高級官僚
2010年09月23日
日本は子どもの規格品をつくっているのではないか。(1)
最近の日本では、いわゆる『エリート』と呼ばれる人たちも、いろいろな事件を起こす。エリートの質が悪くなったのか、むかしからよくあったことが白日のもとにさらされるようになったのか、おそらく後者だとは思うが・・・、
この種の事件で驚かされるのは、日本をリードする立場にあるものが、『豊かな人間性』のかけらもないと思わせることである。
数年前の姉歯問題しかり。そして、今回の大阪地検特捜部の主任検事が引き起こした、『押収した証拠の改ざん問題』しかりだ。
本来、頭脳明晰で責任感もあり、『人間性豊か』と思いたいエリート。そのエリートたちのこのていたらく。
日本の将来は大丈夫だろうかと危惧してしまう。
日本の将来と言えば、これは、犯罪に類したことではないけれど、過去記事で、近年の首相交代劇のひどさについても、論じたことがある。
わたしは、このリンク先記事において、こうした『エリートの問題』を、受験システムと関係づけて論じたのだった。受験システムの波に乗り、功成り名を遂げたものたちについてだ。
それは、当時、自民党をとび出したばかりの与謝野馨さんが、鳩山前首相について、「試験の答案は書けるけど、責任感を持ってモノを考えることができない人。」と評したからだった。
わたしはその記事で、同氏の言葉に共感しながらも、『それを言うなら、鳩山以前の自民党の3代の首相も同じでしょう。』と述べたのだった。
そうしたら、このたび、それに類することで、さらに共感できる、すばらしいブログを見つけた。今、リンクさせていただこう。『かかわり過ぎない子育て』のなかの、『現実の教育問題を知らない 有名人』なる記事だ。
10円まんじゅうさん。リンクについて、事後承諾をお願いすることになり、申し訳ありません。よろしくお願いします。
同氏は、この記事のなかで、日本の受験システムが、いかに子どもの心の健全発達を阻害し、豊かな人間性を身につけさせにくくしているかをおっしゃっている。
わたしは、まったくその通りと思う。『よくぞ、おっしゃってくださいました。』という思いがしている。
ただちょっと、ほんのちょっと見解を異にするのは、『昔は よく遊び 人間能力を身につけたうえで 勉強して 進学しました。』のくだりだ。
これは、大筋、合っているのであろう。今のような大手進学塾の林立はなかったし、受験する子どもだって今とくらべればかなり少なかった。
でも、やはり、受験熱に浮かされる地域はあったし、現にわたしは・・・、
そのあたりのことは過去記事にくわしい。下記リンク先記事の前半部分である。
教員生活35年
この記事にあるように、わたしは、40年前、初任者として、そういう地域の学校に着任したのである。当時、『〜の学習院』という呼び名も高いA小学校だった。わたしの着任したころは、もうかなり、『中学受験推進校』(揶揄して言っています。こんな言葉はありませんでした。)的色彩は薄れていたが、
その数年前までは・・・、
ちょっと長くなり、申し訳ないが、冒頭のエリートの子ども時代と重なるので、上記リンク先記事に補足させていただこう。
・B校長は6年担任に対し、『君のクラスは、受験する子どもが少なすぎる。担任の努力が足りないのではないか。』などと圧力をかけていた。
・同校長は、地域の研究、研修会に自校教員が出張するのをすごく嫌った。『そんな暇があったら、受験教育に専念しろ。』と言うのが口癖だった。
・当時、各学年4・5クラスあったが、6年担任は、職員会議などには、輪番で一人だけ出席するようにしていた。たぶん校長の指示であっただろう。あとのクラスは、子どもを残し、受験指導をするのだった。
・受験教育を担っている教員が4人いた。その教員たちは、俗に、『ゴロゴロ』というが、5・6年担任を繰り返した。その教員たちが担任と決まると、赤飯を炊いて祝う家庭が何軒もあったという。
・公立校であるから、当然、地域の中学校に進学する子だっている。そういう子どもたちは完全にお客さん扱いだった。かなりの子どもの心は荒んだ。中学校で問題を起こすのは、A校卒業生が多かった。受験に失敗した子どもはなおのこと悲惨だった。
次は、わたしが初任のとき、上記ゴロゴロ教員の一人から直接聞いたのだが、たとえば、
・『このプリントの山は、みんな有名中学校の受験問題よ。だいたいな。指導書に12時間扱いとあるとするだろう。そうしたらその単元は、3・4時間で終わらせる。あとの時間は全部このプリントをやらせるのよ。
平均点は何点だと思う。だいたい20点台だな。』
そう言って楽しそうに笑っていた。
ただえらいなと思ったのは、当時はまだ、コピー機などない時代。みんなその教員たちのガリ版だった。わたしにも、『よかったらつかえ。』と言って、数種類渡されたことがあったが、もちろん使わなかった。平均20点ではね。
そう。そう。わたしも解けない問題だってあったよ。
ああ。ごめんなさい。過去の述懐が長すぎた。
当時は、国や地方教育行政府などの、学校への管理的色彩は薄かった時代。各学校の自由度は高かった。だから、問題解決学習など、子ども主体で子どもの発想を大事に指導する学校もあった代わりに、こういうA小学校のような学校もあった。
今では、公立校の受験推進など、考えられないけれどね。
全国に、こういう学校がどのくらいあったか。そんなことは到底分かるものではない。しかし、A小だけだったということもなかろう。
とすれば、上記、10円まんじゅうさんがおっしゃるように、『むかしの受験はよかった。』と、必ずしも言い切れない側面があったことは、お認めいただけるのではないか。
そうでないと、人間性のかけらもみられないという冒頭のエリートの犯罪や、人間性が薄いと思われる首相交代劇は、どちらも説明がつかなくなるのだ。だって、彼らは皆、40代以上だものね。
今、『説明がつかない。』と言った。
でも、現段階では、わたしがそう思っているだけのことだね。
こんなの統計があるわけでもないし、因果関係があるか、いや、相関関係にとどまるのか、はたまた、まったく関係がないのか、それは、わたしも含め、誰も証明することはできない。
しかし、10円まんじゅうさんやわたしの主張に、読者の皆さんがどれだけ共感してくださるか。これは大きい。共感してくださる方が多ければ多いほど、世の中を変える動きにはつながっていくと思うからだ。
それにしても、今回の事件の皮肉な点は、とんでもない濡れ衣を着せられた厚労省の高級官僚にしても、エリートには違いないということですね。
でも、こちらの高級官僚は立派。ふつうなら、怒り心頭に発するところでしょうに、そんな気持ちのかけらも見せません。終始笑顔を絶やさず、検察に対する思いやりまで見せています。『豊かな人間性』そのものです。
これこそ、『むかしの受験はよかった。』という10円まんじゅうさんの主張に沿うものでしょう。
また、わたしが、10円まんじゅうさんの主張に、激しく共感するのは、
・『いまの日本では 勉強をすることで 精神的にダメージを受けて大人になることが多く 〜。』
・『子どもたちは 人として生きる能力を 身につけることなく 大人になっていきます。』
などです。
今ですら、エリートが起こす事件は多発傾向を示しています。これから先、本格的な受験世代が高級官僚等になっていくころ、エリートとして、日本の政治、経済、社会をリードしていくころ、この日本はどうなってしまうか・・・、ああ、不安はぬぐえません。
わたしは、たぶん、そのころは、天国から見守ることになるでしょう。
本シリーズの次回は、受験問題からはなれ、公教育がかかえる問題にふれてみたいと思います。こちらも長年の日本の宿弊ありと感じられます。
8時34分 追加記事
10円まんじゅうさん。
貴ブログに、コメントを入れさせていただこうと思いましたが、入れられないようですね。
リンクの事後承諾をいただこうと思いましたが、それもかなわぬようです。
そこで、ご覧いただけるかどうか分かりませんが、ここに、お詫びとお願いをさせていただこうと思います。
よろしくお願いします。
この種の事件で驚かされるのは、日本をリードする立場にあるものが、『豊かな人間性』のかけらもないと思わせることである。
数年前の姉歯問題しかり。そして、今回の大阪地検特捜部の主任検事が引き起こした、『押収した証拠の改ざん問題』しかりだ。
本来、頭脳明晰で責任感もあり、『人間性豊か』と思いたいエリート。そのエリートたちのこのていたらく。
日本の将来は大丈夫だろうかと危惧してしまう。
日本の将来と言えば、これは、犯罪に類したことではないけれど、過去記事で、近年の首相交代劇のひどさについても、論じたことがある。
わたしは、このリンク先記事において、こうした『エリートの問題』を、受験システムと関係づけて論じたのだった。受験システムの波に乗り、功成り名を遂げたものたちについてだ。
それは、当時、自民党をとび出したばかりの与謝野馨さんが、鳩山前首相について、「試験の答案は書けるけど、責任感を持ってモノを考えることができない人。」と評したからだった。
わたしはその記事で、同氏の言葉に共感しながらも、『それを言うなら、鳩山以前の自民党の3代の首相も同じでしょう。』と述べたのだった。
そうしたら、このたび、それに類することで、さらに共感できる、すばらしいブログを見つけた。今、リンクさせていただこう。『かかわり過ぎない子育て』のなかの、『現実の教育問題を知らない 有名人』なる記事だ。
10円まんじゅうさん。リンクについて、事後承諾をお願いすることになり、申し訳ありません。よろしくお願いします。
同氏は、この記事のなかで、日本の受験システムが、いかに子どもの心の健全発達を阻害し、豊かな人間性を身につけさせにくくしているかをおっしゃっている。
わたしは、まったくその通りと思う。『よくぞ、おっしゃってくださいました。』という思いがしている。
ただちょっと、ほんのちょっと見解を異にするのは、『昔は よく遊び 人間能力を身につけたうえで 勉強して 進学しました。』のくだりだ。
これは、大筋、合っているのであろう。今のような大手進学塾の林立はなかったし、受験する子どもだって今とくらべればかなり少なかった。
でも、やはり、受験熱に浮かされる地域はあったし、現にわたしは・・・、
そのあたりのことは過去記事にくわしい。下記リンク先記事の前半部分である。
教員生活35年
この記事にあるように、わたしは、40年前、初任者として、そういう地域の学校に着任したのである。当時、『〜の学習院』という呼び名も高いA小学校だった。わたしの着任したころは、もうかなり、『中学受験推進校』(揶揄して言っています。こんな言葉はありませんでした。)的色彩は薄れていたが、
その数年前までは・・・、
ちょっと長くなり、申し訳ないが、冒頭のエリートの子ども時代と重なるので、上記リンク先記事に補足させていただこう。
・B校長は6年担任に対し、『君のクラスは、受験する子どもが少なすぎる。担任の努力が足りないのではないか。』などと圧力をかけていた。
・同校長は、地域の研究、研修会に自校教員が出張するのをすごく嫌った。『そんな暇があったら、受験教育に専念しろ。』と言うのが口癖だった。
・当時、各学年4・5クラスあったが、6年担任は、職員会議などには、輪番で一人だけ出席するようにしていた。たぶん校長の指示であっただろう。あとのクラスは、子どもを残し、受験指導をするのだった。
・受験教育を担っている教員が4人いた。その教員たちは、俗に、『ゴロゴロ』というが、5・6年担任を繰り返した。その教員たちが担任と決まると、赤飯を炊いて祝う家庭が何軒もあったという。
・公立校であるから、当然、地域の中学校に進学する子だっている。そういう子どもたちは完全にお客さん扱いだった。かなりの子どもの心は荒んだ。中学校で問題を起こすのは、A校卒業生が多かった。受験に失敗した子どもはなおのこと悲惨だった。
次は、わたしが初任のとき、上記ゴロゴロ教員の一人から直接聞いたのだが、たとえば、
・『このプリントの山は、みんな有名中学校の受験問題よ。だいたいな。指導書に12時間扱いとあるとするだろう。そうしたらその単元は、3・4時間で終わらせる。あとの時間は全部このプリントをやらせるのよ。
平均点は何点だと思う。だいたい20点台だな。』
そう言って楽しそうに笑っていた。
ただえらいなと思ったのは、当時はまだ、コピー機などない時代。みんなその教員たちのガリ版だった。わたしにも、『よかったらつかえ。』と言って、数種類渡されたことがあったが、もちろん使わなかった。平均20点ではね。
そう。そう。わたしも解けない問題だってあったよ。
ああ。ごめんなさい。過去の述懐が長すぎた。
当時は、国や地方教育行政府などの、学校への管理的色彩は薄かった時代。各学校の自由度は高かった。だから、問題解決学習など、子ども主体で子どもの発想を大事に指導する学校もあった代わりに、こういうA小学校のような学校もあった。
今では、公立校の受験推進など、考えられないけれどね。
全国に、こういう学校がどのくらいあったか。そんなことは到底分かるものではない。しかし、A小だけだったということもなかろう。
とすれば、上記、10円まんじゅうさんがおっしゃるように、『むかしの受験はよかった。』と、必ずしも言い切れない側面があったことは、お認めいただけるのではないか。
そうでないと、人間性のかけらもみられないという冒頭のエリートの犯罪や、人間性が薄いと思われる首相交代劇は、どちらも説明がつかなくなるのだ。だって、彼らは皆、40代以上だものね。
今、『説明がつかない。』と言った。
でも、現段階では、わたしがそう思っているだけのことだね。
こんなの統計があるわけでもないし、因果関係があるか、いや、相関関係にとどまるのか、はたまた、まったく関係がないのか、それは、わたしも含め、誰も証明することはできない。
しかし、10円まんじゅうさんやわたしの主張に、読者の皆さんがどれだけ共感してくださるか。これは大きい。共感してくださる方が多ければ多いほど、世の中を変える動きにはつながっていくと思うからだ。
それにしても、今回の事件の皮肉な点は、とんでもない濡れ衣を着せられた厚労省の高級官僚にしても、エリートには違いないということですね。
でも、こちらの高級官僚は立派。ふつうなら、怒り心頭に発するところでしょうに、そんな気持ちのかけらも見せません。終始笑顔を絶やさず、検察に対する思いやりまで見せています。『豊かな人間性』そのものです。
これこそ、『むかしの受験はよかった。』という10円まんじゅうさんの主張に沿うものでしょう。
また、わたしが、10円まんじゅうさんの主張に、激しく共感するのは、
・『いまの日本では 勉強をすることで 精神的にダメージを受けて大人になることが多く 〜。』
・『子どもたちは 人として生きる能力を 身につけることなく 大人になっていきます。』
などです。
今ですら、エリートが起こす事件は多発傾向を示しています。これから先、本格的な受験世代が高級官僚等になっていくころ、エリートとして、日本の政治、経済、社会をリードしていくころ、この日本はどうなってしまうか・・・、ああ、不安はぬぐえません。
わたしは、たぶん、そのころは、天国から見守ることになるでしょう。
本シリーズの次回は、受験問題からはなれ、公教育がかかえる問題にふれてみたいと思います。こちらも長年の日本の宿弊ありと感じられます。
8時34分 追加記事
10円まんじゅうさん。
貴ブログに、コメントを入れさせていただこうと思いましたが、入れられないようですね。
リンクの事後承諾をいただこうと思いましたが、それもかなわぬようです。
そこで、ご覧いただけるかどうか分かりませんが、ここに、お詫びとお願いをさせていただこうと思います。
よろしくお願いします。
2008年05月29日
60代がカギ!! よい政治を、
今日は、申し訳ありません。教育の話ではありません。(ちょこっと、教育もあるかな。)よろしかったらご覧ください。
ちょっと前までは年金の話。ここのところは、後期高齢者医療制度で、大変世論は怒っている。
特に、ここのところの医療制度をめぐる論争をみていると、このままいけば、世代間のトラブルになるように思えてならない。
また、年金ともども、わたしは、ほんとうはこれらは何もむずかしい問題ではないと思っているので、その双方を論点に述べてみたい。
1.世代間のトラブルになるかもしれないという点について
後期高齢者といわれる75歳以上は、太平洋戦争終結時、12歳以上だった方である。ある方は兵役につき、幾多の戦いを経て無事(?)帰還した方々である。
無事に(?)をつけたのは、命を脅かされる戦いに明け暮れる日々だったほかにも、ある方は、シベリアに長期間抑留されたり、ある方は、戦犯として裁判にふされたりしたことなどがあげられる。
また、兵役につかなかった方だって、空襲、貧困、言論弾圧等、辛酸をなめてきた方々である。
戦後は、廃墟の中から立ち上がり、高度経済成長を支えてきた。大変な苦労をされた世代なのである。
また、今のような年金制度、健康保険制度ができたのは、昭和35年ごろ。
だから、この制度を支えてきた方々でもある。
当然、若いときは、その当時の高齢者を支えてきた。
他方、この、後期高齢者医療制度を編み出した高級官僚は、だいたい、わたしが初任者のころの教え子の年代。
彼らが子どもだった昭和40年代、日本はもう、戦争の傷跡は何もなく、高度経済成長に突入していた。ある程度豊かになった日本で、つめこみ、エリート教育を受け、きびしい受験戦争(?)を勝ち抜いてきた。
その結果、基本的には自分のことしか考えない、他人の心の痛みなど理解できない大人になったのではあるまいか。
上記、自分の親たちの世代の苦労など、知識としてはもっていても、実感できないまま大人になったのであろう。
だって、彼らが編み出した、後期高齢者医療制度なるものは、あまりにもお粗末なのだもの。このようなことしか思い浮かばないかと、かわいそうになってしまうくらいの代物だ。一体若いときから何を学んできたのだろう。そう思ってしまう。
大体考えたって分かるではないか。
『交通事故をよく起こす者は、金がかかって仕方ないから、自動車保険を別口にしましょう。』などと、誰が考えるだろう。そのようなことを考えなくても、みんな、自分だっていつ事故を起こすかわからないからという思いで、保険に加入する。それで、だれも、文句は言わない。
そうか。(もちろん、冗談だけれど、)こちらこそ、別口にしてもいいよね。だって、ものすごい金額をとられれば、誰だって、事故を起こさないように気をつけようと思うだろう。
だけれども、基本的に、後期高齢者は気をつけようがないのだ。
わたしだって、63歳ながら、一応、健康ではいるけれど、最近けっこう医者通いは増えてきた。
思うに、彼らの頭には、財政赤字しかないのであろう。自分たちのやっているムダは棚に上げて、後期高齢者を犠牲にする。
傑作なのは、若い人たちの支払いに対して、『後期高齢者のための分は〇〇円です。』と明記するのだと言う。
それなら、自動車保険に対しても、『事故をよく起こす人たちのための分は、〇〇円です。』と、明記すればいいやね。
でも、皮肉なものだね。そういう彼らを指導してきたのは、わたしたちの年代の教員なのだもの。また、そういう彼らを育ててきたのは、まさに、今、後期高齢者と言われる親世代なのだもの。何か大事な教育が抜けてきたと思わざるをえない。
そう考えると、申し訳ない思いでいっぱいになってしまう。
2.さあ、それではどうすればよいのかについて
わたしは、年金の問題についてだが、すでに記事にしたことがある。健康保険の問題も、基本的にはこれと同じに考えていいであろう。そんなに大変な、むずかしい問題ではないと思う。
年金の話(2) 信長のころなら
このわたしの持論、もうすでに、ご理解いただけたと思うが、カギは、60代である。
60代の意識改革が必要だ。また、60代の意識改革を促す政策こそ、政治がとるべき課題ではないかと思われる。
今、『花の60代』と言われる。
健康で、身体はよく動く。なのに、働かない。働かないで、早くも年金生活だ。趣味に生きる。海外旅行をしょっちゅうする。(すみません。わたしも年一回はしています。)
しかし、どうだろう。これは、わたしはよく分からないから想像で言うのだが、自営業や農業、そういう方々の60代は、まだまだ一生懸命働いていらっしゃるのではなかろうか。
荒っぽい言い方だが(細かくは専門家に計算してもらおう。)、基本的に、60代は、年金等を受け取る側ではなく、支払い側にまわろうではないか。
そのためには、政府にそういうセンに沿った政策をとってもらわなければならない。
まずは、
〇リンク記事に書いたような啓発活動をする。60代に仕事をする意欲をもってもらう。
〇幸いと言っては何だが、少子高齢化だから、60歳代の働き口は、けっこう確保できるのではないか。特に、若い人を育てるという仕事はうってつけではないか。
団塊の世代が大量に退職していく。そこで、技術を現役に伝えることが困難になっている職場がけっこうあると聞く。それこそ、わたしのように、現場にとどまって、現役に指導することが望まれる。
〇門戸を開放する。
たとえば、わたしのことだが、わたしは、退職後2年間、初任者指導を仕事として、フルタイムで働いた。そして、初任者4人の指導に当たった。
しかし、それは、3年目からはできないことになった。制度がそうなっているのだ。そのため、非常勤講師として、週2日の勤務。指導する初任者は1人だけとなった。そして、年金は満額いただいている。
わたしは、できれば、フルタイムで働きたい。今も、初任者4人を指導したい。それでいいと思っている。その場合は、もちろん、年金は返上だ。そして、支払い側にまわる。
身体がバンバン動くうちは、働かせればいいのだ。何も、制度として門戸を狭める必要はない。
以上、年金、健康保険制度を維持するには、断じて、今の政策でいくべきではない。今、与野党ともに言っていることは、問題の先送りばかりだ。
根本は、60代に対する政策がカギをにぎるのだ。わたしはそう思う。
最後に、ブラックユーモアを一つ。
いや。ユーモアではないね。ブラックそのものだ。
何も考えなくても、あんがい、年金、健康保険はもつかもしれないのだ。それは、『日本人の平均寿命がこれから縮まるから。』というこわい話。
そうならないよう、啓発の意味をこめて、すでに書いた記事にリンクする。
食生活の改善を
冒頭、
『彼らが子どもだった昭和40年代、日本はもう、戦争の傷跡は何もなく、高度経済成長に突入していた。ある程度豊かになった日本で、つめこみ、エリート教育を受け、きびしい受験戦争(?)を勝ち抜いてきた。
その結果、基本的には自分のことしか考えない、他人の心の痛みなど理解できない大人になったのではあるまいか。
上記、自分の親たちの世代の苦労など、知識としてはもっていても、実感できないまま大人になったのであろう。』
と書かせていただきました。
この仮説がもし正しいなら、これからの日本はさらに大変なことになりますね。
なにしろ、今に至るまで、子どもの受験戦争は、激化することはあっても、なくなる方向性は見えていません。
政府もこれを後押しするような政策を、一部、とっています。
もちろん、昭和40年代、子どもだった方々の多くは、受けた教育はつめこみだったかもしれませんが、豊かな心をもち、人権意識もしっかりしたものをもち、日本をいい方向に導くべく、努力してくださっています。
受験戦争を勝ち抜いた方々のなかにだって、すてきな方は大勢いらっしゃいます。いつも申し上げるように、その点で言えば、あくまで、一人ひとりの問題です。
ただただ、『高級官僚に共通したものがあるのではないか。』という仮説に過ぎないことを、お断りしておきたいと思います。
ちょっと前までは年金の話。ここのところは、後期高齢者医療制度で、大変世論は怒っている。
特に、ここのところの医療制度をめぐる論争をみていると、このままいけば、世代間のトラブルになるように思えてならない。
また、年金ともども、わたしは、ほんとうはこれらは何もむずかしい問題ではないと思っているので、その双方を論点に述べてみたい。
1.世代間のトラブルになるかもしれないという点について
後期高齢者といわれる75歳以上は、太平洋戦争終結時、12歳以上だった方である。ある方は兵役につき、幾多の戦いを経て無事(?)帰還した方々である。
無事に(?)をつけたのは、命を脅かされる戦いに明け暮れる日々だったほかにも、ある方は、シベリアに長期間抑留されたり、ある方は、戦犯として裁判にふされたりしたことなどがあげられる。
また、兵役につかなかった方だって、空襲、貧困、言論弾圧等、辛酸をなめてきた方々である。
戦後は、廃墟の中から立ち上がり、高度経済成長を支えてきた。大変な苦労をされた世代なのである。
また、今のような年金制度、健康保険制度ができたのは、昭和35年ごろ。
だから、この制度を支えてきた方々でもある。
当然、若いときは、その当時の高齢者を支えてきた。
他方、この、後期高齢者医療制度を編み出した高級官僚は、だいたい、わたしが初任者のころの教え子の年代。
彼らが子どもだった昭和40年代、日本はもう、戦争の傷跡は何もなく、高度経済成長に突入していた。ある程度豊かになった日本で、つめこみ、エリート教育を受け、きびしい受験戦争(?)を勝ち抜いてきた。
その結果、基本的には自分のことしか考えない、他人の心の痛みなど理解できない大人になったのではあるまいか。
上記、自分の親たちの世代の苦労など、知識としてはもっていても、実感できないまま大人になったのであろう。
だって、彼らが編み出した、後期高齢者医療制度なるものは、あまりにもお粗末なのだもの。このようなことしか思い浮かばないかと、かわいそうになってしまうくらいの代物だ。一体若いときから何を学んできたのだろう。そう思ってしまう。
大体考えたって分かるではないか。
『交通事故をよく起こす者は、金がかかって仕方ないから、自動車保険を別口にしましょう。』などと、誰が考えるだろう。そのようなことを考えなくても、みんな、自分だっていつ事故を起こすかわからないからという思いで、保険に加入する。それで、だれも、文句は言わない。
そうか。(もちろん、冗談だけれど、)こちらこそ、別口にしてもいいよね。だって、ものすごい金額をとられれば、誰だって、事故を起こさないように気をつけようと思うだろう。
だけれども、基本的に、後期高齢者は気をつけようがないのだ。
わたしだって、63歳ながら、一応、健康ではいるけれど、最近けっこう医者通いは増えてきた。
思うに、彼らの頭には、財政赤字しかないのであろう。自分たちのやっているムダは棚に上げて、後期高齢者を犠牲にする。
傑作なのは、若い人たちの支払いに対して、『後期高齢者のための分は〇〇円です。』と明記するのだと言う。
それなら、自動車保険に対しても、『事故をよく起こす人たちのための分は、〇〇円です。』と、明記すればいいやね。
でも、皮肉なものだね。そういう彼らを指導してきたのは、わたしたちの年代の教員なのだもの。また、そういう彼らを育ててきたのは、まさに、今、後期高齢者と言われる親世代なのだもの。何か大事な教育が抜けてきたと思わざるをえない。
そう考えると、申し訳ない思いでいっぱいになってしまう。
2.さあ、それではどうすればよいのかについて
わたしは、年金の問題についてだが、すでに記事にしたことがある。健康保険の問題も、基本的にはこれと同じに考えていいであろう。そんなに大変な、むずかしい問題ではないと思う。
年金の話(2) 信長のころなら
このわたしの持論、もうすでに、ご理解いただけたと思うが、カギは、60代である。
60代の意識改革が必要だ。また、60代の意識改革を促す政策こそ、政治がとるべき課題ではないかと思われる。
今、『花の60代』と言われる。
健康で、身体はよく動く。なのに、働かない。働かないで、早くも年金生活だ。趣味に生きる。海外旅行をしょっちゅうする。(すみません。わたしも年一回はしています。)
しかし、どうだろう。これは、わたしはよく分からないから想像で言うのだが、自営業や農業、そういう方々の60代は、まだまだ一生懸命働いていらっしゃるのではなかろうか。
荒っぽい言い方だが(細かくは専門家に計算してもらおう。)、基本的に、60代は、年金等を受け取る側ではなく、支払い側にまわろうではないか。
そのためには、政府にそういうセンに沿った政策をとってもらわなければならない。
まずは、
〇リンク記事に書いたような啓発活動をする。60代に仕事をする意欲をもってもらう。
〇幸いと言っては何だが、少子高齢化だから、60歳代の働き口は、けっこう確保できるのではないか。特に、若い人を育てるという仕事はうってつけではないか。
団塊の世代が大量に退職していく。そこで、技術を現役に伝えることが困難になっている職場がけっこうあると聞く。それこそ、わたしのように、現場にとどまって、現役に指導することが望まれる。
〇門戸を開放する。
たとえば、わたしのことだが、わたしは、退職後2年間、初任者指導を仕事として、フルタイムで働いた。そして、初任者4人の指導に当たった。
しかし、それは、3年目からはできないことになった。制度がそうなっているのだ。そのため、非常勤講師として、週2日の勤務。指導する初任者は1人だけとなった。そして、年金は満額いただいている。
わたしは、できれば、フルタイムで働きたい。今も、初任者4人を指導したい。それでいいと思っている。その場合は、もちろん、年金は返上だ。そして、支払い側にまわる。
身体がバンバン動くうちは、働かせればいいのだ。何も、制度として門戸を狭める必要はない。
以上、年金、健康保険制度を維持するには、断じて、今の政策でいくべきではない。今、与野党ともに言っていることは、問題の先送りばかりだ。
根本は、60代に対する政策がカギをにぎるのだ。わたしはそう思う。
最後に、ブラックユーモアを一つ。
いや。ユーモアではないね。ブラックそのものだ。
何も考えなくても、あんがい、年金、健康保険はもつかもしれないのだ。それは、『日本人の平均寿命がこれから縮まるから。』というこわい話。
そうならないよう、啓発の意味をこめて、すでに書いた記事にリンクする。
食生活の改善を
冒頭、
『彼らが子どもだった昭和40年代、日本はもう、戦争の傷跡は何もなく、高度経済成長に突入していた。ある程度豊かになった日本で、つめこみ、エリート教育を受け、きびしい受験戦争(?)を勝ち抜いてきた。
その結果、基本的には自分のことしか考えない、他人の心の痛みなど理解できない大人になったのではあるまいか。
上記、自分の親たちの世代の苦労など、知識としてはもっていても、実感できないまま大人になったのであろう。』
と書かせていただきました。
この仮説がもし正しいなら、これからの日本はさらに大変なことになりますね。
なにしろ、今に至るまで、子どもの受験戦争は、激化することはあっても、なくなる方向性は見えていません。
政府もこれを後押しするような政策を、一部、とっています。
もちろん、昭和40年代、子どもだった方々の多くは、受けた教育はつめこみだったかもしれませんが、豊かな心をもち、人権意識もしっかりしたものをもち、日本をいい方向に導くべく、努力してくださっています。
受験戦争を勝ち抜いた方々のなかにだって、すてきな方は大勢いらっしゃいます。いつも申し上げるように、その点で言えば、あくまで、一人ひとりの問題です。
ただただ、『高級官僚に共通したものがあるのではないか。』という仮説に過ぎないことを、お断りしておきたいと思います。