May 2007
May 31, 2007
黄金風呂を取りもどせ!
YOMIURI ONLINE から抜粋
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18金のホテル浴槽が盗難、時価1億2000万円
30日午前9時ごろ、千葉県鴨川市内浦の「小湊ホテル三日月」(並木●二総支配人)から、10階の男性用共同浴場に設置されていた「黄金風呂」と呼ばれる18金製の浴槽(重さ約50キロ、時価約1億2000万円)が盗まれたと110番通報があった。(●は木ヘンに「貞」)
浴槽は浴場内の一角にガラス戸で囲われ施錠されていたが、入り口の引き戸の取っ手に巻かれていた鎖が切断されていたという。千葉県警鴨川署が窃盗事件として捜査している。
調べによると、従業員が同日午前2時ごろ、男湯と女湯の浴場を交換する作業を行った際には浴槽はあったという。巡回に来た従業員がなくなっているのに気づいた。
盗まれた浴槽は縦71センチ、横1メートル21、高さ65センチ。浴槽を固定するステンレス製の枠(重さ約30キロ)も一緒に盗まれていた。金属製の鶴の装飾はそのままだった。
同ホテル側によると、「黄金風呂」は午後3〜6時に限って開放されている。
(2007年5月30日13時52分 読売新聞)
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黄金風呂!こういう悪趣味、結構好きだ。
そして、これを盗む輩がいるのが面白い。(ホテルの方には悪いけど)
「黄金風呂を狙え!」
ルパン3世のタイトルになりそうだ。
峰不二子が黄金風呂に入っているシーンを想像してしまう。
テレビで見たけれど、結構ちゃちな防犯体制だったようだ。
ホテル側も、まさか盗まれるとは思っていなかっただろうなぁ。
保険とか入っていたのだろうか。その辺が気になる。
いったい今頃、黄金風呂はどこにあるのだろうか?
あの風呂を、形を変えて金として売るのはちょっと無理がある。
売れるかどうか分からないあんな大きなものを、盗みに入るのはリスクが大きい。
というわけで、必ず売れる客がいるか、または欲しがっている雇い主がいるか、そんなとこじゃないかなぁ。どうでしょう、この推理。(外の可能性も考え付くけど)
さらに言うと、こういう光り物が好きで、こんな突拍子もない発想をしそうな人たちが多く住む地域といえば・・・。
(加藤武風に)「よし分かった!黄金風呂は関西にある!」(半分冗談、半分本気。偏見です。)
犯人に言いたい。
こういう盗みをやるのなら、ただ盗むだけじゃ面白くない。
ボクなら、黄金風呂のあった場所に、黄金風呂のミニチュアを置いておく。
「ちっちゃくなっちゃった!」って、発見した人は驚くよ、きっと。
捕まったとしても、裁判官の印象が少し良くなるかもしれない。
不謹慎ですいません。
とにかく、これからの事件の行方に注目したい。
May 30, 2007
橋を見に行こう
橋を見に行こう―伝えたい日本の橋
今週のフジテレビ「ザ・ベストハウス123」から。
写真家の平野暉雄さんが選ぶ、日本の美しい橋BEST3
第1位 四季折々に魅せる!世界に誇る五つのアーチ!
錦帯橋(きんたいきょう)。山口県岩国市。
岩国城と城下町をわかつ、錦川に架かる世界でも類を見ない5つの雄大な木造の橋。
330年以上もの歴史がありながら未だ色あせない美しさを放つ名橋。
この錦帯橋が最も美しく栄えるのは幻想的にライトアップされた夜。
第2位 日本で唯一世界遺産に登録された神聖な橋
神橋(しんきょう)。 栃木県日光。
鮮やかな朱色が渡る人々を圧倒するほどの美しさを放つ。
かつては徳川将軍の参拝の時だけに渡る事が許された神聖な橋であった。
中でも最も美しい佇まいは、夜霧の中、光に包まれる瞬間だという。
第3位 人はそれを「大空を渡る水の石橋」と呼ぶ
通潤橋(つうじゅんきょう)。熊本県山都町。
山あいを静かにながれる五老ヶ滝川にかかる重厚な石橋。
1854年に造られた国内最大級の石橋でその造形美を見に多くの観光客が押し寄せるという。そしてこの橋が最も美しいのは、石橋の中央から美しい放物線を描く放水の瞬間だという。
橋か〜。
興味を持って見た事がなかったので、ピンとこなかったが、今回紹介された三本の橋は確かに素晴らしかった。
橋の世界もなかなか奥が深くて面白そうだ。
今度旅に出た時には、橋にも注意してみよう。
今週のフジテレビ「ザ・ベストハウス123」から。
写真家の平野暉雄さんが選ぶ、日本の美しい橋BEST3
第1位 四季折々に魅せる!世界に誇る五つのアーチ!
錦帯橋(きんたいきょう)。山口県岩国市。
岩国城と城下町をわかつ、錦川に架かる世界でも類を見ない5つの雄大な木造の橋。
330年以上もの歴史がありながら未だ色あせない美しさを放つ名橋。
この錦帯橋が最も美しく栄えるのは幻想的にライトアップされた夜。
第2位 日本で唯一世界遺産に登録された神聖な橋
神橋(しんきょう)。 栃木県日光。
鮮やかな朱色が渡る人々を圧倒するほどの美しさを放つ。
かつては徳川将軍の参拝の時だけに渡る事が許された神聖な橋であった。
中でも最も美しい佇まいは、夜霧の中、光に包まれる瞬間だという。
第3位 人はそれを「大空を渡る水の石橋」と呼ぶ
通潤橋(つうじゅんきょう)。熊本県山都町。
山あいを静かにながれる五老ヶ滝川にかかる重厚な石橋。
1854年に造られた国内最大級の石橋でその造形美を見に多くの観光客が押し寄せるという。そしてこの橋が最も美しいのは、石橋の中央から美しい放物線を描く放水の瞬間だという。
橋か〜。
興味を持って見た事がなかったので、ピンとこなかったが、今回紹介された三本の橋は確かに素晴らしかった。
橋の世界もなかなか奥が深くて面白そうだ。
今度旅に出た時には、橋にも注意してみよう。
May 29, 2007
夢のセカンドライフ
最近、「セカンドライフ」という言葉を耳にするようになった。
「セカンドライフ」っていったい何だろう?
「セカンドライフ(Second Life)」とは、米リンデン・ラボ(Linden Lab)が運営するインターネット上の3次元の仮想世界。
自分の分身であるキャラクター(アバターと呼ぶ)を通して、買い物からデート、自宅建築、ビジネスまでリアル世界そのままの生活が体験できる。
このセカンドライフのすごいところは、コンテンツの大部分をユーザーが作り出せるということだ。
巨大なお城からアバターが身に着ける小さなアクセサリーまで、すべてユーザー自身がセカンドライフ内で制作している。
具体的には直方体、円柱といった数種類の単純な物体を変形し、組み合わせることで目的のものを形作っていく。
さらに、運転できる車や実際に遊べるスロットマシーン、雪山をすべるスノーボードなんていうのも、 用意されているリンデンスクリプトと呼ばれる独自のプログラミング言語を駆使すれば作ることができる。
ユーザーのアイデア次第でいろいろなアイテムを作り出すことが可能なのだ。
そして、セカンドライフには「リンデンドル(L$)」という通貨が用意されている。これは、仮想世界で買い物をするときに用いるのだが、なんとリンデンドルを現金(米ドル)に換金することも可能なのだ。
ゲーム内で稼いだお金で暮らす、ということも不可能ではない。
実際、セカンドライフ内で不動産開発をして、1億円相当の資産を築いた人までいるなんて景気のいい話もある。
そのため、セカンドライフをビジネスチャンスととらえて参加してくるユーザーもいるようだ。
セカンドライフ公式ガイド Second life the official guide
この仮想世界、参加ユーザーが劇的に増加しているそうだが、これからいったいどうなっていくのだろうか?
名だたる大企業が次々とセカンドライフ内に進出してきたり、大物ロックバンドがライブを開催し、高級ブランドがショーを開くなど、仮想世界はユーザー達によってどんどん押し広げられてきている。
最近では、民主党の参議院議員、鈴木寛氏が事務所を開設したとか。
選挙活動を、セカンドライフ内でするようになるのだろうか。
そこから発展して、ネットで投票できるようになったりして。
政治の世界にも影響が出てくるかもしれない。
こう考えると、ネット上の仮想世界と現実世界がリンクしあい、新しい社会をつくりだすような気がしてくる。
近々、日本語版も始まると言うことだし。
ちょっと、やってみようかな。
セカンドライフ、第二の人生。
とは言っても、その第二の人生を送るには、現実世界の時間を使わなければいけないわけで。
やっぱり、ほどほどにしといた方がいいですね。
セカンドライフ http://secondlife.com/world/jp/
May 28, 2007
タオにつながる
タオにつながる
本文から抜粋。
「タオ」は中国語で「道」の意。わが国語に入って道路や道場のように「ドウ」として使われている。普通の名詞だ。この道が「Tao」として西洋で使われると、老子の道(タオ)を意味する言葉となる。老子の「道徳経」は"Tao Te Ching"となっていて、ここからTaoがとられ、ひろまった。いまではTaoはZEN(禅)と同じに世界語となっている。このTaoから「タオ」とカナ書きができて、やはり老荘の思想を指す。老子・荘氏の考えや生き方はタオイズム、それに従おうとする人をタオイストと呼ぶ。
作者の加島祥造さんは、信州の伊那谷に住む、自称新米タオイスト。
そして、詩人、墨彩画家でもある。
加島さんを初めて知ったのは、著書「タオ・ヒア・ナウ」だった。
当時、心身ともに疲れていたせいか、平易な日本語で訳された老子の言葉が、乾いた土に水がしみこんでゆくように、心に入ってきた。
「タオ」に関する本は、たくさんあるけれども、ボクは加島さんの本だけで十分だと思っている。
というよりも、加島さんの「タオ」が好きなのだ。
加島さんを通して知った、老子のいう三つの宝。
「愛すること」
「あまり欲張らないこと」
「人の先に立とうとしないで、自分のペースで生きること」
本文から抜粋。
「タオ」は中国語で「道」の意。わが国語に入って道路や道場のように「ドウ」として使われている。普通の名詞だ。この道が「Tao」として西洋で使われると、老子の道(タオ)を意味する言葉となる。老子の「道徳経」は"Tao Te Ching"となっていて、ここからTaoがとられ、ひろまった。いまではTaoはZEN(禅)と同じに世界語となっている。このTaoから「タオ」とカナ書きができて、やはり老荘の思想を指す。老子・荘氏の考えや生き方はタオイズム、それに従おうとする人をタオイストと呼ぶ。
作者の加島祥造さんは、信州の伊那谷に住む、自称新米タオイスト。
そして、詩人、墨彩画家でもある。
加島さんを初めて知ったのは、著書「タオ・ヒア・ナウ」だった。
当時、心身ともに疲れていたせいか、平易な日本語で訳された老子の言葉が、乾いた土に水がしみこんでゆくように、心に入ってきた。
「タオ」に関する本は、たくさんあるけれども、ボクは加島さんの本だけで十分だと思っている。
というよりも、加島さんの「タオ」が好きなのだ。
加島さんを通して知った、老子のいう三つの宝。
「愛すること」
「あまり欲張らないこと」
「人の先に立とうとしないで、自分のペースで生きること」
鎌倉市二階堂 「瑞泉寺」
報国寺を後にし、「瑞泉寺」へ。
瑞泉寺は、嘉歴二年(1327年)に、鎌倉幕府の重臣・二階堂道蘊(どううん)が、夢窓国師を開山として創建した寺で、当初は瑞泉院と号した。
その後、室町時代に足利尊氏の次男で、初代鎌倉公方の足利基氏が夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めた。
以降、鎌倉公方代々の菩提寺となり、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の第一位の格式を誇った寺となった。
本堂裏には夢窓国師作で発掘・復元された、庭園(国指定名勝)がある。
文学や学問とゆかりの深い寺でもあり、鎌倉時代には五山文学の拠点として栄え、近世には徳川光圀がここで『新編鎌倉志』の編纂をさせたという。
境内には、高浜虚子、久保田万太郎、吉野秀雄、大宅壮一、吉田松陰などの碑がある。
また、鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られ、梅、水仙、つつじ、牡丹、マンサクなど、一年中花の絶えることがない。
瑞泉寺の境内や庭は、あまり手を入れず、自然にまかせているといった感じ。
先ほどの報国寺のように、よく手入れされているのも良いが、ここ瑞泉寺の山寺らしい雰囲気も好きだ。
鳥や虫の声が、所々から聞こえてくる。
本堂の裏にある夢窓国師作の庭園が面白い。
夢窓国師とはどんな人だったのだろう。
夢窓国師が設計した、「苔寺」で有名な京都の西芳寺、同じく京都の天龍寺へも行ってみたい。
「瑞泉寺」
住所:鎌倉市二階堂710
鎌倉駅5番乗場から大塔宮行きバス終点下車15分
TEL:0467-22-1191
拝観料:大人100円・小人50円
拝観時間:9:00〜17:00
報国寺で迦陵頻伽の羽ばたきを聞く
遠くに矢倉(やぐら)が見える。
この場合の矢倉とは、武器を納めておく倉ではなく、武士・僧侶等の支配者層の墓所 を指す。
鎌倉に多く見られ、鎌倉時代から室町時代の始め頃までしか造られていなかったそうだ。
足利家時と、ここで自刃した足利義久の墓所である。
矢倉の周りには、草木が生い茂っている。
そこだけ、まるで南国の様な独特な雰囲気だ。
極楽浄土をイメージして造られたのだろうか。
遠くで、鳥の飛び立つ音が聞こえた。
もしかしたら、極楽浄土に住むという迦陵頻伽かもしれない。
報国寺 「竹の庭」
報国寺は「竹の寺」として有名だ。
200円を払って、竹の庭へ。
前を歩いていた参拝客から、ため息がもれる。
良く手入れされた竹林。
まっすぐ伸びた孟宗竹。
辺りを、清清しい空気が流れている。
見上げると、竹の間から光が射し込み、緑が美しい。
耳に心地よい、サワサワという竹の葉のこすれる音。
いつまでも、いたい気分だ。
来てよかったな。
庭の奥には、茶屋があり、500円で抹茶を頂くことが出来る。
竹の庭を眺めながら抹茶を頂くというのも、なかなか風情がありそうだ。
今回は素通りしたが、次回は茶屋で時間を過ごしてみたい。
今日は天気が良くて最高だった。
でも、小雨の降る竹の庭というのも、また違った表情をみせてくれそうで、見てみたい気がする。
何度も通いたくなる「竹の庭」だ。
鎌倉三十三観音霊場 第十番 「報国寺」
杉本寺を離れ、報国寺へ向かう。
報国寺は、足利、上杉両氏の菩提寺として栄えた臨済宗寺院。
この寺は、足利尊氏の祖父・家時が開基。
禅僧、夢想国師の兄弟子・天岸慧広(てんがんえこう)の開山で建武元年(1334年)に創建された。
永享の乱(1439年に起きた足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃した悲劇の寺である。
受付で、朱印をいただく。
右上に「鎌倉観世音 第十番」と判が押してあることに気が付いた。
聞いてみると、ここ報国寺は、鎌倉三十三観音霊場の第十番の札所なんだとか。
鎌倉にも、三十三箇所があったとは知らなかった。
そういえば、先ほどの杉本寺で、受付の方に「鎌倉、坂東どちらですか?」と聞かれたっけ。
鎌倉とは、鎌倉三十三観音霊場のことだったことに、今頃気が付いた。
ちなみに、杉本寺は第一番札所だということである。
ここで不思議に思う。
なぜ観音巡礼は、西国も坂東も、この鎌倉も三十三箇所なのか。
調べてみると、観音菩薩は、三十三通りの姿に化身して人々を救い、願いをかなえるという観音信仰に由来しているそうだ。
適当な数字ではないんだな、やっぱり。
「報国寺」
住所:鎌倉市浄明寺2-7-4
鎌倉駅徒歩25分
または京急バス鎌倉駅発十二所方面行き淨明寺下車3分
TEL:0467-22-0762
料金:境内無料、竹の庭200円、抹茶500円
拝観時間:9:00〜16:00
坂東三十三箇所巡礼の旅 第一番札所 「大蔵山 杉本寺」
坂東三十三箇所観音霊場は、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にかけてある、33か所の観音霊場である。
坂東とは、坂から東。つまり箱根の坂、足柄峠から東にある関東地区のことを指す。
鎌倉時代、武士が九州まで源平の戦いのために出陣し、その戦いの後に供養や平和ために、源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したと伝えられている。
第一番札所の杉本寺から第三十三番札所である那古寺までを巡拝すると、その道程は約1300キロメートルにもなる。
巡礼者は全ての札所を巡拝(結願)すると、善光寺および北向観音に「お礼参り」をすることが慣わしとされている(上記2寺を参拝して結願とする場合もある)。
また、西国三十三箇所観音霊場、秩父三十四箇所観音霊場と併せて日本百観音といい、その結願寺は秩父三十四箇所の三十四番水潜寺となる。
それから、観音さまについて。
観音さまの正式名は、「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」あるいは「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」という。
菩薩とは、悟りを求め、如来になるよう修行に励む人すべてをいう。
菩薩像を見てみると、在家の貴人の姿をしていて、頭には豪華な宝冠をつけ、身には多くの装身具をつけている。(地蔵菩薩は例外)
まだまだ、煩悩が残っているということはすなわち、より人間に近いといえる。
そして、観世音とは、「世の音を観る」と書き、世間の人々の悩める声(音)を観じ、救済の手を差し伸べるという事だそうだ。
だいたい、勢至菩薩と一緒に、阿弥陀如来のおそばで、教化(教え導いて善に進ませること)の助けをしている。
夢枕に立つのも、だいたい観音さま。
昔話で、人を助けてくれるのも観音さまが多い。
とてもいいお方だ。
前から、坂東三十三箇所観音霊場を巡ってみたいと思っていた。
今日、思い立って第一番札所である「杉本寺」へ行くことにした。
朝7時30分に起床。8時30分に家を出る。
10時近くに鎌倉に到着した。
駅近くの文房具屋で、朱印帳を買い、徒歩で杉本寺へ向かった。
鶴ヶ岡八幡宮の前を右に曲がり、金沢街道へ。
もう10年以上前、ボクは十二所というところに住んでいたことがあり、この道をよく自転車で走っていた。
ここを歩くのは、それ以来になる。
懐かしくて、少しグッときてしまった。
杉本寺へは、実は今日がはじめて。
その当時、前をよく自転車で通り過ぎていたのだが、全く興味がなく、また拝観料をとられるのも嫌で素通りしていた。
二十歳そこそこだったので無理もないが、もったいない話だ。
今、鎌倉に住めば毎週寺社巡りをしていたことだろう。
杉本寺に着く。
観音堂に向かって、長い石段の参道が続いている。
拝観料200円を払い、石段を登る。
参道の両脇には、「十一面杉本観音」と書かれた白い奉納幟がいくつも掲げられている。
仁王さんをしばらく眺めた後、山門をくぐる。
目の前に、苔むした石段がある。
苔の緑がきれいだ。
この石段は保護されていて、通行止めになっている。
参詣者は、みなこの石段の前で記念撮影をしていた。
脇の石段を上って、観音堂へ向かった。
杉本寺は、鎌倉幕府が開かれる500年近くも前の平安初期、天平6年(734年)に創建された鎌倉最古の寺。
天平三年(731年)、関東地方を歩いていた行基が、鎌倉の大蔵山から町を眺め「ここに観音様を置こう」と思い、自ら彫刻した十一面観音像を安置した。
その後、光明皇后の恩召により、行基が本堂を開創した。
文治5年(1189年)11月23日の夜、火災が起こり観音堂が焼失。
しかし、御本尊三体は、自ら境内の杉の木のもとに火を避けられた。
それにより杉の本の観音と今日まで呼ばれていると、「吾妻鏡(あづまかがみ)」には、記されている。
そして、源頼朝により建久2年(1191年)に再建。
以前の三尊像を内陣に安置し、別に立像7尺の十一面観音像を寄進した。
茅葺きの観音堂が杉木立ちを背に建っている。
鎌倉最古の寺らしい枯れきったたたずまい。
さっそく、観音堂の中へ。
受付で、朱印をお願いし御本尊をお参りさせていただく。
行基、恵心、慈覚の三人による作とされる、三体の木造十一面観音立像。
手を合わせていると、ご詠歌の歌声が聞こえてきた。
80歳前後だろうか、白衣を着たお遍路のおじいさんが朗々と謡っている。
御本尊に手を合わせながら、その歌声を聴いていると、心がしだいに静かになっていく。
受付で朱印帳をいただき、観音堂を後に。
境内には、まだおじいさんのご詠歌の歌声が流れていた。
「大蔵山 杉本寺」
住所:神奈川県鎌倉市二階堂903
鎌倉駅徒歩20分
または京急バス鎌倉駅発十二所方面行き杉本寺下車徒歩1分
TEL:0467-22-3463
拝観料:200円 小人 100円
拝観時間:8:00〜16:30
May 25, 2007
紫の海にアメフラシが浮かぶ
三平の食堂―白土三平の好奇心〈2〉
私のとりとめのないレポートは、
求めることによって多くのものを失った者が、
かつては苦しくとも喜びを自然と共有した
世界があったという残照と断片を、
何らかの形で残しておきたいという
動機に依るものであるに過ぎない。
冒頭の文にしびれてた。
白土三平さんは、「忍者武芸帳」や「カムイ伝」で知られる著名な漫画家。
白土さんは、房総の海辺に居をかまえ、そこで漫画作品を描き続ける一方、自ら狩猟採集民の末裔と称し、自給自足の生活を実践している。
海に潜り、山に分け入り、漁師と酒を酌み交わす。
そこから見えてくる、かつての人間が、自然と格闘しつつ得てきた食の原風景。
<目次>
ス貝
舞茸
蟹漬け(ケジャン)
ハナフイ(アカクラゲ)
うみようじん(アメフラシ)
チンチン釣り
竹輪
キンコナマコ
木株のイロリ
ガワ
ウシブテ
アミタケ
ナマコ茶漬け
不明菌(クロカワハリタケ)
目次を見ただけで、興味が沸いてくる。
この中にある、うみようじん(アメフラシ)には、楽しい思い出がある。
アメフラシを新潟の地元では、「シンガラ〇ッチョ」と呼んでいた。(あえて伏字にさせていただく)
このシンガラ〇ッチョ、刺激をあたえると紫色の墨を出す。
海で、よくこれをシンガラ〇ッチョ爆弾と言って投げ合って遊んでいた。
遊び終わった後の海は、紫色に染まっていて、
それを、子供ながらに「悲しい色やね・・・」と感じていたのを思い出す。
この本で知ったのだが、墨が頭につくとハゲるらしい。(迷信だとは思うが)
怖い遊びをしていたものだ。
その当時は、見た目が巨大なナメクジのような、シンガラ〇ッチョが、まさか食べられるとは思いもしなかった。
白土さんは、酢味噌あえにして食べていた。
なかなか、いけるらしい。
自分もいつか食べてみたい。
人間として、一皮むける気がする。
アメフラシに悪さをすると、雨が降るといわれている。
今日は、朝から雨降り。
遠い日本海で、周りを紫色に染めながら浮かんでいる、アメフラシを思い浮かべた。
私のとりとめのないレポートは、
求めることによって多くのものを失った者が、
かつては苦しくとも喜びを自然と共有した
世界があったという残照と断片を、
何らかの形で残しておきたいという
動機に依るものであるに過ぎない。
冒頭の文にしびれてた。
白土三平さんは、「忍者武芸帳」や「カムイ伝」で知られる著名な漫画家。
白土さんは、房総の海辺に居をかまえ、そこで漫画作品を描き続ける一方、自ら狩猟採集民の末裔と称し、自給自足の生活を実践している。
海に潜り、山に分け入り、漁師と酒を酌み交わす。
そこから見えてくる、かつての人間が、自然と格闘しつつ得てきた食の原風景。
<目次>
ス貝
舞茸
蟹漬け(ケジャン)
ハナフイ(アカクラゲ)
うみようじん(アメフラシ)
チンチン釣り
竹輪
キンコナマコ
木株のイロリ
ガワ
ウシブテ
アミタケ
ナマコ茶漬け
不明菌(クロカワハリタケ)
目次を見ただけで、興味が沸いてくる。
この中にある、うみようじん(アメフラシ)には、楽しい思い出がある。
アメフラシを新潟の地元では、「シンガラ〇ッチョ」と呼んでいた。(あえて伏字にさせていただく)
このシンガラ〇ッチョ、刺激をあたえると紫色の墨を出す。
海で、よくこれをシンガラ〇ッチョ爆弾と言って投げ合って遊んでいた。
遊び終わった後の海は、紫色に染まっていて、
それを、子供ながらに「悲しい色やね・・・」と感じていたのを思い出す。
この本で知ったのだが、墨が頭につくとハゲるらしい。(迷信だとは思うが)
怖い遊びをしていたものだ。
その当時は、見た目が巨大なナメクジのような、シンガラ〇ッチョが、まさか食べられるとは思いもしなかった。
白土さんは、酢味噌あえにして食べていた。
なかなか、いけるらしい。
自分もいつか食べてみたい。
人間として、一皮むける気がする。
アメフラシに悪さをすると、雨が降るといわれている。
今日は、朝から雨降り。
遠い日本海で、周りを紫色に染めながら浮かんでいる、アメフラシを思い浮かべた。
May 24, 2007
ステップ!ステップ!ステップ!
ステップ!ステップ!ステップ!
原題は「mad hot ballroom」
NYCの公立小学校では、94年から情操教育の一環として社交ダンス(ballroom dancing)が導入されている。
メレンゲ、ルンバ、フォックストロット、タンゴ・・・。
始めてのダンスに戸惑い、照れていた子供たちも、練習を繰り返すうちにのめり込んでいく。
社交ダンスの世界に足を踏み入れた小学生たちが、ダンスコンテストでの優勝を目指して奮闘しながら、成長していく姿を追ったドキュメンタリーだ。
コンテストに出場する60校以上の小学校から、本作では対照的な3校をピックアップしている。
ドミニカ移民が多く、生徒の97%が貧困家庭だというワシントン・ハイツ第115校。
多民族の子供たちが集まり、人種・文化の違いに寛容で陽気なブルックリン、ベンソンハースト第112校。
トライベッカの中心にあり、世慣れた子供たちからオトナ顔負けの発言が次々飛び出す第150校。
社交ダンスのプログラムを受けるのは、10歳から11歳の子供達。
日本で言えば、小学校4・5年生ぐらいだろうか。
NYCでは、10歳が不良になるかならないかの境目なのだそうだ。
不良といっても、日本の不良とはわけが違う。
ドラッグの売人、ストリートギャング。
日本人には、想像がつかないほど、深刻な問題なのだと思う。
インタビューの中で、子供たちの口から、ドラッグなどの単語が出てくることからも、子供達の置かれている環境が、苛酷なものであることが窺い知れる。
そんな過酷な環境の中にいても、子供達の笑顔は明るい。
その屈託のない明るさと、大人顔負けのコメントとのギャップがありすぎて、思わず苦笑い。
主役は、もちろん子供達だけれど、周りの大人たちも面白い。
子供達の色気のある腰使いを見て、嬌声をあげる女教師に注目。
原題は「mad hot ballroom」
NYCの公立小学校では、94年から情操教育の一環として社交ダンス(ballroom dancing)が導入されている。
メレンゲ、ルンバ、フォックストロット、タンゴ・・・。
始めてのダンスに戸惑い、照れていた子供たちも、練習を繰り返すうちにのめり込んでいく。
社交ダンスの世界に足を踏み入れた小学生たちが、ダンスコンテストでの優勝を目指して奮闘しながら、成長していく姿を追ったドキュメンタリーだ。
コンテストに出場する60校以上の小学校から、本作では対照的な3校をピックアップしている。
ドミニカ移民が多く、生徒の97%が貧困家庭だというワシントン・ハイツ第115校。
多民族の子供たちが集まり、人種・文化の違いに寛容で陽気なブルックリン、ベンソンハースト第112校。
トライベッカの中心にあり、世慣れた子供たちからオトナ顔負けの発言が次々飛び出す第150校。
社交ダンスのプログラムを受けるのは、10歳から11歳の子供達。
日本で言えば、小学校4・5年生ぐらいだろうか。
NYCでは、10歳が不良になるかならないかの境目なのだそうだ。
不良といっても、日本の不良とはわけが違う。
ドラッグの売人、ストリートギャング。
日本人には、想像がつかないほど、深刻な問題なのだと思う。
インタビューの中で、子供たちの口から、ドラッグなどの単語が出てくることからも、子供達の置かれている環境が、苛酷なものであることが窺い知れる。
そんな過酷な環境の中にいても、子供達の笑顔は明るい。
その屈託のない明るさと、大人顔負けのコメントとのギャップがありすぎて、思わず苦笑い。
主役は、もちろん子供達だけれど、周りの大人たちも面白い。
子供達の色気のある腰使いを見て、嬌声をあげる女教師に注目。
May 23, 2007
日本の美しい鍾乳洞BEST3
しょうにゅうどう探検
毎週水曜夜9時、フジテレビ「ザ・ベストハウス123」。
日本の美しい鍾乳洞BEST3
第1位「氷渡洞(しがわたりどう)」
岩手県岩泉町にある今だ観光化されない幻の鍾乳洞。
巨大な地下ホールには鍾乳石が無数にそびえ立つ。
さらに奥には雪のような光を放つ鍾乳石が神秘的な光を放っている。
地底深くでなければ決して味わうことのできない絶景である。
第2位「星野洞」
沖縄本島から東へ300km離れた南大東島にある純白の鍾乳洞。
薄い板のようなカーテンと呼ばれる鍾乳石が格別の美しさを放つ。
珊瑚礁の変化した石灰岩が、数万年もかけて雨水によって磨き上げられ、このような純白の鍾乳石を作り上げている。
第3位「滝観洞(ろうかんどう)」
岩手県にある総延長1132mを誇る鍾乳洞。
その見どころは洞窟の奥にある水音。
岩から染み出した地下水が地面に穴を開け、美しい音を奏でている。さらに奥には、地底の滝としては日本最大級の落差29mを誇る天の岩戸の滝がある
地底に、こんな美しい世界があったことを忘れていた。
ジュール・ヴェルヌの「地底探検」を思い出す。
横溝正史の「八つ墓村」では、鍾乳洞が大事な場面につかわれていた。
美しさと恐ろしさが共存している場所。
とても惹かれる。
第1位の「氷渡洞」には、圧巻。是非、一度行ってみたいものだ。
毎週水曜夜9時、フジテレビ「ザ・ベストハウス123」。
日本の美しい鍾乳洞BEST3
第1位「氷渡洞(しがわたりどう)」
岩手県岩泉町にある今だ観光化されない幻の鍾乳洞。
巨大な地下ホールには鍾乳石が無数にそびえ立つ。
さらに奥には雪のような光を放つ鍾乳石が神秘的な光を放っている。
地底深くでなければ決して味わうことのできない絶景である。
第2位「星野洞」
沖縄本島から東へ300km離れた南大東島にある純白の鍾乳洞。
薄い板のようなカーテンと呼ばれる鍾乳石が格別の美しさを放つ。
珊瑚礁の変化した石灰岩が、数万年もかけて雨水によって磨き上げられ、このような純白の鍾乳石を作り上げている。
第3位「滝観洞(ろうかんどう)」
岩手県にある総延長1132mを誇る鍾乳洞。
その見どころは洞窟の奥にある水音。
岩から染み出した地下水が地面に穴を開け、美しい音を奏でている。さらに奥には、地底の滝としては日本最大級の落差29mを誇る天の岩戸の滝がある
地底に、こんな美しい世界があったことを忘れていた。
ジュール・ヴェルヌの「地底探検」を思い出す。
横溝正史の「八つ墓村」では、鍾乳洞が大事な場面につかわれていた。
美しさと恐ろしさが共存している場所。
とても惹かれる。
第1位の「氷渡洞」には、圧巻。是非、一度行ってみたいものだ。
中山道 俳句でぶらぶら
中山道 俳句でぶらぶら
中山道(なかせんどう)は、東海道とともに江戸と京都を結ぶ重要な街道で、江戸日本橋から武蔵国(埼玉県)、上野国(群馬県)、信濃国(長野県)、美濃国(岐阜県)を通り、近江国(滋賀県)草津で東海道と合流、その間の宿駅六十九、全長約百三十六里(五百四十四キロ)。
当時の旅人は、この間を十八日から二十日かけて歩いたといわれる。
その中山道をたどりながら、「徘徊は俳諧に通ず」を合言葉に、赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の路上観察学会5人衆が、路上観察で出会った珍品奇景を詠む。
この本を読み終わった後と前では、確実にあなたは変わっているだろう。
道を歩いていると、知らず知らずのうちに、視線があらゆるところに、向きはじめるようになるのだ。
不審者と思われるかもしれないので、注意が必要。
ちなみに、ボクはアパートを出た直後に、警官に職質された。(外に原因があるのかもしれないが)
とにかく、この本を読めば、普段の散歩がもっと楽しくなる。
そして人間が面白くなる。
中山道(なかせんどう)は、東海道とともに江戸と京都を結ぶ重要な街道で、江戸日本橋から武蔵国(埼玉県)、上野国(群馬県)、信濃国(長野県)、美濃国(岐阜県)を通り、近江国(滋賀県)草津で東海道と合流、その間の宿駅六十九、全長約百三十六里(五百四十四キロ)。
当時の旅人は、この間を十八日から二十日かけて歩いたといわれる。
その中山道をたどりながら、「徘徊は俳諧に通ず」を合言葉に、赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の路上観察学会5人衆が、路上観察で出会った珍品奇景を詠む。
この本を読み終わった後と前では、確実にあなたは変わっているだろう。
道を歩いていると、知らず知らずのうちに、視線があらゆるところに、向きはじめるようになるのだ。
不審者と思われるかもしれないので、注意が必要。
ちなみに、ボクはアパートを出た直後に、警官に職質された。(外に原因があるのかもしれないが)
とにかく、この本を読めば、普段の散歩がもっと楽しくなる。
そして人間が面白くなる。
May 19, 2007
杉並区阿佐ヶ谷南 「昴神角ふじ」
青梅街道沿いにある「昴神角ふじ」へ行った。
丸の内線新高円寺駅と、南阿佐ヶ谷駅のほぼ中間。
角ふじめん(680円)を大盛(100円)で注文する。
ここの大盛は、麺の量を300g〜3000g(!)の間で決めることが出来る。(ちなみにづけ麺は350g〜3000g)
のれんに書いてある「腹が減ったらうちにこい!」は伊達ではない。
今日は400gで注文した。
厨房をのぞくと、手際よく野菜がラーメンの上に乗せられていく。
「ニンニクは乗せますか?」の質問に、今日は人と会う予定がないので、「お願いします。」と答えた。
まずはこの野菜をなんとかしないといけない。
野菜は、もやしがメインでキャベツが少々混ざっていて、その上にたまねぎのみじん切り、一番上に醤油漬けニンニクの刻みが盛付けてある。
まずは、ニンニクを脇にどけ、野菜をくずさないように食べる。
もやしが、しゃきしゃきしていて美味しい。
やっと麺に到達。
麺は中太の縮れ麺。
固めで、独特な食感。
好きな麺だ。
背脂の浮いたスープは醤油味。
甘辛い味が、野菜と麺によく合っている。
後半になると、大盛は結構きつい。
3000gなんて、だれが食べるのだろう?
今度チャンスがあったら、一番食べた人で何gなのか聞いてみたい。
「昴神角ふじ」
住所:東京都杉並区阿佐谷南1-4-2
TEL:
営業時間: 11:30-15:00 18:00-23:00
定休日:火曜日
May 18, 2007
杉並区西荻北 「熊本ラーメン ひごもんず」
「酒房 蔵屋」へ行った帰り、ラーメンが食べたくなり、西荻窪駅北口にある「熊本ラーメン ひごもんず」へ寄る。
ラーメン(600円)に、るーたん(味玉100円)をトッピングして注文。
麺はコシのある細ストレート麺。
白濁の豚骨スープは、見た目よりあっさりしている。
麺とよくからんで美味しい。
具はチャーシュー、茎わかめ、もやし、海苔1枚、刻みネギ、そしてトッピングしたるーたん。
るーたんは、味がしっかりしみ込んでいて美味しい。
酒を飲んだ後は、やっぱりラーメンが最高。
腹回りがちょっと心配だ。
「熊本ラーメン ひごもんず」
住所:杉並区西荻北3-19-13 岡田ビル 1F
TEL:03-3301-2028
営業時間:11:00〜翌1:30(日祝:11:00〜翌0:30)
定休日:無休
May 16, 2007
飛ぶ夢をしばらく見ない
赤い翼 シルクロードを飛ぶ
毎週水曜夜9時、フジテレビで放送中。
世の中のあらゆる「BEST3」を紹介する映像図鑑バラエティ、「ザ・ベストハウス123」。
鳥の目で見た世界の絶景BEST3
番組中のナレーション。
美しき風景。それは見ているだけで癒される、地球の贈り物。
その風景を全く違う視点で撮影する男がいる。
モーターパラグライダーで大空を飛び自由自在に風景を撮影する世界で唯一人の飛行撮影家矢野健夫さん。
エンジンは重さ40kg、長さ10mの翼を両手であやつりながら空を飛ぶ。
そして、ひざにかかえた重さ10kgのハイビジョンカメラで、風景を撮影するという、この高度なテクニックが誰もなしえなかった全く新しい映像世界を生み出した。
それはまさに大空を舞う鳥の視点。
平均時速40kmで飛行するモーターパラグライダーは、ヘリコプターのように吹き降ろしの風を発生させないため、地表すれすれを飛んでも草木を揺らすことなく撮影できる。
上空から低空まで、まさに鳥のように大空を飛び回るのだ。
「風を感じながら、風と会話しながら撮らせてもらっている。」
風を感じ、風と会話しながら撮影してきた飛行撮影家矢野健夫さんが選んだ絶景映像をごらんいただこう。
第1位 前代未聞のチャレンジ天空で捉えた神の姿
中国・青海省にある青海湖。標高3200メートルの高地にある、天空のサファイヤと呼ばれる中国最大の湖。その雲の上で、なんと、神の姿を見ることができるという。ブロッケン現象により光の輪に包まれた、人間の形をしたものが浮かび上がってくる。
第2位 疾走する騎馬遊牧民を追いかける
中国・新疆ウイグル自治区、バリクン。天山山脈の北に広がる草原に、かつてユーラシア大陸を駆けめぐった、青き狼たちの末裔がいる。疾走する馬が目前に迫るまさに大迫力の世界。それは、かつて世界一の大帝国を打ち立てた、誇り高き騎馬民族の勇姿そのもの。
第3位 超低空で撮影謎の地上絵の正体
南米ペルーの砂漠地帯に広がる、世界遺産としても有名なナスカの地上絵。いったい誰が、何のために描いたのか、未だ謎に包まれている。この地上絵が出来たのは1400年以上前と言われるが、雨が降らない気候が、この世界遺産を守り続けてきたのだ。
この映像は、どこかで見たことがある。
そうだ。夢の中で空を飛んだときと同じ映像だ。
この飛行感は、まさにあの夢の感覚。
ユングの夢判断では、空飛ぶ夢は希望の拡大か現実逃避と考えられ、フロイトの解釈では性欲の高まり、性的欲求不満に該当するとか。
ほんとかよ。
そういえば、飛ぶ夢をしばらく見ない。
あの気持ちよさは、見たことのある人にしかわからない。
性欲の高まりは感じているんだけどな・・・。
毎週水曜夜9時、フジテレビで放送中。
世の中のあらゆる「BEST3」を紹介する映像図鑑バラエティ、「ザ・ベストハウス123」。
鳥の目で見た世界の絶景BEST3
番組中のナレーション。
美しき風景。それは見ているだけで癒される、地球の贈り物。
その風景を全く違う視点で撮影する男がいる。
モーターパラグライダーで大空を飛び自由自在に風景を撮影する世界で唯一人の飛行撮影家矢野健夫さん。
エンジンは重さ40kg、長さ10mの翼を両手であやつりながら空を飛ぶ。
そして、ひざにかかえた重さ10kgのハイビジョンカメラで、風景を撮影するという、この高度なテクニックが誰もなしえなかった全く新しい映像世界を生み出した。
それはまさに大空を舞う鳥の視点。
平均時速40kmで飛行するモーターパラグライダーは、ヘリコプターのように吹き降ろしの風を発生させないため、地表すれすれを飛んでも草木を揺らすことなく撮影できる。
上空から低空まで、まさに鳥のように大空を飛び回るのだ。
「風を感じながら、風と会話しながら撮らせてもらっている。」
風を感じ、風と会話しながら撮影してきた飛行撮影家矢野健夫さんが選んだ絶景映像をごらんいただこう。
第1位 前代未聞のチャレンジ天空で捉えた神の姿
中国・青海省にある青海湖。標高3200メートルの高地にある、天空のサファイヤと呼ばれる中国最大の湖。その雲の上で、なんと、神の姿を見ることができるという。ブロッケン現象により光の輪に包まれた、人間の形をしたものが浮かび上がってくる。
第2位 疾走する騎馬遊牧民を追いかける
中国・新疆ウイグル自治区、バリクン。天山山脈の北に広がる草原に、かつてユーラシア大陸を駆けめぐった、青き狼たちの末裔がいる。疾走する馬が目前に迫るまさに大迫力の世界。それは、かつて世界一の大帝国を打ち立てた、誇り高き騎馬民族の勇姿そのもの。
第3位 超低空で撮影謎の地上絵の正体
南米ペルーの砂漠地帯に広がる、世界遺産としても有名なナスカの地上絵。いったい誰が、何のために描いたのか、未だ謎に包まれている。この地上絵が出来たのは1400年以上前と言われるが、雨が降らない気候が、この世界遺産を守り続けてきたのだ。
この映像は、どこかで見たことがある。
そうだ。夢の中で空を飛んだときと同じ映像だ。
この飛行感は、まさにあの夢の感覚。
ユングの夢判断では、空飛ぶ夢は希望の拡大か現実逃避と考えられ、フロイトの解釈では性欲の高まり、性的欲求不満に該当するとか。
ほんとかよ。
そういえば、飛ぶ夢をしばらく見ない。
あの気持ちよさは、見たことのある人にしかわからない。
性欲の高まりは感じているんだけどな・・・。
May 15, 2007
カポーティよりカポーティ
カポーティ コレクターズ・エディション
1959年11月15日。カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人が、惨殺死体で発見される。
翌日、NYで事件のニュース記事を見た作家トルーマン・カポーティは、これを次の小説の題材にしようと決心。
幼馴染みで彼の良き理解者の女流作家ネル・ハーパー・リーを伴い、すぐさま現地へ向かう。
小さな田舎町は前例のない残酷な事件に動揺していたが、やがて2人の青年が容疑者として逮捕された。
カポーティは事件の真相を暴くべく、拘留中の彼らに接近していく。
ボクがトルーマン・カポーティについて思いつく、いくつかの事柄。
「ティファニーで朝食を」「冷血」「遠い声、遠い部屋」の原作者。
マリリン・モンローと友達。
ゲイ。
リチャード・アヴェドンが撮った彼のポートレイト。
晩年はアルコールやドラッグ、鬱病に苦しんだ。
これぐらいか。
フィリップ・シーモア・ホフマンの演じるカポーティを見たとき、カポーティよりカポーティらしいと思ってしまった。
なぜだろう?
おそらく、ホフマンの演じるカポーティが、俳優の演技するカポーティはこんな感じだろうというボクの予想を、はるかに超えていたからだと思う。
甲高い、か細い声。神経質そうな仕草。
ただ外見だけをまねただけではない、内面の裏づけのある演技。
ホフマンは、カポーティそのものになった。
だからカポーティよりカポーティらしいと感じたのだ。
ホフマンは、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞。
彼の演技を観るだけでも、この作品を観る価値はある。
トルーマン・ガルシア・カポーティ(Truman Garcia Capote)は、1924年9月30日 ルイジアナ州ニューオリンズで、生まれた。
幼年時代について、彼はこう綴っている。
「両親は私が4歳のときに離婚した。それは、どちらにも不幸な複雑な離婚であった。 そして、主としてそのために、私は幼年時代のほとんどを、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマの田舎にある親類の家を転々としてすごした。 自分でした読書の方が学校教育よりもはるかに大事であった。」
彼の生い立ちを見ると、後に彼が描くことになる作品の主人公たちとの共通点を見出せる。
「遠い声 遠い部屋」の主人公は、父が離婚して行方不明、母親は病死し、孤児同然で叔母にひきとられている13歳のジョエル。
「草の竪琴」では、母に死に別れ、父親が旅回りのセールスマンであったために、 従姉妹の家に預けられる少年コリン。
名刺の住所が ”旅行中” である「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーも、かつて弟ともに食うや食わずで放浪していた孤児。
そして、今回の映画にも出てくる「冷血」では、 ペリー・スミスは、「母はいつも酔っ払っていて、私たちをちゃんと養ったり世話したりできる状態ではなかった」という環境に育ち、疎外のなかでアメリカ中を渡り歩いた男として描かれた。
往々にして孤立感に苛まれ、 安住の地を求めて彷徨っている主人公たち。
幼年時の彼と、だぶって見えてしまう。
映画の中で、ペリー・スミスについてカポーティが語る。
たとえて言えば、彼と僕は一緒に育ったが、ある日、彼は家の裏口から出ていき、僕は表玄関から出た。
カポーティは、ペリー・スミスに自分自身を投影していたのではないだろうか。
そして、もしかしたら自分もこうなっていたかもしれないと思い、そのことに恐怖した。
ボクには、そう思えてしまう。
独房を訪れ、ペリーの取材を重ねるにつれ、二人は心を通わせ友人となる。
作品も順調に完成へと近づきつつあった。
しかし、「ノンフィクション・ノベル」であるこの作品の完成は、ペリーの死刑によってしか成しえない。
何よりも君の死を恐れ、誰よりも君の死を望む。
再審に次ぐ、再審。
カポーティはいつしか、袋小路へと追いやられてしまう。
結局、ペリーの死刑によって「冷血」は完成するのだが、その後、カポーティはアルコールと薬物中毒に苦しみ、最新作を発表することなく、1984年8月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死した。
映画は、余分なものを一切排除した、緊迫感ただよう作品だった。
作品全体の色調が、ボクは好きだ。
美しいアメリカの田園風景が、静かに映し出される。
この美しい場所で、家族4人を殺した惨劇が行われたことを思うと、いっそう悲しく恐ろしい。
1959年11月15日。カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人が、惨殺死体で発見される。
翌日、NYで事件のニュース記事を見た作家トルーマン・カポーティは、これを次の小説の題材にしようと決心。
幼馴染みで彼の良き理解者の女流作家ネル・ハーパー・リーを伴い、すぐさま現地へ向かう。
小さな田舎町は前例のない残酷な事件に動揺していたが、やがて2人の青年が容疑者として逮捕された。
カポーティは事件の真相を暴くべく、拘留中の彼らに接近していく。
ボクがトルーマン・カポーティについて思いつく、いくつかの事柄。
「ティファニーで朝食を」「冷血」「遠い声、遠い部屋」の原作者。
マリリン・モンローと友達。
ゲイ。
リチャード・アヴェドンが撮った彼のポートレイト。
晩年はアルコールやドラッグ、鬱病に苦しんだ。
これぐらいか。
フィリップ・シーモア・ホフマンの演じるカポーティを見たとき、カポーティよりカポーティらしいと思ってしまった。
なぜだろう?
おそらく、ホフマンの演じるカポーティが、俳優の演技するカポーティはこんな感じだろうというボクの予想を、はるかに超えていたからだと思う。
甲高い、か細い声。神経質そうな仕草。
ただ外見だけをまねただけではない、内面の裏づけのある演技。
ホフマンは、カポーティそのものになった。
だからカポーティよりカポーティらしいと感じたのだ。
ホフマンは、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞。
彼の演技を観るだけでも、この作品を観る価値はある。
トルーマン・ガルシア・カポーティ(Truman Garcia Capote)は、1924年9月30日 ルイジアナ州ニューオリンズで、生まれた。
幼年時代について、彼はこう綴っている。
「両親は私が4歳のときに離婚した。それは、どちらにも不幸な複雑な離婚であった。 そして、主としてそのために、私は幼年時代のほとんどを、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマの田舎にある親類の家を転々としてすごした。 自分でした読書の方が学校教育よりもはるかに大事であった。」
彼の生い立ちを見ると、後に彼が描くことになる作品の主人公たちとの共通点を見出せる。
「遠い声 遠い部屋」の主人公は、父が離婚して行方不明、母親は病死し、孤児同然で叔母にひきとられている13歳のジョエル。
「草の竪琴」では、母に死に別れ、父親が旅回りのセールスマンであったために、 従姉妹の家に預けられる少年コリン。
名刺の住所が ”旅行中” である「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーも、かつて弟ともに食うや食わずで放浪していた孤児。
そして、今回の映画にも出てくる「冷血」では、 ペリー・スミスは、「母はいつも酔っ払っていて、私たちをちゃんと養ったり世話したりできる状態ではなかった」という環境に育ち、疎外のなかでアメリカ中を渡り歩いた男として描かれた。
往々にして孤立感に苛まれ、 安住の地を求めて彷徨っている主人公たち。
幼年時の彼と、だぶって見えてしまう。
映画の中で、ペリー・スミスについてカポーティが語る。
たとえて言えば、彼と僕は一緒に育ったが、ある日、彼は家の裏口から出ていき、僕は表玄関から出た。
カポーティは、ペリー・スミスに自分自身を投影していたのではないだろうか。
そして、もしかしたら自分もこうなっていたかもしれないと思い、そのことに恐怖した。
ボクには、そう思えてしまう。
独房を訪れ、ペリーの取材を重ねるにつれ、二人は心を通わせ友人となる。
作品も順調に完成へと近づきつつあった。
しかし、「ノンフィクション・ノベル」であるこの作品の完成は、ペリーの死刑によってしか成しえない。
何よりも君の死を恐れ、誰よりも君の死を望む。
再審に次ぐ、再審。
カポーティはいつしか、袋小路へと追いやられてしまう。
結局、ペリーの死刑によって「冷血」は完成するのだが、その後、カポーティはアルコールと薬物中毒に苦しみ、最新作を発表することなく、1984年8月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死した。
映画は、余分なものを一切排除した、緊迫感ただよう作品だった。
作品全体の色調が、ボクは好きだ。
美しいアメリカの田園風景が、静かに映し出される。
この美しい場所で、家族4人を殺した惨劇が行われたことを思うと、いっそう悲しく恐ろしい。
May 14, 2007
ディズニーは遠すぎる、石景山遊楽園にいらっしゃい
最近、ニュースでもよく取り上げられる中国の「石景山遊楽園」。
園内には、ミッキーマウス、ドナルドダック、クマのプーさん、白雪姫と七人の小人などのディズニーキャラクター、バッグス・バニーなどのワーナー・ブラザーズのキャラクター、ハローキティ、ドラえもんなどによく似たキャラクターたちがたくさん。
もちろん全てキャラクターの使用許可はとっていない。
もっと悪いことに、この遊園地は国営なのだ。
それに対し、とうとうアメリカ政府が怒りだしたため、偽キャラクターもいなくなったそうだ。(白雪姫と七人の小人の像を壊している映像を見た)
テレビでは、中国に対して、批判的意見が多い。
ま、あたりまえだけど。
だが、ボクはこの石景山遊楽園のニュースに対して、世間の大多数の意見とは、少し違った意見を持っている。
まず、写真のキャラクターを見て欲しい。
後から何か言われたときのために、わざとああいう風につくっているのか、それともあれが中国人のセンスなのか判断に苦しむが、あまりにもへんてこだ。
あれが、ディズニーの収入に影響を及ぼすとは、とても思えない。
かつての日本もそうだった。
小学生の時、デパートの屋上でディズニーキャラクターに似た乗り物に乗った思い出がある。
でも、あれだけ規模がでかいと、比べるのは、やっぱり無理があるかな〜。
節操のなさ。
そこが日本と中国の違い。
なんとか、石景山遊楽園側を擁護したいのだが、非常に難しい。
ニュースを見ていると、
石景山遊楽園の社長がインタビューで、こんなことを言っていた。
「まねは、していない。他人でも、似ている人がいるじゃないか。」
これには、ひっくり返った。
中国人の言い訳は、レベルが違う。
日本人には、とても理解できない。
中国人のあの感性は、周りには、たくさん迷惑かけるけど、どこか憎めない。(国家間のことは別だが)
世の中が、洗練されたものばかりじゃ、面白くない。
B級モノ好きとしては、あの石景山遊楽園はまさしく夢の場所。
前のままの状態で営業を続けてほしかった。
知的所有権は、もちろん守らなければいけないことだ。
テレビのコメンテーターの方たちの、批判も正論である。
でも、このピースをしている偽ドラえもんを見てほしい。
怒る気なくすでしょ?
どうか温かい目で見てあげて下さい。
May 12, 2007
豊島区大塚 「木曽路」のもつ煮込みに感涙する
『富久晴』を出て、同じく大塚の『木曽路』へ向かう。
夜風が気持ちいい。
しばらく歩いて、『木曽路』に着く。
このお店は、もつ煮込みが美味しいそうだ。
早速、もつ煮込みを注文した。
生ビールで、3回目の乾杯!
もつ煮込みを食べる。
な、なんじゃこりゃ!?
美味い、美味すぎる。(けっしておおげさではない)
もつがぷるぷるして、とてもやわらかい。
Oさんが、一言。
「今まで食べたもつ煮込みの中で一番美味い。」
同感だ。
その後、もう一杯もつ煮込みを注文。
「どうやって作ってるんだろ。弟子入りしたいよ。」
Oさんは、いたく気に入ったようだ。
3軒目も当たりという、抜群の好成績。
しかも、3軒はしごして一人6000円かかっていないのだ。
今日は、いい酒だった。
この後、昔のバイトの先輩だったTさんと、Oさんの親友のTさんと合流したのだが、店は普通だったので、ここでは書かない。
結局、朝4時近くまで計5軒はしごした。
夕方から始めて、3軒くらいはしごして、終電前にはお開きするのが、体力的にも経済的にもベストだなと、今回の飲みで再確認した。
『木曽路』
住所:東京都豊島区南大塚3-30-12
TEL:03-3987-6582
営業:17:00〜24:00
定休:日祝
豊島区大塚 「富久晴」でにら玉と出会う
『斉藤酒場』を出て、演芸場通り商店街を歩く。
『篠原演芸場』、『讃岐うどん すみた』(今日行こうと思っていたが、終了していた)を通りすぎる。
東十条駅近く、やきとんで有名な『埼玉屋』に着く。
しかし、様子がおかしい。客はいる様子なのに、のれんが閉まっている。
店に入ってみた。店内は、客でいっぱいだ。
しかし、店はもう終了していた。
土曜は、午後4時から午後6時までの営業なんだとか。
2時間だけの営業なの!?
仕方がない。調査不足の自分が悪い。土曜の時は、『埼玉屋』→『斉藤酒場』のコースだな。
十条駅へ戻り、大塚へ向かうことにした。
山手線大塚駅に着く。
ここ大塚は、有名な居酒屋が数多くある。
大塚四天王なんて言葉があるほどだ。(『江戸一』『きたやま』『串駒』『こなから』の4店)
今日は、その四天王には行かず、もつ焼きを食べに『富久晴』に行った。
コの字型のカウンターだけの店内。
コの字の角あたりに座る。
このお店も、『斉藤酒場』のように、昭和の懐かしい雰囲気。
ラジオからは、野球中継が流れている。
「沢村、左足を思い切り上げて、第1球のモーション。靴底のスパイクがはっきり見えるほど、高々と上げました」
志村正順アナの名調子が聞こえてきそうだ。
瓶ビール。それと、レバ刺し。売り切れちゃったの!?残念。
それじゃ、シロとガツを2本ずつ塩で。(1本110円)
では、二回目の乾杯!
目の前で、店のおやじさんが、もつを焼いている。
手を動かしながら、常連さんの言葉に相槌をうっている。
その様子が、なんかいいのだ。
この様子の良さは、長くこの商売をやっているから出せるんだろうな。
いいお店だ。
隣の客が、にら玉を注文した。
炒めてある、おなじみのにら玉を想像していたのだが、
運ばれてきたにら玉を見てびっくり!
にらのおひたしの上に卵の黄身が乗っている。
確かに、にら玉という言葉に間違いはない。
自分達も、注文してみた。
黄身を割り、にらにからませる。
美味い!
これ、結構いけるな〜。
ツーベースヒット。
お勘定をする。
二人で2500円。
安いよ〜、おやじさん。
今日は2軒とも、当たりだった。
いい流れだ。
よし、3軒目に突入!
『富久晴』
住所:東京都豊島区南大塚2-44-6 飯田ビル1階
電話:03-3947-2980
定休:日曜・祝日
営業:17:00 - 22:00
北区十条 「斉藤酒場」に酔う
埼京線十条駅にOさん到着。
駅近くの「斉藤酒場」へ向かう。
午後4時30分の開店直後に入ったが、すでに二組の先客。
壁を背にし、店内を見渡せて、入り口からはどんな客が入ってくるか一目で分かるベストの席、店の一番奥の角の席に座る。
ゴルゴ13から学んだことだ。
店内を見渡す。
創業昭和三年だというから、相当に古い。
客の手や尻に磨かれた、テーブルや椅子。
壁や天井はすすけていて、なんだかセピア調。
自分達もセピア色になったような気がする。
あ〜か〜い〜りんごに、くちび〜るよせて〜、だまあ〜って、みている、あ〜おいそおら〜♪
並木路子の「りんごの歌」(作詞サトウハチロー)が聞こえてきそうだ。
壁に貼られた品書きを見ると、そのほとんどが200円代。
一番高いあてで、480円(鰻の蒲焼)。
安い!
せんべろ探偵が行く
このお店は、中島らもさんの「せんべろ探偵が行く」で知った。(せんべろは、千円でべろべろに酔っ払うという意味)
確かにこの値段なら、せんべろになりそうだ。
二人から笑みがこぼれる。
さあ、飲むぞ!
まずは、ビール。それと、島らっきょうとしめさば、山芋の千切り。
乾杯!く〜美味い!
この時間に飲む酒は、3割増しで美味いな〜。
気が付くと、店内ほぼ満席。
開店して、まだ30分もたっていないのに、さすが有名店である。
客は、年季のはいったオヤジたちがほとんど。
若い女性がいるのは、カップルのようだ。
こういうところで喜んで飲める女性って、それだけで5割増し。
グループで飲んでいる人、一人で飲んでいる人、
誰もが、自分なりの酒の楽しみ方を知っている。
それが、この店のいい雰囲気をつくっている。
ひとり、怒っているオヤジがいた。
何に怒っているのか良く分からない。
すると、そこに割烹着をきた店のおばちゃん(京塚昌子を思い出した)が、すーっとその客に近寄って、
「何、怒ってんの?」と優しい声で話しかけた。
「俺だって、怒りたくて怒ってんじゃないんだよ・・・。」
みるみるトーンダウンしていくオヤジ。
おばちゃんが、なにやらそのオヤジを諭している。
あっという間に、何事もなかったかのように店の雰囲気がもとにもどる。
我ら二人、おばちゃんの客あしらいのうまさに、しばし感動。
いいもん見せてもらったなと、ビールを注ぎあった。
串かつ、塩辛、谷中しょうが注文。
樽酒を飲む。美味い。
この雰囲気を味わえる店は、そうあるもんじゃない。
金をいくら使ったって、こんなお店はつくれない。
お金じゃ買えないものがある、いい見本だ。
中島らもさんが、新幹線に乗って飲みに来たというのも、わかるような気がする。
(らもさんが、最後に飲みに行きたかったお店は、たぶんこんなお店だったんじゃないだろうか)
常連さんも多くて、斉藤酒場の最寄路線である埼京線を、人々は「斉藤線」と呼ぶらしい。
Oさんがつぶやく。
「新潟にも、こんな店があればいいのにな・・・。」
店が混んできて、二組のお客に挟まれ、出にくい状態に。
今度から、角じゃなく通路側に座ろう。
人はそうやって、日々学んでいく。
隣の人に立ってもらい、席から脱出。
勘定をする。
二人で、2800円なり。
安すぎるよ、おばちゃん。
「ごちそうさま。」
「また来てね。」とおばちゃん。
外に出る。
時間は、午後6時。
外は、まだ明るい。
さあ、2軒目行きましょ。
「斉藤酒場」
住所:東京都北区上十条2-30-13
TEL:03-3906-6424
営業時間:16時30分〜23時30分
定休日:日・祝休