの拍手を贈りました。

(Aちゃん、Bちゃんは、もともと、けっこう気が強い子。こういうときは、売り言葉に買い言葉。向きになってやりあうことがふつうだった。それだけにうれしかったのである。
 でも、次に登場するCちゃんは、明るく活発ではあるが、自己主張に関してはひかえめな子である。)

 Bちゃんは、Cちゃんとも、おもしろいことがありました。やはり給食当番のときでした。わたしのお盆の取り合いをしたのです。1年生の場合は、このように、やりたいあまりのもめごとが多いですね。

 でも、えらいのですよ。ひっぱりっこしていることに気づくと、2人とも力を弱め、顔を見合っていました。

 そうしたら、Bちゃんです。

「toshi先生のお盆。わたしにやらせて。」

おだやかで、たのむような調子で、Cちゃんに言いました。しばらく考え込んでいたCちゃん。『うん。』と言って手を引きました。



 話は変わります。

 Dちゃんが、いいことを言いました。

「toshi先生。Eさん、最近とってもやさしくしてくれるよ。」
「そうか。そりゃあ、うれしいな。Eちゃんに言っておこう。・・・。でも、わたしは、ほんとうは少し違うと思うよ。Eちゃんがやさしくなったというよりも、Dちゃんがやさしくなったのだよ。だから、かわいらしくなってもいるよ。」

 少してれた表情のDちゃん。
「うん。そうだね。わたしも、なんとなく、やさしくなれていると思っていたの。でも、それは、Eちゃんがやさしくしてくれるからって、思っていた。」


 わたしは常々言っていることがあります。
「友達のやさしいところとお付き合いするのだよ。それには、自分がやさしくないとダメだ。自分がやさしくなくて、友達にやさしくしてくれって言ったって、それは無理だよ。」

 友達の姿に自分自身が投影されるのですね。やさしさのひびき合いです。うれしくなりました。

(おたよりは、まだまだ続くが、今日はここまで。)


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 初めての1年生担任は、上記のように39歳のとき。それまでのわたしは、ほとんど高学年担任でしたから、担任発表のときは、多くの教員から、失笑というか、とまどいというか、変な笑い声が起きました。
 でも、それからは、低学年ばかりになったのです。
 全学年を担任できたのは幸せだったなと、今、すごく思います。もっとも、2年生は、たった1回でしたけれどね。

 この学級だより。わたしはいつも実名で書いていました。今、そういうたよりは少ない(ない?)でしょうね。
 特にこの年度は、21名の学級でしたから、毎号全員を登場させていました。

 それでは、今日も、1クリックをよろしくお願いします。


rve83253 at 06:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)