全国大会
2006年10月13日
学習問題とは(4) 社会科全国大会の思い出
これまで、学習問題とはどういうものか、自分の授業実践を中心に述べてきた。
学習問題とは(1)
学習問題とは(2)
学習問題とは(3)プログラムの必要性
それ以外にも、論述の趣旨は違うとしても、学習問題が登場する話はあるので、それも紹介したい。
社会科学習への誤解 (1) (3)
ところで、今日は、わたしの実践ではない。
社会科研究会の全国組織として、全国小学校社会科研究協議会なるものがある。その主催で、毎年、全国各地で授業研究会が行われている。昭和50年代には、我が勤務校が、その会場校(授業校)になったこともあった。
また、このころ、わたしも、他県の会場校へおじゃまし、授業を見させていただくことがあった。今日は、そのなかから、『ううん。なるほど。』と感激し、今も思い出に残っている授業を掲載したい。
そのまえに、お断りしたい。自分が当ブログで居住地を明示していないのに、よそをはっきり書くのは気がひけるが、20年以上も前の感激した授業を掲載するのだから、お許しいただけるかな。
場所は、島根県の松江市である。
もう一つ、申し訳ないこと。今、手元に資料がない。だから、記憶のままに書き記すことをお許しいただきたい。
さて、とり上げるのは、6年生。歴史の授業である。子どもたちは大変意欲的に学習に取り組んだ。話し合いも活発だった。そして、何より、自分たちの郷土松江に、こよなく愛着を感じる子どもたちであった。
松江市は城下町である。
江戸時代の初め、親藩の松平直政が加増のうえ、ここへ転封となった。
授業の初め、子どもたちは、松江に転封となったときの直政の気持ちを予想する。
「石高がふえたことは、幕府に認められたということだから、うれしかっただろう。」
「松江は景色もいいから、喜んだのではないか。」
「将軍とは親戚だし、幕府のために、まわりの外様大名が謀反を起こさないよう、しっかり見張ってやろうと思った。」
とにかく、喜び、自信、権力、威厳。そのようなことを感じさせる発言が相次いだ。
そこに資料が提示される。
なんと、
子どもたちの思いとは違い、直政は、不安、心配、恐怖、そういう思いで、いっぱいだったのだ。『ええっ。なんでえ。』と言うことになる。そして、資料をもとに考える。
1. 加増されたとは言え、江戸幕府からは遠い松江へ転封となった。
2. まわりはすべて、外様に囲まれている。幕府から遠くなれば、それは当然だけれど、それだけに心細かったのではないか。
3. いつ攻められるかと、恐怖心に駆られたのだろう。幕府から見ればお目付役ではあるが、行かされた直政にしてみれば、こわかった。
4. 一方、まわりの外様大名だってこわかっただろう。これまで外様ばかりだったところへ、家康の孫で親藩大名の松平直政がきたのだから、いつ取りつぶしにあうか分かったものではない。
5. 身内の変な情報が直政に入れば、いつ改易されるかもしれないと思ってこわかった。
6. 幕府にしてみれば、うまい配置にしたと言えるが、直政や、まわりの外様にしてみれば、たまったものではない。
そのような意見が相次いで出ることとなる。
松江で見せてもらった授業については、これで終わりとする。
そのほかでも、岐阜県大垣市、和歌山市でも、すばらしい授業を見せてもらった。
やはり、すばらしい授業とは、学級担任と子どもたちが一体となって価値を深め合う、その姿にあると言えよう。『ああでもない。こうでもない。』と言い合ったり、一人の発言が刺激となって、別な子がひらめきをもったりするなど、そういう姿が授業を見る人々の感動を呼ぶ。
これらの授業に共通していることは、授業中に価値の転換が図られていることである。子どもの思考の逆転と言ってもいいだろう。子どもの言葉で言えば、『ええっ。なんでえ。』『おかしいよ。』ということになる。
それまで、当然こうだと思っていたことが、そうではないということになるのだから、子どもの興味・関心は、おおいに盛り上がる。
ところで、こういうことは、教える側がそうとう作為的に仕組まないとありえないことであろうか。めったに起きないめずらしいことであろうか。
そんなことはない。
・ 消費者にしてみれば、安い方がいい。生産者にしてみれば、高い方がいい。
・ 安全な輸送に努力すればするほど、費用はかかる。速さを追求すればするほど安全面が犠牲になる。
世の中の社会事象は矛盾だらけだ。人々の営みは、すべて折り合いをつけるところにあるのではないか。
子どもが主体の学習であれば、子どもがその矛盾に気づき、そこに、『学習問題』が生まれ、何とか折り合いをつけようとすることから、学習が成立する。
もう一つ。本記事では、問題解決学習は我が地域だけで行われているのではないということを言いたかった。
全国に広がっている。そのことを紹介したかった。ただし、こうした動きが、各地で、もっともっと広がりをもつようになってほしい。そういう思いはある。
もう一つ。松江市の授業では、その土地の言葉で話し合う姿が、なんとも、心地よいひびきとして、強く印象に残っています。
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学習問題とは(1)
学習問題とは(2)
学習問題とは(3)プログラムの必要性
それ以外にも、論述の趣旨は違うとしても、学習問題が登場する話はあるので、それも紹介したい。
社会科学習への誤解 (1) (3)
ところで、今日は、わたしの実践ではない。
社会科研究会の全国組織として、全国小学校社会科研究協議会なるものがある。その主催で、毎年、全国各地で授業研究会が行われている。昭和50年代には、我が勤務校が、その会場校(授業校)になったこともあった。
また、このころ、わたしも、他県の会場校へおじゃまし、授業を見させていただくことがあった。今日は、そのなかから、『ううん。なるほど。』と感激し、今も思い出に残っている授業を掲載したい。
そのまえに、お断りしたい。自分が当ブログで居住地を明示していないのに、よそをはっきり書くのは気がひけるが、20年以上も前の感激した授業を掲載するのだから、お許しいただけるかな。
場所は、島根県の松江市である。
もう一つ、申し訳ないこと。今、手元に資料がない。だから、記憶のままに書き記すことをお許しいただきたい。
さて、とり上げるのは、6年生。歴史の授業である。子どもたちは大変意欲的に学習に取り組んだ。話し合いも活発だった。そして、何より、自分たちの郷土松江に、こよなく愛着を感じる子どもたちであった。
松江市は城下町である。
江戸時代の初め、親藩の松平直政が加増のうえ、ここへ転封となった。
授業の初め、子どもたちは、松江に転封となったときの直政の気持ちを予想する。
「石高がふえたことは、幕府に認められたということだから、うれしかっただろう。」
「松江は景色もいいから、喜んだのではないか。」
「将軍とは親戚だし、幕府のために、まわりの外様大名が謀反を起こさないよう、しっかり見張ってやろうと思った。」
とにかく、喜び、自信、権力、威厳。そのようなことを感じさせる発言が相次いだ。
そこに資料が提示される。
なんと、
子どもたちの思いとは違い、直政は、不安、心配、恐怖、そういう思いで、いっぱいだったのだ。『ええっ。なんでえ。』と言うことになる。そして、資料をもとに考える。
1. 加増されたとは言え、江戸幕府からは遠い松江へ転封となった。
2. まわりはすべて、外様に囲まれている。幕府から遠くなれば、それは当然だけれど、それだけに心細かったのではないか。
3. いつ攻められるかと、恐怖心に駆られたのだろう。幕府から見ればお目付役ではあるが、行かされた直政にしてみれば、こわかった。
4. 一方、まわりの外様大名だってこわかっただろう。これまで外様ばかりだったところへ、家康の孫で親藩大名の松平直政がきたのだから、いつ取りつぶしにあうか分かったものではない。
5. 身内の変な情報が直政に入れば、いつ改易されるかもしれないと思ってこわかった。
6. 幕府にしてみれば、うまい配置にしたと言えるが、直政や、まわりの外様にしてみれば、たまったものではない。
そのような意見が相次いで出ることとなる。
松江で見せてもらった授業については、これで終わりとする。
そのほかでも、岐阜県大垣市、和歌山市でも、すばらしい授業を見せてもらった。
やはり、すばらしい授業とは、学級担任と子どもたちが一体となって価値を深め合う、その姿にあると言えよう。『ああでもない。こうでもない。』と言い合ったり、一人の発言が刺激となって、別な子がひらめきをもったりするなど、そういう姿が授業を見る人々の感動を呼ぶ。
これらの授業に共通していることは、授業中に価値の転換が図られていることである。子どもの思考の逆転と言ってもいいだろう。子どもの言葉で言えば、『ええっ。なんでえ。』『おかしいよ。』ということになる。
それまで、当然こうだと思っていたことが、そうではないということになるのだから、子どもの興味・関心は、おおいに盛り上がる。
ところで、こういうことは、教える側がそうとう作為的に仕組まないとありえないことであろうか。めったに起きないめずらしいことであろうか。
そんなことはない。
・ 消費者にしてみれば、安い方がいい。生産者にしてみれば、高い方がいい。
・ 安全な輸送に努力すればするほど、費用はかかる。速さを追求すればするほど安全面が犠牲になる。
世の中の社会事象は矛盾だらけだ。人々の営みは、すべて折り合いをつけるところにあるのではないか。
子どもが主体の学習であれば、子どもがその矛盾に気づき、そこに、『学習問題』が生まれ、何とか折り合いをつけようとすることから、学習が成立する。
もう一つ。本記事では、問題解決学習は我が地域だけで行われているのではないということを言いたかった。
全国に広がっている。そのことを紹介したかった。ただし、こうした動きが、各地で、もっともっと広がりをもつようになってほしい。そういう思いはある。
もう一つ。松江市の授業では、その土地の言葉で話し合う姿が、なんとも、心地よいひびきとして、強く印象に残っています。
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