October 2007

October 14, 2007

プルートの後継者

ディフェンスの要クリスティアン・キヴをインテルに放出したローマ。03-04シーズンに加入して以来攻守に渡ってチームに貢献してきた彼の移籍はローマにとって大きな打撃になると思われた。しかし現在、ロマニスタからキヴ放出を惜しむ声は聞こえてこない。それは何故か。キヴの放出をあらかじめ予測していたローマのフロントは既にフリートランスファーでキヴの代役となる選手を確保していたのだ。その選手はファン・シルヴェイラ・ドス・サントス。かつてローマに在籍していた“プルート”を彷彿とさせる選手である。

ローマの背番号6は永久欠番となっている。この6番を最後に身に付けていたのが“プルート”アウダイール・ドス・サントス・ナシメントだ。90-91年にポルトガルのベンフィカから加入して02-03シーズンに至るまで実に10年以上ローマに在籍していた外国人選手である。ミッキーマウスの飼っている犬に顔や手足の長さが似ていることから“プルート”というあだ名を名付けられたアウダイールは在籍していた10年もの間ローマのセンターバックに君臨し続けた。

スピードこそないものの強靭なフィジカルを活かしたマンマークの強さ、さらには的確な読みからさらりとボールを奪っていくヨーロッパ好みのプレイスタイルも併せ持つ「競り合いには強いが鈍重で戦術眼にも欠ける」というブラジル人ディフェンダーのイメージを覆した選手でもある。数々のビッグクラブからのオファーを一蹴しローマへの強い愛着を示し、03年にローマを退団した後は多くのセリエAクラブから誘われたが「ローマとは戦いたくない」とセリエBのジェノアに移籍するなど、ティフォージから安定感あるプレイととともに誠実な性格も愛され続けてきた。

ローマでの獲得タイトルこそ加入シーズンのコパ・イタリアと00-01シーズンのスクデットに留まっていたが、ブラジル代表でも94年ワールドカップ優勝、98年ワールドカップ準優勝とビッグタイトルを獲得したマルディーニ、カンナヴァロ、イエロらと並ぶ90年代における世界最高クラスのディフェンダーである。しかし日本のサッカーファンには、96年アトランタ五輪の日本戦で路木のクロスを処理しようとしてGKヂダと激突、ボールをこぼしてしまい伊東に日本サッカー史に残るゴールを許してしまった彼の不名誉な姿が今でも印象深いことだろう…。

そのアウダイールの系譜を継ぐのが今季から加入したファンである。痩身でスピードには欠けるが的確な読みと鋭い出足でボールを奪っていく姿、そしてセットプレイでの得点力の高さはまさに“プルート”を髣髴とさせるものがある。ファンはアウダイールと同じくフラメンゴでキャリアをスタートさせた後、02年ワールドカップ予選ではレギュラーとして出場権獲得に貢献したが、本番では23人のメンバーに選出されることはなかった。その悔しさを晴らすべく02年に多くのブラジル人選手がブレイクしたドイツのレヴァークーゼンに移籍。1年目こそ残留争いに巻き込まれたが、2年目には同胞ルッシオとのセンターバックコンビで攻守に大活躍。チャンピオンズリーグ出場を決めると翌シーズンにはルッシオの移籍でコンビを解消したがまたしてもブラジル代表のロッキ・ジュニオールと強固な壁を形成しCLで躍進。グループリーグでレアル・マドリードを完膚なきまでに叩きのめすなどベスト16に進出した。代表クラブ両方で活躍するファンにはビッグクラブが興味を示したが、彼はレヴァークーゼンでプレイし続けた。

大きな期待を背負って加入したファン。ブラジル代表の試合で負った負傷で開幕戦こそベンチを外れたが、第2節でベンチ入りすると第3節のレッジーナ戦でローマでのデビュー戦を迎えた。この試合でファンは苦手としているオレステ・グラニッロでの完封勝利に寄与しただけでなく、フリーキックから華麗なヒールキックで試合を決める2点目を奪っている。同僚ドニとはコパ・イタリアで6試合ともにプレイしておりコミュニケーション不足の心配はなく、またフィリップ・メクセスとのコンビは熟成こそ進めばかつてのアウダイールとワルター・サムエルのようなセリエAでも屈指の守備ラインになる予感がある。

今でもロマニスタが最高のセンターバックと称するアウダイール。その後継を担う者がついに現れた。

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ryangiggs1123 at 19:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)