概観学習
2008年01月30日
我が父と社会科(1) 現場学習のために
我が亡父の昭和20年代の実践については、かつて、数度にわたり記事にしたことがある。
温故知新(5)父の実践から
同 (6)
同 (7)
今回は、たまたま、昭和28年(わたしは8歳)、父が雑誌に投稿した記事が手にはいったので、数度にわたりそれを掲載したい。
読んでいて、つくづく、古くても、新しい課題なのだなと思った。あまりに現代的課題と重なり合うのだ。今でも十分通用する論理の展開なのである。
多くの社会科の教員は感じていると思うが、『県内の様子』などというように、今の社会科は概観単元がふえている。やはり、問題解決学習というより、知識の注入傾向が強まっていると感じる。
ちなみに、国語でも、言語事項にかかわる学習がふえている。これも、同様だろう。
『ゆとり教育』批判が数年前から盛んになり、それによって、教科書がねじ曲げられたという経緯がある。
そういう思いからすると、現代において、以下述べる父の論理の展開は、そういう世の中への警鐘を鳴らしているとも言えよう。
なお、昭和28年というと、日本は、連合国の支配を脱し独立した翌年。しかし、まだまだ高度成長以前の貧しかったころである。コアカリキュラムが数多く批判を浴びた時期でもある。
そういう時代に、敢然と批判に立ち向かう父の姿が垣間見れる。
それではどうぞ。
現場学習のために(1)
その場に臨ませて、見たり聞いたりすることによって、いろいろな疑惑や不安をもつようにしむける。そして、その場で湧き出してきた問題の糸をたぐっていって、単元の活動を進めようというのである。
わたしは、4年生をつれて、ある公共施設に立ったことがある。いろいろの事前指導をしてから、この公共施設に立ったら、この子どもたちはどのような問題を発見するだろうと思ってやってきたのであるが、子どもがもった疑問は、
「あの船は何万トンですか。」
「何という名ですか。」
「あの旗はどこの国ですか。」
「あの丸いものは何ですか。」
というたぐいのものばかりであった。問題発見の意図は、疑問発見で終始してしまって、問題まで深まっていかなかったのである。
そこで、わたしは、問題発見をこうした整った場でしようと期待するのは無理だと思った。
よく現場で、問題を発見させようというので、高いところから眺望して話し合うというやり方をすることがある。
(どうしてそのようなことをするかというと、たぶん)子どもに事前の知識がなければ、問題は発見されない。だから、眺望によって一応概観的な知識を得させ、それから細部への突っこみをかけようとするのだろう。3年生あたりの「わたしたちのまち」の単元によくある手である。
わたしはいろいろ試してみたが、どうもこの種の概観単元はいけないと思っている。
だいたい、問題解決という単元学習に、概観などはいらないのではないか。
「でも、概観させて、大体を分からせてから、〜。」と言う人は多い。
問題発見をするには、子どもの欲求や不満や不安定な気分をかきたてなければならないのだ。
それなのに、概観して、
「あれは何である。」
「こちらはこういう仕事をするところだ。」
と、説明がなされる。それだけで万事のことが運んでいくから、子どもは、
「ああ、そうですか。」
「よく分かりました。」
というわけで、不安も不満ももたないのである。
こんなことをするよりも、交通地獄の交差点に連れて行けば、交通上の問題がいやおうなしに身に迫ってくる。大量生産している工場に連れて行けば、『すごい。どうしてあんなにたくさんつくれるのか。』という問題がわいてくるだろう。
問題発見は概観ではダメである。まず大体を知らせてからというよりも、細かな現場現物に接して、問題をつかみ取る訓練をしたほうがいい。身につまされる不安な状態。社会的に不調和な現場を見せることによって、問題は発見されるのではなかろうか。
とすると、どの単元の問題発見には、どんな現場を使えばよいかという研究が必要になってくる。
冒頭述べた公共施設のように、きわめて快適に営まれている、少なくとも子どもにはそのようにしか見えない、そういうところで眺めただけではダメである。もちろん、教室に座り込んで、思考遊戯をしていても、なかなか本物の問題は見つからないのである。
今回は、ここまで。
どうだろう。
今も、3年生の社会科の冒頭は、まちの概観である。その場合、多く見られる実践は、最初に、学校の屋上に上がり、まちを眺めるのではなかろうか。だいたい、教科書がそのようにできている。これでは、父の言うところの、『ああそうですか。よく分かりました。』で済んでしまう。
ここは、やはり、子どもの気持ちを不安定なものにする、何とかしたいと思うような、不安定な状況をつくり出す必要がある。その具体例は、すでに述べた。参考にしていただければと思う。
学習問題とは(2)
また、こうした概観単元は、『まず知識、それがなければ、思考は始まらない。』とする考え方から生まれたものであろう。今でも、こういうことをいう人が多いことを考えると、『ああ。むかしと何も変わっていないなあ。』と、ため息をつかざるをえない。
せめて、概観は、単元の最後にもっていき、『ああ。具体的事例で学んできたけれど、それは、他の多くの場合にも言えることなのだなあ。』と、一般化する過程に位置づけたいものだと思う。
子どもが不安定で落ち着かない思いになるのは、そして、解決せずにはいられないという思いになるのは、子どもを離れ、純粋に社会事象として見たとしても、やはり、矛盾を抱えていたり、人々がこまっていたりする事象なのでしょう。
本シリーズの次回は、父の論理の続きといきたいと思います。
我が父と社会科(2) 現場学習のために
それでは、今日も、皆様の清き1クリックをよろしくお願いします。
温故知新(5)父の実践から
同 (6)
同 (7)
今回は、たまたま、昭和28年(わたしは8歳)、父が雑誌に投稿した記事が手にはいったので、数度にわたりそれを掲載したい。
読んでいて、つくづく、古くても、新しい課題なのだなと思った。あまりに現代的課題と重なり合うのだ。今でも十分通用する論理の展開なのである。
多くの社会科の教員は感じていると思うが、『県内の様子』などというように、今の社会科は概観単元がふえている。やはり、問題解決学習というより、知識の注入傾向が強まっていると感じる。
ちなみに、国語でも、言語事項にかかわる学習がふえている。これも、同様だろう。
『ゆとり教育』批判が数年前から盛んになり、それによって、教科書がねじ曲げられたという経緯がある。
そういう思いからすると、現代において、以下述べる父の論理の展開は、そういう世の中への警鐘を鳴らしているとも言えよう。
なお、昭和28年というと、日本は、連合国の支配を脱し独立した翌年。しかし、まだまだ高度成長以前の貧しかったころである。コアカリキュラムが数多く批判を浴びた時期でもある。
そういう時代に、敢然と批判に立ち向かう父の姿が垣間見れる。
それではどうぞ。
現場学習のために(1)
その場に臨ませて、見たり聞いたりすることによって、いろいろな疑惑や不安をもつようにしむける。そして、その場で湧き出してきた問題の糸をたぐっていって、単元の活動を進めようというのである。
わたしは、4年生をつれて、ある公共施設に立ったことがある。いろいろの事前指導をしてから、この公共施設に立ったら、この子どもたちはどのような問題を発見するだろうと思ってやってきたのであるが、子どもがもった疑問は、
「あの船は何万トンですか。」
「何という名ですか。」
「あの旗はどこの国ですか。」
「あの丸いものは何ですか。」
というたぐいのものばかりであった。問題発見の意図は、疑問発見で終始してしまって、問題まで深まっていかなかったのである。
そこで、わたしは、問題発見をこうした整った場でしようと期待するのは無理だと思った。
よく現場で、問題を発見させようというので、高いところから眺望して話し合うというやり方をすることがある。
(どうしてそのようなことをするかというと、たぶん)子どもに事前の知識がなければ、問題は発見されない。だから、眺望によって一応概観的な知識を得させ、それから細部への突っこみをかけようとするのだろう。3年生あたりの「わたしたちのまち」の単元によくある手である。
わたしはいろいろ試してみたが、どうもこの種の概観単元はいけないと思っている。
だいたい、問題解決という単元学習に、概観などはいらないのではないか。
「でも、概観させて、大体を分からせてから、〜。」と言う人は多い。
問題発見をするには、子どもの欲求や不満や不安定な気分をかきたてなければならないのだ。
それなのに、概観して、
「あれは何である。」
「こちらはこういう仕事をするところだ。」
と、説明がなされる。それだけで万事のことが運んでいくから、子どもは、
「ああ、そうですか。」
「よく分かりました。」
というわけで、不安も不満ももたないのである。
こんなことをするよりも、交通地獄の交差点に連れて行けば、交通上の問題がいやおうなしに身に迫ってくる。大量生産している工場に連れて行けば、『すごい。どうしてあんなにたくさんつくれるのか。』という問題がわいてくるだろう。
問題発見は概観ではダメである。まず大体を知らせてからというよりも、細かな現場現物に接して、問題をつかみ取る訓練をしたほうがいい。身につまされる不安な状態。社会的に不調和な現場を見せることによって、問題は発見されるのではなかろうか。
とすると、どの単元の問題発見には、どんな現場を使えばよいかという研究が必要になってくる。
冒頭述べた公共施設のように、きわめて快適に営まれている、少なくとも子どもにはそのようにしか見えない、そういうところで眺めただけではダメである。もちろん、教室に座り込んで、思考遊戯をしていても、なかなか本物の問題は見つからないのである。
今回は、ここまで。
どうだろう。
今も、3年生の社会科の冒頭は、まちの概観である。その場合、多く見られる実践は、最初に、学校の屋上に上がり、まちを眺めるのではなかろうか。だいたい、教科書がそのようにできている。これでは、父の言うところの、『ああそうですか。よく分かりました。』で済んでしまう。
ここは、やはり、子どもの気持ちを不安定なものにする、何とかしたいと思うような、不安定な状況をつくり出す必要がある。その具体例は、すでに述べた。参考にしていただければと思う。
学習問題とは(2)
また、こうした概観単元は、『まず知識、それがなければ、思考は始まらない。』とする考え方から生まれたものであろう。今でも、こういうことをいう人が多いことを考えると、『ああ。むかしと何も変わっていないなあ。』と、ため息をつかざるをえない。
せめて、概観は、単元の最後にもっていき、『ああ。具体的事例で学んできたけれど、それは、他の多くの場合にも言えることなのだなあ。』と、一般化する過程に位置づけたいものだと思う。
子どもが不安定で落ち着かない思いになるのは、そして、解決せずにはいられないという思いになるのは、子どもを離れ、純粋に社会事象として見たとしても、やはり、矛盾を抱えていたり、人々がこまっていたりする事象なのでしょう。
本シリーズの次回は、父の論理の続きといきたいと思います。
我が父と社会科(2) 現場学習のために
それでは、今日も、皆様の清き1クリックをよろしくお願いします。